退屈な「リベラル派」のひとり芝居

佐和隆光『市場主義の終焉』岩波新書

著者は、いつから「経済学者」になったのだろうか。少なくとも、学界で知られている彼の業績は「統計学」以外にはない。「カタストロフィ理論」を売り込み 始めたあたりから「経済学者」を自称しはじめたようだが、著者の経済学の知識の水準は「収穫逓増」を説明した次の一節でも明らかである:
ソフトウェア産業(金融、情報、通信、芸能、映画など)のほとんどあらゆる分野で「一人勝ち」が起こりやすい。[...]な ぜそうなのかというと、研究開発において「収穫逓増」が働く――研究開発費を2倍にすれば、開発成果の期待値が2倍以上になる――からである。(本書 p.118-9)
大学1年生でも、こんなひどい答案は書かない。「研究開発費を2倍にすれば、開発成果の期待値が2倍以上になる」なら、研究開発費は無限大に発散するだろう*。 経済学でいう収穫逓増(費用逓減)とは、そういうナンセンスな話ではなく、大量生産するとコスト(単価)が下がるという「規模の経済」のことである。これ は「複雑系」を持ち出すまでもなく初等算術でわかる当たり前の話で、情報産業で初めて出てきた現象でもない。マイクロソフトの独占は、それとは別の問題である。「ほとんどあらゆる分野」で起こっているとい うわりには、佐和氏はひとり勝ちの例としてマイクロソフトしか挙げていない(中谷巌氏など、この種の議論はたいていそうだ)が、それは例外なのである。本書には、こういう初歩的なまちがいがいっぱいあって、これが「経済研究所長」の書く本なのかとあきれる。いつもは、こういうまちがいを同僚のN教授がチェックするそうだが、本書は手を抜いたのだろうか。

「市場主義」を批判する一方で「保守主義」を批判し、「リベラル派」と自称しているが、批判の対象が明示されていないので、何を批判しているのかわからな い、自作自演のひとり芝居である。「第3の道」と称しているが、その内容は旧態依然の福祉国家だ。そういうケインズ主義が破綻したから新自由主義が出てき たのを知らないらしい。著者は、いま日本で「市場主義」を批判することがどういう政治的効果を持つか、わかっているのだろうか。喜ぶのは、民営化に反対す る特殊法人や郵便局だろう。金利ゼロの預金に700兆円もの資金が集まり、銀行がそれをジャンク債同然の国債で運用して、そのカネが無用の橋や道路に注ぎ 込まれる国のどこに「市場主義」があるのか。

学問的に行き詰まって、「複雑系」とか「収穫逓増」とかいう道具を持ち出してはみたものの、ほとんど役に立たないことがわかって、かえって学者としての底 が割れてしまった。最近は「環境利権」のボスとして、補助金の配分に大きな力を持っているそうだ。何も業績のない浅田彰氏を情実人事で助教授にした事件 で、すっかり学界の評判を落としたが、知的水準は浅田氏のほうがはるかに上だ。こんな親分をバカにしながら利用する浅田氏の政治的な手腕もしたたかであ る。浅田氏の大学院の授業は、もう10年近く「開店休業」状態だという。授業もせず、論文も書かない「助教授」というのは税金泥棒である。佐和氏が国立大 学の民営化に反対するのは、こういうでたらめな研究所の管理を追及されると困るからだろう。「リベラル派」というのは、都合の悪いときには保守派になると いうことだったのか。

* これは好意的に読むと、Paul Romerなどの成長理論の収穫逓増と、Brian Arthurなどの「複雑系」モデルと、単純な規模の経済を混同していると解釈することも可能で、「開発成果」の定義しだいでは上の記述も意味をもつ可能 性がある。しかし本書の記述は、後にも先にもこれだけなのだ。著者は、収穫逓増という概念に異なる文脈があるということさえ気づいていないのである。

HOME