エルキ・フータモ「カプセル化された動く身体──シミュレーターと完全な没入の探求」 解題
堀 潤之
この論文は、Erkki Huhtamo, “Encapsulated Bodies in Motion: Simulators and the Quest for Total Immersion”, Simon Penny (ed.), Critical Issues in Electronic Media, State University of New York Press, 1995, pp.159-186を訳出したものである。メディア研究者・キュレーターのエルキ・フータモは、一九五八年にヘルシンキで生まれ、フィンランド南西部の トゥルク大学で文学修士号を取得後、ヘルシンキ、トゥルク、タンペレ、オウルなどの大学で講師を務めた後、九〇年代半ばからは北部のラップランド大学で主 にメディア論を講じていた。その期間に、フィンランド語でヴァーチャル・リアリティについての書物を著しているほか、フィンランドのテレビ局YLEのため にメディア文化をめぐるシリーズ番組を監修したり、ヘルシンキのキアスマやカールスルーエのZKMなどで、メディア・アートをめぐる数多くの展覧会のキュ レーションを行ったりするなど、幅広く活動している。その後、一九九九年にカリフォルニア大学ロサンジェルス校のデザイン/メディア・アート学科に客員助 教授として招かれ、二〇〇一年からは同学科の准教授としてデザインやメディア・アートの歴史を講じている。彼は調査や講演のために、これまでに何度も日本 を訪れているので、その名前は比較的よく知られていると言えるだろう。
フータモは一貫して、彼が「メディア・アルケオロジー」と名付ける方法論によって、メディア文化の歴史研究を進めてきた。彼がまず最初に退けるのは、た とえばC・W・ツェーラムの『映画の考古学』(月尾嘉男訳、フィルムアート社、一九七七年)のような、狭隘な因果関係に基づく実証主義的な歴史叙述であ る。その代わり、彼は、ヘイドン・ホワイトに代表される、歴史叙述における「言語学的転回」──つまり、歴史とは不可避的に、歴史家が現在のエピステー メーから過去に押しつける言説的構築物であるとする考え方──にも影響を受けて、メディア史の文脈でよりダイナミックな歴史の読み直しを行おうとする。ド イツの文化史家ヴォルフガング・シヴェルブシュは、ベンヤミンの影響下で、鉄道や人工照明といったトピックが文化的言説の複雑な網の目の中にどのように織 り込まれているかを示してきたが(1)、フータモの「メディア・アルケオロジー」は、それに似たことをメディア史の文脈で行おうとする試みであると言ってもよいだろう。
「メディア・アルケオロジー」についてのマニフェスト的な文章で、フータモはこの方法論の二つの主な目標を挙げている。第一の目標は「メディア文化の発 展の根底に横たわり、またそれを導いていく、周期的に立ち現れる要素およびそのモティーフ」を研究することであり、それに付随するもう一つの目標は「次々 と推移するこうした伝統と公式化が、さまざまな歴史的コンテクストのなかで特定のメディアのマシンやシステムに『刻印』されてきた道筋を『発掘』するこ と」である(2)。換言すれば、テクノカル チャーは一見、絶え間ない技術的発展の連続にみえるかもしれないが、実は、いかに新しく見えようとも、類似したトポスはメディア史において周期的に現れて いるのであり、新しいテクノロジーを過去からの断絶と捉えるよりも、むしろ歴史を遡って、より広範で多面的な文化的・社会的言説の網の目の中で当該のトポ スがどのように作用していたかを調べることで、新しいテクノロジーをコンテクスト化すべきである、というのが彼の目論見である。
そのような「周期的に立ち現れる要素」あるいはトポスとして、彼はたとえばインタラクティヴィティを取り上げ、その概念の系譜を六〇年代のオートメーションをめぐる議論にまで遡って跡づけている(3)。あるいは、メディア・アートでたびたび用いられる立体視を、一八三〇年代のステレオスコープから、デュシャンをはじめとする現代芸術を経て、九〇年代のヴァーチャル・リアリティに至る系譜に手際よく位置づけている(4)。さらに別の例を挙げれば、彼はメディア文化において中心的な位置を占めているスクリーンという装置を取り上げ、その文化的役割の系譜を、一九世紀初頭のファンタスマゴリアから、映画とテレビを経て、現代の各種携帯端末に至るまで、丹念にたどっている(5)。いずれにせよ、単なる技術発展の歴史を扱うのではなく、あるトポスがいかにメディア史において反復的に再登場しているかを、そのトポスをめぐる広範な文化的言説に位置づける手つきに、フータモの研究の特色がある。
このような立場から、フータモは、岩井俊雄やジェフリー・ショーをはじめとする、アルケオロジー的な試みを続けているメディア・アーティストたちにとり わけ関心を抱いている。彼によると、過去のメディアに対して考古学的なアプローチをするアーティストの活動は、九〇年代に入ってから特に目立つようになっ たという。ごく一例を挙げるだけでも、ケン・ファインゴールド、マイケル・ネイマーク、ポール・デマリニス、ペリー・ホバーマン、ゾーイ・ベロフといった アーティストたちは、デジタル化以前の各種メディア装置と最新のテクノロジーを接合するような作品を作り続けている(6)。メディア・アートを括る概念としてはやや包括的にすぎるきらいはあるにしても、最良のメディア・アートが何らかの形で考古学的なモティーフを持っていることは確かだろう。
さて、今回訳出した論文で、フータモは、メディア・アートにおいて頻出するトポスである「没入」を取り上げて、ヴィクトリア朝時代の立体写真から、初期 映画の「ファントム・ライド映画」、シネラマをはじめとするワイドスクリーン映画、テレビ、テーマパークのモーション・シミュレーター、アイマックスやオ ムニマックスなどを経て、ヴァーチャル・リアリティに至るまで、いかに「没入」という「文化的トポス」がメディア史において反復的に出現してきたかを、数 多くの資料を参照して目配りよく論じている。彼の他の論文との関連で言えば、本論文は、一九世紀初頭のカレイドスコープやファンタスマゴリアから、立体写 真やシネマトグラフを経て、ディズニーランドのキャプテンEOに至るさまざまな装置への「没入」の様態の類似性を指摘した一九九四年の論文(7)の延長線上に位置づけられるもので、先述の立体視をめぐる論文と合わせれば、一九世紀以降の「没入」のトポスがほぼ網羅的に扱われることになる。
最後に、こうした研究方法は、フータモに限らず、他の多くの研究者によっても共有されていることを指摘しておこう。たとえば、時に「メディア・アルケオ ロジー」という方法論の創始者とされるドイツのメディア研究者ジークフリート・ツィーリンスキーは、一六世紀の自然科学者デッラ・ポルタや、一七世紀ドイ ツの学者アタナシウス・キルヒャーやその弟子カスパー・ショットらによる光学研究にまで遡って、視覚装置の考古学を試みている(8)。 また、ベルリン・フンボルト大学のオリヴァー・グラウは、ヴァーチャル・リアリティが新しい現象であるどころか、幻影と没入という効果を探究してきた西洋 の映像の長い歴史に深く根付いたものであることを、ポンペイのフレスコ画から、ルネサンスやバロックのイリュージョニズム絵画や、一九世紀のパノラマや、 没入効果を追求したさまざまな映画形式を経て、近年のメディア・アーティストたちに至るまで、膨大な対象を扱いながら、説得的に論じている(9) 。美術史というディシプリンをベースにしつつ、それがカバーしようとしないメディア・アートを包含し、さらにイメージを扱う隣接領域(映画、メディア研 究、コンピュータ・サイエンスなど)の知見をも取り込んで、新たな「イメージの科学」を打ち立てようとする野心的な試みである。
註
(1)ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』、加藤二郎訳、法政大学出版局、一九八二年、『闇をひらく光──19世紀における照明の歴史』、小川さくえ訳、法政大学出版局、一九八八年など。
(2)エルキ・フータモ「テクノロジーの過去が復活する——メディア・アート考古学序説」、藤原えりみ訳、『InterCommunication』、No.14、一九九四年、一一八〜一二二頁。

(3)Erkki Huhtamo, ‘From Cybernation to Interaction: A Contribution to an
Archaeology of Interactivity’ in Peter Lunenfeld (ed.), The Digital
Dialectic, The MIT Press, 1999, pp.96-110.

(4)エルキ・フータモ「三次元のメディア・アート──立体像と現代芸術」、堀潤之訳、『FUTURE CINEMA──来るべき時代の映像表現に向けて』、NTT出版、二〇〇三年、一一〇〜一一七頁。

(5)Erkki Huhtamo, ‘Elements of Screenology: Toward an Archaeology of the
Screen’, Iconics, The Japan Society of Image Arts and Sciences, Vol.7,
2004, pp.31-82.

(6)フータモの構成による「考古学的アート・ギャラリー」、『InterCommunication』、No.14、一九九四年、一三四〜一四七頁を参照。

(7)Erkki Huhtamo, ‘From Kaleidoscomaniac to Cybernerd’, in Timothy
Druckrey (ed.), Electronic Culture: Technology and Visual
Representation, New York: Aperture, 1996, pp.296-303.(初出1994年)

(8)Siegfried Zielinski, ‘Media Archaeology’, in Arthur and Marilouise
Kroker (eds), Digital Delirium, New York: St.Martin’s Press,
1997.(本書はctheoryのウェブサイトでダウンロードできる。http://www.ctheory.net/)

(9)Oliver Grau, Virtual Art: From Illusion to Immersion, Cambridge, MA: The MIT Press, 2003.
