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GODARD


『映画史』解説

堀 潤之

 ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、過去の映画を浴びるように見て批評を書くという体験を経て映画を撮り始めた最初の世代である。なかでもゴダールは、 自分の作品にハリウッドのギャング映画やミュージカル映画への目配せを散りばめ、当初から映画史への関心を強く示していた。そんな彼が『映画史』に直接つ ながる構想を語り始めるのは、1975年頃のことだ。企画中の映画として『映画史の知られざる側面』というタイトルがたびたび口にされ、たんに年代的に映 画の歴史を語るのではなく、映画史に考古学的な視線を向けることがほのめかされる。実現しなかったこの企画の代わりに、ゴダールは78年に、前年1月に死 去したアンリ・ラングロワを引き継いで、モントリオールで映画史について連続講義をする。映画史上の名作と自分の旧作を併映しながら、独創的な見解を次々 に繰り出すこの講義には、後の『映画史』で練り上げられる諸々のテーマの萌芽が散見される。講義録は80年に『真の映画史への序説』(奥村昭夫訳『ゴダール/映画史』筑摩書房刊)として出版された。

 80年代になると、ゴダールはこの講義の続きを映画にするという企画を立てる。各章のタイトルや全体の大まかな流れはこの頃から固まっていた。モンター ジュの作業は技術的な困難からヴィデオで行なわれ、88年に1Aと1Bが完成、翌年、出資テレビ局のカナル・プリュスで放映された。この2章は日本では 92年にWOWOWとNHKでテレビ放映され、94年にキネコ版で劇場公開された(ただし、98年の決定版では手直しされている)。当初は各50分で全 10章の予定だったが、結局、2A以降は各25分前後の長さとなり、全8章に纏められた。予定されていた『闇からの応答』は3Aに、『モンタージュ、わが 美しき悩み』は4Aに、それぞれ吸収された。

 その後、『映画史』は製作資金の不足から中断するが、ラ・セット(後のアルテ)やゴーモンの出資で再開し、2Aと2Bは95年にニューヨーク近代美術館 で、3Aは95年のロカルノ映画祭で上映された。その頃、ゴーモンはデジタル原版をフィルムに再変換する作業を開始し、3Aと4Aのフィルム版は97年の カンヌ映画祭で特別上映された。しかし、そのクオリティや上映サイズにゴダールは満足せず、結局、フィルムへの変換は放棄された。

 1997年9月には、4Bまでの全8章がとりあえず完成し、ロンドンのフランス学院で初公開された。各章に手直しが施され、翌98年にはフランスで4巻 組のヴィデオ・カセットとして発売され、それに先だってガリマールとゴーモンから4巻本のヴィジュアル・ブックも発売された。99年には、7月から8月に かけてカナル・プリュス系列で毎週1章ずつテレビ放映されるほか、ECMレーベルから4冊の豪華なブックレットつきで、サウンドトラックを完全収録した5 枚組のCDが発売された。日本では、2000年5月に世界で初めて、ヴィデオ・プロジェクターによってヴィデオの素材をスクリーンに投射するエレクトロ方 式を用いて劇場公開された。2001年には、日本語字幕付きのVHS版、および詳細な注釈を付けたDVD版が発売された。

 『映画史』は映画のみならず、文学、絵画、写真、音楽などからの無数の引用で成立した作品である。そのため、著作権に関するトラブルも予測されたが、 「抜粋」ではなく批評的な「引用」である限り問題はないという見解に落ち着きつつある。全8章のうち、最初の3章は主要テーマを提示する総論部分、続く4 章は各論、最終章は総括にあたる。以下、ナレーションで語られるテクストの要素を中心に、各章で扱われる主なトピックを大まかに描き出すことにする。

1A『すべての歴史』Toutes les histoires(51分)

 書斎で葉巻をくゆらし、お気に入りの映画のタイトルをつぶやきながらタイプライターを打つゴダールが、「すべての歴史=物語」を語ると宣言する1Aで は、黄金期ハリウッドの二人の個性的なプロデューサー、アーヴィング・タルバーグとハワード・ヒューズが大きく扱われた後、未完に終わったフィルムの歴史 がたどられる。後半、アラゴンら抵抗詩人の作品や、戦争に関連の深いフィルムの引用とともに第二次世界大戦と映画の関係が考察され、マルローの『希望』に 見られるような映画のドキュメンタリー的な力が肯定される。また、映画がホロコーストの予兆を捉えるのに失敗したことが悔恨され、『陽のあたる場所』の幸 福感あふれるシーンが映画の復活と結びつけられる。『ドイツ零年』の少年が投身自殺するシーンで、この章は幕を閉じる。

1B『ただ一つの歴史』Une histoire seule(42分)

 ジョン・カサヴェテスとグラウベル・ローシャに捧げられる1Bでは、「イマージュは復活の時に到来するだろう」という聖パウロの文章が『白昼の決闘』の 壮絶な愛のシーンとともに出現し、映画とはコミュニケーション産業ではなく、性と死にとりつかれた「化粧品の産業」、さらには「嘘の産業」だと喝破され る。写真の相続人としての映画、信じることを観客に要求するキリスト教としての映画、逃避産業としての映画、アフリカをめぐる映画、19世紀的な映画技術 についての考察などに、映画の誕生をめぐる思考が続く。映画は公共交通やヒステリー治療と同時代に、喪の色である白黒で発明された。「芸術の幼年期」は二 度の戦争によって堕落し、「神々は逃げ去った」のだとされる。サウンドの設計という点でもきわめて重層的な章といえる。

2A『映画だけが』Seul le cinéma(26分)

 「決して起こらなかったことを正確に記述するのが歴史家の仕事だ」というオスカー・ワイルドの警句に始まる2Aでは、ダネーとゴダールが対話する。世紀 の真ん中、映画史の真ん中に位置するヌーヴェル・ヴァーグの世代こそ、歴史を語るにふさわしいとダネーが熱弁をふるうと、ゴダールは映画は19世紀の問題 だと応じる。彼は、ディドロ、ボードレール、マルロー、トリュフォーら、歴史に取り組んできた批評家の系譜を指摘し、大きな歴史とは投影=映写される映画 史であると断言する。後半、『狩人の夜』の美しい映像にあわせて、ジュリー・デルピーがボードレールの「旅」を朗読する。「映画はオルペウスにエウリュ ディケーを死なせることなく振り向くことを許す」という文句とともに、ストローブ=ユイエの『雲から抵抗へ』のイタリア語の台詞が引用される。

2B『命がけの美』Fatale beauté(28分)

 死にゆく男がかつて愛した女性に捧げたスペイン語の歌に始まる2Bの主題は、誕生や死、そして美といった「命がけの瞬間」である。上半身裸でサンバイ ザーをかぶったゴダールは、「ドイツのサイレント映画はニュルンベルクのナチ党大会の照明を準備した」、「クロースアップの起源はコインに刻まれた王の顔 だ」、「映画とは、芸術でも技術でもなく、神秘だ」などと独創的な見解を繰り出す。プルーストの「見出された時」への言及など、時間をめぐる考察に続い て、ヘルマン・ブロッホの『ウェルギリウスの死』から、美と創造と宇宙の時をめぐる長い断章をサビーヌ・アゼマが朗読する。最後に、生命の動きを模倣しよ うとした映画は必然的に死に結びつき、まず喪の色である白黒で映画が始まり、喪の哀しみを隠すためにテクニカラーが登場したという映画の起源をめぐるフィ クションが提示される。

3A『絶対の貨幣』La monnaie de l'absolu(26分)

 マルローの美術論に由来するタイトルを持つ3Aで、ゴダールは、ヨーロッパがセルビアで進行中の虐殺を黙殺していることを激しく非難したユゴーの 1876年の文章を読み上げる。「映画とは何か」という問いかけをはさんで、主題はマネが創始した近代絵画に移行する。マネからゾラ、『ナナ』、ベルリ ン、ウーファへとゴダールの連想は奔放に展開し、対独協力した俳優たちが『悪魔が夜来る』のレジスタンス精神と対比され、ジュリエット・ビノシュの朗読す るエミリー・ブロンテの詩をはさんで、なぜ戦時中にレジスタンス映画がなかったのかと問われる。『無防備都市』などネオレアリズモのイタリア映画だけが抵 抗し、そのため戦後にイタリア映画の黄金期がやってきたとされ、それらの作品がイタリア語を賛美するカンツォーネとともに引用される。

3B『新たな波』Une vague nouvelle(27分)

 ヌーヴェル・ヴァーグを扱った3Bでは、「われわれは現実世界の少年少女を撮ろうとした」という主張が『アルファヴィル』と『死滅の谷』とともに展開 し、バザンの「遠近法は西洋絵画の原罪だ」という文章が引かれ、『現金に手を出すな』のギャバンと『奇跡の丘』のキリストが交錯する。『大人は判ってくれ ない』のラストシーンが長く引用され、歴史家ブローデルの談話をへて、ヌーヴェル・ヴァーグはラングロワの博物館から生まれ、真の映画は見ることのできな い映画だったと述懐される。最後に、ゴダール自身が博物館の守衛を演じるミニコントで、ヌーヴェル・ヴァーグとは「作家ではなく、作品だ」と宣言される一 方で、メルヴィル、トリュフォー、ドゥミら、死んだ仲間たちの写真が次々に登場して「私の友人たちだった」と結ばれる。

4A『宇宙のコントロール』Le contrôle de l'univers(27分)

 カミーユ・クローデル、ヴァージニア・ウルフ、アーレントなどの女性の肖像ではじまる4Aでは、ヴァレリーの詩や、ドニ・ド・ルージュモンの文明論『手 で考える』の朗読に続いて、ヒッチコックこそアレクサンダー大王やナポレオンさえ失敗した「宇宙の制御」に成功したとされる。誰もが『断崖』のミルクや、 『見知らぬ乗客』のライターを覚えている。だから、彼は「最も偉大なフォルムの発明者」であり、さらにドライヤーとともに奇跡を撮影できた数少ない芸術家 なのである。後半、老優アラン・キュニーが亡霊的な声でエリー・フォールの『美術史』から「レンブラント」の章を、「映画」のことを語っているものとみな して朗読する。次いで『去年マリエンバートで』のエフェクトをかけられた台詞、『フォー・エヴァー・モーツァルト』の一節の引用で本章は閉じられる。

4B『徴は至る所に』Les signes parmi nous(38分)

 レクイエムを思わせる静謐さのただよう4Bでは、『巴里のアメリカ人』や『ノスフェラトゥ』などによって映画史上の愛の形象がたどられたり、レジスタン スを讃えるマルローの演説が引かれたり、ヒトラーとチャップリン、スターリンとイワン雷帝が重ねあわせられたりと、多くのテーマが登場した後、「物語を語 るのが得意な行商人が、世界の終焉を誤って告げたために追放される」という、スイスの小説家シャルル=フェルディナン・ラミュの『徴は至る所に』のプロッ トが紹介される。シャルル・ペギーの歴史論『クリオ』から想起と忘却をめぐる一節が長く引用され、「決して近づけられたことのない事物を結びつける」とい う字幕と『ヒア&ゼア』の映像とともに、ドイツ人、ユダヤ人、ムスリムの関係が考察される。『映画史』全体は、楽園を横切った証しの薔薇を手にした男とし てのゴダール自身の映像で閉じられる。

(細川晋監修『E/Mブックス2 ゴダール』増補改訂新版、エスクァイア マガジン ジャパン、2001年10月)

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