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ゴダールと「ニュー・メディア」の文法

堀 潤之

 今日は、ゴダールといわゆる「ニュー・メディア」との関係についてお話ししたいと思います。21世紀も、はや三年目を迎えているわけですが、映画は相変 わらず、20世紀的な試みを反復しているだけで、真に21世紀的と言いうるようなブレイクスルーはまだ起きていない気がいたします。一方、ゴダールの『映 画史』(1988-98)は、ゴダール自身は自分が生きた20世紀の総括として作っているとはいえ、ゴダール自身がおそらく意図しなかったような仕方で、 21世紀に向けて開かれているようにも見えると思います。そういうわけで、私は、おそらくゴダールの意図を裏切って、『映画史』という作品をどういうふう に21世紀に向けて活用すればよいのかを、考えてみたいと思います。

ゴダールと「映画の死」

 ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、過去の映画を浴びるように見て批評を書くという体験を経て、映画を撮りはじめた最初の世代です。中でもゴダールは、 当初から映画史に関心を示し、ハリウッドのギャング映画やミュージカル映画への目配せを自作に散りばめていました。これは言い換えれば、「映画の全盛期は すでに終わっている」という意識を持って、映画製作を始めたことを意味します。つまり、ゴダールはそもそもの始めから、オルタナティヴな映画製作の道を探 究しなければならなかったわけです。

 ゴダールは二十年以上前から、「映画は死んだ」と言いつづけてきた人です。さらにさかのぼって『ウイークエンド』(1967)のラストにも、「映画の終 焉」という字幕を出したりしていました。しかし、そう宣言しつづけるゴダール自身は自己破壊を繰り返しながらも、そのつど、映画史の新たなフロンティアを 切り開いてきたわけです。その意味で、ゴダールの言う「映画の死」とは、ペシミスティックな言明でもシニカルな戯れでもなく、映画の「別の可能性」を追求 することでもあったと思います。

 実際、ゴダールは一九六八年前後に急速に政治化して、『気狂いピエロ』(1965)などで完成の域に達していた独自のナラティヴを惜しげなく捨てて、匿 名的なジガ・ヴェルトフ集団で世界各地の闘争の分析に着手します。しかし、五年も経たないうちに集団を解散して、新たな同志アンヌ=マリー・ミエヴィルと ともに地方都市グルノーブルにアトリエ「ソニマージュ」を構え、いわば「マクロ・ポリティクス」から「ミクロ・ポリティクス」へと焦点を移して、過激なテ レビ作品やヴィデオ作品を作るようになります。その後も、一九七九年には『勝手に逃げろ/人生』で35ミリ・フィルムでの商業映画製作に復帰し、一九八八 年には『映画史』の最初の二章を完成させるなど、およそ十年ごとに新機軸を打ち出しています。言ってみれば、ゴダールは何度か映画の死と復活を自ら体現し てきたわけです。

ゴダールとテレビ/ヴィデオ

 ゴダールが通過したさまざまな「映画の死」のうち、最も大がかりなものは、テレビによってもたらされた「映画の死」です。ゴダールは繰り返し、「テレビ が映画を別の何かに変えてしまった」と言っています。また、セルジュ・ダネーの二分法を借りれば、テレビが提示しているのは、テクストを説明する「ヴィ ジュアル」にすぎないのであって、内部に亀裂をはらむ「イマージュ」ではない、とテレビ映像の均質性を批判しています。ここで、ゴダールとかつての代表的 な「ニュー・メディア」だったテレビとヴィデオとの関わりを簡単に振り返ってみたいと思います。

 ゴダールがトリュフォーの勧めでテレビを手に入れたのは、一九六五年の『男性・女性』撮影中のことだったようです。フランスではテレビは五〇年代後半か ら普及しはじめていたので、これは特に早いわけではありません。逆に、ヴィデオ・テクノロジーには早くから興味を示し、六七年の『中国女』の準備中にヴィ デオの導入を考えたと語っています。これは新しいテクノロジーへの興味ということもありますが、それと同時に重要なのは、ヴィデオが既存の映画製作システ ムから離れて作品を作ることを可能にしたということです。つまり、ゴダールはヴィデオというより手軽なテクノロジーを、戦闘的映画の製作にとって有効な道 具として捉えていたわけです。実際、六八年から七四年にかけて、ジガ・ヴェルトフ集団の立ち上げから解消までとほぼ重なり合う時期に、ゴダールはヴィデオ 機材を買い込んでは、労働者やパレスチナ人に気前よく与えたりしていました。ジガ・ヴェルトフ集団期の作品は主に16ミリ・フィルムで撮られていますが、 その時期からヴィデオによる作品製作を視野に入れていたと考えられます(1)

  実際にヴィデオ作品が作られるのは、ジガ・ヴェルトフ集団が自然消滅して、ゴダールとミエヴィルがアトリエ「ソニマージュ」を設立してからになります。 『パート2』(1975)もヴィデオで撮られ、35ミリに転写された作品ですが、この時期の最大のヴィデオ作品は、何と言っても、テレビのために作られ、 実際に放映された『6×2』(1976)と『二人の子供フランス漫遊記』(1977-78)です。『6×2』はだいたい100分のエピソードが六つで合計 十時間もあり、『二人の子供…』は約30分の番組が十二回あって合計六時間に及ぶこともあって、これらの作品は、日本でもフランスでもなかなか見る機会 がありませんが、ゴダールのフィルモグラフィーにおけるその重要性はいくら強調しても足りないくらいです。

 これらの作品で試みられているのは、一言で言えば、テレビによるテレビ批判です。『6×2』では、均質化・画一化された情報伝達の回路に、さまざまな仕 方で風穴をあけることが目論まれています。例えば、報道写真やジャーナリズムの批判(「写真商会」)を展開したり、さらに訛りの強い農民(「ルイゾン」) や精神病者(「ジャクリーヌとリュドヴィク」)にインタヴューしたりして、ノイズを導入して円滑なコミュニケーションをあえて脱臼させています。『二人の 子供…』のほうは、テレビ番組的なフォーマットをあえて借用しながら、テレビ的な情報伝達回路を内側から爆発させる試みと言えます。男女のキャスターが登 場するけれども、彼らは普通のテレビで見られるようなコメントを付けるわけではありませんし、インタヴュアー役のゴダールは奇妙な質問ばかりして二人の子 供を困らせるわけです。これは言ってみれば、学校に通う児童の日常のルーティン・ワークに潜むイデオロギーを暴き出す試みでもあるわけで、アルチュセール のイデオロギー論とも響き合うところを持っていると思います。ともかく、ゴダールとミエヴィルによるこの怪物的な二つの作品は、「テレビ時代」における最 も早い段階でのテレビ批判だったと同時に、今なおその有効性を失っていないと思います。

ゴダールと「ニュー・メディア」

 このように、七〇年代のゴダールは、テレビによってもたらされたメディア環境の変容に敏感に反応して、それを内側から批判するような作品を作って いまし た。それでは、ゴダールは九〇年代に飛躍的な発展を遂げたいわゆる「ニュー・メディア」の環境に、どのように反応しているのかというと、これがほとんど反 応していないんですね。ゴダールはいまだに旧式のタイプライターを使っている人であって(とはいえ、わずかなメモリー機能も付いているところが興味深いの ですが)、一九九五年にニューヨーク映画批評家協会から特別賞をもらったときには、「1月20日午前11時24分付の電子メールをありがとう」などと欠席 の返事を送ってはいますが、ゴダールはeメールの存在を知らないという噂もあったりして、彼がコンピュータを使いこなしているとは思えないわけです。同様 に、インターネット・サーフィンをするゴダール、ヴィデオ・ゲームに興じるゴダール、DVDをコレクションするゴダール、なんてものはほとんど想像さえで きません。他方で、ゴダールも参加した『ベトナムから遠く離れて』(1967)を取りまとめたクリス・マルケルは、九〇年代に入って、『レベル5』 (1996)という作品で記憶と歴史を召還する装置としてコンピュータを登場させたり、《Immemory》(1997)というCD-ROMで自伝的な情 報をハ イパーテクスト的に配置したりしていますが、それに比べるとゴダールのデジタル・カルチャーやマルチメディアといったものへの関心の欠如は、一層際立って 見えるわけです。

 そうは言っても、一つだけ明白な例外があって、それは『愛の世紀』(2001)の後半がデジタル・ヴィデオで撮られていることです。しかも、それだけで なく、フォーヴィスム風の色彩処理まで施されている。これはやはり驚くべきことだと思うんですね。というのも、ほかのヌーヴェル・ヴァーグの監督たちと同 様、ゴダールはキャメラの前で今まさに生起している出来事を撮ることにずっとこだわってきたからです。パースの記号の三分法を借りれば、イコン(類似)で もシンボル(記号)でもなく、映像のインデックス性(痕跡)に持続的な関心を寄せていたわけです。ゴダールの光へのこだわりや、現実音の重視なども、これ と関連しています。ところで、いわゆる「デジタル革命」によって可能になったことの一つは、映像のシミュレーションです。つまり、現実世界に対応するレ フェランを持たない映像をデジタルによって作り出すことができるようになったわけですが、映像のインデックス性にこだわるゴダールは、映像のシミュレー ションには興味を示さないはずです。もちろん、『映画史』にまで至る七〇年代以降のヴィデオ作品では、映像どうしを何重にも重ね合わせたり、映像と文字を 重ねたり、フラッシュ・モンタージュを施したり、といったことはしていましたが、『愛の世紀』のように、これほどまでに現実の映像を加工して、色彩処理を 施した波や空の映像をかぶせたりしたことはありませんでした。その意味で、『愛の世紀』は映像の加工という点で、ゴダールのフィルモグラフィーに新たな段 階を導入していると言えると思います。

 しかしながら、このような合成映像がデジタルによって初めて可能になったかというと、そうでもないんですね。むしろ、映像処理のテクニックとしては、時 代遅れな感じさえします。実際、ゴダールは主にオーヴァーラップと色調変換しか使っていないわけで、ヴィデオ・アートの文脈でさんざんやり尽くされたこと を今さらやっている、という感じが否めないわけです。一九九一年の『新ドイツ零年』あたりで『映画史』的なスタイルの映像処理はほぼ完成の域に達しました が、『愛の世紀』のようなエフェクトに関しては、まだ手探りの状況でしかないと思います。ゴダール自身は、それに気づいているのか、「アマチュアのホー ム・ムーヴィー的な雰囲気を導入したかった」と強弁しているわけですが。要するに、ゴダールは初めてデジタル・ヴィデオを使って、確かに今までなかったよ うな映像処理をしているのですが、そこにあまり新しさは認められないと思います。

ランダム・アクセス

 私はゴダールと「ニュー・メディア」の共鳴は、そうしたデジタル・ヴィデオの使用とか映像のエフェクトなどにではなく、むしろ『映画史』というヴィデオ 作品の内的論理にこそ見出せると考えています。

 さきほど、私は「デジタル革命」の一つの帰結は、映像のシミュレーションにあると言いました。大雑把に言って、これはフランスではエドモン・クーショや フィリップ・ケオーが強調しているポイントです(2)。 いわば、映像の生産過程に焦点を当てた見方ですね。では、映像の受容過程に焦点を当てた場合、映像 のデジタル化が何をもたらしたかというと、データへのランダム・アクセスだと思うんですね。私は、映像のデジタル化の革新性は、むしろこちらにあると考え ています。これはフランスのIRCAM(Institut de Recherche et Coordination Acoustique/Musique、音響・音楽の探究と調整の研究所)のディレクターを務めている哲学者ベルナール・シュティグレールや、ニューヨー クで活動するメディア・アーティストのグラハム・ワインブレンが強調しているポイントです(3)。シュティグレールは、デジタル化された放送システムの観 点から、「フローの放送からストックの放送への変容」に映像のデジタル化の革新性を見て、視聴者が自由に番組の一部にアクセスする可能性や、それを補助す るために番組内容を半自動的にインデックス化するソフトウェアの可能性を指摘しています。他方、ワインブレンによれば、最近のハリウッド映画のデジタルを 駆使した特殊効果のクオリティは、確かに例えば『キング・コング』(1933)に比べて飛躍的に向上しているけれども、それは程度の差異であって、本性の 差異ではない。むしろ、観客をノン・リニアかつノン・シーケンシャルな視聴に導くランダム・アクセスこそが、デジタル時代が容易にした本質的な事柄であ る、と言うんですね。

 ところで、このようにデジタル・テクノロジーがデータへのランダム・アクセスを可能にしているとしても、ランダム・アクセスされる側の作品が旧態依然と したリニアなナラティヴに従っていては面白くありません。ワインブレン自身も、八〇年代から『ソナタ』や『エールキング』などのインタラクティヴ・シネマ を作りつづけていますが、私はむしろゴダールの『映画史』のような作品こそ、ランダム・アクセスの論理に開かれた作品だと思います。そもそもかつてのゴ ダールは、普通の物語映画を見るときでさえ、ある映画館であるフィルムを二十分見て、それから別の映画館で別のフィルムを十五分見る、みたいなことをやっ ていた人です。つまり、LDとかDVDなんかがない時代に、すでにランダム・アクセス的な視聴を実践していたんですね。それでご存じのように、『映画史』 はフィルムや絵画や写真や音楽や文学的テクストの断片群の集積として作られています。

 しかも、それらの断片群は、なるべくリニアなナラティヴを形づくらないような仕方で配置されています。もちろん、『映画史』は単にばらばらな断片を適当 に並べただけの作品ではないわけで、随所にゴダール的には筋の通った「モンタージュ」がなされています。そうは言っても、四時間半に及ぶ『映画史』全体 を、まさに今、現にあるかたちで視聴することしか許されないかと言えば、そんなことはないわけです。実際、ゴダール自身が、『映画史』を作ったあとに、ほ とんどまったく同じ素材を新たに組み合わせ直して、『映画史名シーン集』Moments choisis des Histoire(s)du cinémaと いう八〇分の別ヴァージョンを作っているんですね。ですから、『映画史』を構成する断片群は、必ずしもゴダールが配置した順序で見る必 要はありません。私たちは『映画史』という作品に集められた断片群を、まさにゴダール自身がやったように、別様にモンタージュし直すことができるわけです ──これは現時点では私たちは頭の中で想像するしかないわけですけれども。ただ、『映画史』DVD版(紀伊國屋書店発売)では、数千におよぶ引用の断片が 註釈とともにインデックス化されていて、そこにプレイバック機能も付いていますので、ランダム・アクセス的な視聴をある程度容易にしていると思います。

データベース映画

 ところで、ランダム・アクセスという操作と表裏一体の関係にある概念があります。つまり、データベースです。言うまでもなく、ランダム・アクセスが可能 になるためには、アクセスするデータの集積が存在していなければなりません。「ニュー・メディア」の理論家レフ・マノヴィッチが指摘するように、一般に 「ニュー・メディア」のオブジェクトは、CD-ROMにせよ、ウェブ・サイトにせよ、データベースとそれにアクセスするためのインターフェイスから構成さ れています。この観点からすれば、古典的なナラティヴを持つ映画作品は、インターフェイスが一通りの仕方でしかデータベースへのアクセスを許さない、ある 特殊な形態にすぎないということになります。記号学の用語で、サンタグムとパラディグム(連辞と範列)という言葉がありますけれども、古典的なナラティヴ 映画がパラディグムを抑圧して、一通りのサンタグムを観客に提示していたとするなら、「ニュー・メディア」の作品はむしろパラディグムがユーザーに提供さ れて、ユーザーはそこから好きなようにサンタグムを紡ぐことができるようになる、というわけです(4)

 この観点からすれば、ゴダールの『映画史』は二重にデータベース的な作品と言えます。第一段階として、まずゴダール自身が20世紀の映像アーカイヴか ら、ありうべき無数のパラディグムを排除することで、一つのサンタグムを作り上げます。しかし、そのサンタグム自体は、先ほど申し上げたように、必ずしも 変更不可能な唯一のサンタグムという特権的な地位を占めているわけではありません。ですから、第二段階として、今度はそのサンタグムが、観客が原理的には 自在に行き来できるようなデータベースとして機能することになるわけです。検索機能付きのインターフェイスさえあれば、類似した画像を並べたり、テーマ別 に映像を再編成したり、といったことが可能になるし、そもそも『映画史』はそのような操作に開かれていると思います。

 ただし、問題はゴダールの構築したデータベースが、一見すると膨大なエンサイクロペディアのように見えるにもかかわらず、実はきわめて偏っているという ことです。四方田犬彦が批判するように、アジア映画やイスラム圏の映画は一切無視されているし、年代的にもゴダール以後のものはほとんど登場しません (5)。ですから、データベースの部分に関しては、率直に言って二一世紀に開かれているとは到底思えないわけです。また、『映画史』はデジタルで作られて いるわけではないし、インターフェイスとしては古典的映画と同様にリニアな視聴を前提とするかたちで提供されています。とはいえ、この作品は、ゴダールが 収集したデータベースと、それに対するランダム・アクセスという内的論理を含んでいるという点で、デジタル時代のロジックに対応した作品になっていると思 います。その意味で、『映画史』という作品をとりわけDVDでランダム・アクセスしながら見直すことは、ありうべき21世紀の映画に向けて私たちの知覚を 鍛えることにもなると思います。ゴダールを21世紀に向けて活用する道は、その点にこそあるのではないでしょうか。



(1)ゴダールとヴィデオとの関わりは、次の彼自身の証言に最もよく要約されている。 「ぼくは新しい技術にはつねに関心をもってきた。そしてビデオにはまさに、別のやり方で映画ととりくむことを可能にするなにかがあった。もっとも、ぼくが ビデオのことを考えはじめたのは、グルノーブルにうつる以前のことだ。パリにいたとき、『中国女』のときだ。なんなら、あの映画にビデオを道具としてもち こむということも考えられたろう。登場人物たちが自分たちを撮り、それを見るというわけだ。ビデオという言葉とビデオに対する欲求が人々に意識されるよう になったのは当時のことだ。でも機材はまだ自由につかえる状態にはなっていなかったんだ。そのあとの六八年から七四年までの時期に、ぼくらは信じられない ほどの数のルポルタージュ用の小さなビデオを買い入れ、それらをパレスチナ人や労働者など、さまざまの人に与えたものだ。ぼくらはビデオ機材の大いなる 《普及者》だったんだ。」(『ゴダール全評論・全発言I』、奥村昭夫訳、筑摩書房、一九九八年、四二頁) BACK

(2)Edmond Couchot, La technologie dans l'art: De la photographie à la réalité virtuelle, Editions Jacqueline Chambon, 2002およびフィリップ・ケオー『ヴァーチャルという思想』、西垣通監修、嶋崎正樹訳、NTT出版、一九九七年を参照。 BACK

(3) Bernard Stiegler, 'Les enjeux de la numérisation des objets temporels', Frank Beau, Philippe Dubois et Gérard Leblanc (dir.), Cinéma et dernières technologies, 1998, p. 83-102およびGrahame Weinbren, 'The Digital Revolution is a Revolution of Randam Access', 1997, http://www.heise.de/tp/english/special/film/6113/1.htmlを参照。 BACK

(4)Lev Manovich, The Language of New Media, The MIT Press, 2001.特に「データベース」の章(p.218-243)を参照。 BACK

(5)四方田犬彦・堀潤之編著『ゴダール・映像・歴史』、産業図書、二〇〇一年を参照。 BACK


【後記】
 本稿は、「コミュニケーションの現在・二〇〇三」の一環として、2003年3月8日にインターコミュニケーション・センターで催されたシンポジウム「映 画が21世紀を迎えるために——『ゴダールの映画史』以降」(青山真治、浅田彰、蓮実重彦、堀潤之)で口頭発表されたものである。当日の討議を受けて、二 点だけ補足しておきたい。

 第一に、本稿ではあえて技法面にのみ着目して『映画史』を分析したが、言うまでもなくゴダールは映画という古いメディアに骨絡みになった人間であり、そ れはスピルバーグをはじめとする現代ハリウッド映画への屈折したこだわりにも表れている。まず、『映画史』の「ニュー・メディア」的な実験が、単なる技術 至上主義的なオプティミズムではなく、そのような両義性を土台にして初めて可能になっていることを確認しておきたい。

 第二に、『映画史』のような作品を成り立たせる法的・経済的前提として、コピーライトの問題がある。誰もがゴダールのように、無数の断片を好き勝手に引 用できるわけではないし、ゴダール自身さえ、あらゆる断片のコピーライトをクリアしたとは思えない。ゴダールは、ゴーモンやガリマールといった老舗の権威 と、自身の「有名性」に図々しくも居直ることで、『映画史』を実現させてしまったのであり、ここに一種のトリックがある。本稿で概観したような、ゴダール による「ニュー・メディア」の実験的な使用法を、今後、その点を合わせて再考する必要があるだろう。

(『InterCommunication』45号、Summer 2003、129-136頁)

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