『ペパーミント・キャンディー』:痛ましい二十年を遡る
堀 潤之
灰色のスーツに身を包んだ四十がらみの中年男が、鉄道の高架橋の上で自殺しようとしている。教師・小説家を経て映画界入りしたイ・チャンドン(一九五四 年生まれ)の監督第二作『ペパーミント・キャンディー』は、一九九九年春のそんなシーンに始まり、三日前、五年前、一二年前……と、主人公キム・ヨンホの 人生を二十年前まで遡っていく。一体、何が彼を挫折に追い込んだのか? 観客は、この正解のない問いかけを反芻しながら、七章に分かれた主人公の半生を逆 順に辿ることになる。
その過程でしだいに、主人公ヨンホが私生活においても、韓国の社会情勢との関わりにおいても、純粋さや希望を失い、やがて諦念を抱くに至るさまが浮かび 上がってくる。例えば、五年前のヨンホは、自らも愛人との密会を続ける身でありながら、妻の浮気現場に踏み込んで修羅場を演じ、まるで愛のない家庭に見切 りをつける。その頃は絶頂期にあったビジネスも、あばら屋に住む「現在」の時点では、もはや見る影もなくなっている。
一二年前(八七年)に遡ると、ヨンホがかつて公安刑事だったことが分かる。全斗煥【チョンドゥファン】時代(八〇〜八七年)の韓国が、相変わらずいかに 抑圧的な体制を形作っていたかについては、贅言を要しまい。時あたかも、民主的な大統領選出や金大中【キムデジュン】らの赦免などを要求する盧泰愚【ノテ ウ】の民主化宣言が全斗煥によって受け入れられる寸前であり、反政府抗議運動が盛り上がっていた時期だ。言うまでもなく、刑事のヨンホはそれを抑圧する側 にあり、運動家のアジトを割り出すため、容赦のない訊問・拷問を続ける。今や平気で拷問を敢行する彼も、三年前の初めての拷問の際には、躊躇があった。一 人の人間が体制によって拷問装置に仕立て上げられるとき、一体、何が失われるのかということにも、監督の視線は向けられている。
物語は原点の二〇年前に至る。一九七九年一〇月、六一年以来の朴正煕【パクチョンヒ】独裁政権が暗殺によって幕を閉じ、翌年五月、光州事件が起こる。金 大中の地盤でもある全羅南道の中心地・光州での民衆蜂起が、警察・戒厳軍によって鎮圧された事件である。そのとき兵役に就いていたヨンホは、光州の鉄道車 庫で足に怪我を負い(彼がこれまで跛行していたのはそのためと知れる)、しかも何の罪もない女子高校生に過って発砲し、死に至らしめてしまう。おそらくこ の時点で、ヨンホは諦念とともに体制を受け入れざるを得なくなったのであろう。
以上のようなニヒリズムへの歩みは、ヨンホの「初恋の女性」スニムとの関係と織り合わさって描かれることで感情的な強度を獲得している。ヨンホにとって 純粋さの象徴であったスニムは、主人公が病んだ社会に追随するにつれ、迂遠な存在に転化していく。ヨンホは、より現実主義的な女性ホンジャを妻に選ばざる を得なくなる。拷問装置の一環となったヨンホは、その空しさを、張り込み先のバーのホステスをスニムに見立てるという白々しい虚構によって埋めるほかな い。妥協して選んだ妻とはうまくゆくはずもなく、家庭は崩壊する。「現在」においては、スニムは別の男性のもとで死の床に臥せるに至っている。希望は完全 に失われかけている、というわけだ。
監督は、これという救いを示すこともなく、淡々と主人公の過去をその背景とともに描き出していく。「昔は良かった」的な思い入れたっぷりの郷愁とも無縁 な監督の観察眼は的確で、物語は一種の普遍性を獲得していると言えるだろう。列車後部からの風景を逆回ししたショットを区切りとしながら、徐々に時代を 遡っていくという構成も、単に奇をてらったものでは決してない。また、ある男の二〇年にわたる人生を演じきったソル・ギョングの演技力にも瞠目すべきもの がある。韓国では『シュリ』に次ぐ五十万人の観客動員数を得たというこの作品が、単純な図式の上に成り立つスパイ恋愛ものの娯楽作品よりもずっと密度の濃 い体験を約束するものであることは間違いない。
●東京・大森「キネカ大森」にて10月21日からロードショー。以降、全国で順次公開予定。
