本文へジャンプ
間語の間


江戸時代では村の組織を維持するため、村の掟を守らない家には締め付けとして村八分ということが
ありました。
しかし、いくらそうであっても残りの二分である火事と葬式だけはどんなことがあっても皆で助け合う・
手伝うということも決まっていました。
今回の出来事で教団って何だろうと考えてしまいました。同朋教団といっているのは単に言葉だけの
ことでした。

         「寺を遠い風景」にしているのはだれだ。きっと自分かな。

2010年8月、T教区Q組G寺が
落雷によって本堂、庫裏が全
焼しました。
午後4時ごろ発生し6時ごろ鎮
火しました。

(焼失前の本堂)

親戚の方も駆けつけてくれ
ました。話ではT別院の職員、
教務所関係の人や職員も駆
けつけたそうです。見舞のつ
もりで?あったのでしょうが、
デジカメで現場を撮影する
だけで帰ったそうです。
「寺は遠い風景」と身内から
言っているようなものと感じ
ます。

(焼け残った鐘楼)

火事にあって今日今晩から家
族が寝るところ、身を寄せると
ころ、食事のこと、法務の手助
けなど、子供の学校のことなど、休むところの提供など何一
つなく優しい言葉や心遣いも
なく、そのままで2ヶ月がすぎ
ました。
応援し後押しする職員一人ぐ
らい配慮の気持ちがないので
しょうか。

(寺累代の墓)

私共も5,6日後、見舞いに行き
ました。自然災害の火事なの
に、直接関係のない我われに
まで周りの人からは一刻も
早い火事跡の後片付けを迫ら
れる始末でした。
宗派としての近隣や門徒に対
する対応が一切ありません。
なぜでしょうか。残念です。
火事はテレビ、新聞で報道さ
れました。
「宗教法人」法人格も狙われ
るかも知れません。

(この暴風林も焼けました)

火事の後片付けは、燃えた木、
燃え残ったもの、瓦、ガラクタ
など眼を覆うばかりの惨状で、

業者の見積りも4,5社から取り
寄せましたが、半端な額では
ありません。
社会的に耳目を集める七尾や
新潟の地震などでは、ボラン
ティアを派遣したり宗派として
募金を募り同朋新聞には記事
を出し、被害寺院には復興見
舞金が出ている。
声の出しようもない所へは・・・。
この落差一体にはどうしたこ
とでしょうか。

火災当時の教区責任者・教務所長は転勤でウントモスントモ。
教務所員も全然忘れたように知らん顔。
こんな現状が残されたまま2012年も過ぎていきました。

(80年の年輪が残る切り株)

後片付けの工事を始める前、
業者の社長がお祓いをしてく
れと言うので、お祓いではな
く御本尊をお持ちし、お勤め
をしました。
伊勢湾台風で被害を受けた
門徒さん達には、御本尊
と勤行集を配布されたでは
ありませんか。
宗派や教区へ毎年の義務金
が2年ほど滞っていると、何
にも相手にしてもらえないの
は、情けないことです。村八
部にももとることです。
その後は自分たちでと言わん
ばかりで、何十年本山宗派を
毎年支えて来てのこの始末で
す。
お金を納めてないから仕方が
ないと皆にそう思わせる仕組
みが作ってあるのです。この
ことを当たり前とする意識が
教団を堕落させることに
つながっています。
村二分を忘れ弱者を見捨て
る心を隠したままにしてしま
う恐ろしさがあります。

(本堂跡でのお勤め)