新・宇宙の寸法

大きさ体験ノート

はじめに

このシリーズは絵に全然関係ない。10年前にトップページに少し書いたら、なんとなくちゃんと書きたくなったので、独立したページを作

ることにした。しかし、全然進まないまま10年が過ぎた。まったく月日の経つのは早いものだ。50歳のジジイが60歳になってしまった。

どっちみちジジイにはちがいない。大差はない・・・かな?

どうしてわたしが宇宙のことなんか調べたかというと、十数年前ノストラダムスの大予言がまだ健在だったころ、塾の子供たちが

「俺たち死ぬのかな? 死にたくねぇ!」とうるさいので、

「多分、おそらく、絶対、間違えなく、死なない」と言ってあげる。

しかし、なかなか信用しない。毎回同じような説明になる。肝心の関数や不定詞を教えている暇がなくなってしまう。そこで小冊子を作っ

た。考えてみればこれが自力出版小冊子「絵の話」の原形と言えなくもない(これら小冊子は今は私の手元に1冊ずつあるだけ)。

とにかく、ここには難しいことは書いてない。宇宙や原子について、今わかっていること、当たり前すぎて中学生にも教えないようなこと

を書き出してみただけだ。

だけど、この単純な作業でもびっくりを通り越してショックを受けた。われわれは凄いところに暮らしているのだ!

嘘でも、誇張でも、なんでもない。本当の本当なのだ。

 

1 地球の大きさ

地球を直径130cmのボール(小学校の運動会の大玉ころがしの大玉ほど)にすると、富士山は0.38mm、エベレストだって0.9mm弱。

海は刷毛で水をさっと塗った程度。世界一深いマリアナ海溝も1mm。

大気の厚み2mm。地殻の厚み3cmちょっと。

地球の表面はほとんどデコボコなしでツルツル。

われわれはその表面にこびりついているだけ。

*実際の地球の赤道半径は6千380km弱。 

 

2 地球の中身

地球の中身がどうなっていいるのか見た人はいない。ただし、密度などいろいろな測定結果からおおよその見当はついている。

地球はほぼ真ん丸なので卵のような楕円の球形ではないが、構造は卵とたいへんよく似ている。卵の黄身の部分が核。白身の所がマントル。

このマントルはマントル対流と言ってゆっくりと動いている。このマントル対流に乗って地殻もゆっくり移動する。

地殻は卵の殻のように一枚ではない。何枚かからできている。これらをプレートという。

たとえば日本はユーラシアプレートの東端の所にある。このユーラシアプレートに太平洋プレートが潜り込んでいる。その潜り込むときに

少しずつユーラシアプレートを巻き込む。何年かするとユーラシアプレートがズレを戻そうと振動する。これが地震である。というのが今

考えられている地震の原因。

話を戻すと、地殻は卵の殻に当たり、われわれが乗っかっている大地も地殻の一部だが、この分厚い大地(大陸部分で厚さ約35km)も、

地球を卵まで縮小して換算すると卵の殻ほどに薄っぺらになってしまうのだ。実に頼りない。

ところで、大昔は大陸は一つだった。地殻が動いた結果、現在のように離れ離れになった。その地殻の動くスピードは1年間に8cmほど。

800m動くのに1万年もかかる。

10万年で8km、

100万年で80km、

1000万年で800km。

1億年だと8000km。

これぐらい動けば大陸移動説も納得できる。8000kmだと赤道の5分の1動いたことになる(地球1周は約40000km)。

ちなみに、人類の歴史を1万年として計算すると、1億年で人類は1万年の歴史を1万回繰り返すことができるのだ。

地球は誕生から45億年経っている。

 

3 地球と月

地球を直径130cmボール(小学校の運動会の大玉ころがしの大玉ほど)にすると、月はサッカーボールほど(直径34cm)。

地球から38mぐらい離れた所で地球の回りを回っている(50mプールより短い感じ)。

*実際の地球は直径1万3000kmほど。月の直径は約3400km。 

 

4 隣の惑星

昨日の7時過ぎにマンションの7階から西の空を見たら、物凄くきれいだった。ちょっと南よりにびっくりするほど明るい星が輝いている。

宵の明星だ。金星である。地球に一番近い惑星は金星。大きさはほぼ地球と同じくらい。直径2万4000km。

地球を直径1m30cmの運動会の大玉に縮小すると、金星も1m24cmになる。

地球との距離は大接近したときでも4千万km。このまえ小惑星イトカワから帰ってきた「はやぶさ」を想うとけっこう近い。あれは60億kmの

旅をしたという(当然最短往復ではない)。

だけど、運動会の大玉に縮小してもこの距離4千万kmは4km。ふつう見えない。地球を1.3cmにまで縮めても金星との距離は40mもある。教科

書などに載っている太陽系の模式図は実際の縮尺ではないのだ。太陽や惑星をいくら小さく描いても、宇宙は教科書などに収まる空間では

ないわけだ。無理、無理。

地球から見て、太陽とは反対側にある隣の惑星は火星。こちらは地球の半分強(53%)。こっちはもっと遠い。地球を直径1m30cmの大玉に

縮小すると、火星は直径69cmで、大接近で計算しても5.6kmの彼方である。地球を直径1.3cmの豆粒にまで縮めても56mも離れている(この

ときの火星の大きさは直径7mm弱)。ここでは関係ない話だが、私はシュワルツ・ネガーの主演映画『トータル・リコール』が大好きだ。火星

移住をテーマにしたSF。宇宙ものでは『カプリコン・ワン』も楽しい。これは月面着陸が偽装だったという映画。

ま、真っ暗闇の広大無辺の空間に、豆粒みたいな天体がぽつんぽつんと浮かんでいるのが、この宇宙である。しかも今までの話はこの地球

のすぐ近所のこと。実際の大宇宙は気が遠くなるほど巨大である。

地球のすぐ近所の惑星でも、人はもちろん住めない。虫けらもいない。荒涼なんてもんじゃない。金星の雲は硫化水素で、火星の大気は二

酸化炭素だ。

ただし、これらの天体はたいへん規則正しく、素晴らしいスピードで動いている。これは本当に不思議だが、紛れもない真実。今こうして

いるときも、地球は秒速30kmという猛スピードで太陽の周りを公転している。凄いね。

 

5 太陽の大きさ

地球を直径130cmのボール(小学校の運動会の大玉ころがしの大玉ほど)にすると、太陽は400mトラックぐらい(直径14170cm=142m)。

立体で例えるとエジプトの大きなピラミッドぐらい(私は実物を見たことがない)。

この縮尺での地球との距離は15km。東京駅に142mの太陽を置くと、地球は市川、草加、吉祥寺、蒲田を回っている。

その公転スピードは秒速30km。今も地球は秒速30kmで真っ黒な空間を突き進んでいる。

地球を直径1.3cmの豆粒にした場合、太陽は直径1m40cmになり、地球との距離は150mと計算できる。

*実際の太陽の直径は139万2000km。

 

6 太陽系の大きさ

地球を直径130cmの大玉、太陽は400mトラック、とした場合、この太陽を東京駅に置くと大玉の地球は市川、草加、吉祥寺、蒲田あたりを回っ

ていることになる。その次が火星、その次に小惑星群がある。このまえ「はやぶさ」が行って、帰ってきたところ。その向うは巨大惑星の

木星、土星、天王星、海王星と回っている。その向こう側の冥王星は惑星ではないと判定されてしまった。

400mトラックの太陽を東京駅に置いた場合、この海王星までの太陽系はどれぐらいの大きさになるか?

もちろん、関東平野に入りきるわけがない。火星までギリギリ入るかどうかという感じ。木星から向うはぐんと大きく回っているのだ。

な、なんと140mトラックの太陽を東京駅に置いた場合の太陽系の北の端は下北半島、西の端が広島。南と東は海の上だ(直径1200kmで計算)。

これは一応の大きさで、太陽系の果てがどこまでか、まだはっきりわかっていない。でも、上の縮尺だと、あのドでかい富士山が0.38mm。

これで本州いっぱいいっぱい。

太陽を14cmのボールに縮めると太陽系は1200m。皇居ぐらいか? このとき地球は1.3mmのゴミ粒になってしまう。

太陽を10円玉にまで縮めても太陽系は東京ドームほど(直径200m)。ボイジャーが撮った最後の写真。太陽系の写真は素晴らしい。あんな

の絶対に見られない。遠く彼方に太陽がまたたき、地球や他の惑星たちも少し光っている。あの写真には感動した。あの写真を見ると、宇

宙がガラーンとした冷たくて暗くて静まり返ったところだとは思えなくなってしまう。なんか懐かしいような嬉しいような故郷を見るよう

な感覚。ま、地球が写っているのだから、間違いなく「ふるさと」なんだけどね。

 

7 太陽のスピード

こうやって、縮小していろいろなものに例えてみると、宇宙の大きさにあらためて驚く。これが現実なんだから頭がヘンになる。

驚きはさらに続く。

太陽は、このドでかい太陽系全体を引き連れて、秒速250kmというスピードで移動しているのだ。

秒速250kmとは?

「あっ」という間に東京から名古屋まで行くスピードだ。新幹線はもちろん、リニアモーターカーでもジェット機でもまったく歯が立たな

いスピード。

信じられますか?

今こうしているときにも、われわれは秒速250kmで移動しているのだ!

こんなに物凄いスピードで移動して、何千年も、何万年も、何十億年も移動し続けて、いったいどこへ行こうというのか?

そんなに宇宙って広いのか?

広いのだ。気がヘンになるぐらい広い。広大無辺。広くて広くてイヤになる。

だけど、太陽は螺旋状に移動するので、全体の移動距離は秒速20kmにしかならない。これはボイジャーのスピード。これでも「あっ」とい

う間に東京駅からそれぞれ川崎、三鷹、船橋といったところにまで達してしまう。これに地球の公転スピード(秒速30km)も加わるからわ

れわれはジェットコースターなんて問題にならない超恐怖のスピードで移動しているのだ。

その目的地はどこか? 実は銀河を公転している。螺旋状に公転しているので、地球が自転しながら太陽を公転しているのにも似ている。

銀河の中心は天の川。太陽は天の川の周りを回っているのだ。

 

8 銀河系の大きさ

で、銀河系の大きさだが、太陽が秒速250kmで螺旋状にぐるぐる回りながら、全体としては秒速20kmで1周回るのに2億5千万年かかるとい

う。

1周2億5千万年を体感するのに、これを時計の長針1周と比較すると、2億5千万年が60分ということになる。12分だと5千万年、

1分でも約417万年、1秒で7万年弱。われわれ人類の歴史を長く見積もって1万年としても、時計の長針に換算すると0.014秒しか動か

ない。

初めて太陽が銀河系を公転していると知ったとき、私は「あれ? そうすると2500年前のギリシア時代から今までに夜空の星座が変化する

はずじゃないのか?」と考えたが、1万年でも0.014秒しか進まないのでは、2500年ぽっちでは星座が変化するはずもない。

ちなみに、地球は現在45億歳とのことだから、今まで銀河系を18周したことになる。

 

ここで、突然恒星の話。恒星とは自分で光る星。太陽も恒星の一つ。銀河系には約2千億もの恒星がある。夜空の星はすべて太陽なのだ。

そばまで行けば、みんなぎらぎら光っている。

ところで、太陽に一番近い恒星までの距離だが、太陽を直径142mに縮めたぐらいではとても説明できない。

なんと十円玉まで縮めなくてはならない。

この十円玉を東京駅に置くと隣の恒星は直線距離で720km。広島よりさらに遠い。

全宇宙で一番速いと言われる光の速さで4年半かかる(これを4.5光年という)。

秒速20kmの宇宙船ボイジャーならなんと6万5千年も掛かってしまう。

ちなみに時速270kmの新幹線を、秒速に換算するとたったの72mである。

多少は銀河系の大きさが実感できただろうか? こんな広いところはもう「広い」などという言葉は使えないほど広い。段違いの広さ。私

はこの広さに何か一つのエネルギーというか、別な力が潜んでいるようにも感じる。地球上の物理や空間の理論では通用しない何か別の法

則があるのではないかとさえ思ってしまう。あっても何の不思議もない・・・感じ。

 

9 銀河・銀河団

ところが宇宙はもっともっと広い。

太陽のような恒星がぽつんぽつんと浮かんでいる。その間隔は4〜5光年ぐらい。この天の川銀河にはそういう恒星が2千億個もあるという。

で、わが天の川銀河がすべてではない。今から80年ほど前にアンドロメダ大星雲が220万光年ほど彼方に浮かぶ隣の銀河だと判明した。

今分かっている宇宙には、わが天の川銀河とか隣のアンドロメダ銀河のほかに、1千億以上もの銀河があることが分かっている。

これらの銀河は銀河団を形成し、泡状に宇宙に散らばっているらしい。よくもまぁ、地球みたいなゴミ粒以下の場所からそんな広大無辺な

世界の構造が把握できるものだ。天文学者の能力にはまったくびっくりする以外にない。

ちなみに、わが天の川銀河やアンドロメダ銀河は局部銀河群といい、「かみのけ座銀河団」の端のほうにある。

銀河どうしの距離は数十万から数百万光年。銀河団どうしの距離は数千万光年とのこと。

1986年に、半径2億光年以内の銀河が、宇宙の一様な膨張とは別に、秒速600kmというスピードで、半径4億光年の巨大重力源に向かって突き

進んでいるという発見があった。どういうスケールの話? どこへでも勝手に行ってくれよ。

 

10 広がる宇宙

「無常」。常なし。

考えてみると、われわれはいつも違う場所にいる。一時として同じ場所にはいないのである。

これは、もちろん時間も同様なのだが、まだ時間の方が理解しやすい。朝、陽が昇って、昼になって夕方が来て夜になる。

だいたいこれを繰り返している。次に日曜日から土曜日まで1週間を繰り返す。

それから月単位、年単位でぐるぐる回っているように感じるが、実際は同じ瞬間はない。

すべてまったく新しい時間を経験している。切り開いているのかもしれない。とにかく未開の時空に突き進んでいる。

そう、時空である。われわれは空間的にも刻一刻と未知の場所に投げ出されているのだ。

家に帰り玄関を入る。リビングで飯を食い、風呂に入り、手洗いに行き、パソコンの前にすわる。

仕事場や買い物や本屋などいつも同じ所をうろうろしているように思う。

しかし、実際は毎回違うのだ。地球と月(光速で1.3秒)は一体となって太陽(太陽まで光速で8分。太陽系全体の直径:光速で5時間半)

を回っている。その太陽は太陽系を引き連れて天の川(銀河系の中心。銀河系の直径:光速で10万年)の回りを2億5千万年かけて1周する。

もうこれだけでも、われわれがじっとしていても瞬間瞬間に位置を変えているのは十分理解できるだろう。

ま、しかし、ここまでの座標なら、気が遠くなるような周期ではあるが、同じところを回っていると言えなくはない。

ところが、最近、この天の川銀河全体が猛スピードでどこかに向かっていると判明した。

もともと宇宙は膨張しているのだから、いま分かっている最大の宇宙に座標軸を作れば、

われわれの位置が刻一刻と新しい座標点に移動していることが理解できる。

いま私はパソコンの前にじっと座っているが、実際は猛スピードで移動している。秒速何百キロメーター、否おそらくそれ以上のスピード

で宇宙空間を突っ走っているはずだ。まったく知らない未知の宇宙座標点に突き進んでいる。恐ろしいと思う間もなくどんどん新しい時間、

行ったことのない場所に移動し続けているのだ。

これこそ無常ということだ。

われわれは逞しくあらねばならない。われわれは誰もが皆、斬り込み隊長なのだ。

 

11 原子の世界

みなさん、原子の中が空っぽだとご存知だろうか? 嘘偽りなく空っぽなのだ。

空っぽの原子が集まって分子になり、いろいろな物質が出来ている。空っぽのものが集まってどうして世の中の物質は頑丈に堅固なのだ!?

それは、原子の中の電子の動きによっている。狭いところでムチャクチャなスピードで動き回っているから原子の形が保たれている。その

原子が集まって分子になり(この原子同士の接着剤の役目も電子が果たしている)、分子が物質になる。という、現在では中学生でも知っ

ていることを、私は40歳を過ぎてから理解した。まったくびっくりした。原子の中身は空っぽなのだ。

電子のスピードは秒速960km。瞬時に東京から鹿児島まで行ってしまう。それが想像を絶する狭いところで回っている。その動きが物の形を

保っているらしい。動きということは時間ということだ。時間が止まれば電子も止まる。電子が止まれば原子はなくなってしまう。

ということは、原子の存在は時間によって保たれていることになる。

存在とは時間なのである。これは哲学でもなんでもない。物理的な事実だったのだ。

 

12 原子の中

一番小さな水素原子(原子核一つに電子が一つ)は肉眼では絶対に見られない。もちろん電子顕微鏡でもダメ。

計算上、オレンジ1個のなかの水素原子を見たければ、オレンジを地球まで大きくしなければならない。

オレンジを地球まで拡大したとき1個の水素原子はサクランボほどの大きさになると言う。

で、このサクランボのなかの原子核を見たかったら、このサクランボを直径40メートルの球体にまで拡大する必要がある。

これはイタリアはローマのサンピエトロ寺院のあのドームと同じ大きさらしい。

私は35年前に見た。確かミケランジェロの設計だったと思う。どでかいドームだ。

で、その直径40mの球体のなかの真ん中に原子核がある。大きさは塩粒ほどとのこと(この直径40mの球体の質量はその塩粒と同等)。

原子核の周りを電子が回っている。電子は質量ゼロに近い。しかし少し図体はでかい。とは言ってもホコリ程度。

「塩粒の周り直径40mの辺りをホコリが回っている」これが水素原子の模式図だ。

何もないのだ。他の原子だって似たようなもの。どの原子も原子核は当然1個だ。ただ電子の数がちがうだけで名前も変わってしまう。

2個ならヘリウム、3個だとリチウム、17個が塩素で、29個が銅原子。中学で習ったとおりだ。

つまり、すべての物質は空っぽということ。

一切皆空なのだ。色即是空なのだ。これは例えでもなんでもない。本当にすべて空っぽなのである。

この近代物理学が19世紀に辿り着いた事実(1911年ラザフォードの発見)を、2500年前のお釈迦様は知っていたのだろうか? 不思議だ。

坐禅をすると見えるのか?

ンなわけないよな。

 

13 太陽の寿命

太陽はあと50億年で燃え尽きる。宇宙規模の人類生存可能期限は5億年とも言われている。もっともその間に巨大隕石が飛来したり、氷河期

が来たりするから、これらを乗り切るのはかなり難しい。その前に人類自身が、人類の住めない地球環境にしてしまう可能性が高い。人類

の最大の敵は人類なのだ。こっちの期限は100年以下かも。これも核爆弾の脅威を除いて考えた場合だ。世界大戦になったら、1年以内にほ

とんどの人類がいなくなる。

で、とりあえず5億年がどれぐらい長いか考えてみる。人類の歴史は長く考えて1万年。これを1万回繰り返すと1億年になる。これが5回で5

億年。恐竜は2億年も地球上に君臨した。人類など問題にならない聡明さだ。

ま、ボイジャーの成果、最近では「はやぶさ」の偉業。そういうものを想うと、人類もバカではない。うまくやれば、この広い宇宙で永遠

に生き続けられるかも知れない。はじめての人工衛星(1962年2月)から「はやぶさ」までは50年も経っていない。この勢いで頑張れば巨大

隕石ぐらいは何とかなりそうだ。人類の星間移住となれば話は難しいだろうが、何か思いも寄らない発見があるかもしれない。人間を分子

レベルに分解して移動してしまうとか、冷凍保存するとか、ま、私が思いつくことは今までSF映画で見たのばかりだけど。60歳のジジイだ

から、斬新な発想は無理。

人類の存亡は五分と五分。私がこの冬を越せる可能性とあまり変わらない。

越せなくても私は死にません。でも家族には捨てられる、きっと。

 

14 巨大隕石の衝突

NHKの「宇宙」によると、巨大隕石が地球に衝突する可能性はたいへん大きいとのこと。

巨大隕石が地球に衝突すれば、もちろん人類は絶滅するだろう。ほとんどの生態系が塗りかえられる。

恐竜が地球からいなくなったのも隕石の衝突によるという説は最有力だ。

衝突を食い止める方法はないと思ったほうがいい。映画「アルマゲドン」では何とか防げたが、どうも現実にはありえない話。

巨大隕石が来たらみんなで仲良く死にましょう。

しかし、実際問題としてどれぐらいの間隔で飛来するのか?

ここ数十万年の単位では衝突回数は増えているという。テレビを見ていた私の暗算では5〜6万年に一度という感じ。

前回の衝突から計算するとそろそろ来る頃だ。

ま、もっとも「そろそろ」というのは数千年単位での「そろそろ」だから当分は大丈夫だと思う。

もちろんこれは当てにならない気休めだが、2千年がどれぐらいの期間かを思えば、隕石の衝突を本気で心配するのもばかばかしい。

(目を輝かせて番組を見ている良い子を「ほっ」とさせるためにも、このぐらいのことはNHKでも語って欲しかった)。

隕石の衝突より資源の枯渇とか人口爆発のほうがずっと緊急な人類存亡の問題だ。それと核爆弾も。

もし人類が巨大隕石の衝突に立ち合えたとしたら大したものである。

この最悪の地球環境を乗り越えて、何千年先まで生き延びたわけだから、「やっぱり人類はお利口だった!」ということだ。

そんなにお利口なら、巨大隕石の一つや二つ破壊できる科学力を持つかもしれない。

第一、数万年に一度の大事件に立ち合えるなど、物凄く運が悪いことになる。そんな最悪の運命は最悪すぎてむしろ幸福なのかもしれない。

数万分の一の当たりくじに当たったのと同じことだ。

どうせ誰でも一回は死ぬのだし、死ぬのだったら地球人類みんな一緒に死んだほうがいいようにも思う。

しかし、これはなかなか難しい。滅多に巡り会えないし、どっちかっていうと、やっぱり巡り会いたくない。

ところで、隕石は宇宙から降ってくるわけだが、ほとんどは大気圏に突入するときの熱で溶けてしまう。

溶けずに頑張ったのが地表まで達する。大部分は手のひらに乗るような小さな物だ。ま、これでも頭に直接ぶつかれば頭蓋骨陥没だろう。

この不運は巨大隕石衝突に立ち合うよりずっと確率が低い。まずありえない。

隕石のほうは、人間の心配などお構いなしに襲ってくる。自然現象は何だって同じ。

人間のことなんて全然問題にしていない。寸毫も気にかけていない。

こちら人間もあまり気にかけないほうがいいのではないか、と思うのだが、やっぱり天気予報は毎晩見てしまう。

 

15 偉大なる天文学者たち

宇宙はとてつもなく広い。それがさらにどんどん広がっている、と発見したのはハッブルという人だ(1929年)。

これでアインシュタインの一般相対性原理(1927年)だけでは宇宙のいろいろな現象を説明しきれなくなった。

だいたい、天文学の歴史は理論と発見の戦いだったと言っていい。

初めは地球が宇宙の中心にあって太陽も月も星もみんな地球を回っていた。この理論はほとんど完璧だった。

ギリシア時代のアリストテレスの宇宙モデルだ。ガリレオやコペルニクスが異を唱えるまでは絶対不動の宇宙論だった。

惑星はあくまでも惑星。「惑わす星」としてかたずけられていた。

それにしても、星空観察の粘り強さには敬服する。ほんのちょっとの星の動きを見逃さないで大発見へと繋ぐ意欲は驚嘆である。

よくもまぁ、毎晩毎晩飽きずにほとんど変わらない星空を眺め続けられるものだ。

以下、現在の宇宙を発見するまでの大雑把な軌跡を記す。

BC4世紀 アリストテレスの『宇宙論』(『ビッグバン危うし』ジョン・ボスロウの172ページ以降に絶賛)

BC230年 ギリシアのエラストテネス、地球の大きさを測定。

BC150年 ギリシアのプトレマイオス、天動説を唱える。

1543年 ポーランドのコペルニクス、地動説を確立。

1609年 ドイツのケプラー、惑星の軌道の法則を発見。

1609年 イタリアのガリレオ、天体望遠鏡の発明。

18世紀末 イギリスのハーシェル、銀河系の概念を打ち出す。       

1922年  カプタイン、太陽系の位置が宇宙の中心でないことを発表。

1923年  ハッブル、アンドロメダを銀河系外宇宙と発見。

1951年  モルガン、銀河系の渦巻きの腕を発見。これによって現在の銀河系像にたどり着く。

 

16 宇宙旅行・宇宙人

今までの話を総合すると、人類は宇宙旅行は出来そうもない。

月とか火星への移住を考えるなら、南極に住むほうがずっと快適である。空気もあるし、重力もあるのだから。

地球のような惑星を探して大宇宙旅行を企てても、今の科学力では何万年もかかってしまうのだ。

ボイジャーがすぐ隣の恒星に着くのだって6万5千年も飛び続けなければならない。

ワープ航法なんてのもあるのか? あれは今のところまだSFの世界。

宇宙人の存在について、ドレイクの宇宙文明方程式というのがある。ネットで検索してみて欲しい。

それを検討すると、宇宙人にも出会う可能性も少ないどころか、交信も無理そう。

宇宙はとてつもなく広いから、宇宙人はいるかもしれないけどね。

夢がなくてゴメン。

足元を見ようよ、ってこと。今あるものを大切にしたほうがいい。

 

17 宇宙のすがた

子供のころから不思議だったのだが、宇宙ってなんだろう?

「宇宙」という言葉はとてもおかしなものだ。

だって、本とかエンピツとか自動車というのは物であり、ちゃんと存在が確認できる。

「本がある」とか「本がない」と言うとき、これは実によくわかることだ。

しかし、「宇宙がある」とか「宇宙がない」などと言うと、これはすごくヘンだ。

少し考えていると頭がコンガラガッてくる。

宇宙は私たちがいる場所だから、場所に当てはめてみよう。

たとえば、「公園にいる」とか「公園から出る」。または「公園の中」とか「公園の外」などと言うとき、これらの意味ははっきり理解で

きる。

「公園」を「部屋」とか「東京」とか「日本」とかに置き換えても問題はない。

「部屋にいる」「東京から出る」「日本の中」「部屋の外」などどれも自然に聞こえる。

これをもっと大きな場所にして、「地球」とか「太陽系」とか「銀河系」などと言っても、たいへんよく意味が通る。

もっとも「銀河系から出る」というのは現実的には今のところできない話だが、想像することはできる。映画『スター・ウォーズ』では極

普通のことだった。

しかし、この「公園」を「宇宙」にすると、まことにおかしなことになるのである。

「宇宙にいる」とか「宇宙のなか」ならまだ大丈夫。

これが「宇宙から出る」や「宇宙の外」となるも、もうワケがわからない。なんだか実にヘン。

だって、宇宙は無限の場所。出られない。外もない。宇宙の外はやっぱり宇宙のはずだ。

これは宇宙を何か一つの物のように考える、その考え方に問題があるのではないだろうか?

宇宙は物ではなく、ある特定の場所でもない。

場所といえば、場所には違いないが、宇宙を場所というなら、宇宙は場所の王様である。

宇宙とは場所そのものだ。宇宙とは場所のことなのだ。

「場所にいる」「場所の中」などとは、当たり前すぎて誰も言わない。

「場所から出る」「場所の外」などというのも、「場所」が「ある特定の場所」でない限り、おかしな言い方になってしまう。

こう考えてゆくと、宇宙とは場所のことだというのがわかる。

だから、私は今この部屋にいるので、ここが私の場所、すなわち私の宇宙なのである。

私の横には窓があり、そっちを見ると森が見える。私の宇宙が広がる。

耳を澄ますと小鳥の声がして、遠くで車のクラクションが聞こえる。私の場所(=宇宙)が500mぐらい広がった計算だ。

窓の上を見ると空が見える。私の場所(=宇宙)はグンと広がる。

あの空の彼方までが私の場所になり、私の宇宙となる。

この「私」を「私たち」とか「私たち人類」などと言い換えても一緒だ。

耳を澄ましたり、目を凝らす行為を、望遠鏡をのぞく、電波望遠鏡で調べるという行為に変えても同様だろう。

宇宙はどんどん広がってゆくだけ。どんどん遠ざかり、逃げてゆく。だって宇宙とは場所そのものなのだから、果てなんてないのだ。

近所の小さな公園にも果てはあるし、アメリカの広大な国立公園にも果てはある。だが、宇宙には果てがない。

場所という言葉があり、それが意味を持つ限り、宇宙に果てはない。宇宙こそが場所そのものだからだ。

 

宇宙は一つの物ではないのだから、当然始まりも終わりもない。映画みたく始まったり終わったりはしない。

今、天文学者の間ではビッグバンという宇宙の始まりが大流行している。いつの間にか定説のようになっている。

私にはとても信じられない。宇宙に始まりがあるわけない。

宇宙というのは場所そのものであったのと同様、時間そのものであるからだ。

「映画が始まって終わる」とか「音楽が始まって終わる」というように、「宇宙が始まって終わる」などということはありっこないのだ。

だって、「時間が始まって終わる」なんて誰も言わないもの。

だいたい「宇宙」なんて言葉があるからいけない。これが間違えの元だ。「宇宙」という観念は捨て去るべき。

そういう妄想があるから、宇宙を他のものと切り離し、単独に扱おうとする。それは無理というものだ。

この世のすべては宇宙であり、宇宙でないものはないのだから。宇宙というのは仏教でいう「空(くう)」のこと。

私は、地球や銀河についての研究や観察が無駄だと言っているのではない。そういう研究は価値のある立派なことである。

しかし、それで宇宙を極めることはできない。何だって極めることなんてできないのだ。

そこらに転がっている石ころでも極めることはできない。

いろいろなことを研究して、それを極めて、人間生活に活用しようという考えが間違えの元。

そういうさもしい考えが環境破壊の元凶なのである。

 

ついでに言うと、タイムトラベルも不可能。あれは映画などのフィルムの逆回転や時間のズレを見て思いついた創作。

物質というのは動きなのであって、動きというのは時間のことにほかならない。

時間が逆流したりストップしたら、そのたびごとに物質が消え去ってしまう。

時間というのは物質であり、空間であり、宇宙なのだ。

それが私たちの世界であり、これ以外に世界はない。

時間のなかを動いていることによって、物質は保たれ、存在できているわけだ。

だから、どんどん進んでゆく。どんどん、どんどん進んでゆく。限りなく進んでゆく。

進み、動くということが存在するということだからだ。これ以外に存在はない。

人間の身体の機能も、心臓は動き続けるし、血液は流れ続ける。それが生きるということであり、存在するということなのだ。

心臓が止まって、血液が流れなくなれば終わり。死。だけど他の人は生きている。人類は死んでも地球は存続する。

生きている限り、心臓は動き、血液は流れる。人は死ぬまで生きている。当たり前だけど、死ぬまではちゃんと生きているのだ。

わかるかなぁ〜? わかんねぇだろうな。書いている本人がよくわかんないんだから。

 

さらに、宇宙の形だけど、球形とか、鞍型とか、いろいろ言われているけど、宇宙に形はない、と思う。

宇宙は形の王様であり、形そのものだからだ。

宇宙には、重さも大きさも時間も形もない。宇宙とはここのこと。ここ全部が宇宙なのである。

 

18 光速、あれこれ

 

参考文献

参考文献というほど大袈裟ではないけど、読んで楽しい宇宙の本をご紹介。もちろん、チョー遅読の私も読みました。

『宇宙』加古里子:子供向けの絵本。ただし大人が読んでも十分楽しい。

『宇宙からの帰還』立花隆:アポロ13号の大冒険。奇蹟の帰還。

『文明の逆説』立花隆:この本で太陽のスピードを知った。

『タオ自然学』F・カプラ:この本では、宇宙のダイナミズムを言っている。すなわち「躍動」だ。わたしのキャッチフレーズ。

『ホーキング、宇宙を語る』ホーキング:ベストセラーだし、一応読んだ。確か面白かったと思う。

『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』スティーブン・ウェッブ:この本も楽しい。分厚い本だけど読める。まだ買ってない。

『宇宙の大きさ』:ウエッブ上の動画サイト。グーグルから左の題名で検索すると、何億光年の宇宙から原子の世界まで数分間で旅行が出来る。

 

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