週刊エコノミスト 2006/4/25

ネットはテレビを飲み込むか:日米映像産業の教訓

竹中平蔵総務相の私的な諮問機関「通信と放送の在り方に関する懇談会」で1月から行われてきた通信と放送の融合についての議論は、結論を6月に出る「骨太の方針」に盛り込むことをめざして、意見の集約に入った。こうした議論が始まった背景には、ブロードバンドの急速な普及によって通信・放送を縦割りに規制している制度が実情にあわなくなったという現状がある。

技術的には、インターネットがテレビを飲み込むことは時間の問題だ。もともと放送は無線通信の一種だから、通信インフラが有線・無線を問わずIP(インターネット・プロトコル)で融合すれば、放送は通信に吸収されるだろう。それではビジネスとして、ネット企業がテレビ局を飲み込むかというと、問題は別である。昨年それを試みたライブドアと楽天は、いずれも当初の目的は達成できなかった。技術の融合の先には、ビジネスモデルの融合と制度の融合というハードルがあり、そういう問題が解決するには、ブロードバンドの普及よりもはるかに時間がかかるだろう。

日本映画はなぜ衰退したのか

1950年代の日本映画は、世界でも最高水準だった。黒沢明はスティーブン・スピルバーグなどのハリウッド映画に影響を与え、溝口健二はジャン=リュック・ゴダールなどのヌーベル・バーグの手本となった。しかし60年代以降の映画産業は、質量ともに衰退の一途をたどった。年間入場者数でみると、1958年の約11億人をピークに減少し、最近では全盛期の2割にも満たない。

一般には、映画の没落はテレビの登場による不可避な運命だったと考えられているが、米国では映画産業はその後も発展した。関連産業もあわせた娯楽産業の国内総生産は、1200億ドルを超えて電機産業や自動車産業と肩を並べ、米国の最大の輸出産業となっている。何がこのような大きな違いをもたらしたのだろうか?

日本では、テレビの登場に対して、映画会社は映画の提供を拒否するばかりでなく、所属俳優にテレビの仕事を禁じる「5社協定」というカルテルを結んだ。その結果、映画産業はテレビという最大の媒体を失い、系列の映画館に画一的なスケジュールで上映させる「ブロック・ブッキング」を続けたため、競争や新規参入がなくなって衰退した。

他の多くの国でも、テレビによって苦境に陥った映画産業は、最初はテレビをボイコットした。しかし米国の映画産業は、60年代にはテレビ番組の制作に活路を見出し、逆にテレビを新たな収入源とすべくロビー活動を行った。その結果、FCC(連邦通信委員会)は1970年に、テレビ局は番組のうち一定の比率を外部に発注し、その番組について1次放送権以外の権利をもってはならず、シンジケーション(番組流通)もしてはならないという「フィンシン・ルール」を定めた。

この規制によって、ハリウッドで制作されてテレビで放送された番組の権利はハリウッドに残り、プロデューサーに一元化されたため、ビデオで売ったり、シンジケーション市場で他のテレビ局に売ったりすることが容易になった。このため、たとえば人気コメディ「サインフェルド」1本(30分)の放送権が120万ドルにもなるなど、高い制作費をかけても繰り返し視聴に耐えるすぐれた番組をつくれば採算があうようになり、テレビ番組の質も向上した。

しかし行政が放送内容に介入する規制には批判も強く、結果的にはハリウッドの力が強くなりすぎ、テレビ局を支配する状況になったため、フィンシン・ルールは1995年に廃止された。

多チャンネル化への対応

70年代から始まったケーブルテレビ(CATV)や通信衛星などによる多チャンネル化への対応も、日米でわかれた。日本では、郵政省(当時)は既存テレビ局の既得権を守るため、CATVの放送エリアを各市町村に限り、衛星放送については地上波局の広告収入に影響が及ばないように広告放送を禁じた。

このように映像産業がインフラごとに分断され、コンテンツの流通を放送局が支配する構造ができたため、映像産業に競争的な市場が形成されなかった。その結果、全国に約700社もの零細なCATV局ができ、その半分以上が赤字という状況になった。衛星放送も、NHKのBSが大量の宣伝で成功した以外は、WOWOWやスカパー(スカイパーフェクTV)などの民間事業者は巨額の赤字を出し、親会社からの増資などの支援によって生き延びている状態である。

他方、民放では低コストで視聴率の上がるバラエティやワイドショーが増えた。制作プロダクションは、テレビ局の「下請け」として搾取され、地方民放はキー局の番組を流してキー局から補助金(ネット料)を受け取るビジネスになった。そのため、日本の映像産業の制作能力は低下し、ゲームやアニメを除くと大幅な輸入超過になっている。

これに対して、米国では80年代に始まったCATVが、MSO(複数のCATVを運営する大規模局)に統合されて大きく成長し、今ではテレビ視聴者の80%以上がCATV経由で見ている。トリプルプレイ(電話・テレビ・インターネット)とよばれる統合サービスを提供し、ブロードバンドのリーダーとなっているのもCATVである。また通信衛星は、当初はCATVに番組を中継するものだったが、やがて家庭に100チャンネル以上を直接放送できるようになり、全米の家庭で数百チャンネルのテレビが見られるようになった。

こうした多数のチャンネルの間で番組を売買するシンジケーションも発達し、コンテンツの制作/流通/放送という3つの産業が「水平分業」する産業構造ができた。これによって多くの独立系プロダクションが生まれ、CNNの視聴者は全世界で15億世帯、科学番組を放送する「ディスカバリー・チャンネル」は4億5000万世帯、音楽番組のMTVは3億世帯など、グローバルにコンテンツを供給して高い収益を上げている。

他方、大手の映画会社や放送局は、出版・CATVなどを「垂直統合」して多メディア展開するようになり、世界最大のメディアグループであるタイム=ワーナーの売り上げは約400億ドルと、日本の放送局すべてを合わせた額の2倍近い(図)。

このように米国では、有料放送がビジネスとして確立し、数百社のエージェントの競争によってコンテンツの流通・編成が行われているのに対して、日本では制作から放送までをテレビ局が独占しているため、市場を立ち上げるところから出発しなければならない。しかも日本では、ほとんどの番組が契約もなしに制作されてきたので、権利関係が曖昧で、その処理コストがきわめて高い。

権利関係と制度の壁

こうした映像ビジネスの効率の格差は、今後、映像がインターネットに乗って流れるようになると、さらに大きくなるだろう。米国では今年4月から、ハリウッドの6大スタジオが映画のネット配信サービスを始めた。これは配信先がパソコンに限られ、しかも料金がDVDの2倍近いため、ビジネスとして成功するとは考えにくいが、制作者がウィンドウを自由に選べる柔軟性は、多メディア展開するうえで大きな優位性となる。

他方、日本では映画会社にはネット配信する技術も資本力もないので、放送局主導で「第2日本テレビ」などのネット配信サービスが昨年から始まった。しかし視聴率の極大化に特化した日本の民放番組には、繰り返し視聴できる番組が少ないため、視聴者も数万人から20万人程度と、伸び悩んでいる。むしろUSENの始めた「ギャオ」が発足から1年で利用者が800万人を超すなど、注目を集めている。

しかしIP放送の大きな障害となっているのが、著作権の処理である。特に日本では、IPマルチキャスト(IPによる放送型サービス)が放送ではなく「自動公衆送信」と位置づけられ、放送局のように権利者との「一括契約」ができないため、バックグラウンド・ミュージックにも1曲ずつ利用許諾を得なければならない。

またテレビ局は、地上波番組のIP再送信を拒んでいる。その理由として、テレビ局は「IPマルチキャストは中継系では一方向の”放送”だが、アクセス系では利用者が一つのチャンネルを選んで受信するので双方向の”通信”だ」と主張する。このため、関西電力系のケイオプティコムなどは、電波の信号(RF)をそのまま光ファイバーで多重化して家庭まで送っている。

IPは通信(自動公衆送信)でRFは放送だという奇妙な理由でIP配信を拒否する権利者は、世界にも例をみない。日本だけが著作権法で「自動公衆送信」という概念を設けたことが、総務省と文化庁で「放送」の定義が違うという混乱のもとになり、インターネットの発展を阻害しているのである。

この問題について内閣府の知的財産戦略本部は今年2月、IPマルチキャストの著作権法上の取り扱いを「有線放送」扱いとするよう提言した。また昨年の情報通信審議会の地上デジタル放送に関する第2次中間答申でも、IPマルチキャストでデジタル放送を配信する実証実験を始めることになった。ただ、その実験でも、県域免許制度を守るため、配信の範囲を「当該放送区域内」に限定するという条件がつけられた。

さらにNHKの番組のネット配信にも民放が反対したため、総務省は配信を過去1週間の番組に限り、事業規模を10億円以内とするなどの規制を行った。これは英BBCが「ワールドサービス」で英国のネット配信ビジネスをリードし、そのアーカイブをネット上で公開しているのと比べて、大きな違いである。

テレビ局がネットに飲み込まれることを拒否し、彼らの独占する地上デジタル放送に固執するのは、かつて日本の映画産業がテレビを拒否したように、ある意味では自然な行動である。しかし非効率的なインフラに閉じこもって新規参入を拒否することは、その業界の活力を低下させ、結局は衰退をまねくというのが、映画産業の教訓である。

行政の役割は、少なくともこうした既得権を強化するような規制を行わないことだ。この点でも、日米は対照的である。郵政省が地上波放送と競合するビジネスを抑制する規制を行ったのに対して、FCCは制作と放送を分離し、番組を市場で流通させたことが、日米の映像産業の競争力の差をもたらした。最近では自民党に、地方民放局のデジタル化投資に公的資金を投入しようという動きまで出ているが、こういう政策をとると、日本は次世代メディアの競争でも敗者になるだろう。

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