コモンズとは「入会地」とも訳され、村で共有している山林のように、特定の個人が私有しないで全員が使える共有財産のことである。現代では、こういう所有形態は過去のものだと思われているが、一九九〇年代に、突如として全世界をおおうコモンズが登場した。インターネットは、IP(インターネット・プロトコル)というコモンズの上で情報を共有することによって、電話会社のコントロールから自由な技術革新を可能にしたのである。
この自由は、自然発生的に生まれたものではない。七〇年代にデータ通信が普及し始めたとき、AT&T(米国電話電信会社)はその電話回線を通るデータをコントロールしようとしたが、AT&Tの独占を恐れた米国政府は、電話会社はデータをコントロールしてはならないという規制を行なった。「規制緩和」が自由競争をもたらすという神話とは逆に、インターネットの自由を可能にしたのは政府の規制だったのである。そして今日インターネットが直面している最大の問題は、電波があまりにも非効率に使われているということである。無線LANで光ファイバーなみの高速通信が可能になっているにもかかわらず、それが使えるのは条件の悪いわずかの帯域だけだ。ここでも電波の免許制度を廃止し、コモンズとして開放する改革が求められている。
こうした著者の主張は、インターネットの世界に大きな影響を与えている。評者も基本的には同感だが、著者は規制について楽観的すぎるようにみえる。政府や議会が民間よりも賢明であるとは限らない。事実、米国の著作権法の有効期限は公表後七五年から九五年に延長され、著者はこの改正案に反対する訴訟を起こしたが、今年一月、訴えは連邦最高裁で棄却された。米国政府は著作権や特許権などの「知的財産権」の保護が産業競争力の強化に結びつくと信じているようだが、その政策を支持する学問的な証拠はない。著者の著作権訴訟には、ノーベル賞受賞者五人を含む十七人の経済学者が支援を表明した。
日本政府は、世界的に著作権の過剰保護が問題になっている今になって、映画の著作権保護期間を五〇年から七〇年に延長する方針だという。これが「競争力の強化」になるというが、文化庁は五〇年前の日本映画を作った黒沢や小津に創作意欲を与える心霊術でも使えるのだろうか。過去の作品の保護期限を延長することは、映画会社の独占利潤を守り、映像の自由な利用を阻害して、映像産業の競争力を低下させるだろう。
本書の致命的な欠点は、訳文である。「トム・ハズレット」「イーライ・ノーム」など固有名詞の読み方の間違いが多いのはしかたないとしても、訳書の文体は原著とまったく違う。原著は、専門論文のような堅苦しい文体ではないが、格調の高い正統的な英語で書かれているのに、訳文は「そこらのXファイルマニアなんかどうでもいいよ、と言うかもしれない。そんなものしか出てこないの?」(二一一ページ)という調子だ。これは訳者の独特の文体らしいが、そういう趣味は自分の著書だけにすべきである。おまけに「訳者あとがき」には、唐突に評者を中傷する記述が出てくるが、これは訳書の私物化である。この記述は、訳者が事実無根であることを公式に認めたので、重版では削除されるだろう。いずれにせよ、訳書ではなく原著(The Future of Ideas)を読むことを強くお勧めしたい。
後記:この「あとがき」の問題の部分は重版で訂正され、訳者が謝罪したが、開き直ったままの「公開お答え状」が残っているのは見苦しい。このあとがきで訳者は「私は本書で初めてE2Eの意義を知った」などと書いているが、アイゼンバーグの"Stupid Network"が出たのは6年前である。こんな基本的なことも知らない人物が訳したインターネットやオープンソースの本は、信用しないほうがよい。