資本主義の「亡霊性」を読み解き、マルクスの限界を指摘する

ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』藤原書店

社会主義の崩壊とともに、マルクスも葬られたと思っている人が多いだろうが、哲学の世界では、マルクスの影響はいまだに強い。本書は、ポストモダンの中心的存在だったデリダが、あえて冷戦後の1993年にマルクスを初めて論じ、しかも「マルクス主義的精神を継承する」と明言したことで、大きな反響を呼んだ。  

「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊が」という『共産党宣言』の冒頭の一節は誰でも知っているが、マルクスの著書には幽霊や亡霊という言葉がよく出てくる。それを単なる比喩とみるのではなく、デリダ流に「脱構築」したのが本書である。脱構築とは、テキストの中に著者の隠された意図を読み解く手法だが、デリダはその先駆をマルクスに求める。『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、マルクスは「人々は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままにではない」として、人々を動かす「過去の夢魔」を分析する。また『資本論』では、商品の価値は「幽霊のような対象性」であるとして、価値を成立させているの資本主義の「宗教的性格」を明らかにする。

このようにマルクスは資本主義の亡霊性を読み解き、価値の自明性を疑い、商品の「物神性」を指摘するが、その幽霊の謎はすぐ解かれてしまう。彼は亡霊の本質を労働に求め、そうした亡霊的な形態をとらないで労働が等価交換される、透明な「自由の王国」として未来社会を描く。デリダは、この点を批判する。すべてのブルジョア的な価値を疑い、嘲笑したマルクスが、人間の本質が労働にあるという点だけは疑わなかった。現象を本質の現前ととらえる形而上学的思考から、彼も自由ではなかったのだ。  

その結果、労働価値説という古典経済学の古い道具を使ったため、『資本論』は今では経済学としては役に立たない。さらに悪いことに、このように疑いえない「歴史的必然」の名によって、社会主義という資本主義を上回る悪夢が出現した。その遠因は、マルクスが亡霊を脱構築しきれなかった点にあるのかもしれない。

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