日本の政治を呪縛する「田中角栄型システム」の解剖学

立花隆『「田中真紀子」研究』文藝春秋 2002

著者は最近、東大の客員教授になって『東大生はバカになったか』という本を出したかと思ったら、その東大生に『立花隆先生、かなりヘンですよ』とい う本を書かれたりしている。たしかに著者の「臨死体験」を初めとする生命科学の本はかなりヘンだし、インターネットの本は単なるホームページの感想文だ。 そろそろ著者も「本業回帰」したほうがよいのではないか。本業とは、やはり田中角栄に代表される日本の政治の問題だろう。著者は田中との出会いを不本意な 「偶然」だとしているが、彼は一政治家である以上に戦後政治の象徴であり、社会科学的にも重要なテーマだ。本書も「田中真紀子」研究と題されているが、大 部分は田中角栄の話で、真紀子氏はその「遺伝子」の一部を受け継ぐ存在として言及されているだけだ。

遺伝子といっても、問題はDNAではなく、田中角栄型の政治手法である。政治とカネの結びつきが強くなった高度成長期に、彼は佐藤内閣の幹事長とし て頭角をあらわした。その力の源泉となったのが公共事業である。公共事業は今でこそ無駄遣いの代名詞だが、日本の社会資本が貧しかったころは、東名高速道 路や東海道新幹線の投資効率は、どんな民間投資よりも高かった。田中は、その配分をめぐる利害調整を迅速に行ってインフラ整備を進める「欲望のブロー カー」として比類ない才能を発揮したのだ。

その手法は、政治的な争いをカネの問題に置き換えて解決するものだった。日米繊維交渉では、米国の主張を受け入れる代わりに繊維業者に「国内対策 費」を出し、原発を建てる地元には「つかみ金」を渡し、ついでに数億円の「手数料」を取る。きわめつけは、金大中氏の拉致事件で韓国から四億円(推定)の 「示談金」を取って政治決着したという話だろう。こうした非公式の紛争解決の武器として政・官・財に張りめぐらした人脈が使われ、それを維持する巨額のカネを調達するために利権をあさる……という 悪循環によって政治の金権化が進んだ。その負の遺産は、今も自民党に根強く残っている。鈴木宗男代議士の「口利き」も、BSE(狂牛病)問題の補助金も、 地上波デジタル放送に投入される一八〇〇億円の補助金も、面倒な問題はバラマキで片づける「角栄の遺伝子」の産物だ。

これまでの著者の田中角栄についての本は、ロッキード事件などの「社会部的」な面が主だったが、本書では彼の政治手法についての「政治部的」な分析が加 わり、深まりを見せている。男女関係も含む複雑な人間関係の記述は「田中型システムの解剖学」とでもいえよう。しかし、そのメカニズムの分析は十分ではなく、ともすると角栄個人を断罪して結論を出してしまうきらいがある。問題は、なぜ彼がこれほど大きな権力 を持ちえたのかということだ。それは誤解を恐れずにいえば、かつては田中的手法に一種の合理性があったからだろう。田中角栄は官僚的で硬直した政治に「市 場原理」を持ち込み、意思決定を迅速に進めた。政府の行うべき仕事も財源も多かった高度成長期には、官が民に「逆賄賂」を出すことによって地方は潤い、政 治家は票を集め、官僚は権限と予算を拡大できた。損をするのは納税者だが、かつてはインフラ整備が進むメリットもあったし、都市への人口集中を防ぐ意味も あった。

しかし彼の手法は、供給の極大化を求めるものだった。国民が何を求めているかが明らかで財源も十分だった時代には、政治はその欲望を満たせばよ かったが、公共事業の存在意義が問われる今、必要なのは納税者=消費者の観点からプロジェクトを取捨選択することだ。このような政治の転換を実現するに は、田中型システムを徹底的に分析し、それを根底から解体する必要がある。今後の著者に期待したいのは、田中角栄の権力を支えた戦後政治の構造についての 「生理学的」な解明である。

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