ページロゴ 過去に寄せられた貴重な記録の数々。
インターネットがあるかぎり公開され続ける昭和の碑です。


タイトル
 投稿者
 内容
今次空襲ノ教訓ニ基ク防空監視隊指導ノ参考
 杉山ひろかず
 宇都宮師団参謀長編。昭和17年4月、本土初空襲時の活動記録。
父の従軍記
 杉山ひろかず
 聞き書き。97年に他界した父親の軍歴と体験談。
2つの見方の末期の海軍空技廠
 望函庵主
 士官と動員学徒、従兄弟が体験した末期・空技廠の日々。
昨日の敵は?
 望函庵主
 戦後、米軍通訳に採用された若き海軍士官の思い。
滑空訓練の思い出
 望函庵主
 旧制中学で行われたグライダー訓練の回想記。
後年の反省
 望函庵主
「空技廠」の後日記。いま、改めて伝えたいこと。
大和生き残り乗務員から聞いた話
 Zenith
 聞き書き。測距儀担当が体験した戦艦大和の最後。
父の軍歴など
 南都 上緒
 遺品より。恩給申請書に残されていた父の従軍記録。
42年目の旅順
 富永敏子
 8歳まで暮らした旅順。懐かしき風景、我が家との再会。
私の敗戦体験
 富永敏子
 ソ連兵の襲来、即時立ち退き命令、そして家族の死……。
戦場と一兵士 −上海戦線−
 井村洋一
 代理投稿。通信兵が綴った大場鎮攻略までの体験記。
生還の日
 篠原満
 復員した投稿者が見た焼け野原の故郷。その思い。
戦後立志行
 篠原満
 翻訳者を志すも民間情報検閲局に配属された投稿者は……。
終戦時の回想
 篠原満
 桂林から武漢、そして長沙へ。投稿者が体験した撤退行の記録。
戦場落ちこぼれ話
 篠原満
 桂林にて。魚を担いで行軍中の投稿者は司令官に見つかり――。
酒精燃料製造
 篠原満
 代用燃料開発に取り組んだ自動車隊の奮闘記録。
十二月八日
 篠原満
 陸軍輜重兵学校・幹部候補生隊員だった投稿者が見た12月8日。
若き日の出雲自転車旅行
 篠原満
 旧制中学時代の思い出。級友と走破した岩国から出雲への道。
アルコール燃料
 篠原満
『酒精燃料製造』の補筆改訂版。
私の軍隊生活
 篠原満
 転載。筆者の軍隊生活を総括、思いをありのままに綴った長編。
初年兵時代の思い出
 篠原満
 転載。「私の軍隊生活」補足。
広東橋日記
 篠原満
 転載。昭和19年9月から12月まで駐屯した湖南省の日々。
ホルゲン
 並木路
 入隊した投稿者が飲まされていたお茶、それは……?
大事な戦力を訓練で死なせはせぬ
 並木路
 厳しい訓練に音をあげた隊員たち。そこで隊長は決然といった。
ベートーベンと寄席芸人
 並木路
 慰問団来訪にあたっての隊長訓示。その真意とは。
精神的な懲罰
 並木路
 体罰なき部隊で投稿者が目撃した、ある光景。
大学教育と海軍教育
 並木路
 軍隊流洗濯術にかいま見た、ものの考えかたの違い。
技術で勝つより精神で勝て?
 並木路
 体育でのバレー対抗試合。そこで教官が指摘したもの。
一番奇麗なところを見てもらう
 並木路
 宿舎掃除中、投稿者が感動した教官のひとこと。
整列は後列
 並木路
 古参兵曹長がもらした、海軍で長く生きてゆくコツ。
ワカッタモノハ ソトヘ デテヨロシイ
 並木路
 古参兵曹長が仕掛けた洒落た試験風景とは。
あの飛行機、撃てー
 並木路
 武山海兵団に敵機が襲来したときの体験談。
術科学校へ
 並木路
 投稿者たち第5期予備学生の志望先、投稿者が選んだ道。
海軍予備学生の基礎教育終了に当たって
 並木路
 投稿者が後輩たちに贈った「謝辞」。
潜水学校
 並木路
 広島・海軍潜水学校の「海龍」組に入校した投稿者の回想。
横須賀嵐部隊
 並木路
 ついに実施部隊へ。「海龍」乗組員として生きた日々。
翔んだ青春(父が体験したインパール作戦)
 関口 範夫
 疫病と銃創に苦しみながらも生還した父の記録。
戦災
 樋口正博
 転載。東京大空襲で焼け出された清石さんの回想記。
終戦
 樋口正博
『戦災』の続編。入営直後の終戦、帰郷、青春の思い出。
口締めの日々
 なごりゆき
 学徒動員の体験談。軍需工場で遭遇した作業とは。
ああ…航測聯隊 
 鈴木午一
 満州で生まれ、フィリピンで散った新設部隊の記録。図版豊富。
沖縄戦線について NEW!!  吉沢權平  米軍との激闘、戦友の死、そして部隊壊滅 ... 。ある兵士の記録。


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