山中優 『ハイエクの政治思想』 勁草書房
資本主義と社会主義の対立は前者の勝利に終わり、福祉国家と新自由主義の対立は後者の勝利に終わったようにみえる。しかし「市場原理主義」や「格差社会」を批判する人は多い。自由主義の今後はどうなるのだろうか。
ハイエクは新自由主義の元祖として知られるが、訳本もほとんど絶版になり、過去の人と思われている節がある。しかし著者も指摘するように、ハイエクは50年以上前から現在の自由主義社会を構想すると同時に、その限界も予見していた。社会主義との対比では、自由主義の優位性は明確だった。しかし自由主義が勝利し、外側に敵がなくなったとき、人々は自由主義の欠陥に不満を鳴らし始める。無政府的な市場よりも政府の介入による秩序ある社会を望むようになるのだ。
初期のハイエクは、自由は功利主義的な相対的価値ではなく、絶対的な道徳的価値だと主張したが、自由がそれほど道徳的に望ましいものなら、人々が市場や利己主義をきらうのはなぜか。ハイエクは、それを人間が数十万年の間、狩猟や農耕のために集団で行動してきた「部族社会」を維持する本能のためだという。
自由は、初期の彼が考えていたように人々に好まれる自明の価値ではなく、それを維持する制度的なインフラがなければ壊れてしまう、不自然で脆弱なメカニズムなのだ。したがって自由を守る闘いは、社会主義に対して既存秩序を守る保守主義とは違って、国家の介入を排除する積極的な自由主義になる。晩年のハイエクは、「部族感情」による国家の介入から市場を守るためのコモンローや議会改革などの制度設計を考えていた。
部族社会と市場を独特な形で組み合わせた「日本型福祉国家」は、いま解体の危機に瀕している。高度成長期に社会の安定を支えてきた企業や地域社会などの中間集団が崩壊し、個人が「原子化」しつつある。部族社会を解体する市場の力を肯定したハイエクは、「資本の文明化作用」を肯定したマルクスと似ているが、それは本当に望ましいのだろうか。
本書は日本語で書かれたハイエク論としては出色で、特にハイエクの自由論における利己主義と部族感情の葛藤を整理した手際は鮮やかだ。しかし後半の現代的意義を論じる部分は凡庸である。