IMF式グローバリゼーションが見落とした「制度」の重要性

ジョセフ・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』徳間書店 2002

本書の原著は世界的な経済学者(昨年のノーベル賞受賞者)がグローバリゼーションの本質を論じた名著だが、訳書はそれを台なしにしている。グローバ ル化を否定するかのような邦題は誤訳で、グローバリズムなる言葉は原著に一度も出てこない。原題を正確に訳せば『グローバリゼーションとその不満』で ある。また内容を理解できずに自分の本を宣伝する「解説」(リチャード・クー)が訳書の品位をさらに下げている。

この醜悪な訳書は、グローバル化をめぐる日本の大衆的な気分を象徴している。「反グローバリズム」を主張する本はたくさん出ているが、その大部分は 「伝統への回帰」を求めるナショナリズムや「米国型資本主義は日本の文化に合わない」といった日本特殊論で、IMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機 関)の総会で投石するデモ隊と大して変わらない。本書は、こうした通俗的な議論とは違い、「問題はグローバリゼーションにあるのではなく、それをどのよう に進めるかにある」(三〇五〜六ページ)という観点から、一九九〇年代に起こった経済危機を分析している。世界銀行の副総裁をつとめた著者の批判は具体的 で迫力があり、「内幕物」としてもおもしろい。

一九九七年に始まった東南アジアの経済危機に際し、IMFは財政支出の削減と金利の引き上げを強要した。こうした緊縮政策は、かつて累積債務に苦し む中南米諸国の経済を再建したときには成功したが、まったく事情の違うアジアに同じ処方箋を適用したことは、かえって危機を拡大した。財政赤字の大きくな い東南アジアでは、拡張的な財政・金融政策で経済を支えるべきだったのである。旧社会主義国の市場経済化を急速に進めた米国主導の「ショック療法」は、ロ シアではGDP(国内総生産)が六十パーセント以上も減少する第二次大戦より深刻な経済破綻をもたらした。これに対して、ルーブルの為替レートを実勢より 高く支えたIMFの政策は、一九九八年に政府債務の不履行を引き起こしてロシア経済にさらに致命的な打撃を与えた。ロシア経済が回復したのは、これによっ てルーブルが暴落した後だった。 

フィッシャー理事(元MIT教授)を初めとする専門家の指導するIMFが、なぜこんな愚かな政策をくり返したのだろうか。IMFは米国の金融資本の 手先であり、その介入は米国の海外資産を保全するのが目的だった。フィッシャー氏は、その報酬としてシティグループの副会長に就任した――という著者の批 判はいささか脱線ぎみだが*、IMFの強引な政策の背景にグローバルな資本自由化を進めようとするウォール街の意向があったことは事実だろう。

IMFの失敗の教訓は、新古典派経済学が見かけほど普遍的な理論ではないということである。市場メカニズムの有効性は、所有権を保護する司法制度や 社会的規範などに依存しており、それが欠けたロシアで国有財産を一挙に市場で売却したら、その私物化や資産の海外流出が起こることは避けられなかった。本 書は、経済システムの効率を決める最も重要な要因は制度だという最近の「制度の経済学」の主張を裏づけている。ただし、著者のいうように制度の整備を優先 していればロシアの悲劇が避けられたかどうかはわからない。それは、いずれにせよ避けられなかったのかもしれない。政府の介入の有効性を信じる著者のケイ ンズ主義がやや古めかしく見えることも否定できない。

他方、日本では逆に超拡張的な財政政策と銀行救済によって既得権の保護が過剰になっているため、経済システムの再構築が暗礁に乗り上げている。著者 は今年四月に経済産業研究所で行われたセミナーで、日本が経済を開放してアジアの経済統合に中心的な役割を果たすよう求めた。現在の日本に必要なのは、む しろグローバリゼーションと改革の加速なのである。

*この点について、IMFはケネス・ロゴフ理事(元ハーバード大学教授)の名前で異例の抗議文を発表した。スティグリッツの「古典的ケインジアン」の議論は、世銀やIMFでは孤立していたようである。

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