巨大なブラックボックス「技官の王国」をいかに解体するか

新藤宗幸『技術官僚』岩波新書 2002

みずほ銀行の大規模なオンラインシステム障害の最大の原因は、合併にともなうシステム統合の方針が旧三行の技術陣の派閥争いで二転三転し、作業が大幅に遅れたためだという。この事件は、日本の銀行経営の欠陥をよく示している。現在の銀行はコンピュータ・サービス業の一種であり、海外ではジョン・リード氏(元シティバンク会長)のようにシステム部門出身の首脳も珍しくない。しかし日本の銀行では、経営陣はMOF担(大蔵省担当)などの企画部門の出身者が多く、コンピュータには素人だ。

他方、システム部門は「裏方」で、本流になれない代わり、社内で「独立王国」を築き、経営者にコントロールできない「ブラックボックス」となっている。このため業務の中身を知らない「文科系」の経営陣が「理科系」の現場のエゴイズムに振り回される結果となる。同様の構造は官庁にも見られる。これまで官僚といえば東大法学部卒の「事務官」ばかりが注目されてきたが、実際には国家公務員第T種合格者(いわゆるキャリア)の七十パーセント以上が「技官」で、その約半数を国土交通省と農水省が占める。

明治維新で官僚制度ができたとき、文官任用試験によって採用される「官吏」とは法制官僚のことであり、技術者は面接によって「嘱託」として採用された。その位置づけは、当初は鉄道の建設や農地開拓などの作業を現場で設計・指揮する実務担当者だったが、戦時体制の中で事務官と衝突した軍部が技術官僚を中枢に組み込んだ。しかし戦後の技術革新の中で、官僚のもつ技術の民間に対する優位性は失われ、技官は業務を民間に丸投げする「技術の衣をまとった行政官」に変容した。技官集団はもはや存在意義を失い、国家財政に「寄生」する組織となったのである。

事務官と技官の差別は、戦後は公式にはなくなったが、今も農水省では本省の局長はすべて事務官であり、技官の最高ポストは大臣官房技術総括審議官だ。旧建設省では事務官と技官が交互に事務次官に就任したが、事務官は二年、技官は一年という不文律があり、技官の局長ポストは現業部門だけである。このように処遇面で恵まれないため、技官の結束は強く、たとえば河川局に配属されたら一生、中央と地方の河川畑の「縦一系列」の中で昇進し、天下りも系列の中で行われる。このように技官集団が官庁の中で軍部のような「統帥権の独立」を保っていることが組織の硬直化を招き、その権力基盤である公共事業のシェアを守るエネルギーの源泉となっている。

技官の意思決定がブラックボックス化しているので、外からのチェックがきかず、軌道修正が遅れやすい。HIV薬害事件では、厚生省が業界に配慮して非加熱製剤の回収を遅らせたため、数百人がHIVに感染した。技官も実は専門家ではないため、結局は学界の権威や業者の意向が政策を決めてしまうのだ。かつては官僚による情報独占が問題になったが、今や問題なのは霞ヶ関の「情報過疎」である。いまだに時代遅れの電話規制やデジタル放送にこだわる総務省の通信放送行政などもその一例だろう。

著者は「技官の王国」を解体する手段として、政治的任用や独立行政委員会の拡大などを提案しているが、こうした提案がこれまで実現しなかったのは、官僚をそこまで追い込む外部の圧力がないからだ。軍部を解体したのは敗戦だった。戦時体制の遺制ともいうべき技官集団を解体するには、政権交代によって政・官・業の「共生関係」を壊し、官僚機構を「敗戦」の危機に追い込むしかないだろう。

本書の分析は、やや狭義の行政面に片寄り、官僚組織の構造的な欠陥を解明しきれないうらみも残るが、腐敗や癒着などの病理現象を指弾することに終わりがちな従来の官僚論を超え、その「生理学」的な分析を行った点を高く評価したい。

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