息子が、保育園を卒園する時に書いた保育園の文集に載せた原稿です。自由に使ってください、と一枚紙を渡されたので、その全面を使って、これまでの思い出を書きました。彼はこの原稿を見て、「他のお友だちのは、絵とかいっぱい描いてあって、字はちょっとだけだけど、お父さんのはぜーんぶ字ばっかりやね」といいましたが、保育園での五年間のことは、とてもそれだけのスペースでは書ききれませんでした。その頃は、まだこの原稿を彼が読めるとは思っていませんでしたが、字が読めるようになれば見せようと思っていました(で、結局見せてないような気がする…)。
「君」と書いたところは原文では息子の名前のファーストネームなのですが、名前を勝手に出したら怒られるので止めました。講演でよく彼の話をするので、講演から帰ると「出演料をよこしなさい」といわれます。もうずいぶん払ったような気もします。最近、彼は僕のことを「君」と呼びかけることが多いです。僕は全然嫌ではありません。「君、そんなこともわかってないのですか」「はい、すいません」とかね。もちろん、「君、そんなことも…」というのは息子のせりふです。
卒園おめでとう
早いもので、保育園に通いだして丸五年が経ちました。いよいよ、この四月からは小学校ですね。
保育園に入った頃のことを覚えていますか? ようやく、何とか一人で立つことができるようになったばかりでした。歩くなど、まだ思いもよらなかったので、よく靴をはかずに登園したものです。まだ小さかったので保育園に預けることに不安がなかったわけではありませんが、保育園に入る前の数ヶ月をおとうさんと過ごした日々に比べると、保母さんに見てもらえ、近所にお友だちもいなかったので、保育園でお友だちと遊べるのであれば、はるかに、そのほうがいいだろうと信じていました。
幸い、大好きな保母さんと友だちに恵まれ、すぐに保育園に慣れ、朝別れる時も機嫌よくにこにこと手を振ってくれるようになりました。小さい頃から、いつも笑顔がすてきで、保育園では保母さんや、おかあさんたちに、かわいがってもらいましたね。
三歳の夏のある日、どこから生まれてきたのか、という話をしていた時、急に真顔になってこんなことをたずねたのを覚えていますか? 「僕がいなくて、二人だけでさびしくなかった?」君が生まれてなかった時のおとうさんとおかあさんだけの生活は今ではよく思い出せません。
二歳の時、道に銀杏の葉っぱが落ちているのを発見し、「銀杏の黄色い葉っぱ」といって、自分の分を一枚拾ってから、一緒に散歩していた僕たちにも、一枚ずつ拾ってくれたました。
同じ頃のある日、保育園から帰り道、線路沿いの道を自転車を走らせていた時、おとうさんと君は、通り過ぎた電車に乗っていたおかあさんの姿を見つけて、「(見た?)うん、あの人は、僕のおかあさん。僕のおかあさんが僕に手をふってくれはった」といったこと、覚えてますか? あの時、僕たちは、生きた時間を共有し、一緒に生きていることの喜びを感じました。
やがて、幼かった君も大きくなりました。四歳のある日、複雑に入り組んだプラレールを作っているのを見て、こんなにむずかしいのを作れるようになったんだね、と話しかけたら、「そうや。大人から見たらむずかしいように見えるけど、ここまでは簡単なんや」という答えが返ってきて驚きました。
五歳のある日、おとうさんがおかあさんに少し大きな声を出した時のこと、すかさず、「そんなに怒ったら、おかあさんは、おとうさんのことを好きになってくれはると思ってるんか? 好きでなかったら、どうするっていうの」といったので喧嘩はそこで終わったことがありました。子どもを対等な人間として尊敬することを教えてくれたのは君です。
四歳の時に待望の妹が生まれました。まだ、生まれるずいぶん前に、「あのな、今日な、これからおかあさんと一緒に僕が生まれた病院に行って、おかあさんな、赤ちゃん、うまはるんや。だから、今日から僕はおにいちゃん」といって僕たちをあわてさせました。この一年は、毎日、一緒に保育園に通い、妹がどんなにぐずぐずいっても、いつもじっと我慢して待ってくれていたこと、頼もしく思っていました。
これからも君の歩んでいくのを見守っていきましょう。困ったことがあったら、いつでも援助できる親でありたいと思っています。これまでのすべてのことに対して、君に「ありがとう」といって、卒園のお祝いの言葉を終えることにします。
ここには、保育園の頃の生活が凝縮して書いてあります。「生きた時間を共有し、一緒に生きていることの喜び」という表現がありますが、この喜びを感じた瞬間、生きていてよかったと思いました。
娘も息子と同じ保育園に通っていました。娘が卒園する時にも文集に原稿を書きました。困ったことに、この時は保育園から渡された原稿に枠が書いてあって、その中に書かなければなりませんでした。しかも指定のペンまでありました(こういう枠ぎめを僕は好みません)。ワープロ原稿は駄目かと聞いたのですが、認めてもらえませんでした(実は僕の直筆は判読不可能…)。そういうわけで短いことに他意はありません。
五年間を振り返って一番印象的なことは、あなたが一度も保育園に行くのを嫌がったことがない、ということです。初めて自転車に乗った一歳のあなたは、キャッキャッと嬉しそうな声をたてました。五歳のあなたは、おかあさんが先に出かけてしまった、と自転車に乗っている間泣いていたのに、保育園に着くと「おめめ、あかくない?」とたずねました。いつのまにか少女になっていたのですね…これからもあなたの成長を見守っています。
娘は一言でいうと(いえないのですけど)意思が強い。娘の一学期の成績表を見ませんでした。息子は帰るなり持ってきたのですが、娘は持ってこなかったのでそれっきりになってしまったのです。夏が終わってからのある日僕は息子と話していました。
「(娘の)成績表を見なかったんだ…」
「どうして?」
「見せてくれなかったから」
「あのな、お前それでも親か」
「で、どうなん?」
「そうやな、あいつはふつうや」
そうか、息子は自分のことを「ふつう」と思ってないのか…ううむ。
子どもたちがまだ小学校の1年生と4年生だった時のことを思い出します。その日は仕事は夕方からだったので遅い時間に家を出ました。田舎なので僕の家から駅までは田んぼの中の一本道で建物は何もなく、冬などはふきすさぶ風にずいぶんと難儀したものです。家を出てしばらくすると子どもたちが帰ってくるのが見えました。その頃、二人は学校で待ち合わせして一緒に帰っていました。「じゃ、あの木のところで待ってるからな」と息子が妹にいっているのを聞いたことがあります。
強い風が吹いていました。僕には気づいていませんでした。見ると、息子は妹に自分の着ていた上着を脱いで着せていました。そして二人で寄り添って歩いていました。
やがて僕の姿に気づいた二人は全速力で走ってきました。