38歳の時に車の免許を取りました。それまで何年も習うチャンス〔あるいは必要性〕があったにもかかわらず、車の運転を習うということに、怖れがあって習おうとしませんでした。雨の日も風の日も子どもたちを自転車の前と後ろに乗せて、保育園に通っていました。ある日、自転車がパンクしたのでやむおえず当時2歳の娘と歩いて登園しました。保育園の近くで僕たちを見かけたある保母さんは、驚きの表情を隠そうともせず、「最近は自転車もお止めになったのですか?」と、たずねられたことがあったことを思い出しました。
そんな僕が、ある日思い立って(大体、いつも僕はこんな感じで「ある日思い立って」ことを決めます)教習所に通うことにしました。日頃は教師として教える側なのですが、何年かぶりかで教えを受けると、いろいろと発見がありおもしろく思いました。
一度学ぶと決めたものの、実際に教習が始まるまで、また、実際に教習が始まってからも、僕は何度も怖れにとらわれました。
アドラーは、「誰でも何でも成し遂げることができる」(Everybody can accomplish everything)とあちらこちらでいっています。もしもできないことがあるとすれば、自分が何らかの制限を課しているのだというわけです。ジャンポルスキーは、過去において起ったことが、将来にも起こるだろうと考えて、この現在にも自分には限界がある(limited)と考えるのは、幻想だといっています(Gerald Jampolsky, Goodbye to Guilt, Bantam Books, p.111. )。
怖れがあるから車に乗ることをためらうというのではなく、僕がそもそも車を習うという課題を前にしてそこから逃れる口実として怖れという感情を創り出していると考えたほうが、その頃の状態をよく説明できます。
アドラーは自分では何もできないと信じている11歳の少年にこんなカウンセリングをしています(Adler, The Pattern of Life, Cosmopolitan Book, p.86)。
(アドラー)水泳を習ったことある?
(ロバート)あるよ。
(アドラー))最初はむずかしかったことを覚えてないかい? 今みたいに上手に泳げるようになるには、きっと時間がかかったと思うよ。何をしても最初はむずかしい。でもしばらくすれば、うまくできるようになる。君は泳げるのだから、読んだり計算することもできるようになると思うよ。でも我慢しなくては。いつもお母さんが君のためにしてくれると期待してはいけない。私は君ができると確信しているよ。他の人が君より上手だからといって心配することはない。
ここまで書いて思い当たったのですが、いまだに車に乗る度に緊張するのは、毎時間緊張するのかといえば、上に引いたジャンポルスキーの表現を借りれば、恐怖を感じた過去を今再び体験している(relive)ということがあります。僕は上のアドラーのカウンセリングの記録を読んで僕がクライエントだったら困るだろうなと思ったのですが、実は、ほとんどといっていいほど泳げないのです。泳げないのに高校の体育の最初の時間、水球をやらされたり(プールの真ん中の方は背が立たなかった)、皆の前で泳がせられた過去が、車の指導を受ける度にフラッシュバックして来るのです。ジャンポルスキーは、そういう過去と恐怖を手放す(let go、サバ折りにする、という訳語で有名になりました)ことを勧めています。
最初は前に動かすことが既に至難の業だったのに、今でも上手とはいえませんが、楽に運転できるようになったのに驚きました。これは水泳ではないのだ、と言い聞かせながら(だから、水泳と同じようにできない、というわけはない)、焦らずにゆっくり頑張ることにしようと思いました。
しかし、その後も車を運転する時、なぜかいつもひどく緊張してしまいました。手に汗をかき、1時間の教習が終わった時には、ハンドルが汗でべとべとになってしまいます。翻って考えてみると、僕にとってはこんな風に緊張することはまれなことなのです。多くの人の前で話す時には緊張しませんし、少しも苦痛ではありません。それなのになぜ? と車を運転するたびに思ってしまいました。僕の先生は、指導員になる前は、理学療法士の学校に通っていたそうです。ですから、運転している時に緊張する私を見て、「まず顎の力を抜いて。そうそう、そんなに歯を食いしばらないで。次に、肩の力を抜いて」というようなアドバイスを受けたのですが、あいかわらず緊張が解けることはありませんでした。
ジャンポルスキーが、医師の国家試験を受けた時のことを語っています。最初の試験で彼はしくじっているのです。これはリラックスしようと意識しすぎて、かえって緊張したのだ、と分析しています。私も経験があるのですが、口頭試問の時、自分の目の前にすわっている試験官は、受験生にとって、恐い存在です。しかし、ジャンポルスキーは思い至りました。私も緊張しているが、彼らも私と同じように緊張しているのだ、なぜなら、もしも将来医師としてふさわしくない人物がこの試験に受かるようなことがあれば、その責任を取られる、だから慎重であらねばならない、と。そう思った時、試験官は、決して、恐るべき人ではなく、彼らもまた、怖れを持った人なのだと考えることができました。
検定の試験を受ける前に検定員から試験についての説明があった時、このジャンポルスキーの話を思い出しました。「私たちの教習所は、皆さんの合格率が90%を割るようなことがあれば、〔実技試験免除の〕公安委員会の認定を取り消されることになるのです。ですから、一人でも多くの人に試験に受かってほしいので、決して、落としたいと考えているわけではないのです。ですから、どうぞリラックスして試験に臨んでください」
アドラーも、緊張するのは、話をしている時であれば、聴衆が敵であり、自分より優れていると思うからだ、といっています。私が車を運転する時に、緊張していたのは、ひょっとして指導員よりも、優れていたいと考えていたからかもしれません。もとより、そのようなことはかなうはずもないというのに。
このようなことを思い当たった時、関係が少し変わったように思えました。ある時、教習が始まる前に、指導員をまきこんでの事務的な問題が起こり、なかなか教習に入れませんでした。僕には関係のないところでのトラブルだったので、僕には何もできなかったのですが、その後で、先生に「今日はいろいろとお手数をおかけしました」といったところ、「いえいえ、こちらこそ」という返事があって、不思議にその時の教習は、いつもの教習とは、まったく違った雰囲気でした。いつもなら、私まずい運転をしようものなら、その場で急ブレーキをかけて、注意されるのですが、その日は、やはりいつものようにまずい運転をすることには変わりはないとはいえ、急ブレーキをかけたりはせずに、「もう少し行ったところで、車を止めてみましょうか?」といわれ、僕がいわれたとおり、車を止めると、穏やかな口調で、その時の運転のどこが適切ではなかったか、と説明を受けました。これは、僕の接し方が変わったからだと思うのです。僕は知らずして、その指導員と競争していて(勝てる当てのない競争)、尊敬をしていなかったので、それに応じて彼の私への態度も私には嫌に思えたのでしょう。自分がまず変わる勇気を持てば、これほどにまわりの人も変わってくる(もちろん結果としてということですが)ことの不思議さを認識した日でした。
このように仮免許取得に時間がかかって苦労したのですが、おかげで教習所でたくさんの人と知り合いになることができました。互いに頑張ろうね、と声をかけあって試験に挑戦しました。何度目かの試験のとき、私はある人にこのようなアドバイスをしました。
「検定のコースは覚えているにこしたことはないけど、その都度教えてもらえるし、たとえコースを間違えたとしても、減点の対象にはなりません。だから、例えば、今S字を走っているとしたら、その時はそのことだけを考えて運転し、決してその先のコースのことを考えてはいけないのです。もちろん、次のコースまできたら、S字のことを思い出してもいけません。こうして一つ一つのコースのことだけに集中して運転して行けば、最後まで走れますよ」
なんと僕はこんなことをいっていたのに落ちて、僕がアドバイスした人は首尾よく合格しました。後でその人から、僕の言葉を思い出して走ったら落ち着いて運転できて、おかげさまで受かりました、と感謝されました。でも、こうやって自分が役に立てたと思うとうれしかったです。
4回目でようやく受かったその日、3回目の試験の時の検定員の先生と会いました。僕がその日受かったことをご存じで、僕の顔を見るなり、「よかったねえ。ほうんとうに〔ゆっくりと気持ちをこめて〕よかったねえ」といわれました。僕が受かったことを「ほうんとうに」うれしく思ってもらっていることが伝わってきて、そのことが僕には「ほうんとうに」うれしく思えました。こういうのが本当に勇気づけなんだな、とその時の場面、声の調子を今でも鮮やかに思い出しては、少しばかり涙腺をゆるませてしまいます。おおげさですけど、こんなことがあると〔試験には何度も落ちたけれど〕生きていてよかったな、と思ってしまいます。
その人は、僕を勇気づけようなどとは、おそらく全く考えてなかったと思うのです。しかし、僕が受かったことをうれしいという気持ちを伝えることで、僕は思いがけず勇づけられたのだと思います。
学科試験の日の朝のこと。緊張していたのか、朝方まだセットしておいた目覚まし時計も鳴らないうちに目が覚めてしまいました。少し明るくなっていましたが、家の中も外も静かでした。しばらく布団の中でじっとしてぼんやりしているうちに、うとうと眠ってしまいました。
突然、手をぎゅっと握り締められたので、驚きました。横で寝ていた息子でした。「どうした?」「うん、おしっこ」こんなことはめったにありませんし、そもそも僕は一度眠ってしまうと、多少のことではなかなか目を覚ましたりはしないのです。二人でトイレに行ってもう一度布団にもぐりこみましたが、今度はもう寝られません。試験勉強をしなくては、と、とうとう試験日まで全部はやり通せなかった問題集をぼんやりとした目で眺めていたら、寝てしまっていたと思っていた息子が声をかけてきたので、またもや驚いてしまいました。
「おとうさん、今日、試験頑張りや。あれだけ〔車の〕本を買ったんだから、大丈夫や。」
この言葉は、他のどんな言葉よりも私には勇気づけのメッセージでした。今さらじたばたしないでおこう、本当にこれまで頑張ったのだから、後は勇気を持って挑戦するのみ、と先ほどまでは不安でいっぱいだったのに、今度は安心して眠りにつくことができました。
免許証は、試験に受かれば、即日交付です。家に帰ると息子がさっそく車に乗って買い物に行こうと誘ってくれました。若葉マークが取れるまでは絶対にお父さんの車には乗らない、といっていたのにどうしたことかと、とまどいながらも、初めて近くのスーパーまで車で行きました。正直いって、恐かったです。ずいぶんと恐い思いをした息子は、家に帰ってから、「もう二度と乗らない」と宣言。
ああ、やっぱりなあ、試験には受かったけれど、まだまだ僕には車の運転は難しいのだ、と落ち込んでいた次の日。ちょうどお祭りがあって小学校は休みでした。昼前に息子が、車で出かけよう、といいます。
「もう乗らないのじゃなかったの?」
「ううん、何事も練習! 毎日乗ってこそ上達するんや」
そういえば、仮免許の試験に何度も落ちていた時、息子はこんな話をして僕を勇気づけてくれました。その頃、小学校では運動会に向けて、鳴子踊りの練習をしていました。之は、かなり難しい踊りで、一人一人の踊りにたいして、先生が合格、不合格の判定をされるのです。その結果は、学級通信に発表されます。ところが、息子の名前はいつまで経っても載りません。気になって、本番の運動会が間近に迫ったある日、
「鳴子踊りはどうなっているの?」
と尋ねてみました。
「まだ合格してないんや」
まずかったかな、と思った直後、こういいました。
「でも、考えようによっては、〔試験に落ちたのは〕よかったと思う。なぜなら、〔踊りを〕楽しめたのだから。」
毎日、こんなふうに子どもたちから勇気づけられ、教えられてばかりです。