著者はノーベル賞の候補にもなったといわれるが、その対象となったのは30代までの在米中の業績だ。主な仕事は新古典派成長理論の数学的な精密化で、一部が最近になって「内生的成長理論」の先駆として評価されるなど、数学的にも経済学的にもきわめて高度なモデルだった。しかし日本に帰ってきてからは、「自動車の社会的費用」とか「社会的共通資本」とか、経済学的には意味のない「社会正義」を振り回すものばかりで、見るべき業績はない。本書でも、次のような「黙示録」的な預言があちこちで繰り返される:
地球温暖化は、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの大気中の蓄積によってひきおこされたものです。地球温暖化は、たんに平均気温の上昇だけでなく、気候条件の極端な不安定をもたらし、美しい自然を大きく変えて、数多くの生物の存在に大きな脅威を与えることになります。とくに、地球温暖化によってひきおこされる自然環境の激変によって、美しい都市が失われ、多数の環境難民がでることは必至です。(p.208)
これは本当だろうか。地球温暖化が温室効果ガスによって起こったというのなら、産業革命以来ずっと地球は温暖化していなければならないが、19世紀末や20世紀なかばにも平均気温は下がり続けた。中世には、平均気温は現在よりも高かったと考えられ、グリーンランドは文字どおり緑の陸地だった。宇沢氏は、この「中世温暖期」の原因も温室効果ガスだというのだろうか。
現在が温暖化の局面にあることは確かだが、このまま単調に温暖化が進むという科学的根拠はない。国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書をまとめたスティーヴン・シュナイダー(スタンフォード大学教授)は、1971年に「大気汚染による粉塵が21世紀中に4倍になると、地表の温度が3.5℃も下がって、地球は氷河期に入るだろう」とする論文を発表した。いま温暖化の危険を警告している中心人物が、30年前には正反対の主張をしていたわけだ。地球温暖化説とは、この程度の「結果論」なのである。
地球上の大気という巨大な物体の状態を決める要因は、太陽光、森林による吸収、海面からの蒸発など無数にあり、CO2はその一つにすぎない。IPCCの報告はスーパーコンピュータによる大規模なシミュレーションにもとづいているが、大気は部分の動きを合成しても全体が予測できない「複雑系」なので、現在のコンピュータでは正確に再現できない。その予測の信頼性は、同じようなシミュレーションによって出される気象庁の天気予報がろくに当たらないことでも見当がつくだろう。特に1ヶ月以上の長期予報を行うことは不可能だといわれており、100年も先の大気の状態を予測するのは、IPCCのメンバーも認めるように「コンピュータを使った作り話」(computer-aided storytelling)にすぎない。
本書には、「文明の危機」だとか「人類が破滅する」とか、おどろおどろしい終末論的な言葉が連ねられるが、中身はこのように間違いだらけである。佐和隆光氏とも共通するのは、地球温暖化問題を文明論に昇格させ、大時代な「近代文明批判」を展開するところだ。地球環境問題というのは、反対する人はいないし、陳腐なヒューマニズムをぶっていればよいので、仕事のなくなった経済学者が好んで取り上げるテーマだが、学問的な意味はない。こうした極端な「エコロジスト」の主張に左右されず、環境保護の費用と便益を客観的に評価して政策の優先順位をつけるべき経済学者が、率先して被害妄想をあおっているのでは話にならない。