黛敏郎年譜

西暦 元号 年齢 記事
1929 昭4 0 2月20日、4人兄弟の長男として横浜に誕生。
父は山下汽船(現・商船三井)の船長であり、8歳まで父の顔を覚える事はなかった。家にはオルガンがあり、楽器を鳴らすことと、音楽を聴くことが好きであった。
1935 昭10 6 横浜栗田谷小学校へ入学。
1936 昭11 7 この頃、自ら望んでピアノを学ぶ(師は母の女学校時代の友人鏑木スエ)以後3、4年間師事する。
小学校高学年の頃より、下總ユ一著「和声学」などで独習しつつ、ピアノ曲、歌曲、室内楽曲など20〜30曲を作曲。作品はモーツァルト風であり、中学ではドビュッシー風になった。
7月6日、弟・哲郎(1936-93)生まれる(後に朝日新聞学芸部編集委員となる)。
1941 昭16 12 神奈川県立横浜第一中学校へ入学。
国語教諭は万葉集研究の第一人者犬養孝であった。
中学では合唱団やハーモニカ・バンドで活動する。
1943 昭18 14 横浜在住の作曲家中村太郎に就いてハーモニーを基礎から学ぶ(約1年)。
先輩のフルーティスト遠藤政之に連れられ横浜交響楽団して入団。コントラバス奏者として毎週土曜日他YMCAホールにて金子登の指揮で《バグダッドの酋長》《ボルティーチの唖娘》《カルメン組曲》《未完成》などを練習する。
いずれも戦争激化のため中断。
1945 昭20 16 中学を卒業後、4月から東京音楽学校(現東京藝術大学)作曲科に入学。2年上に芥川也寸志、3年上に團伊玖磨がいた。
橋本國彦に作曲を師事するが、空襲激化のため授業はなかった。その後、横浜の自宅が戦災で焼失したため、橋本宅へ寄宿してレッスンを受ける。そこで師が所有していたSPよりストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》などを聴く。その頃作曲していたのはショパンを複雑にしたようなドビュッシー的作品だったという。
8月、終戦。
戦中の国策的作曲活動により教授職を辞任した橋本に代わり、池内友次郎(高浜虚子の息子にして作曲家)に和声学、対位法、在野の作曲家であった伊福部昭(1946年4月から)に管弦楽法を学ぶ。ピアノを豊増昇、金子登、野辺地瓜丸に、指揮法を金子登に師事。
1946 昭21 17 7月31日、《セレナード・ファンタスティック》を完成。
11月12日、《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》初演。
アルバイトでジャズ・ピアノを弾き始める。約2年間ジャズ・ピアニストとして進駐軍クラブなどで演奏し、本科3年から1年間楽団「ブルー・コーツ」にも在籍。
1947 昭22 18 8月11日、《オール・デウーブル》を完成。
1948 昭23 19 4月9日、《ルンバ・ラプソディ》を完成。
8月15日、《ディヴェルティメント》を完成。
10月16日、《オール・デウーブル》を自身のピアノで初演。
12月4日、《ディヴェルティメント》初演。
1949 昭24 20 2月24日、本科卒業演奏会で《ディヴェルティメント》演奏。
3月、本科卒業。
4月、研究科(現在の大学院)に進み、引き続き伊福部昭、池内友次郎に師事。
5月6日、橋本國彦逝去。
5月、JOAB「現代日本の音楽」で《ディヴェルティメント》放送。
「音楽芸術」11月号に「作曲の課題と目標」を掲載。
NHKの放送文化講座などへ作曲を行う。
1950 昭25 21 6月、《スフェノグラム》を横浜で完成。
10月、《ディヴェルティメント》がコロムビアにてレコーディングされる。文部省芸術祭でも優秀邦人作品として演奏。
11月、松竹映画「花のおもかげ」を皮切りに映画音楽の仕事をはじめる(生涯に190本以上を担当する)。
11月16日、《シンフォニック・ムード》初演(尾高尚忠指揮、N響)。
バレエ「かぐや姫」のスケッチを行う(部分を、後にピアノ曲《金の枝の踊り》として発表。
1951 昭26 22 1月、コロムビアと専属契約を結び、幾つかの映画主題歌、流行歌を同社へ作曲、レコーディングする。
同月、映画「帰郷」で毎日映画コンクール音楽賞を受賞。
3月、映画「カルメン故郷に帰る」で挿入歌を作曲。
同月、東京音楽学校研究科を修了。
8月、映画「純白の夜」(原作三島由紀夫、音楽黛敏郎)。
8月16日、矢代秋雄、別宮貞雄と共にフランス政府給費留学生として渡仏し、パリ・コンセルヴァトワールに入学(8月16日に日本を発ち、9月16日にパリへ着)。トニー・オーバンのクラスで作曲を学び、課外でアンリ・シャランに和声学を師事するが、アカデミスムに縁のないことを悟り、1年で帰国。
前年の《スフェノグラム》が第25回ISCM国際現代音楽祭に入選しフランクフルトで演奏され、世界的に認められる。
1952 昭27 23 3月18日、木下惠介に三島由紀夫を紹介される。
5月、パリでミュージック・コンクレート初の公開演奏会を観る。
7月、帰国(5月29日にパリを発ち、7月5日に日本へ帰国)。
11月、映画「カルメン純情す」でミュージック・コンクレートを使う。
1953 昭28 24 6月、芥川也寸志、團伊玖磨と共に「3人の会」結成。
同月女優の桂木洋子と結婚し荻窪から代々木に転居する。
7月、日本文化放送から委嘱を受け《ミュージック・コンクレートのための作品X、Y、Z》を作曲開始。
8月9日、バレエ《思い出を売る男》を近藤玲子バレエ団が初演(シャンソンは高英男)
8月、日本テレビ放送開始。スポーツ番組では《NTVスポーツニューステーマ》が流れるようになる。
10月22日、シャンソン《手袋》を高英男の歌で初演。
11月27日、《X、Y、Z》放送初演。センセーションを巻き起こす。
武満徹と知り合う。
長男・りんたろう誕生。
1954 昭29 25 1月17日、《饗宴》の作曲を完成し、同月26日の「3人の会」第1回で自身の指揮により初演。
「音楽芸術」2月号、鼎談「新しい作曲グループ〈三人の会〉の発言」に出席
11月21日、放送劇《ボクシング》(三島由紀夫台本)文化放送にて放送。同作品で芸術祭奨励賞。
1955 昭30 26 3月29日、バレエ《未来のイヴ》初演(音楽は武満徹と共作)
6月23日、「3人の会」第2回で《トーンプレロマス55》を自身の指揮で初演。
11月27日、同年創設されたばかりのNHK電子音楽スタジオで日本最初の電子音楽による習作、《素数比の系列による正弦波の音楽》、《素数比の系列による変調波の音楽》、《矩形波と鋸歯状波のインヴェンション》を製作発表。
12月9日、《エクトプラスム》初演(森正指揮、東響)。
ブリジストン音楽鑑賞講座第40回にて「新しい音楽の世界」講演をする。
1956 昭31 27 2月6日、ミュージック・コンクレート電子音楽オーディション開催。
4月、クラヴィオリンやミュージカル・ソウを大胆に使用した映画「赤線地帯」(監督溝口健二)について、映画評論家津村秀雄に「週間朝日」誌上で「音楽の失敗がひびく」と酷評され反論し、論争になる(赤線地帯論争)。
4月23日から18日間、カンヌ映画祭に参加。4月24日に「青銅の基督」(音楽黛敏郎)が上映された。
「音楽芸術」4月号に「電子音楽の原理」掲載。
6月3-10日、ストックホルムへ。第30回ISCMに入選した《エクトプラスム》演奏に立会う。セッションズから讃賞される。シュトックハウゼン《コントラプンクテ》なども鑑賞。
7月、映画「修善寺物語」の音楽を担当。
同月、ダルムシュタット夏期現代音楽講座に参加。シュトックハウゼンの《少年の歌》などを聴く。
11月7日、12音による作曲を行った《六重奏曲》初演。
11月27日、諸井誠との共作による《7のヴァリエーション》をNHK放送初演。
「音楽芸術」11月号に「ヨーロッパ現代音楽報告」。
1957 昭32 28 3月20日、音楽評論家・吉田秀和を所長に20世紀音楽研究所を結成。
3月28日、諸井誠と共に、《7のヴァリエーション》を中心とした音楽会、アルス・ノヴァ
を開催。
「音楽芸術」3月号に「伝統とアカデミスム」掲載。
8月10-13日、20世紀音楽研究所による第1回現代音楽祭。
「音楽芸術」8月号「ウェーベルンを超えるもの」を掲載。
10月11日、日本で最初のプリペアド・ピアノを使用した作品《プリペアド・ピアノと弦楽のための小品》発表。
1958 昭33 29 2月、「気違い部落」(1957)「幕末太陽伝」(1957)によって第12回毎日映画コンクール音楽賞受賞。
4月2日、「3人の会」第3回発表会にて《涅槃交響曲》(岩城宏之指揮N響)を発表。
6月、俳優座公演「幽霊はここにいる」(音楽黛敏郎)初演。
「中央公論」6月号に「ヨーロッパ音楽への訣別」掲載。
8月20-23日、第2回現代音楽祭(軽井沢)にて《阿吽》初演(岩城宏之、黛、林リリ子)。
「音楽芸術」8月号に「叫びと祈りVareseとMessianに関するノート」掲載。
「音楽芸術」11月号、座談会「日本の前衛の音楽の独創性について」出席。
「音楽芸術」12月号、翌年1月号に「ジョン・ケージ讃(1)」「ジョン・ケージ讃(2)」掲載。
1959 昭34 30 「音楽芸術」2月号に「ストラヴィン・スキー・ファンの辨」掲載。
2月16日、《涅槃交響曲》により第7回尾高賞を受賞(審査員は池内友次郎、諸井三郎、牧定忠、ロイブナー、吉田雅夫)。
4月10日、三島由紀夫作詞、黛敏郎作曲《祝婚歌》初演(黛はオンドマルトノを演奏)。
6月12日、オラトリオ《宇曽利》初演(岩城宏之指揮)。
「音楽の友」7月号に「ストラヴィンスキー印象記」掲載。
8月17-20日、第3回現代音楽祭(軽井沢)。黛敏郎・武満徹対談「テープ音楽について」など。
8月23日、大阪でミュージカル《可愛い女》(安部公房台本)初演。同作の音楽により毎日演劇音楽賞受賞。
「音楽芸術」8月号に「現代音楽に《神》を 私の現代音楽感」を掲載。
1960 昭35 31 3月27日、「3人の会」第4回で《曼荼羅交響曲》初演(岩城宏之指揮、N響)。
8月から11月、N響世界一周公演にてがインド、スイス、チェコスロバキア、ポーランド、ドイツ、イタリア、ユーゴスラビア、フランスで《曼荼羅交響曲》演奏される。
11月7日、松下修也のチェロで《Bunraku》初演。
草月アート・センターの呼びかけに応えて結集したグループ「作曲集団」に参加。
「フィルハーモニー」7・8月号に「自作〈曼荼羅〉交響曲につてNHK交響楽団の壮遊によせる」を掲載。
フォード財団の招聘にて渡米、翌年まで米国に滞在(バランシンと《BUGAKU》作曲の打ち合わせなどもする)。
1961 昭36 32 4月3日、ニューヨーク「ヴィレッジゲ−ト」にて一柳慧、オノ・ヨーコと発表界開催。
4月、ニューヨーク・フィル定期公演で、バーンスタイン、小澤征爾指揮により《饗宴》が演奏される。のちの同楽団日本公演にても、小澤征爾指揮により演奏される。
ニューヨーク滞在中、ジョン・ケージと交友。
8月25-27日第4回軽井沢現代音楽祭。
1962 昭37 33 1月、コープランドと対談する。
3月23日、ニューヨーク・シティ・バレエの委嘱によるバレエ音楽《BUGAKU》完成。
4月16-26日、一柳慧、武満徹、高橋悠治、黛敏郎4人の楽譜展。
6月20日、小澤征爾指揮のN響で交響詩《輪廻》初演。同作は10月からのN響東南アジア公演でシンガポール、沖縄などで演奏される。
1963 昭38 34 1月、日生劇場の1964年春公演のために三島由紀夫とオペラを書くことを契約。
1月30日、《エッセイ・イン・ソノリティ》初演。
3月20日、ニューヨークでバレエ《BUGAKU》初演。
「音楽芸術」6月号に「バランシンとバレエ〈BUGAKU〉」掲載。
6月、ミュージカル《ブロードウェイから来た13人の踊り子》初演。
夏、ユネスコ国際音会議出席のためイスラエルに赴く。
9月3日、アキコ・カンダ・モダン・バレーで音楽を担当(プリペアドピアノを使った)
9月5-7日第5回現代音楽祭(京都)でカンタータ《悔過》を初演。
9月 日生劇場が三島の書下ろしオペラ《美濃子》(作曲・黛敏郎、演出・浅利慶太、企画・指揮・小澤征爾)を取り上げることを発表し、21日に第1回オーディションを行うと公表。
1964 昭39 35 2月1日、「にっぽん昆虫記」(1963)「非行少女」(1963)により第18回毎日映画コンクール音楽賞受賞。
5月、ミュージカル映画「君も出世ができる」(黛敏郎作曲、谷川俊太郎作詞)。
8月1日、TV番組「題名のない音楽会」開始。企画、司会で参加、1997年まで続ける。
10月、東京オリンピックで《オリンピック・カンパノロジー》を初演。
10月10日、オリンピック特別演奏会で《音楽の誕生》初演(岩城宏之指揮、N響)
1965 昭40 36 3月、映画「東京オリンピック」(音楽監督 黛敏郎)。
、映画「天地創造」の音楽作曲の為にローマ滞在(3月に依頼の電話が入り、何度か打ち合わせにローマへ。4月、5月中旬から8月。9月に10日ほど帰国。10月7日から黛作曲部分の録音が開始、11月末まで作曲と録音が続いた)。
5月15日、「君も出世ができる」で第12回アジア映画祭 音楽部門賞受賞(1965)
5月28日、《打楽器協奏曲》をローマにて完成。同曲は7月11日アメリカで初演。
5月31日、《曼荼羅交響曲》を杉並公会堂で録音(岩城宏之指揮、N響)。同LPは昭和40年度文化庁芸術祭奨励賞受賞とレコード・アカデミー賞を受賞
7月、「音楽家の覚え書き」を婦人画報に連載開始。
9月、パリ・オペラ座で自作《BUGAKU》を指揮。
9月30日、《涅槃交響曲》を渡邉暁雄指揮のベルリンフィルでヨーロッパ初演。
11月29日-12月1日、第6回現代音楽祭(東京)。
《シロフォン小協奏曲》などを作曲。
1966 昭41 37 1月、映画「東京オリンピック」にて弟20回毎日映画コンクール音楽賞受賞、第16回ブルーリボン音楽賞。
4月13日、《BUGAKU》大阪国際音楽祭で演奏会形式初演(岩城宏之指揮、N響)。同作は4-5月、N響北・北米演奏旅行でレパートリーになる。
11月、日本初のカラー放送による「NNNワイドニュース」(番組は1972年3月まで)のキャスターを行う(昼12時30分から13時)。
ハワイ大学、イヴァスキラ(フィンランド)音楽祭などに特別講師として招かれる
ヴェネズエラのカラカス音楽祭に出席
1967 昭42 38 2月16日、《BUGAKU》が第15回尾高賞受賞。
4月、映画「天地創造」によりアメリカ映画アカデミー賞にノミネート。1967年度ゴールデングローブ賞受賞。
12月31日から元旦にかけてのエリック・サティのヴェクサシオンの日本初演に出演。
《呪》《マルチピアノのためのカンパノロジー》などを作曲。
「題名のない音楽会」が1966年度ギャラクシー賞(第4回)を受賞。
1968 昭43 39 2月、映画「黒部の太陽」(音楽黛敏郎)
5月2日、万葉集によるカンタータ《杜》放送初演(森正指揮、N響)。
11月、毎日放送制作によりドキュメンタリー「日本音楽の生と死」を発表。
同年、芸術祭奨励賞、翌年、英語版がアメリカTVエミー賞を受賞。
「題名のない音楽会」(NET)、「NNNワイドニュース」(日本テレビ)などの司会に対し、1967年度ギャラクシー賞(第5回)受賞。
1969 昭44 40 1月-3月、NHK電子音楽スタジオで《まんだら》制作。
7月、映画「栄光への5000キロ」(音楽黛敏郎)。
1970 昭45 41 3月14日-9月13日、大阪で開催された日本万国博覧会にて音楽プロデュース。
万博開会記念TV番組(民放全局同時生放送)の司会も勤めた。
10月31日、雅楽《昭和天平楽》初演。国立劇場委嘱第1作。
11月25日、三島由紀夫市ヶ谷にて自決。
「NNNワイドニュース」が1969年度ギャラクシー賞(第7回)受賞。
1971 昭46 42 「音楽芸術」8月号で池田弥三郎と対談「日本音楽のみなもと」
12月、「題名にない音楽会」の企画・司会に対し第19回(昭和45年度)菊池寛賞受賞。
高田好胤・村松剛らと「日本まほろばの会」を結成、講演活動を始める
1971−1972 ネスカフェゴールドブレンドCMに出演 。
1972 昭47 43 3月、NHK音楽祭にて《涅槃交響曲》演奏(岩城宏之指揮、N響)
12月、第1回ベスト・ドレッサー賞(学術・文化部門)受賞。
映画「闇の中の魑魅魍魎」「世阿弥」「交響詩 立山」など、映画音楽を手がける。
1973 昭48 44 3月、NNNニューステーマを作曲。
1974 昭49 45 9月30日、浪漫株式会社より対談集「君が代はなぜ歌われない」出版。
《沼津太鼓》ほかを作曲。
1975 昭50 46 4月、今村昌平が開校した横浜放送映画専門学院(現日本映画学校)の講師となる。
《慈母観音讃歌》《沖縄海洋博住友館「海のうた」》など作曲。
1976 昭51 47 4月9日、矢代秋雄逝去。
5月2日、東京にてオペラ《金閣寺》完成。
5月、光文社より「私の茶道入門」刊行。
「音楽芸術」6月号、「矢代秋雄へのレクイエム」に「芸大同期の桜」を掲載。
1977 昭52 48 1月10日、角川書店より「題名のない音楽会」出版
1月、映画「日本の首領」の三部作の音楽を担当(1978年まで)。
2月、「私の音楽手帳」(全11回)を芸術新潮に連載する。
4月より東京藝術大学作曲科非常勤講師、「自由国民会議」代表世話人となる
6月23、25、27日、ベルリンでオペラ《金閣寺》初演。9月からレパートリー公演。
第10回仏教伝道教会賞(昭和51年度)を受賞。
マツダ・ルーチェのCMに出演(1981年まで)。
1978 昭53 49 1月29日、ヴァイオリンとオーケストラのための《G線上のアリア》がフランスで初演。
LP黛敏郎「古典の旅」(全5巻)が発売される。
1979 昭54 50 秋、アメリカン交響楽団の演奏で《涅槃交響曲》アメリカ初演。
サントリー・メルツェンビールのCMに出演。
東京音楽学校奏楽堂の保存運動に参加する。
1980 昭55 51 9月16日、カンタータ「只管打坐」初演。
1981 昭56 52 1月、正論にて「題名のない独白」連載開始。
6月6日、行進曲「祖国」初演。
10月「日本を守る国民会議」運営委員長就任。
1982 昭57 53 4月22日、オラトリオ「日蓮聖人」初演。
10月18日、サントリー作曲家の個展「黛敏郎」で《涅槃交響曲》と演奏会形式での《金閣寺》日本初演。
「音楽芸術」12月号に「金閣寺初演をめぐって」を掲載。
1983 昭58 54 5月4日、阿含宗委嘱による《大佛讃歌》初演。
1984 昭59 55 2月24日、3月4日、芥川也寸志司会のTV番組「音楽の広場」に出演(3人の会特集)。黛は《饗宴》と《天地創造》の指揮をする。
3月25-29日、香港で《フォノロジー・サンフォニック》《饗宴》《輪廻》を録音(福村芳一、香港フィル)。
1985 昭60 56 「音楽芸術」4月号に岩城宏之との対談「行動する作曲家たち」掲載。
1986 昭61 57 2月、阿含宗委嘱による《星まつり前奏曲》初演。
4月16日、バレエ《The KABUKI》初演。同作品はパリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ボリショイ劇場、マリインスキー劇場、海外の劇場でも喝采を受け、世界中で150回以上の上演回数、22万人が鑑賞している。
5月、《栄誉礼及び祖国》初演。
天皇陛下御在位60年奉祝パレード実行委員会委員長。
紫綬褒章受賞受賞。
1987 昭62 58 4月11日、阿含宗委嘱によるカンタータ《佛舎利宝珠尊和讃》初演。
10月、アオイスタジオの委嘱による《ウェディングシンフォニー》録音初演。
1988 昭63 59 6月5日、ヴァイオリンソロと弦楽のための《カプリチオ》初演(江藤俊哉指揮・ソロ、桐朋)。
1989 平1 60 1月31日、芥川也寸志逝去。
2月、ニューヨークで《ROKUDAN》初演(篠崎史子)。
9月20日、《無窮動》初演(手塚幸紀指揮、新日本フィル)。
日本作曲家協議会会長就任。
1990 平2 61 「題名のない音楽会」の放送25周年を記念して出光音楽賞設立。
ローランドのデジタルピアノのCMに岩城宏之と出演。
1991 平3 62 1月18日、都響日本の作曲家シリーズ10「黛敏郎作品集」(若杉弘指揮)
3月2日、旧奏楽堂にて《オール・デウーブル》演奏(木村かをり)。
3月8日、オペラ《金閣寺》日本初演(岩城宏之指揮、東響)。
3月9日、池内友次郎逝去。
4月1日、芥川作曲賞設立。第1回(1991)から第6回(1996)までの審査員を黛敏郎も努める。
4月26日、阿含宗委嘱による《世界への祈り》初演。
9月1日、《21世紀へのラプソディ》初演。
1992 平4 63 8月12日、ジョン・ケージ逝去。
「音楽芸術」10月号に「ジョン・ケージに捧げる弔辞」掲載。
1993 平5 64 7月16日、オペラ《古事記》完成。
7月31日、バレエ《M》初演。
1994 平6 65 2月、日本著作権協会会長就任。
9月17日、オラトリオ《京都1200年<伝統と創生>》初演(井上道義指揮、京響)。
1995 平7 66 7月24-27日、東京芸術劇場にて《涅槃交響曲》を作曲者監修でセッション録音(岩城宏之指揮、都響)。
10月19日、オペラ《金閣寺》アメリカ初演(ニューヨーク・シティ・オペラ)。
1996 平8 67 5月24日、オペラ《古事記》リンツ州立歌劇場で初演。
1997 平9 68 4月10日午前8時45分、肝不全のため川崎市の病院で急逝。
絶筆となった未完の《パッサカリア》は岩城宏之指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢の定期公演で追悼演奏された(8月31日)。
4月13日、NHK-TVにて追悼番組「黛敏郎・創作の世界 最先端を疾走した作曲家」放送。
4月14日通夜・15日葬儀・告別式(宝仙寺)。
11月27日、大阪カレッジ・オペラハウスでオペラ《金閣寺》演奏(岩城宏之指揮)。本公演はABC国際音楽賞、大阪舞台芸術賞、三菱信託音楽賞を受賞。
1998 平10   2月21日、名古屋フィル234回定期 黛敏郎特集(岩城宏之指揮)。
4月10日、NHK-BS-2にて、前年のオペラ《金閣寺》が放送される。
4月11日、「日本の音・再発見」黛敏郎・昭和と歩んだ作曲家(神奈川県立音楽堂)。
4月22日、奏楽堂 黛敏郎追悼演奏会(構成・司会 林光)。
7月2日、〈追悼 黛敏郎〉(岩城宏之指揮、東京交響楽団) 。

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