「理性と暴力の世紀」を生きた波乱の生涯

レオン・トロツキー『わが生涯』(上)岩波文庫 2001

のちの歴史家が二十世紀を評価するとき、それはかつてない科学技術の発展と富の創出をもたらすとともに、それまでの合計をはるかに上回る大量殺戮の行われた世紀として記録されるだろう。この矛盾を象徴する事件が、ロシア革命である。ソビエト政府は、「史上もっとも知的な政府」と呼ばれた。それを指導したレーニン・トロツキー・ブハーリンなどの著書は、社会科学の古典だが、その生み出したものは数百万人の「粛清」と第二次大戦後の冷戦と崩壊後の混乱だけだった。なぜ二十世紀最高の知性が、最悪の悲劇を生み出してしまったのだろうか?

このパラドックスを語るのに、トロツキーほどふさわしい著者はいない。彼は、かつては「トロツキスト」と呼ばれる特殊な左翼集団の教祖ぐらいにしか思われていなかったが、現在は世界史の教科書でも、ロシア革命は「レーニンとトロツキーによって指導された」と記述されるようになった。革命全体を指導したのはレーニンだが、各地のソビエトを組織し、武装蜂起を指導したのはトロツキーだった。しかし一九二四年のレーニンの死後、トロツキーは党内闘争に敗れて追放され、亡命先で「第四インターナショナル」を組織するが、失敗に終わった。

本書は亡命中の生活費を稼ぐため短期間に書かれたもので、大著『ロシア革命史』(これも岩波文庫で刊行中)の序論とでもいうべき本だが、劇的な生涯の生き生きとした描写によって、二十世紀の自伝文学としてはチャーチルの回顧録と並ぶ最高傑作とされている。それは、トロツキーの文学的な才能によるところが大きい。革命運動の中で何度も投獄された監獄の中で、彼はフローベールを読んで詩を書き、「革命のない時代に生まれていたら、私は作家になっていただろう」という。

普通の政治家の自伝とは逆に、革命で自分が果たした役割についてのトロツキーの記述は、きわめて控えめであり、十月革命は一貫して「レーニンの革命」であったと記している(この部分は下巻)。しかし、こうした資質は、党内の権力闘争のような「低次元」の問題には適していなかった。死期をさとったレーニンは、スターリンを解任してトロツキーを後継者に指名する遺書を遺したが、なぜかトロツキーはそれを公表せず、スターリンが権力を奪ってしまう。このとき、もしもトロツキーが後継者になっていれば、二十世紀の歴史は大きく変わっていただろう。岩波文庫版の解説者のように、彼なら理想的な社会を実現したはずだと信じるマルクス主義者も根強く残っている。

しかし、最近公開された革命当時の文書によれば、トロツキーは権力の座にあった時には、スターリン以上に独裁的で、反対派も容赦なく弾圧した。その人を寄せつけない尊大な態度のために党内基盤は弱く、彼が権力を握っていたら、ロベスピエールのような運命をたどり、革命は短命に終わっただろう。ロシア革命のパラドックスを解く一つの鍵は、本書に一貫する知性と理想への強い確信だ。トロツキーは、自分を理解できない俗物への軽蔑を隠さない。彼がスターリンを軽視したのも、その凡庸さのゆえだった。

しかし民衆は無知で凡庸であり、彼らを動かすのは理想ではなく目先の利益だ。社会主義の巨大な「社会実験」でわかったのは、民衆の欲望(インセンティブ)を満たせない制度は維持できないという平凡な結論だった。それを無視して「前衛」や「エリート官僚」が民衆を指導しようという思想は、民衆によって裏切られる。ロシア革命は、その理想の高さ にもかかわらずではなく、それゆえに失敗したのである。本書は二十世紀の古典だが、これまでそれにふさわしい邦訳がなかった。今回の岩波文庫版は、初めてその価値を伝えるものといってよい。

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