戦時体制の生んだ「官僚社会主義」が日本経済を窒息させる

野口悠紀雄『戦後日本経済史』(新潮選書)

経産省の北畑隆生事務次官の「株主はバカで浮気で無責任」という発言は強い批判を浴びたが、これほど正直に官僚の本音を語った発言は貴重だ。彼らにとっては、会社は株主のものではなく経営者のものであり、そして経営者を指導する政府のものなのだ。

こうした官僚中心の統治機構は、後進国の「追いつき型近代化」のためのものだ。日本では明治憲法を作ったとき、プロイセンの行政法中心の制度を輸入したのが起源とされるが、銀行や経済団体まで含めた中央集権体制ができたのは、著者が「1940年体制」と呼ぶ戦時体制のときだ。「戦後改革」と思われている農地改革は、1942年に食管法ができたとき始まった。日銀は、41年に日銀法で「国家経済総力ノ適切ナル発揮」のための機関とされ、これは98年まで続いた。

GHQは日本経済をほとんど知らなかったので、占領統治に既存の官僚機構を使わざるをえなかった。官僚はその命令に従うように装い、軍や財閥は解体したが、霞ヶ関は丸ごと残った。こうした「面従腹背」は、今も官僚が政治家を操るテクニックだ。通産省では岸信介に連なる国家社会主義が主流となり、戦時体制の「統制会」は経団連と名を変え、戦時金融の中心だった興銀を頂点とするメインバンク・システムが日本経済を動かしてきた。  

こうした「官僚社会主義」は、重化学工業には向いていた。そこでは戦時下と同じく目的は明確でリスクは小さく、資源を総動員することだけが問題だからだ。しかしそれは、80年代以降の情報・金融革命に対応できない。そこでは多様な企業の実験によるイノベーションと、そのリスクを分散する資本市場が必要だからだ。バブル崩壊は、この産業構造を転換するチャンスだったが、官僚機構は景気対策や銀行救済など、莫大なコストを国民に押しつけて延命した。この結果、資本効率の低い企業が生き残り、日本経済を窒息させている。長期停滞を脱するには、資本主義のルールに従って古い企業を解体・再編するしかない。そのためには、著者のいう「資本開国」が不可欠だ。

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