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『フルスタリョフ、車を!』:混沌から浮かび上がるスターリニズムの最期

堀 潤之

 一九五三年三月、粛清の嵐が吹き荒れたスターリン時代は幕を閉じる。だが、スターリンは死を目前にしてさえ、新たな粛清の計画を練っていた。でっち上げ の「医師団陰謀事件」がそれだ。同年一月、クレムリンに勤めるユダヤ人医師たちが、治療にかこつけて政府高官を殺害しようとしているとの嫌疑をかけられ、 逮捕されたのである。裏の狙いとしては、戦後から強まっていた反ユダヤ主義の風潮をさらに煽る意図があったと言われている。

 『わが友イワン・ラプシン』以来、実に一六年ぶりになるアレクセイ・ゲルマンの新作『フルスタリョフ、車を!』は、実際のその事件を物語の背景にしてい る。主人公は、モスクワの大病院に勤務する脳外科医にして赤軍の将軍ユーリー・クレンスキー。アルコール入りの紅茶をがぶ飲みし、始終わめき散らしなが ら、病院と大家族と愛人のところを行き来する禿頭の偉丈夫だ。自分の替え玉が用意されていたり、KGBと共謀したスウェーデン人記者がしつこくつきまとっ てくることなどから、彼は不穏な空気を察して逃亡を図る(第一部)。そのあがきも虚しく、クレンスキーはすぐに逮捕され、シャンパンの運送車を装った移送 トラックのなかで、拷問を受けるのだが、突然、解放される。スターリンの側近にして秘密警察長官のベリヤが、脳出血で死にかけているスターリンを診察させ るために、彼を解放したのである。異臭を放つ死の床のスターリンを救う術はもはやなく、死を看取ったベリヤは運転手に「フルスタリョフ、車を!」と呼びか ける…(第二部)。

 『フルスタリョフ、車を!』の物語を以上のように要約することは不可能ではない。しかし実際には、この「国家の奸計に巻き込まれた脳外科医の数奇な運 命」という単線的な物語は、無数の騒々しい「小さな物語」に囲繞されたなかから、おぼろげに浮かび上がってくる、と言った方が正しい。そして、この映画で 真に魅力的なのは、むしろ、ひたすら突拍子のないそのような細部の狂騒性なのである。

 例えば、クレンスキーを始めとする登場人物たちの、ほとんど動物的な行動。彼は意味もなく「ポンポンポン」などと呟きながら大勢の部下を引き連れて病院 内を闊歩し、また自宅では皆と食事をしていたかと思うと突然、天上から下がっている鉄輪を握って、逆さ吊りの姿勢をとってみせる。監督自身の分身である少 年と居候のユダヤ人姉妹は喧嘩して走り回り、妻や祖母は好き勝手なことをしゃべりちらす。つまり、登場人物たちは理性的に対話を交わすどころか、てんでん ばらばらに好き勝手なことをしゃべり、行なう。しかも、がらくたから調度品まで、室内にはモノが溢れかえり、病院の内部も迷路のように入り組んだ不可解な 構造をしている。さらにそれが、明暗の強い白黒で、切り返しをなるべく排した長回しで撮られるものだから、騒がしくもどこか白々と醒めきっている夢幻的な 混沌のなかから、意味ありげな行動や台詞がかろうじて析出されてくる、という有り様なのだ。そこでは「歴史」が直截に描かれるのではなく、異種混淆的で微 細な出来事の積み重ねから、「歴史」が透けて見えてくる。観客はその多中心的なテンションの高さに圧倒されつつ、随所にしのばせてある痛烈なユーモアにも 哄笑を禁じ得ないだろう。

 ゲルマンは「知性でロシアを理解することはできない」と言っている。西欧の一元的な理性的思考に対する異質性を誇示することで、「ロシア」の自己同一性 の確立を図ろうとする態度は、近代以降のロシアでは主流を成す考え方だった。その意味で、一見きわめて奇怪なものにみえる『フルスタリョフ、車を!』は、 その強烈な奇怪さそのものにおいて、まぎれもなく正統的なロシア映画だと言えるだろう。なまくらな思考で萎えてしまった矮小な頭脳の許容量を遥かに超えた 刺激を与えられて、躯全体で「ロシア」を体感せざるを得なくなること、それがこの作品の最大の魅力である。

『週刊金曜日』、318号、2000年6月9日)

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