かつてフリードリヒ・ハイエクは、社会主義やケインズ的な「福祉国家」を、政府が社会を合理的に設計しようとする「設計主義」だとして批判した。彼の思想は当初は異端だったが、70年代に福祉国家が破綻すると、欧米では有力な考え方になった。しかし日本では、いまだにケインズ的な介入主義が主流で、それをマルクス的なポピュリズムによって批判する図式が続いている。両者に共通するのは、政府は民間より賢明だという前提だ。本書は、こうした「進歩改革派」をハイエク的な観点から批判する。
「安心して働けるようにセーフティネットを供給する」という類の進歩改革派の議論には主語が欠けている、と著者は指摘する。この議論には(暗黙の主語である)政府が供給しないと民間にはできないという前提があるが、実際には年金問題にもみられるように、政府の作るセーフティネットの性能は民間に劣る。小泉政権の構造改革も、著者によれば政府が「市場主義」を実現しようとする設計主義の変種である。こうした観点から著者は、借地借家法、大店法、ロースクールなどの改革を批判する。制度が歪んでいても、市場はその歪みを織り込んで機能するからだ。
しかし、こうしたアドホックな例をもとにして、すべての制度設計を否定する結論は短絡的だ。たとえば著者は、日本でインターネットが普及しないのは「人口過密」による自然な結果だというが、実際には通信インフラを開放する規制改革によって、その普及は爆発的に進んだ。市場による「自生的秩序」が効率的な結果をもたらすとは限らないし、財産権の保障されていない途上国や旧共産圏では、市場は「自生的」には成立しない。制度は市場の基盤となり、その効率に影響を与えるのである。最近の研究では、こうした「制度の効率」が国ごとの成長率の差の最大の要因とされている。
なお本書には「ピースマル」という言葉がよく出てくるが、これはpiecemealの誤りだろう。議論も編集も荒っぽいのが残念だ。