書評を「業績」として誇る経済学評論家

松原隆一郎『長期不況論』NHKブックス

著者は、東大の都市工学から駒場の「相関社会科学」とかいう意味不明の学科に行き、一時は西部邁氏のまねをして「社会経済学」なるものをやろうとし ていたようだ。しかし、そのうち西部氏が大学をやめてハシゴを外され、「ソシオエコノミックス」学派もあえなく解体してしまった。最近は、書評で「経 済学は非現実的だ」とか「アメリカ型資本主義は日本にあわない」とかいうお題目を唱えるのが主な仕事らしい。野球でも、選手として実績のない人は評論家に はなれないのに、著者のようにまともな経済学のトレーニングも受けていない人物が「経済学評論家」として営業できるのは、東大の看板のおかげだろう。

しかし書評ばかり書いていても様にならないので、最近は消費者心理の話に活路を見出そうとしているようだ。たしかに、経済学の効用最大化という仮説 には問題が多い。去年ノーベル賞をもらったKahnemanなどは、いろいろな実験で効用最大化説への反例を示しているし、最近ではTiroleなども消 費者の心理についてのミクロ経済理論を定式化している。しかし、本書にそういう学問的な分析を期待してはいけない。ここにあるのは「構造改革は不安をあ おって逆効果だ」とか「消費不況の原因は先行き不透明だ」とかいう漠然とした話と、スーパーの売り上げなどのお手軽な統計データだけである。

不安が「消費不況」の原因だとすれば、どうすれば不安が払拭できるのか。著者は、構造改革によって「制度が崩壊」していることが不安の原因だから、改 革をやめて政府が「信頼を回復」すべきだという。こういう「お上」の力で国民を情緒的に「統合」しようとする主観主義は、佐伯啓思氏などとも共通する西部 一派の特徴だが、問題は逆である。いま不安が広がっているのは、政府が信頼に値しないからであり、信頼しないことは合理的なのだ。現実 を変えないで、政府が「信頼せよ」と説教したところで、何の解決にもならない。必要なのは、信頼を回復することではなく、信頼できる制度を作り直すことで ある。日本の改革がロシアのような「ビッグバン」だから不安をまねくので、もっと「漸進的」にすべきだという著者の主張は、霞ヶ関で言ったら笑いものだ。 何もしないことより漸進的な改革ってあるのだろうか。

こういう情緒的な話が「文学オヤジ」の編集者に受けるのか、最近はよろず評論家として引っ張りだこらしい。消費文明論やらプロレス論やらやっている うちに、何が本業だかわからなくなってきた。師匠とよく似ているのは、経済学を批判するのに文化人類学だとか哲学だとかを引き合いに出すところだ。経済学 者はこういうのに弱いので、高級な話のように思うのだが、実は西部氏のレヴィ=ストロース話と同様、専門家からみると噴飯物だ。駒場には「学際的」という名のもとに、こういう得体の知れない評論家がたくさん棲息しているが、学生のほうがこういう先生についていって学問になるのか、不安を抱いているようだ。

後記:この反書評に対して、珍しく著者の反論がウェブに出ている。こういう「思考の格闘技」がもっと起こるべきだと思うが、妙に興奮して口汚いのは、「まともなトレーニングも...」というのが痛いところをついたのかな。「プロとして書評の仕事を頼む活字媒体は稀有」って、私はもう4年以上も週刊ダイヤモンドの 書評をやってるんだけど、著者の「プロ」として誇るべき業績は、書評しかないのだろうか。私は彼を覚えていないのだが、向こうは私を覚 えているらしい。「うるさくがなり立てては西部氏に一喝され、しゅんとして逃げ出す」という架空の情景描写は笑わせるが、いつどこでそんなことがあったの か言ってみろ。西部氏を入れて対決してもいいんだよ。こういう嘘で他人をおとしめたつもりになる品性下劣な人物が、何も学問的業績がないのに東大教授になる日本の大 学の「制度の崩壊」は深刻である。

後記2:インフレ目標派が本書を酷評したのに対して、著者が上のページで反論し、それに対する再反論が 展開されている。おもしろいのは、ここでも著者の主張は要するに「改革をやめろ」ということだと指摘されていることだ。それに対する著者の反論は意味不明で、相手を 「バカ」呼ばわりするなど見苦しい。「経済を知らない経済学者」のほうが「何も知らない評論家」よりはましということか。

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