子どもたちと生きる


子どもたち



 十一歳の息子と七歳の娘がいます。

 息子が生まれたのは結婚して五年経ってからのことでした。娘が生まれたのは、さらにそれから四年後のことでした。息子が生まれた時、僕は大学の非常勤講師をしていました。哲学やギリシア語を教えていました。その頃は、今とは違って、比較的、時間が自由に取れたので、育児に関わることができました。保育園の送り迎えもしました。子どもたちが大きくなるにつれ、仕事の関係もあって、次第に最初の頃ほど家事や育児に関わらなくなりましたが、最初の頃は、特に一生懸命でした。ミルクを飲ませながら、論文を書いていたこともよくありました。

 息子は、小さい頃は、一年中、半袖、半ズボンで過ごしていました。小学校の高学年になると、朝靴下がないとあわてたり、寒い日には上着を着るようになりましたが、授業参観に行くと、息子だけが冬でもTシャツを着ているのを見て驚いたことがあります。もともと保育園の頃からの習慣でした。冬でも薄着をするというのが子どもが通っていた保育園の方針だったので、冬の寒い日でも、靴下をはかずに保育園に通っていました。保育園に行く途中の道で、知らない人に呼び止められ、靴下をはかせなさい、といわれたこともよくありました。保育園では、かわいそう、といわれたこともありました。

 母親が靴下をはかせていないとしても、きっとこれは育児方針なのだろうとまわりの人は納得するかもしれません。しかし、同じことを父親がしていると、世間の目は厳しく、単なる不注意、無思慮と見なされたのかもしれません。最初の頃はそもそも保育園で父親の姿を見ることはまれで、奇異に見られていましたが、やがてそれほどめずらしいことではなくなったように思います。



育児については何も知らないということ



 保育園に初めて来た頃、おもしろいと思ったのは(というのも変なのですが)小学校や中学校の時の同級生が、たくましいお母さんになって、子どもたちを毎日連れてきているということでした。子どもたちの通った保育園には、僕自身も子どもの頃通っていました。その頃の同級生にも保育園で会いました。歳月の経つのは早いもので、自分が人の親になるなど考えもしなかったものです。

 この保育園が息子が入園してほどなくして移転しました。それまでの園舎は僕が通っていた頃と何も変わっていませんでした。教室もそのまま残っていました。僕は保育園に行くのが嫌で毎日のように行かないといって困らせていました。やっと保育園に行っても、机の下に隠れ、帰る、嫌だ、家に電話して、といって保母さんを困らせていたことを覚えています。結局、なんとか一年間だけ通いました。しかしそれとて、冬休みが終わってからは、病気で入院したので登園しませんでした…それを思うと、子どもたちは頑張って保育園に通いましたし、毎日楽しそうでした。

 さて、僕自身子どもたちと暮らしてきて痛感したことは、育児については実は何も知らないということでした。実は知らないのだということに気づくまでには時間がかかりました。ミルクを作ったりおむつを当てるということはもとより初めての経験でしたが、すぐに学ぶことができました。その他のことについても、他の家庭に育ったことがなければ、他の人がいったいどんなふうに育てられてきたかについては知りようがありませんでしたから、なんとなく僕の親がしていたであろう育児をまねることができました。

 保育園に子どもを預ける前、僕が昼間子どもを見ていた時期があります。母親の育児休暇後の職場復帰が、年度途中だったので四月までは僕が昼間子どもを見ることにしたのです。昼間はよく寝ていましたから、なんとかなるだろう、研究や講義の準備もその間にできるだろう、と考えての決心でしたが、この考えが甘いことはすぐにわかりました。朝、何本か子ども向けの番組を見終わると、息子はたしかに寝てはくれるのですが、あろうことか僕まで眠くなり一緒に寝てしまうのです。僕が目を覚ますのは子どもが起きる時ということになり、結局、夕方まで子どもと同じペースで生活することになり、仕事どころではありませんでした。

 こんなふうに毎日を過ごしていましたが、大学に出講する日だけは誰かに見てもらわなければなりませんでした。そこで友人の短大の学生にベビーシッターをお願いしていました。彼女が初めて来た日、彼女が子どもが好きなことはすぐにわかりましたが、ふと不安になって、子どもを任せて出かける前にたずねました。

「ミルクを作ったこと、ありますか?」

「ありません」

「では、おむつを当てたことはありますか?」

「ありません」

「……」

それまでおむつを替えたことは一度もなく、それにもかかわらず、ベビーシッターをするというのは大胆だなと思いましたが(任せる方も大胆なのでしょうが)、考えてみれば、彼女は十八歳でしたし、不思議でも何でもないことに思い至りました。後に彼女は若くして結婚し子どもを産みましたが、この時の経験が生きた、と喜んでいました。何も知らなかったから、ベビーシッターの仕事を引き受けられたのであり、今だったら人の子どもを預かるなんてとんでもないと思っただろう、ともいっていました。

 その意味では僕も同じでした。育児についても知らないからこそ、一歳の息子と昼間一緒にいるという決心ができたのかもしれません。自動車の運転をするのであれば、免許をとらなければなりません。当然教習所にも通います。しかし、子どもが生まれても、この車の教習所に相当するものはありません。しかし、ないからといって、ことさらに誰もそのことを不思議には思いません。これは例えてみれば、盲腸の手術を受けたことがあるからといって、自分でも手術ができると考えるようなものではないか、と思うのです。僕も別に不思議に思っていませんでした。ただ、ベビーシッターをお願いした友人にミルクの作り方、おむつの当て方を知っているか、とたずねたことからわかるように、当時の僕は、それくらいのことを知っていればなんとかなると思っていたのでしょう。たしかに慣れないことではありましたが、ミルクを作ったり飲ませたり、また、離乳食を作ったり、おむつを代えたりすることは、すぐに僕でもできるようになりました。しかし、本当に知っている必要があることは、そういう知識ではなかったのです。

 僕の専門は哲学で、紀元前五世紀のギリシアの哲学者であるプラトンが書いたものを読みます。教育熱心な父親が、どうすれば子どもを優秀な子どもに育てることができるか、とソクラテスに助言を求める話などを読んでいると、今も昔も変らないものだと思わずにはいられません。だからこそ、二千五百年も前に書かれたものを読むことができるわけであり、古典から学ぶことができるわけです。

 昔から人間は、現代人と同様教育に関心があって、これまでにもう何千年と人類は子どもを育ててきたわけですから、その意味ではことさら肩に力を入れなくても子どもを育てることができると考えることもできます。しかし、それにしては人間はあまりに変わっていません。自然の歩みは緩慢ですが、あまりに緩慢であり、同じ誤りを人は繰り返してきたように思います。知識を伝えることはできても、人の「よさ」(それをプラトンは「徳」<アレテー>という言葉で呼んでいます)は教えられないのではないか、というのが、ギリシア人をとらえた疑問であり、この問をめぐって議論がなされてきました。

 話を元に戻すと、おむつの当て方はわかっても、例えば、子どもが夜泣きした時にはどうするか、とか、スーパーでおもちゃを求めて泣き叫んだ時はどうするか、といったことについては実はどうしていいかわからないのです。このようなことについては、僕もそうでしたが、多くの親が明快な方法論を持たないままに、自分の子どもの頃の記憶を頼りにしてなんとかその場限りの対処をしているように思います。

 他面、このような情報はないというよりは、氾濫しすぎているということもできます。ある人は、叱りなさい、ある人は、叱ってはいけない、ほめなさい、といいます。このような中にあってどうしていいかわからないまま、子どもに振り回されているのではないでしょうか。また、たとえ、育児の技術を知っていても、育児の本来の目標、あるいは、親と子どもとの関係などについて、誤った考えを持つことにより、育児の知識はあっても、結果的に子どもたちが親の思うようには育たないということもあります。しかし、そもそも親が子どもを育てると行うことは自明のことなのか。この点については後に話します。

 山本有三に『波』という小説があります。山本の比喩を借りると、打ち寄せる波のごとく昔からほとんど変わることなく、私たちは同じことを繰り返してきているように思います。なんとか誤りを繰り返さないですむことはできないものか、と後には思うようになりましたが、子どもとかかわり始めた最初の頃はそんなことを思う余裕すらなく、最初の数年が瞬く間に過ぎました。



愛だけでは十分ではない



 おそらく子どものことを愛していない親はいません。しかし、子どもを愛しているだけでは充分ではないと思います。子どもたちは、親のこのような気持ちとは裏腹に、自分のことを少しも愛してくれない、と不平、不満をいうことがあるからであり、ことに初め親の愛を独占していた第一子が、弟や妹の誕生とともにいわば王座から転落し、「弟、妹と、自分とではどちらが好きなの?」というような問いを親に突きつけ、親を驚かせてしまうということはよくあることです。「そうではないのだ、あなたのことも愛しているのだ」といってみても、現に子どもがそのように感じているとすれば、どうしたらいいでしょう?

 愛だけでは、子どもを育てることはできないのではないか、そういうことに次第に思い当たるようになりました。僕は、育児に技術がなければ、即ち、技術のない愛は無力であるということを息子が二歳の頃に実感し、以来、毎日子どもたちと接する中で、育児について学んできました。しかし、他方、育児が技術であるとしても愛のない技術は危険この上ないものです。子どもへの愛だけを強調する考えを僕は認めていません。



脱走事件



 息子が二歳のある日、突然、保育園からいなくなったのです。三時頃、保育園から電話がありました。「家に帰ってられませんか?」というその電話の意味を僕はすぐには理解できませんでした。まだ、足腰が強いとはいえなくて、子どもの足だと三十分以上かかる道を歩いて帰れるとはとても思えません。しかし、保育園からいなくなったということは、ひょっとしたら園の外に出て、家の方に向かっているかもしれないとわかった時は、顔から血の気が引くのがわかりました。僕も通っていた保育園であり、昔は木々に囲まれた自然に恵まれた保育園でしたが、移転してからは通園する道は交通量が激しく、途中には信号があるとはいえ大きな交差点もありましたから、もしもその道を歩いているとすれば、大変なことになると思いました。幸い、無事保護されたのですが、保護されたのは、保育園から数百メートルも離れたところにあるお弁当屋さんの前でした。途中、横断歩道を渡っていました。後になって「信号はわかったの?」とたずねると、彼は、「うん、大丈夫だった、青になったので渡った」と平然と答えました。保母さんは保育園の中を捜していたのですが、こんなに遠くまで歩いているとは考えなかったのでした。

 この時わからなかったのは、「なぜ」息子は保育園から出ていったのかということでした。ちょうど昼寝の時間が終わる時で、同級生のお母さんが迎えにくる時間でした。その後、予防接種を受けさせるためにいつもより早くきていたお母さんがいて、保母さんの説明では、「僕も〔受けなくては〕」といって、その後、ふいにいなくなったというようなことでした。このような大きな出来事ではなくても、親にしてみれば、「なぜ」この子どもがこんなことをするのか理解できないということは、しばしばあります。「なぜ」という問いの意味、その問いによって本来求められているいる答えは何か、これについては後に話します。

 それまで別に育児のことで困っていたわけではありません。たしかに保育園に子どもを預けることができず、一歳になったばかりの息子を昼間ずっと見ていた時は大変だったことは既に話しました。

 天気の悪い日は家の中にいますが、晴れた日にはこんなふうに家に閉じこもってテレビばかり見ていてはいけないと自転車で公園まで行ったりしました。不思議なことに、公園で子どもの姿を見かけませんでした。かえってこんな時間に子どもを乗せて何をしているのかというような奇異の視線にさらされながら過ごしたものです。

 たしかに子どもはかわいく、成長も日を追ってわかるのですが、毎日が子どもと一緒に遊んで疲れ一緒に眠るということの繰り返しになると、精神的にかなりまいってしまいました。社会から隔絶されているような気がし、早く常勤の仕事に就きたいと焦りを感じたものです。

 結婚して子どもができた主婦が、子どもが生まれてからは、マンションからあまり外に出ることもなく、夜になると若い時に遊んだ街の明かりを見ては涙を流した、という話をいつか新聞で読んで、身につまされたものです。

 やがてこのような状況を脱し、保育園に預かってもらえるようになりました。この頃困ったことといえば、家に帰ってから、ぐずって寝た後に大泣きして起きるというようなことでした。環境が変わったことが太一にはショックなのかもしれない、と保育園の連絡帳に書いたことがあります。

 また、保育園で子どもと別れようとした時に、へばりついて困ったことがありました。僕の家は、近所に家がほとんどなく、遊ぶ友だちもなく、保育園にいく前は昼間は僕とだけ接しているという生活でしたから、このように社会性に欠けていることが、保育園で僕から離れようとしないことの原因ではないか、と考えていましたが、今はこれとはまったく違ったふうに考えるようになりました。このことについては、後に触れます。



アドラー心理学との出会い



 話は前後しますが、息子がまだ保育園にいく前、パソコン通信のNIFTY SERVEの外国語フォーラムのシスオペに就任しました。その後、四年半、この仕事を続けることになりましたが、この仕事を始めたことがきっかけとなって僕の人生をすっかり変える出会いを経験しました。精神科医の野田俊作との出会いです。最初の一年は電子メールのやりとりをしていただけで、野田が精神科医であること、日本アドラー心理学会の会長であることも、僕の関心を引くことはほとんどありませんでした。しばらくして野田が著書を出版しました(『アドラー心理学トーキングセミナー』星雲社)。サイン入りの本をもらったのに、その頃は、心理学に偏見を持っていたのと、哲学に誇りを持っていたので、あまり僕の関心を引かなかったというのが正直なところです。

 ところが、息子の保育園脱走事件がきっかけになって、野田の本を読み始めたところ、おもしろくて、どうしてこの本をもっと早く読まなかったのかと悔やみました。ものごとには時期というものがあるのでしょう。

 野田が会長を務めていた学会の名前にある「アドラー心理学」というのは、オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラー(一八七〇−一九三七)の創始した心理学です。もとよりアドラー自身が、アドラー心理学と呼んでいたわけではなく個人心理学(individual psychology)と呼んでいました。ウィーンの精神分析学会の会長まで務めたにもかかわらず、学説の違いを理由にフロイトのもとを去りました。アドラーが打ちたてたこの理論体系である個人心理学は、創始者の名前を冠してアドラー心理学と呼ばれるようになりました。アドラーは一度もフロイトの弟子でありません。晩年活動の拠点をアメリカに移してから、アメリカのマスコミが時にアドラーはフロイトの弟子だったというような報道をすると、いつも怒っていたといわれています。それほどまでにフロイトとの考えの違いは顕著なものです。

 僕が子どものことをきっかけに学んだのは、このアドラー心理学に基づく育児理論でした。息子がもう少しで三歳になろうとしていた二歳の時です。それ以前とその後では子どもとの接し方は大きく変わることになりました。

 一番、大きな変化は、実はこれは自分では気づかなかったことなのですが、感情的になることが少なくなったということです。僕は子どもを叱ったりしないと思っていたのですが、ある日息子が年長組の時、遊びにきていた子どもと友だちの会話を聞いてしまいました。

「○○○のお父さんって、叱らないの?」

「うん、昔はな」

 たしかに、保育園の連絡帳を読み返すと、本に触るな、とか、書斎に入るな、とか、叱ると泣き叫ぶ、と連絡帳に書いてありました。これは今の僕には意外な気がしますが、息子が指摘したようによく叱っていたのでしょう。



愛情不足なのか?



 妹が生まれたのは、息子が四歳の時でした。

 その年、保育園で太一が話を聞かないということが個人懇談の時の話題になりました。「運動能力が他の子どもと比べて劣っていますね。もう長いこと保育園にきているから当然できると思っていました。高いところから飛び降りようとしませんし、外に歩きに行ってもすぐ根をあげてしまいます。」

「そうですか。僕と一緒に出かける時はよく歩きますし、この間も保育園の帰りに、こんな高いところから飛びおりられるようになったと僕の背くらいのところから飛び降りてみせてくれましたけどねえ」

(先生の表情が険しくなったのに気がついたので、口をつぐみました)

「はいはいする時期が短かったのではありませんか? そういう子どもは足腰が弱いといわれています」

「いえ、そんなことはないと思いますが」

「私が話をしても、じっとすわってられずに、すぐにそわそわするのです。集中力がありません…で、家でも協力してほしいのです」

「何をすればいいのでしょう?」

「息子さんは、下に妹さんが生まれて今すごく不安定なのです。甘えたいという気持ちがあるのではありませんか?」

「さあ、どうでしょうね」

「抱っこしたりします?」

「?」

(息子が妹を抱っこすることがあるかという質問かと思ったので、すぐに答えられませんでした)

「家で息子さんを抱っこします?」

「えっ!…抱っこねえ…」

「抱っこしてあげてください」

それくらいのことなら別にむずかしいことでもないか、と思っていたら大急ぎで付け加えられました。

「あ、お父さんではだめですよ。お母さんでなくては。子どもが中学校に行くまでは抱きしめてあげなければいけません」

「気持ち悪いですねえ」

「そう思ってはいけないのです」

「抱っこしなかったら、どうなるのですか?」

「愛情が不足して、子どもは登校拒否をするようになります。あ、いえ…必ずそうなるというわけではありませんが」

「それは大変ですねえ」

「息子さんを大人として扱ってられませんか?」

「対等の人間という意味でなら、そうですが…」

「……家で愛情を受けている子どもは保育園にきても、私のところにきて私を抱きしめてくれますよ」

 先生がここでいわれるように、親の(しかも父親ではなくて母親の)愛情不足が子どもの問題行動の原因であるとはよくいわれることです。こんなふうにいわれると多くの親が困ってしまうでしょう。むしろ、そう考えてはいけないのではないかと思います。子どもが幼い頃、毎日僕が保育園の送り迎えをしていましたから、よく父子家庭だと思われたことがあります。わけがあって父親と暮らしている子どもは問題を起こすとでもいうのでしょうか?

 僕はこれ以上反論する気にもならず、この後はただ先生の話を聞いていました。保育園でこのような話を親にすることは罪深いと思います。親は昼間働いているので、子どもと接する時間が多くないと感じているのですから、外で働き保育園に子どもを預けていると、愛情が不足して子どもが問題行動を起こすようになると脅かされている気がします。 

 たしかに、妹の誕生は第一子にとっては、心穏やかではないでしょう。それまで親の注目を独占していたのに、突然、親の関心が下の子どもへと移ってしまいます。そのために、この先生が考えるように、息子が精神的に不安定になったということは、考えられることではあります。妹が生まれた時、一週間ほど入院していましたが、子どもを病院に連れてきては行けないといわれ、しばらく母親と接することができませんでした。そこで僕は息子とできるだけ一緒にいるようにしましたし、妹が生まれたのは三月の終わりでしたが、五月の連休には二人であちらこちら出かけたりもしました。そのようなことを思い出すと、愛情不足であるといわれることは心外でした。

 懇談会があった夜、息子は僕にたずねました。先生とどんな話をしてきたか全部教えてほしい、というのです。今、思うと、どんな話を先生がするか、わかっていたのだろうと思います。ですから、正直に全部話せばよかったと思いますが、その時は話せませんでした。息子の言葉は、保育園での自分の行動に自分で答えを出しています。

「あのね、運動をあまり一生懸命しないって…」

少し黙った後、こういいました。

「……それはなあ、先生がちゃんと〔僕のことを〕見てないからや」

 彼は何をいおうとしているのでしょうか?



小学校入学



 第一子は何をするのも初めてです。親も同じです。息子が小学校に入学することになりました。僕が通ったのと同じ小学校でしたから、その点では安心といえば安心でしたし、僕とは違って保育園にも長く通っていましたから、学校での対人関係については何も心配していませんでしたが、通学途上に信号のない見通しの悪い三叉路があり、ここを一人で渡れるのか心配でした。ところが、かなり遠回りになるのですが、その三叉路を渡らずにすむ通学路が学校から指定されました。それはそれで遠くて、子どもの足では三十分はかかることが気がかりでしたが、信号があるので安心しました。

 小学校の入学式の前の日、通学路の探索をしました。夜、息子は家から学校までの地図を書きました。その地図は完璧なもので、途中、目印になる建物などもちゃんと書き込んでありました。さすがに二歳の時に、家に帰ろうとしていただけのことはあります。

 いつもは夜が遅い息子も八時になったことを時計で知ると、「大変だ、早く寝なくては。明日は入学式だ」と寝間着に着替えました。しかし、興奮していたようで、なかなかうまく寝つけなかったようです。

 こうして入学式を終え、毎日、張り切って元気に通うようになりました。この頃は、僕も忙しくなり、家にはなかなか昼間いられないことになり、帰ってきても誰もいません。当然、五時までの学童保育ということも考えましたが、それには行かないと拒否しました。そこで落とさないように首から鍵をぶら下げて、大きなランドセルを背負って、集団登校の集合場所まで全速力で走っていくようになりました。それまで五年間雨の日も風の日も、毎日、自転車で保育園に送り迎えしてきましたから、四月から一人で学校に行き、また一人で帰ってきてくれるので本当に助かりました。

 二週間ほど経ったところで、通学路が変更になってしまいました。それまでの道よりも、近くなったのはよかったのですが、問題の三叉路を通らないといけないことになったのです。朝は集団登校なので問題はないのですが、帰りは一人なのでどうしたものかと相談したところ、慎重な太一は、信号のある道を横断するために遠回りをしてもよい、というので、先生の許可も得て、大きく迂回して毎日帰ることになりました。信号がないからといって道を一人で渡れないようでは困るのですが、僕が昔、そこで交通事故にあっていることもあって、心配でならなかったのです。

 ところが、ずっと回り道をして帰ってきていると思って安心していたある日、たまたま仕事から帰る時、学校から帰る息子の姿を見かけてしまいました。二月ほど経った頃だったでしょうか、もう回り道をしていないで、信号のない三叉路を平気で横断していたのです。

「どうしてこっちから帰っているの?」

とたずねると、その問いには直接は答えず、

「もう前からここから帰ってるよ」

という答が返ってきました。心配した分、損をしたような気持ちでした。

 四年後、娘が小学校に入学した時も同じ問題が起こりました。娘は学童保育に行くといいました。保育園の頃からの友だちと一緒になれるからです。そこで兄が迎えにくるまで待ち、一緒に帰ります。学童保育をしている教室まで迎えにいくのではないようで、時間を決めて待ちあわせしてるようです。「じゃあ、いつもの木のところで待ってろよ」「うん、わかった」という二人の会話を聞いたことがあります。こうして一緒に帰るわけですから、娘は依存的になり、一人では帰れないことになりました。頼る人がいない方が自立できるわけです。

 一緒に帰ることを息子がいやがっているかといえば、そうではないようで、ある日、昼から出勤する日があったのですが、ちょうど家に帰ろうとする二人に会いました。遠くから僕に気づいた二人は走ってきました。その日は、風のきつい寒い日でした。半袖、半ズボンで一年中過ごしていましたが、四年生の冬からジャンバーを着るようになりました。その時は自分が着ているジャンバーを脱いで妹に着せ、肩を抱いて歩いていました。家にいると、激しい喧嘩をすることもある二人が外では仲がいいのです。

 同じきょうだいで、一方は早くから通学するのも一人で留守番をするのも平気なのに、もう一方は一人では帰れず、一人では留守番をしたくないという違いがどこから生じてくるのでしょう? 一人でいられないわけではもちろんありませんが、ある日、兄が帰ってからさっさと友だちの家に遊びに行ったらしく、母親が帰った時、泣いていたそうです。僕も娘が泣いているのを見たことがあります。その日は一緒に帰れなかったので、一人で帰ってきていました。一人で帰れないわけではないのです。僕は時間的にはさやが帰ってほどなく帰ったはずです。驚いたことに、玄関で戸を開けてすわり込み、泣きはらしていました。



宿題をしなくなった息子



 小学校二年生の時、突然、宿題をしなくなったことがありました。家に帰ってもランドセルを開けようともしません。五月の家庭訪問の時も、このことが話題になりました。担任の先生は、どうやら家での様子を聞きたいようで、その上、宿題をするよう子どもに指導してほしい、宿題をするのを見届けてほしい、といわれました。しかし、僕はそれを断りました。さらに、

「先生が家庭での協力を求められるのはわかりますし、必要なのかもしれません。しかし実際問題として家庭に問題をふっても、家庭環境を変えることは困難なことです。宿題を見ることが困難な家庭もあるでしょう。先生によっては性格の問題だと考える人もあります。でももしも彼が怠け者だとして、そういう性格だから宿題をしないと考えるのであれば、先生としてはできることがなくなる、あるいは、そうでなくても、性格を変えるということは不可能ではないとしても、かなり大変なことをしなければならないことになると思います」

と話しました。

 この家庭訪問に先だって授業参観に行った日のことを話しました。黒板に「○月×日 □□(息子の名前)さんすう」と書いてありました。その下には、「○月△日 □□こくご」と書いてあります。上から下までほとんどが息子の名前で、他の子どもの名前はその間に混じって少しだけ書いてありました。

「この間、授業参観に行ったときに、黒板に息子の名前がたくさん書いてありましたね。あれはどういうわけで…」

「あ、あれは私が忘れないためになのです。宿題の忘れ物があれほど多いと、誰が何の宿題を忘れたのか、私自身も覚えられなくて、それで黒板に書いておくのです…」

 考えてみれば、もしも先生のいわれる目的のためであれば、別に自分のノートにメモをしてもいいのではないかと思うのです。それなのに、黒板に名前を書くとどうなるか?

 先生には何もいう必要はありませんでした。次の日息子に話をされたようなのです。すると、それまでまったく宿題をしなかったのにランドセルを開けて宿題をし始めたのでした。



注目を引く



 一体何があったのでしょうか? 子どもが宿題をしないことをどういうふうに理解すればいいのでしょうか? また、保育園で先生の話を聞かないことをどう理解すればいいのでしょうか?

 性格の問題と考えることも、家庭の問題と考えることも、ただちには問題の解決につながるとは思えません。性格を変えることは、不可能ではないにしても大変なことですし、家族背景を変えるとなるとそれぞれの家庭の事情があるわけですから、不可能に近いのではないかと思います。小学校の先生にいいました。

「先生、どう思われますか? こんなふうに考えると、彼が宿題をしないことに対して先生は事実上できることは何一つなくなってしまうと思うのです。それでもいいでしょうか…?」

 保母さんには息子が先生の話を聞かなかったらどう感じるかとたずねました。

「先生はそういう時、どう感じられますか?」

「いらいらします」

「それで?」

「叱ります。『ちゃんと聞いているの?』って。ちゃんと話を聞いてくれる子どもたちは、私の前にきてすわってくれるのですが、何人かの子どもたちは(この中に息子も入っている、というか首謀者か)教室のまわりの方にすわります。目立つのです。たまにだったらいいのですけど、<いつも>そうなのですよ。もう長いこと保育園にきているのにこうなのだから、〔集中力が〕身についてないのです。私としては見逃すことができません」

 息子がヒントを出しています。彼は先生が自分のことをちゃんと見ていない、といっています。たしかに先生がいわれるように、話を聞いていないこともあるでしょう。しかし、<いつも>先生の話を聞いているわけではないと思うのです。

 ある日、こんなことがあったと、夕食の時に話してくれました。保育園の時の話ですが、お誕生会があって、その後近くの公園にみんなで遊びに行くことになっていたのだそうです。ところが、彼がいうには、

「僕たちはちゃんとしていたのに、行く時になってちゃんとできなかった人がいて、結局、僕たちは遊びに行けなかった」

ということでした。

「ちゃんとしていた人だけが行って、後の人は留守番してもらっていたらよかったのだろうね」

「うん、先生な、それで、そんなにいうこと聞けないのだったら、行かなくてもいい、留守番していなさい、って」

 先のケースでは、息子の方が「ちゃんとできなかった」方なのですが、息子の行動をどういうふうに理解すればいいでしょうか?

 こんなふうに考えてみます。日本語には「人間」という言葉があります。「人」という言葉に「間」という言葉がついた「人間」はただの「人」とは違って、人は初めから人間関係の中にあるということを意味しています。人とは区別した意味で人間に相当する言葉を持っている言語は、日本語の他にはあまりないようです。

 たしかに、私たちは一人で生きているわけではなく、他の人の<間>で生きています。私たちがしたり、いったりすることには、いつも相手がいます。このように、言動が向けられる相手のことを「相手役」といいます。そして、その相手役から何らかの応答を引き出したいと考えています。私たちの言動には、このような意味で、対人関係的な目的があると考えることができます。

 人から何も関心を示してもらえないことほど嫌なことはなく、無視されることは人の存在価値を脅かすものです。もしも無視されたら、自分の存在をアピールするために、例えば、大きな声を出したり、いたずらをしたり、何かまわりの人が放っておけないようなことをするのではないでしょうか? このように人は無視されるよりも、何らかの仕方で注目を得ることを求めます。人は自分が属しているあらゆる集団で、無視されることがないように、自分がいるということを主張するという目的のために、さまざまな手を使うことになるのです。

 息子もおそらくは静かに話を聞いていたこともあったのだと思います。しかし、その時、先生は注目されなかったのでしょう。「それはなあ、先生がちゃんと見たはらへんのや」と彼はいっています。注目されないがゆえに、何とかして、先生の注目を引こうとしたのです。

 また、宿題をしなかった息子は、宿題をしないことで先生からも同級生からも注目を得ることに成功しました。先生は黒板に名前を書くことで注目し、また、同級生は彼を英雄視していたからです。僕も私も宿題を忘れた、でも彼ほどではない、なぜなら、彼はあんなにたくさん宿題を忘れているのだから…宿題を忘れることは別にたいしたことではないのだ、と。…このような状況にあって、即ち、注目されるという状況にあって息子が宿題をしないことを選ぶか、それとも、先生にいわれるように、宿題をすることを選ぶかは、自明のことだと思います。

 彼は先生との関係の中で、宿題をしないと決心したのだと思います。そう考えた方が、先生にはできることがあると考えることができます。性格や家庭環境に、子どもの問題行動の原因を求めることは、結局のところ、責任は自分にはない、他の人に問題を解決してほしいというのと同じことなのです。



保育園で泣く子ども



 保育園では、送りにきた親が帰ろうとすると激しく泣くが、いなくなるとすぐに泣きやむ子どもがいることはよく知られています。

 娘は、二歳児のクラスになった途端、毎日保育園に着くと泣いていました。朝起きた時は機嫌はよく起きた時にすでに早く出ていて、母親がいないことがあっても平気で自転車にもご機嫌で乗るのですが、保育園の部屋の前に着いた途端、「うぇーん」と泣き出すのです。毎日これを繰り返しました。両隣のクラスの先生が、前年娘の担任だったので、その先生の顔を見たらぴたりと泣くのをやめたりします。

 「こんなふうに泣いている時は、注目をしないで、機嫌のいい時に関わるようにすればいいと思いますよ」と保母さんに話したところ(このことの意味については、後で話します)、「今のような不安定な時期は、抱きしめてあげなければいけませんよ」といいかえされました。不安定な時期とは、クラスと保母さんと友だちが変わったことを指すのか、ひょっとして、母親と離れて保育園にいることを指しているのかは定かではありませんが。

 この点について、家庭訪問の時に保母さんと話をしていたら、子どもが泣いている時、実は顔を覆っている手の隙間から保母さんの様子をうかがっていることに気づいてられました。

 息子も二歳の時、「時々、保母の様子をうかがうように、目を薄く開いて泣いていました。なかなか賢いですね」と連絡帳に書いてあったことがありました。

 娘は一歳になっていよいよ保育園に入園という四月、水疱瘡になりました。入園式にも行けず、やっと登園した日は慣らし保育が終わり、いよいよ延長保育が始まる日でした。保母さんの方が困っていた様子でした。僕はこういいました。

「おそらく僕の姿が見えなくなると泣くと思います。でもきっと三十秒で泣き止みますから」

 その日遅く保育園に娘を迎えに行くと、朝、話をした保母さんに会いました。

「泣きましたよ。でもお父さんがいってられたのとは違って…時間を計っていたのですけど…二十秒で泣き止みました」

もしも保母さんが今日が初めてなんだと身構えていたら、違ったふうになっていたかもしれません。

 新聞に保母さんの初めて四歳児を担当した時のことを書いた投書がありました。その日は一人が泣き出すと他の子どもたちも連鎖反応で泣き出した、本当に泣きたいのは私だった、子どもは母親と一緒にいるのが一番、という内容でした。保母さんがこんなふうに書かれると困ってしまいます。



なぜ不適切な行動は続くのか?



 ある年の入園式で(入園式には毎年出ないといけませんでした)保母さんはこんな話をされました。

「口をすっぱくして毎年いっていることですが、守れないことが三つあります。その一つは九時登園。これを守ってもらえないとなぜ困るかというと、給食の数を決めないといけないので、遅れてくる子があると、一つや二つくらいならなんとかなりますが、それ以上になると後で調整ができないので、とても困ります。それに、遅れて登園する子どもは十分遊べないのです。朝の挨拶の時、(毎朝九時半頃にあります)にくると、恥ずかしいので席に着けなくて、それに他の子どもたちに『遅いなあ』といわれ、例えばその日西山(子どもたちがよく登る山)に登るのに九時五十分に登ることになっても、その子が用意できるのを待っていなければならないのです。『子どもが九時になってもテレビを見ていて遅れるんです』といわれる方がありますが、中学生や高校生ならともかく、保育園の子どもなら力ずくで引っ張ってくることだってできるはずです。子どもが遅刻をするのは親の責任です」

 「力ずくで」子どもを遅刻しないように保育園に連れてくるようにといっても、僕のように自転車で送り迎えをしていると、実際にはできないことです。車だったら泣こうが叫ぼうが、車まで抱きかかえてでも運び入れることができるのに、と思ったことはよくありました。しかし、自転車ですから、息子はよく自転車から落ちそうになるほど身体をそらせて抵抗し、途中で自転車を放置して歩いていったこともありました。

 保母さんの話から遅刻する子どもが一人や二人でないのは明らかですが、この時念頭にあったのはある特定の子どもであったように思います。というのは、「この子のビデオをとっておきたい」とのことだったので、常習の子どもがいるのだと思います。この子は遅くきた時、「恥ずかしそうにする」ということでしたが、さっさと席に着くよりも、自分の持ち物置き場のところでうずくまっている方が、先生と他の友だちの注目を引くことができることを知っているのではないかと思うのです。

 先に見たように、四歳の時の保母さんは放っておけず、叱るということでした。小学校の先生は、いわば見せしめという形で宿題を忘れないように試みました。しかし、いずれの対応も注目を引くことになり、息子の先生の話を聞かないとか宿題をしないという行動を止めさせるどころか、かえって続けさせることになりました。入園式での保母さんは「口をすっぱくして」毎年同じことを話しました。叱っているのに、とか、口をすっぱくしているのに、といわれることがあります。しかし、実際には、叱っているからこそ、あるいは、口をすっぱくしていっているからこそ、子どもは問題行動を止めようとはしないのです。

 既に見たように、無視されるくらいならまわりの人を困らせるような行動をしてまでも注目を引こうと、せめて叱られようと思うので、叱られたら叱られるほど、あるいは、他のどんな形であれ注目を得られたら、そのような行動をやめることはないわけです。

 僕は講演をしたり講義をするのでよくわかるのですが、もしも誰も話を聞かずに、寝ているとか、隣の人とおしゃべりを始められたら、すぐに話をするのが嫌になるでしょう。そして、聞いてくれないのであれば、「もういい」と話をやめてしまうかもしれません。また、大きな声を出して注目を引こうとするでしょう。実際には、こんなことはあまりなかったのですが、ある講演の時、聞いている人がフランス料理を食べている前で講師の僕が話をするということがありました。さすがにこの時は僕の方に注目がこなくて、困ってしまいました。無視されるくらいなら、何らかの形で注目を得よう、ゼロよりはマイナスの方がましと考える子どもの心理がわかりました。

 話をしているときに相手が聞いてくれないというようなことから、たしかに人が注目されることを求めているということはよくわかります。しかし、もしもいかなる場合も注目を得られなければ満足できないと考える人がいるとすれば、それはそれで困ったことです。このことについては後で問題にします。



愛は必要か?



 人間の行動には目的があって、それは対人関係的な目的であるといいました。人間の行動に原因がないといっているのではありません。しかし、行動の目的を考えることで初めて問題解決の糸口を見つけることができるといいたいのです。。

 このように行動の原因ではなく目的を考えていくことの一つの利点は、問題行動の原因を求めて過去に溯る必要がないということです。乳児期の母子関係がすべてを決定するというような考えはよく知られていますが、もしそのことが本当だとしても、タイムマシーンがあるわけではありませんから、スキンシップや愛情が足りなかったとされる二歳とか三歳まで戻ることはできないのです。なのに「もう一度、赤ちゃんから始めようなどといって、子どもを抱きしめなさいとか、一緒に寝てあげなさいと、小学生や中学生の親に助言する人は多いようです。

 子どもを抱きしめたらそれで何もかも問題が解決するのではありません。あるいは、口であなたのことを愛しているというようなことをいっても、それだけでは何も始まりません。愛という感情が原因となって、自動的にいい対人関係ができるのではなく、いい対人関係の結果として愛という感情が生じるのです。ですから、愛の問題を扱う場合も、愛しなさい、あるいは、抱きしめなさいというようなスローガンを繰り返すのではなく、対人関係の問題として具体的にどんなふうにかかわるかを知らなければなりません。

 このことと関連していうと、今日愛情不足の子どもに会うことはめったにありません。おそらく、子どものことを愛していない親はいないでしょう。しかし、愛されているにもかかわらず、親の気持ちとは裏腹に、もっと愛してほしいと願う愛情飢餓の子どもは多いのです。親の方についていえば、愛情過多の過干渉な親が多いように思います。

 娘が生まれた時に、息子は精神的に不安定であると保母さんにいわれました。たしかに、最初の数年間、親の愛を独占してきた第一子にとって弟や妹の誕生はうれしくないことかも知れません。上の子どもを生れたばかりの子どもと同じように愛しているといってみても、実際問題として下の子どもに手がかかってしまいます。息子も最初混乱の時期がありました。それまで何でも自分でできたのに、できないといって邪魔をしました。そういう時に、感情的になっているとは自分では思わなかったのですが、彼は、「どうしてお父さんは妹にはやさしく、僕には恐いの?」などと聞くことがありましたから、きっと恐い顔をしていたのでしょう。

 子どもの誤解を解くためにはどうしたらいいでしょう? この親は、私のことを他のきょうだいと同じように愛してくれているのだと子どもがわかった時、親子ゲームは終わりを告げます。しかし、そのためにしなければならないことがあります。



注目しない



 そこで、子どもが親の注目を引くことを目的としている行動には一切注目しないことにします。それまでのやり方でうまくいかないのであれば、やり方が徹底していないのではなく(つまり、例えば、もっと叱ればよいというのではなく)、方法そのものが誤っていると考えるほうが論理的でしょう。

 息子が二歳の時、保育園から親子遠足に行った時のこと、バスで目的地についてから皆で歩き出すのですが、歩くことを拒否したことがありました。このような場合、一つの方法として考えられるのは、子どものこのような行動には注目しないということです。ここで子どもの行動に注目すると、最初はいらいらくらいですむかもしれませんが、ついには子どもとに対して本気で腹を立て、子どもとの権力闘争に巻き込まれることになってしまいます。自分か子どもかどちらが上なのか、はっきりさせようというわけです。親も同じように自分が子どもよりも上であることを明らかにしようと思います。

 このような場合、親が喧嘩に負けても、逆に、勝っても困ったことになります。なぜなら、子どもたちは大人との喧嘩に負けると、もはや表には出てこないで、裏にまわって親に復讐を試みるようになるからです。息子がまだよくトイレに失敗していた頃、僕はよく怒っていたのでしょう。ある日、廊下におしっこが撒き散らされていました。さすがにこれを見た時は、腹が立つというよりはいやな気分になりました。こういうのが復讐です。

 さて、親子遠足の時僕は息子には注目しなかったにもかかわらず、動こうとしません。僕が困っているとそこへ担任の保母さんがきて、「あれ、どうしたの?」と、ひょいと抱きあげ、またすぐに降ろすと、息子は何ごともなかったように歩き出したのです。今から思えば、注目しないと決心したとたん、かえってそのことが注目するという結果になったようで、「自分で歩く、歩かない」ということをめぐって、息子と権力闘争をしていたのでしょう。



毅然とした態度



 講義をするために何度か富山に行ったことがあります。いつもは、雷鳥号に乗るのですが、ある時、白鳥号に乗っていきました。これは大阪発、青森行きの特急です。雷鳥号だと富山が終点なので安心なのですが、白鳥は青森まで行くので、寝過ごしてしまったらどうしよう、とやや緊張していましたが、講義の準備をするうちにいつのまにか眠り込んでしまいました。

 眠りに落ちて間もなく、急にまわりが騒がしくなりました。見ると、途中の駅で、中年の男性が乗り込んできていました。指定席なのに、一つの席にすわったかと思うと、また別の席に移っていきます。困ったことになった、と思っていたところ、しばらくして、車掌さんが切符を見にきました。無賃乗車だったのです。そのことは、まわりの乗客にもわかっていたのですが、僕はめんどうなことにはかかわりたくないと知らぬふりをしていました。

「〔切符を拝見していないのは〕あなただけです。他の人の切符は拝見しました。他の乗客の皆さんの迷惑になります。私はこの列車の責任者です。降りてください」

 まわりの乗客は固唾を飲んでこの二人のやり取りを見ていました。降りるようにといわれて、今にも殴りかかりそうな様子でした。結局、その男性は、高岡駅で不満そうに降りて行きました。この時の車掌さんの態度は、少しも威圧的ではありませんでした。その態度は毅然としたもので、勇敢に対処する姿は乗客の心を打ちました。「私はこの列車の責任者です」という言葉に権威を振りかざすという響きはなく、威圧的な態度と毅然とした態度は違うものであることに思い至りました。



威圧的な態度との違い



 ある人の態度が威圧的なものか、あるいは、毅然としたものなのかは何によって判断できるでしょうか?

 威圧的な態度ですと、当人だけではなくて、まわりの人も怒られているような気になります。今の場合は、実際には誰も何もできませんでしたが、車掌さんを応援しようという気持ちでした。無賃乗車のおじさんと一緒になって怒られているという気はしませんでした。ですから、もしもこの二人のやりとりの途中に乗客の誰かが、他の用事で車掌さんに話しかけていたとしたら、きっと車掌さんは、おそらくはいつもそうであるように、にこやかにその人に話しかけたのではないかと想像するのです。威圧的な人は、まわりの人に対しても威圧的であることが多いのではないか、と思います。自分が怒られているのではないのはわかっていても、怒りの矛先が自分の方にまで向けられるのではないかと思って、そのような人には近づかないでおこう、かかわりを持たないでおこうと僕などは思ってしまいます。

 しかし、これが思春期の子どもだと少し事情が変ってくるかもしれません。高校生の頃、ある日、担任の先生が何かのことで(今となっては覚えていませんが)ひどく怒って、授業をつぶして一時間中説教をしたことがありました。反省どころか、僕たちは、こっそりと互いに目配せして笑っていました。それに気づいた先生は、当然、ますます怒りましたが…次の日、あれだけ叱ったから、君たちが学校を止めるといい出すのではないかと怖れた、と先生が話された時には、苦笑していました。

 まわりの人が怖れて萎縮しているか、あるいは、笑っていたりしたら、きっと威圧的な態度を自分が取っていると判断できるのではないでしょうか?

 子どもの行動に対処する時も、このように毅然とした態度で接しなければなりません。注目しないつもりでも、知らない間に、威圧的な態度を取っているということはよくあることです。



勇気づけ



 まわりの人がいらいらしたり、あるいは場合によっては本気で腹を立ててしまうような行動に対しては注目をしないでおきます。しかし、これだけでは実は事態はまったく変わらないか、あるいは以前よりも悪化してしまうことがあります。なぜなら、それまではせめて叱られていたのに、そういう形での注目すらなくなってしまえば、子どもはたちまちパニックに陥ってしまうからです。

 ですから、このような行動には注目しない一方で、適切な行動には注目したいのです。そうすれば、適切な行動をすれば認められると感じることができた子どもは、やがて、適切な行動をしてまで、そしてその結果、親から叱られるようなことをわざわざしなくてもいいことを、やがて学ぶようになります。

 しかし、ここで注目するということは、「ほめる」ことではありません。私は子どもを罰したり叱ったりしていません、ほめていますといわれる方は多いのです。しかし、ほめるとはどういうことでしょうか?

 たとえば、夕食を用意します。家族が帰ってきて、一口口にしてこういったとします。「おいしいね。おまえもやればできるじゃないか。すごいね。よくできました。パチパチパチ」かなり誇張していますが、こんなふうにいわれたら普通の言語感覚を持っている人はあまり愉快ではないと思うでしょう。しかし、これこそがまさに「ほめる」ということです。子どもに対してはこのような言い方をしています。しかし同じことを子どもからいわれたら腹が立ちます。「お母さんだってやればできるじゃないか」と。このようなことは言葉じりの問題だといわれるかもしれません。しかし、このようにいえるということは、相手との対人関係の構えが基本的に縦関係であることを表しています。ほめるというのは、能力がある人がそうでない人に、あなたは<よい>と相手を判断、評価する、上から下へと向かっていう言葉であり、その時の人間関係の構えは縦関係なのです。

 このような話を聞いたある人が、その時いあわせた小さな子どもに「おりこうさんやねえ」と声をかけました。ほら、そういうのがほめるということなのですよ、と指摘すると、その人は「よそのお子さんはほめてもいいのでしょう?」といわれるので驚きました。「僕だったら、うちの子どものことをあなたに評価されたくはありません、というでしょう」と答えました。

 その人はさらに「では何歳の子どもならほめてもいいのですか?」とたずねました。「年は関係ありません。何歳の子どもであっても対等なのですから、その人に向かって上から下に向かっていう言葉であるほめることは断じてできないのです」と僕は答えました。

 子どもに対してだけではなく、お年寄りにも、上から下へ声をかけることがあります。ある日、いつもよりも遅く娘と保育園に行った時、いつもは聞いたことがない放送を耳にしました。保母さんの一人が毎朝お父さんと朝一緒に来ていました。一時間ほどすると老人のデイケアのバスが迎えに来るのですが、それまで一人で家で待ってもらうわけにはいかず、保育園でその間待ってもらっていたわけです。その日、娘を送って保育園に着いた時、迎えのバスが到着しました。こんな放送が流れました。「おじいちゃん、出てらっしゃい…バスが来ているわよ。どこにいるの…」どうしてこういう言い方ができるのでしょうか?

 母が入院した時、看護婦さんの一人がこんなふうに話しかけたのを覚えています。母は脳梗塞で入院したのですが、肺炎を併発した直後、その看護婦さんは大きな声で母の名前を呼んで、「うん、わかっていることはわかっているのね」という言葉を聞き、あまりいい気持ちがしませんでした。

 ほめることは縦の対人関係を前提にしますが、それに対して、横の関係を前提とする「勇気づけ」をアドラー心理学は提案します。よい対人関係とは、横の関係であり、言い換えれば、勇気づけしあえる関係であると考えるのです。



「ありがとう」



 勇気づけの基本は、自分の気持ちをいうことです。ともすれば問題と感じる言動に対してだけ声をかけがちです。しかし、既に見たように、そのような言動には声をかけず注目しないで、そのかわり当たり前だと思って見逃しがちなことに声をかけます。まずは、「ありがとう」「うれしい」「助かった」という言葉をかけることから始めることができます。

 小学校の入学式の前の日、通学路の探索をした後、昼から、息子と一緒にその頃勤めていた職場へ行きました。ちょうどアートセラピーをしていたので、彼も飛び入りで参加しました。貼り絵を一生懸命していました。人の絵を描く時、頭ではなく、足から描き始めるのを見て、おもしろいと思いました。初めての父の仕事場で、楽しいひとときを過ごすことができました。夜、一緒に大阪まで行けたことがうれしかったので、「今日は一緒に会社までいってくれてありがとう」というと、「うん、僕の方こそ、ありがとう」と返事が返ってきたので驚きました。ちょっとあらたまった感じですが、なかなかいいでしょう?

 親がこのような言葉を使っていると、子どもも自然に真似るようになるようです。そうでないこともありますが、しかし、少なくともモデル(不完全なモデル)がいないと、子どもがこのような言葉を使うことはないのではないかと思います。そのうち、大人よりも上手に勇気づけの言葉をかけるようになります。

 娘が一歳になって保育園に入って間もない頃、ある日、いつものように保育園に着き、娘を自転車から降ろそうとしました。すると、娘は「あーがとー」といいました。一瞬耳を疑いましたが、「ありがとう」といっていることはすぐ理解できました。

 注意しなければならないことは、あらゆる場合に、あるいは、あらゆる人に、上にあげたような言い方をすればいい、そうすれば勇気づけになるというわけではないということです。一番確実なのは、相手にたずねることです。「今の言葉、どう思った?」というふうにです。勇気づけている「つもり」は通用しません。最初は、試行錯誤を重ねて学んでいくしかないようです。



「ありがとう」がほめ言葉になることもある



 下心があると、つまり、ここでありがとうといっておけば、次も適切な行動をしてくれるだろうというふうに思ってありがとうというと、その場合の「ありがとう」は勇気づけではなく、ほめ言葉になってしまいます。ありがたいと思った時、ありがとう、うれしいと感じた時、うれしいというだけのことであり、すべてはそこで完結しており、「次」はないのです。

 ある年の父の日のこと、何事もなく過ぎたかのようでした。次の日の夜、息子と僕は並んで勉強していました。突然、「ちょっと遅くなってしまったんやけど、あんなちょっとまってや」と紙に鉛筆で何か書いています。そして、どこで手に入れたのかはわからなかったのですが、ティッシュペーパーに、「おとうさんありがとう」と書いたその紙をつけてプレゼントしてくれました。僕のほうはといえば、質問ばかりしてくるので仕事に集中できず、いらいらしていたというのに…



頑張れ



 一般には「頑張れ」は勇気づけにはなりません。なぜなら、この言い方は、まだ達成できてないことに注目しているからであり、頑張れといわれるとプレッシャーになってしまうからです。しかし、この言い方が、上の場合とは逆に勇気づけになることはあります。

 ある時、仕事をしていたら、宿題をしていた息子が突然「おとうさん、ここにすわって[仕事して]くれない?」といいます。「僕はおとうさんが僕の隣で『頑張れ』といってくれたらやる気が出る」といいますから、僕はためらうことなく、彼の横にすわって、「頑張れ!」といいました。



勇気づけはむずかしい



 四歳のある日、息子がプラレール(プラスチックの鉄道模型)を作っていました。それを見て母親が声をかけました。

「すごいレールやな。これ、一人で作ったんか? こんなむずかしいの作れるようになったんやね」

と声をかけると、

「そうや、大人から見たらむずかしいように見えるけど、ここまでは簡単なんや」

という答えが返ってきました。物事の難しさには客観的な基準はないということを息子に教えられたように思いました。

 実は、このやりとりの後で、彼は自分で線路をつくることを放棄してしまいました。「すごいレールやな。これ一人で作ったんか? こんなむずかしいの作れるようになったんやね」という言葉は、息子には勇気づけになっていなかったからです。息子のそれを受けての言葉は、彼らしい持ってまわった発言です。大人の立場から線路を作ることを批評されたことに対する抵抗ではないか、と思うのです。



批判は勇気をくじく



 ある時、いつものように子どもを保育園に送っていくと、普段と様子が違うのです。二歳児のこのクラスは、担任の保母さんが二人いて、一人は年配のベテラン、もう一人は今年保母一年目の若い保母さんでした。二人で何か話をされていたはずなのですが、僕が教室に入っていったので、さっと話を終えられたようなのです。しかし様子が変であることはすぐにわかりました。

 見ると、若い方の保母さんが泣いていました。うつむいて涙がこぼれないようにこらえていました。そのまわりに何人かの子どもが心配そうに立っていました。二人は教室の端と端に離れてすわっています。きっと何か失敗し、その失敗をベテランの保母さんが咎めたのだろう、と思いました。ベテランの保母さんは、やがて一言こういいました。

「何かいいたいことがあったら、いってみなさい」

さて、こんなふうにいわれて何かいえるでしょうか? 若い保母さんはどう感じたでしょうか?

 今回は失敗したけれど、次は失敗しないでおこうと思うことができれば、また、失敗したけれど労をねぎらってもらえてうれしかった、挑戦する姿勢を認めてもらえた…そういうふうに感じることができたら、勇気づけることができたということです。しかし、先の保母さんの関係は勇気づける関係ではないと思います。

 批判したり叱ったりすると、二人の関係は遠く離れてしまいます。よくある間違いは、最初に、相手との間に距離をつくってから、その上で何とかしようと思うことです。まず最初にしなければならないことは、距離を近くすることです。



父との距離



 僕の母は四十九歳で亡くなりました。病気になったのを見たことはほとんどありませんでした。僕が生まれる前に、肋膜炎になったという話は聞いたことはあります。息をするたびに激痛があったようで、食事もとれない日が続いたそうです。ところが妊娠していることがわかったとたん、こんな病気をしていてはいけないと思ったら、よくなったのだということでした。その後は、病院とは無縁の母が、そんなに若くして亡くなるとは思いもよらないことでした。その母がある日、脳梗塞で倒れ入院することになりました。僕は学生だったので、週に五日も病院に泊まり込んで看病しました。看病するといっても意識がなかったので、実際には、それほどすることはありませんでしたが、洗濯をしたり、下の世話をしたり、初めて親孝行ができました。今から思えば、僕はこの母に甘やかされて育ったのだと思うのですが、息子の僕がすることは無条件で信じてくれていたことは、今でも感謝しています。僕は大学で哲学を専攻したのですが、父はこれに反対だったそうです。父は直接には僕に何もいいませんでした。そのことを後になって母から聞きました。父は僕に普通の人が歩むような人生を歩み、願わくば、人生で成功をおさめてほしい、と思っていたようなのです。それなのに、哲学などという学問を選ぶとはもってのほかと思っていたのでしょう。母は僕にとって力強い味方でした。

 その母が亡くなってから、父は長らく横浜で一人で暮らしていました。帰郷すると、いつも母の墓参りに行きます。ある時、父と僕と息子と三人で母の墓参りに行きました。親子三代が一同に会したわけです。お寺の中を歩いている時、この二組の親子の関係は、全然違うことに思い当たりました。息子は僕のことを恐れることなくいろいろなことを話してくれますが、僕は父に対していつも恐れを感じており、避けてばかりいました。いさかいをすることもないかわりに(実際、親と喧嘩をしたり、ぞんざいな口をきいたりしたことはただの一度もありませんでした)、人生のどんな重大事についても相談をしようと思ったことはありませんでした。

 そもそも父のことを何と呼んでいいいのかわからない(「お父さん」「父上」…)、というか、これまで父に呼びかけたことがないのかもしれないのです。子どもの頃、勇気を出して「おとうちゃん」と呼んだら、「そんな子どもみたいな呼び方はやめろ」といわれ、それっきりになってしまったのです。太一は、僕のことを「お前なあ」と時々、友だちに話しかけるように呼んでくれますが…僕は人と接する時に距離を置くと指摘されたことがありますが、僕は他の誰よりも父と距離を置いてきたと思います。父と二人っきりになれば何か説教をされるに違いないと恐れていました。

 それでもこの数年は父もまるくなり、たまに家に帰ってきても以前のようにうるさいことをいうこともなく、内心喜んでいます。僕の方も、以前ほどではなく、父とではなくて、他の同じくらいの年配の人と話すのと同じような感じで話せるようになったので、どうすることもできないほど遠くに感じられていた距離も、少しは近くなったかのように思っています。

 ところが、その父とある時喧嘩をしてしまいました。父はある宗教を信仰しており、僕にそれを勧めるのです。僕は宗教を否定はしませんし、初めから聞く耳を持たないという態度をとったりしませんから、父ともその宗教をめぐってこれまでもよく話をしました。僕はその宗教の教義をよく理解していると思います。しかし、認めることはできないのです。

 今回、いつになく強い言い方だったので、そのことを率直に伝えたのですが、

「お前は僕が入信した時から、この宗教に入ったのも同じなのだ。なぜなら、親子の縁はどんなことがあっても切れないからだ」

と、いいました。

 たしかに親子の縁は切れないのは本当かもしれませんが、それと宗教は関係ないと考えた僕は、

「僕には何の関係もないことだから、そんな話は聞きたくない。ほうっておいて」

と、ひょっとしたら生まれてはじめて、父に大きな声を出してしまいました。

「お前が私に背けば、〔仏さまからの〕お前への流れは断ち切られることになる」

「僕が不幸になる、ということ?」

「そういうことだ」

「……親子の縁は切れない、というさっきの言い方は、僕には、上から下へ向かっていわれたように思えた」

というと、さすがに修行を積んできたせいか、昔とは違って、

「私の言い方がよくなかったのかもしれない」

と率直に認め、これから後は互いに感情的にならずに、冷静に話し合えました。

「私は、若い頃は苦しいことがあって、宗教に入ろうと思ったこともあったのだよ」

 僕は親のことにほとんど関心がなかったので、初耳でした。こんな話を聞くと、どんな悩みがあったのか、と話を聞いてみたくなりました。

「〔入信を〕勧めてみても、『今は幸せだから』と人はよくいうが、私はそんなふうには思わないのだ。人間誰しも幸福を願わないものはない。幸福だと思っていても、そう思っているだけで、本当にそうなのかはわからない」

 父の論理は、だからこそ本当の意味で幸福ではない我々は、信仰を持たなくてはならないということになるわけですが、父は僕が哲学者で、この種の問題を考えていくのが専門であるということは知らないのです。人間誰しも幸福を願わないものはない、というのは、ソクラテスが、アテナイの青年たちを相手によく話していたことです。「幸福とは何か」という話を父とすることになるとは、思ってもいませんでした。父が僕が哲学を専攻するといった時に反対したということには既に話しましたが、このようなめぐりあわせになるとは不思議なことだと思いました。



祖父と息子(孫)の距離



 父はしつけに厳しい人ですから、息子は小さい頃はよく叱られていました。ある時、父が電話をかけようとした時、大きな音でテレビを見ていました。僕だったら、きっと音を小さくしてくれるようお願いするでしょうが、父はいきなり何もいわずにボリュームを落としました。その時は京都に数日の予定で帰ってきていたのですが、その後、父が帰るまで父とは口をきこうとはしませんでした。帰る時に見送ることもしませんでした。

 そんな父のところへ、正月に泊りに行ったことがあります。それまでは親から離れて泊りにいくというようなことはありませんでしたが、この頃から、一人で泊まってくるようになりました。一人で電車に乗るようにもなりました。息子の言葉を僕は聞き逃しませんでした。

「こんなふうにして僕はおかあさんから離れていくんだ…」

 その時、食べた夜食のうどんが印象に残っているようで、帰ってからその話をしてくれました。

「ひょっとしておじいちゃんがうどんを作ってくれたの?」

「うん」

僕にはこれはちょっと信じがたいのです。そんなことしてもらったことがありませんから。

 正月、息子は父と将棋を指していました。なかなか決着がつかなかったようで、結局引き分けというか、途中で切り上げてしまったのですが、覚えて間もない将棋を父とするのは彼にとってはうれしかったのでしょう。上手におつきあいをしているようです。



息子との距離



 それでは僕と息子の距離が近いかといえば、いわば手放しでそうだとはいえないのです…四年生のある日、いつもは夜更かしするのですが、僕が仕事から帰ってくるのを待たずに寝てしまうという日が何日か続きました。帰りが遅くても必ずといっていいほど、起きて待ってくれていたのにです。

 ちょうどその頃、コンピュータのCD−ROMドライブが不調で、使えなくなりました。そのことを息子に話すと、心配してくれました。ところが、これは故障ではなく、バッテリーの残量との関係で起こることであり、ACアダプターをつなぐと、無事、使えるようになりました。

 そのことがわかった時、突然、コンピュータの上にすわったことを白状しました。彼にしてみれば、すわったことがばれるのではないかと恐れていたところ(だから、このアクシデントがあってから、僕が帰る前に早く寝なければならなかったわけです)、CD−ROMがおかしいと聞いて、不安が頂点に達し、その後、故障ではなかったことが判明したとき、安堵すると同時に黙っていたことを白状したのでしょう。

 息子が白状したとき、僕は叱ったりはしませんでしたが、この出来事を今になって回想して思うことは、彼が僕のことを恐れているという事実です。最終的には、彼は確かに白状したわけですが、なぜ最初からいえなかったのでしょう。



人生の課題から逃れている時



 先の保母さんの場合、第三者的に聞けば勇気をくじくような言い方がされたように聞こえたのですが、そのことがただちに勇気くじきであるわけではないということもありえます。相手が喜ぶこと、気に入ることをいうのが勇気づけではなく、逆に、何か自分の気にいらないことをいわれたからといって、勇気くじきになるわけではありません。時には厳しいことをいったり、いわれたりするということもあります。

 ある日、地下鉄に乗っていたら急に気分が悪くなって、最寄りの駅で急いで降りたことがありました。お腹をこわしたからなのですが、トイレに駆け込んでほっとしたのもつかの間、困ったことが起きました。数人の女の人の声が聞こえてきたのです。急いでいたので女子トイレと間違えたのだと思いました。やがて彼女たちはたばこを吸い、上司の悪口をいい始めました。仕事に遅れる、と不安になりました。

 その時、年配の男性が入ってきました。

「あんたらこんなとこにいたら、おじさんびっくりしたわ。女子トイレかと思うたわ」

実は、男子、女子共用のトイレだったのです。すいません、とあわててトイレを後にしました。

 ようやくトイレから出ることができました。その時、そのおじさんと僕が同時に洗面台のところに傘が忘れてあるのに気がつきました。

「これ、あの子たちの傘や。おい、おまえ(僕のこと)追いかけていってこの傘渡してやれ」

「え! で、でも僕、顔を見てませんし、それに今から追いかけても…」

「ううう…もういい。わしが持っていってやる」

そういってその人は猛然と飛び出していきました。

「おおい。傘忘れとるぞお!!」

 その人には勇気がありました。僕には勇気がありませんでした。僕は口実をいって、今の僕に与えられた課題、即ち、傘を届けることから逃れようとしたのです。

 人生においてもこのように私たちが直面しなければならない課題から、口実を設けては逃れようとすることがあります。勇気づけというのは、人生の課題から逃れることはない、人生の課題に立ち向かっていけるという自信を相手が持てるように援助することです。もちろん、自分自身にもこのような勇気づけは必要です。

 このようなことも勇気づけという時には考えなければなりませんから、先に見たように、時には厳しいことをいわなければならないこともありますし、厳しいことをいわれることもあるわけです。



ゼロ式採点法



 「ありがとう」と声をかける場面はないといわれる人があります。うちの子どもはいいところなんかありません、朝から晩まで悪いことばかりしています、という人があります。でも本当にそうでしょうか? 頭の中に最悪の子どもをイメージします。最悪という表現は適切ではありませんが、とにもかくにも子どもが生きているというのが零点です。そう考えると何でもプラスになります。子どものいいところ、進歩しているところを見つけ出しましょう。そのために、理想の子ども、こうだったらいいのになあという子どもと縁を切ってみたいのです。

 地元の小学校の子どもが焼却炉に転落して焼死するという痛ましい事件がありました。当時PTAの学級委員をしていたので、教頭先生から電話があり、クラスの子どもの家庭に電話をかけて、子どもたちが無事帰宅しているか確認することになりました。

「あのう、今日は子どもさん、帰ってられるでしょうか?」

とたずねるのは、勇気がいりました。普通はこんなふうにたずねることはないからです。

「あ、帰ってますよ」という答を聞いても、「そうですか、どうもありがとうございました」と電話を切るわけにはいきませんでした。

「あ、帰ってますけど、あのう、でもそれがどうかしましたか?」

という反応が必ず返ってきました。そこで、「実は」と、焼却炉で子どもの焼死体が見つかったこと、まだ身元が確認できてないので、電話をかけ無事を確認していることを説明しました。電話ですから電話の向こう側の表情は見えないのですが、この説明を聞いて動揺されているのが電話を通してもよくわかりました。常日頃は、朝起きるのが遅いとか、宿題をしないとか、忘れ物が多いとか、乱暴だとか、子どもたちについていろいろな不平をいってしまいがちですが、この時だけは、「うちの子どもは、生きている、よかった」と思われたのではないかと思うのです。

 母が亡くなった時、病院に泊まり込んで看病しましたが、若かったので無理をしてもそれほどこたえませんでした。それでも週末だけは、他の家族に任せて休みました。週明けの早朝、再び病院に戻ります。ずっと側にいる時は、それほどでもないのですが、二日も離れてしまうと病室に入るのが怖かったのです。しかし、いつものように、母が呼吸をしているのがわかるとほっとしました。早朝の病室は静かです。いつもは聞こえにくい息も朝は大きく響きます。「ああ、よかった。息をしている」本当にそう思えたものです。

 理想の状態からではなく、目の前にいるこの子どもから出発するしかありません。そうすれば、「生きている」という事実そのものが、既に喜びであり、そのことを言葉に出していうことができるのがわかります。



子どもを尊敬する



 不幸な事故で亡くなった子どもは、その日の朝も、いつもと変らず元気に「行ってきます」という挨拶をして出かけたことでしょう。僕の母は、ある朝、突然、脳梗塞の発作で倒れました。

 「尊敬」という言葉は、英語ではrespect(リスペクト)といいますが、そのもともとの意味は、「再び見る」とか、「振り返る」ということです。何を振り返るかというと「僕たちの子どもは、今はこうして一緒に生きているけれども、やがて別れなければならないのだ、それまでは仲良く生きていこう」いうようなことを振り返るのです。日々の暮らしの中では、こういうことはすぐに忘れてしまいます。目の前にいる子どもは、理想的に従順で、親のいうことは何でも聞き、素直でものわかりがいいというわけではありません。しかし、理想の子どもを頭の中から消し去り、「他ならぬこの子と一緒に生きていくのだ、この子と仲良くして、心から尊敬して生きていくのだ」と日々決意を新たにするということはできます。

 母親の入院中は先にも話したように、実はほとんどすることがありませんでしたから、朝から晩まで本を読むか、後に看護婦さんたちに「閻魔帳」といって恐れられることになるノートをつけていました。今も大切に残しています。最初は、付き添いが変わるので連絡ノートのようなものを意図していたのですが、次第に、母のことはもちろん、看護婦さんについても書くようになりました。今思い返すと、どの人も熱心で献身的な介護をしてくださっていたと思うのですが、中には僕がずいぶんと気を遣わなければならない人もいて大変でした。それでも長く接するようになるうちに見方が変わってきました。僕が「いけずな」看護婦さんと呼んでいた人について、最近は優しい、とその閻魔帳に書いていたり、妹がその人のことを批判的に書いているのに対して、早計に判断してはいけない、本当はよい人です、と書いているのです。人というのはすぐにはどんな人かわからないことがあります。



幸福であるために



 僕は、子どもが自立し、責任感のある子どもに育ってほしいと考えています。この点については、後にお話します。このことに加えて、うちの子どもは不幸であってほしいと願う親はない、と思います。父が、人間誰しも幸福を願わないものはない、といったという話は先にしました。子どもだけでなく、われわれもまた幸福でありたいと願っています。不幸であることを願う人があるとは、思えません。しかし、幸福になりたいと願うことと、実際に幸福であることとは別のことです。なぜなら、幸福になるためにはどうすればいいかという幸福達成のための手段を誤ることがあるからです。

 人はこのように誰も幸福になることを願っているので、古来、幸福とは何か、は重要なテーマでした。イギリスの作家、ジェラルド・ダレルの翻訳をしている池澤夏樹がこのようにいっています。古来、哲学者は、幸福とは何か、を論じてきた、しかし、哲学者自身は少しも幸福ではなかった、と。それなら、哲学者の僕は幸福になろうと決心しました。

 やがて話しますが、親は子どもを援助できなければなりません。子どもたちを援助できるために必要なことは、まず自分自身が幸福であるということです。そのようであって、初めて人を援助できることができます。子どもが困っている時、一緒になって親が悩むと、共に奈落の底に沈んでしまいます。子どもに「親が悩んでいるのと、幸せにしているのとどちらがいいですか?」とたずねると、幸せにしてくれているほうがいいという答えが返ってきます。



自分が好きである



 幸福の条件は、まず、自分のことが好きである、自分を受け入れるということです。

 そこで、自分のことを好きになりましょうといってみるわけですが、しかし、これだけでは自分のことを好きになることはできません。親が子どもに毎日一番よく使う言葉は、「早くしなさい」「駄目でしょう」(何々していると駄目でしょう。そんなことでは駄目でしょう…)です。では、一日中早くしなさい、といわれている子どもは、僕[私]は駄目な子で、グズでどうしようもないと感じてしまいます。自分のことが好きになれなければ、幸福であるとは感じることはできません。このような子どもが自分を好きになれるとは思えません。



短所を見ない



 人には様々な欠点があると思われています。後にみるように、これらは実際には欠点でも、短所でもないのですが。子どもたちに、できてないこととか、欠点をいうと自分のことが嫌いになってしまいます。実は、私たち自身が、子どもの頃から、親や先生からこういう教育を受け続けてきているのです。ですから、自分の欠点をあげることは簡単にできるのに、自分の長所をあげることはできないのです。

 たしかに、人間である限り、完全ということはありません。そこで、多くの人は、自分にはこういう欠点があるので、自分のことが好きになれないというふうにいいます。しかし自分の性格の長所の側、同じもののよい側を知っていれば、自分自身を受け入れることができるようになります。私たちは、子どもたちが自分を受け入れることができるように、自分のことが好きになれるように援助しなければなりません。

 欠点ではなく、子どもの長所を見ることはそれほどむずかしいことではありません。ただし、そのためには、先にもいいましたが、親は頭の中に理想の子どもをおいて、そこから現実の子どもを見ることをやめなければなりません。これは、よくやることで、この減点法で採点すると、子どもがどんなことをしても採点は必ずマイナスになってしまいます。「ここが足りない。これも駄目。あれも駄目。これはしないでほしい」と。ではどうすればいいのでしょうか?



プラスの言葉への置き換え



 どんな言葉でもプラスの言葉に置き換えることが可能です。乱暴ではなくて活動的、臆病ではなくて、慎重。おせっかいではなくて、世話好きという具合に置き換えます。「暗い」とか「ねくら」いう言葉は、昔はあまり使われなかったと思います。今はよく使われる言葉ですが、暗いといわれてうれしい人はないと思います。しかし、これとて次のように言い換えることができます。「暗いというのは何か。暗いというのはつまりあなたは人の気持ちをいつも考えているということである。人の気持ちを考えているし、感受性が豊かだし、人を傷つけないで暮らしているしやさしい」というふうに。このように言い換えるとそうかと思う。暗いイコールマイナスと思っていたが、そうではないのだ。明るいけれども、人の気持ちを考えず、自分のしたいことばかりするとか、あるいはやさしさが足りないのに比べたら、自分の方がよっぽどましであると子どもは考えることができるようになります。

 これは子どもそのものを変えようとしているのではないことに注目してください。同じ現実があって、それに違う方向からスポットライトをあてたいということなのです。



自分をベストに使う



 なぜこういうことが必要かといえば、自分という道具は、他のスポーツの道具とは違って取り換えることができないからです。自分が今持っているこの自分という道具は癖があるけれども、大切なことは、これをどうやって使いこなすかということです。自分を改造しようと思っていると必ず失敗します。今のこの現状のままの自分をどう使いこなすにはどうすればいいか、これが私たちがしなければならないことであって、そのことを子どもにも教えたいのです。そのためには、まず一番最初に自分の持っている道具を好きにならないといけません。この道具が嫌いだと思っていると、それを使いこなそうという気にならないでしょう。何が与えられているかではなくて、与えられたものをどう使いこなすかということが、大切なのです。ところが、既に見たように、親も教師も、子どもが、自分を嫌いになるように一生懸命仕向けているのです。

 正しい解答を得ようと思えば、正しい質問をする必要があります。「この自分をどうすれば理想の自分と取り替えることができるのだろうか」という質問をしている限り、正しい解答に到達することはできません。問うべき質問は、「この自分をどのように使えば、もっとうまく生きているだろうか」です。

 ミケランジェロのダビデ像はよく知られていますが、ミケランジェロがダビデ像を彫った大理石には、大きな亀裂が入っていたと伝えられています。それまで誰もそのような大理石を顧みることはなかったのですが、ミケランジェロはこの大理石の中にダビデを見出して、ダビデをその中から取り出したのです。このことは僕たちの本当の性格が隠されており、それをいわば発掘しなければならないということをいっているのではなく、ミケランジェロが、大理石の欠点、即ち、この場合、大きな亀裂があるということに注目していなければ、決してダビデ像は生まれては来なかったのであり、亀裂がむしろダビデ像を生かすものである、というミケランジェロの見方の鋭さを語っているのです。

 思えば、僕自身、自分のことを受け入れることができないできました。子どもの頃から背が低かったことを気にしていました。背が低いので、自分が正当に評価されないのだろうと思い込んできたのです。でも僕には勉強があるというのが、小さい時から僕が勉強をしたことの動機でしたが、これが不純な動機であるのは明らかです。しかし、それでも早くも小学校一年生のときに、勉強ができるというふうに思われていたことを覚えています。子どもたちが通っているのとまったく同じ通学路を僕も通っていました。一番、学校から遠かった僕のことを学校の前といっていいくらい近くに住んでいる級友があまり勉強ができないのと比べて、遠くから通っているのに勉強ができるというようなことを先生が皆の前でいったことを今も覚えています。今、先生がこんなことをいったら問題になるでしょう。

 そんなことがあって僕はくよくよと悩んでいたのですが、そのことをある時、野田に話したら、「しょうもない」というような答えが返ってきて、その時はがっかりしましたが、すぐに、その言葉の意味がわかりました。僕は、背が低いことを対人関係がうまくいかないことの理由にしていたのではないか、と。

 しかし、一夜にして背が伸びるはずがありません。アドラーは、「大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかである」と何度もくり返し語っています。この自分とつきあっていかなければならないのであって、この自分とは別の誰かはそもそもどこにも存在しないのです。

 別のある日、野田は僕にいいました。「君には人をくつろがせる才能がある。」僕がある人と話をしていた時の様子を観察しての発言です。そんなふうに自分のことを見たことがなかったので、大いに驚きました。

 今、考えると、この頃から僕は変わり始めたのかもしれません。



普通であることの勇気



 アドラーの弟子であるドライカースに師事したクリステンセンというアリゾナ大学の先生の講演を聞いたのが、僕がアドラー心理学との初めての出会いでした。実は、講演の前日、野田に「通訳に来ない?」と誘われて、この日の講演会に来たのでした。

 ところが、当日来てみると全然、出番がなかったのです。居心地の悪い思いで席に着いていました。

 アドラー心理学の話を聞くのは初めてのことで、本で読むのと、誰かの口を通じて聞くのとでは、ずいぶん違うものだと思いました。

 クリステンセンは、講演の中で、次のような話をしました。

「ドライカース教授についた時、アドラー心理学と他の心理学との比較考察をせよという課題が出ました。僕はその課題にたいして二十枚ものレポートを書きました。レポートを提出後、僕はドライカース教授に呼ばれました。

『こんなにたくさんのレポートを書いたのは何故かね?』

『比較考察に非常に興味を覚えたからです』

『いや、それは違う。君はただ僕に自分を印象づけようとしただけだ。しかし、君は今のままで充分いいのだから、こんなことをしなくてもいいのだよ』

 僕はそれまでは他の人とは違おうとしていたのですが、このことがあってからというもの、そうしようとすることをやめて末っ子のように、人に頼って生きることを覚えました」

 クリステンセンが、上のような話をするすぐ前に、僕は彼にある質問をしたのです。ライフスタイル診断に関するものでした。しかし、その時、質問の内容によってではなく、質問をしたというまさにそのことによって、まさに自分のライフスタイルをクリステンセンの前であらわにしてしまったように思います。

 その時、僕は英語で質問をしたのですが(なぜなら通訳をしないのであれば、それくらいのことはしなくては、という思いがあったのです)、その時は、野田先生が終始見事な通訳をしていたので、ことさらに英語を使って質問をする必要はなかったのです。英語を使って質問をすることで、僕はクリステンセンの表現を使うと、野田先生を初めとする聴衆に自分を印象づけたい、と思ったに違いありません。上に紹介したクリステンセンの話は、まさにこの僕に向けられたものであることがすぐにわかりました。あるいは、実際にはそういう意図はなかったかもしれませんが、少なくとも、僕にはそう思えました。

 クリステンセンは、先の話に続けて、こういいました。

「今のあるがままの自分を受け入れなさい。今日僕の話を聞いた人は、今この瞬間から幸福になることができます。しかし、そうでない人は、いつまでも幸福になることはできません」

 それまで幸福とは何かと考えてきましたが、「幸福になる」ことは考えていなかったことに気づきました。講演が終わってすぐ直後にSMILEという親子関係セミナーを受講しました。子どもとの関係は、二ヶ月の間に一変してしまいました。しかし、その後、続けてアドラー心理学を学ぶべく、アドラー心理学基礎講座を受講したのは、二年後の夏のことでした。



他者信頼



 自分のことが好きになるだけでは十分ではありません。まわりの人はみんな敵である、私を陥れようとしていると考えていては、たとえ自分が好きであっても、幸福になることはできないでしょう。

 ある友人が、こんな幼い頃の思い出を語ってくれました。まだ、放し飼いの犬や野良犬がたくさんいた頃の話です。彼は、犬というのは走ったら追いかけてくるから、犬がいても決して走って逃げてはだめだよ、と母親にいい聞かされていました。ある日、二人の友だちと歩いていたら、向こうから犬がきました。彼はかねていわれていたようにじっとしていました。他の友だちは、ぱっと逃げました。さて、何が起こったか。彼は足をがぶりとかまれてしまいました…それからの彼は、この世界は危険なところだと考えるようになりました。道を歩いていたら車が突っ込んでくる、家にいても飛行機が落ちてくる、病気についての記事を新聞で読めば、自分もその病気に感染しているのではないかと、そんなふうにして生きてきました。

 ところがその彼がある日、他の人を信頼できなくては幸福になれない、という話を聞いて、忘れていた記憶が蘇った、というのです。「たしかに、犬に噛まれた、記憶はそこで途切れていたが、続きを思い出した、見知らぬおじさんが僕を自転車に乗せて、近くの病院まで連れて行ってくれたのだ」と。

 なぜ彼は忘れてきたことを思い出したのでしょう? 世界が危険だ、と思っていたうちは、この記憶は思い出されることはありませんでした。ところが、そうではないのだ、世界は危険ではないし、自分のまわりの人は敵ではなく、自分を援助しようとしているのだ…そう思えるようになった彼は、このような見方を裏づける事実を思い出したのです。



貢献感



 幸福であるためには、他の人から受けるだけではなく、他の人に与える、あるいは、他の人に受けるだけではなく、返すということがなければなりません。自分が貢献しているという感じは、人が幸福であるために必要な条件です。ただ、「貢献」という言葉を使うと、何か特別なことをしないといけないと考えてしまいます。そうではなくて、自分が存在しているということが既に貢献しているというふうに感じられるように援助したいのです。そのためには、特別なことに注目するのではなく(ほめることは往々にして特別なことへの注目です)、何もしていなくても、存在に注目したいのです。即ち、「行為」ではなく、「存在」に注目するのです。焼却炉でなくなった子どもと自分の子どもを比べ、たしかに日頃いろいろ問題がある、遅くまで起きているとか、宿題をしないとか、ファミコンばかりしているとか問題はある、でもこの子は生きている! このように感じられた時、行為ではなく、存在に注目していることになります。

 息子が寝る前に声をかけてくれました。「お父さん、ありがとうな」僕が、一瞬、意味がわからないという顔をすると、「とにかくありがとうな」といいました。何かに対してのありがとうではなかったのです。

 入院後、母は脳圧を下げるための手術を受けました。思っていた以上に大手術で、意識がないのに麻酔をかけるのかと驚いたことを覚えています。手術は成功しました。しかし、意識は戻ってきませんでした。ところが手術後、目にまで浮腫ができて固く眼を閉ざしていた母が眼を開けました。手術の前、ある看護婦さんが、「昨日夢を見ました。ベッドにすわってられる夢です」と話しかけてこられましたが、意識のない母を見てそんなことは二度とあるまいと改めて母の病気の重さに思い至りましたが、目を開けた母を見て、こんなことがあるのだと心動かされました。母が眼を開いたことを聞いて、主治医や看護婦さんが次々にこられました。きれいな目でした。どこにも焦点はあっておらず、虚空をじっと見つめたままでしたが。この時、母は存在によって周りの人を勇気づけたということができるでしょう。



よい意図を見る



 表面的な行動は、相手の注目を引いたり、権力闘争だったりするという目的があるように見えても、そういう悪意があってなされたと思われる、いわば行動の目的の目的、行動のより上位の目的を見ることができれば、勇気づけはできます。悪意というのは、善意、よい意図をうまく表現できないことである、と考えることができます。

 行動の(上位の)目的とは、一言でいえば、「相手といい関係になりたい」「相手と仲良くしたい」ということです。小さなきょうだいたちのことを考えてみてください。弟や妹が生まれた兄や姉は、以前と違って親に注目されなくなっておもしろくありません。そこで小さいきょうだいに親がぞっとするようないたずらを仕掛けることがあります。「なんてことするの、そんなことをして…止めたからよかったものの、どうなっていたと思うの」そういうような声をかけてしまいます。しかし、このように声をかければ既に述べてきたように、子どもは親の注目を得ることに見事に成功するのです。

 このような時に、「ああ、この子は弟(あるいは妹)と仲良くしたいんだな」と思えるには、ちょっと気迫がいります。しかし、このように見ることでどう対処すればいいかわかります。「あなたは仲良くなりたいのね。でもね、そんなふうにしたら、あなたのこと、好きになってもらえるかしら?」例えば、こんなふうに声をかけることができるでしょう。



カレーライス事件



 母が亡くなった時、 既に妹は結婚して家にはいませんでしたから、僕は父と暮らすことになりました。困ったことに父も僕もそれまで料理を作ったことがありませんでした。息子は、早くから料理に関心を持ち、家に遊びにくる友だちに料理を作って出したりする、生活力がある子どもですが、僕は甘やかされた子どもでした。料理を作ったのは初めてのことでしたが、やり始めたらおもしろいと思いました。大学院の学生だった僕は毎日夕食を作って父の帰りを待つことになりました。料理の本を何冊も買い込み熱心に研究しました。

 ある日、思い立ってカレーに挑戦しました。カレーといっても、カレー粉をフライパンで炒めて作るという本格的なものです。焦がさないように注意し、できあがるまでにゆうに三時間はかかりました。父が帰ってきました。カレーを口にした父からどんな言葉が出るか、固唾を飲んでいました。父は一言いいました。

「もう作るなよ」

これは大変な勇気くじきのメッセージだ、と思わないわけにはいきませんでした。実際、その後しばらくの間、夕食を作る意欲を失ってしまいました。

 しかしそれから十年以上経ったある日、あの時の父の言葉は、必ずしも僕の勇気をくじくという意図のものではなかったのではないか、と思い当たったのです。当時、僕は大学院の学生でした。ところが母が脳梗塞で入院し、しかも亡くなったものですから、その年は半分くらいしか大学に行けませんでした。父の「もう作るなよ」という言葉は、決して「こんなまずい料理をもう作るなよ」という意味ではなくて、「お前は学生で勉強しなければならないのだから、こんなに時間をかけてもう作るなよ」ということだったのだ、と思うのです。父とは子どもの時からあまり話をした思い出がありません。僕の行いに対していつも何かしら批判されるのではないか、と怖れていたからです。しかし、この時、僕は初めて父と和解できたように思えました。



階段事件



 父のよい意図を理解できなかったように、僕は息子のよい意図がわからなかったことがありました。ある日、彼が階段を大きな音をさせて昇って来ました。夜遅かったことと、ちょうど父が泊まりにきていて、階下で父が既に休んでいたので、いらだちを感じてしまいました。そんなふうにしたらおじいちゃんが起きてしまうじゃないか、階段は静かに昇るものだ、ともう少しで注意を与えるところでした。しかし、その瞬間、彼は、僕が言葉を発するのを制してこういいました。その時、当時一歳だった娘がふいにいなくなった母を求めて泣きだしていたのです。

「(音をさせて)階段を昇ったら、お母さん(が昇ってきた)かと思って、○○ちゃんが泣き止むか、と思ったんや」

 夜中のことでしたから、この行為そのものは適切なものではなかったかもしれませんが、息子のよい意図が明らかになったので、感情的になるのを思いとどまれてよかったと思いました。

 このようによい意図を見て取ることができ、そこに注目することができれば、同じ行為についても、それの不適切な面には注目せず、かつ同時に適切な面に注目することができます。

 このことにはトレーニングが必要です。「どうして私の善意が通じないの?」と思うことはないでしょうか? たしかにそういうことはよく経験することです。しかし、自分のよい意図が通じないことを嘆くより、まずは心ないように聞こえる相手の言葉の中によい意図を見て取りたいのです。自分は人に誤解されるようなあいまいな言い方はしないでおこうと決心します。しかし、他の人の言葉はたとえ表向きの言葉がどれほど勇気をくじくものであったとしても、よい意図を読み取り、もっと寛容であってもいいと思います。

 僕は一般に人の心を読んではいけないと考えています。多くの場合、対人関係をギクシャクしたものにする可能性が高いからですし、人の心を勝手に読むということは、裸を垣間見るような失礼なことであるといえるかもしれません。しかし、もしも読むとすれば、よい意図を読んでみてはどうでしょうか。



対等な関係



 これまでの話から、子どもとのつきあいにおいて必要とされる技術について「これは使える」と思われたとしたら間違いです。勇気づける関係とは、対等の横の関係です。この横の関係を離れて勇気づけは不可能なのです。技術としてだけの勇気づけは可能であるように見えても、子どもを対等の存在として尊敬するのでなければ、そのような勇気づけは、「ほめる」ことと同じで、危険なものとなります。

 僕は大学でギリシア語を教えています。毎年、教科書を選ぶのですが、ギリシア語については、僕は専門家ですから、かりに学生が「先生、この教科書は練習問題が少ないですから、これを使いませんか?」と申し出ても、おそらく断るだろうと思います。学問的にも教育的にも学生にとって最善の教科書を選んでいるのですから譲ることはできないのです。しかし、どんな仕方で講義をするかについては、学生と相談します。講義形式なのか、それとも、学生が発表するという演習形式にするのかは、学生との相談の上で決めてもいいと思います。教師と学生は「同じ」ではありませんが、人間としては「対等」なのです。

 男女関係については、かなりこのことが認識されてきたように思います。現状ではまだまだ不十分ですが…しかし、これが大人と子どものことになるとまだまだ大人が上で、子どもが下と思いこんでいる人は多いようです。

 大人と子どもは対等であるという話をいつか大学でしたことがありました。その時学生の一人は、親と喧嘩をすると「おまえはまだ子どものくせに」と頭ごなしに叱られるのが嫌だ、と話してくれました。大人と子ども(あるいは、教師と学生、生徒)は対等である、という話を大人は抵抗をもって受け止めますが、子どもは、若い人たちは、親から不当な(と感じています)干渉、抑圧を受けている、と感じているのでしょう、何の抵抗もなく受け止めます。

 子どもたちを抑圧などしていないといわれる人もあります。しかし、そのような人は子どもを対等な存在とは考えませんから、即ち、私が面倒を見てあげなければこの子は何もできないと考えて、過干渉、過保護に接してしまいます。いずれも誤っていると思います。

 男女差別の次は、いわれなき子ども差別が問題にされなければならないでしょう。



子どもは所有物ではない



 いつか新聞に、小さな子どもに「あなたは誰のもの?」とたずねたら、しばらく考えた後、「お母さんのものかな?」と子どもが答えたという記事があって、驚いてしまいました。そもそも子どもは誰のものでもないので、あなたは誰のものという問いそのものが変なのですが、子どもがお母さんのもの、と答えたとすれば、このような発想は子ども自身のものではなく、母親が常日頃からそういうことを子どもに言い聞かせているのではないか、と想像してしまいます。

 娘は、ちょうど一歳になったばかりの時に、保育園に預けることになりました。実は、その時、まだ断乳ができていなくて、母親はそのことが気にかかりながらも職場に復帰したところ、忙しくて昼間はすっかり子どものことを忘れていたのだそうです。ところが、夕方になって、今日は保育園で無事過ごしたかと思いだした途端に、おっぱいがはりだしたそうです。僕は、男性ですから、当然、こういうのはよくわからないのですが、それほど母親と子どもは結びついているということがわかり、おもしろく思いました。男性にとっては、自分の子どもといっても、それほど実感があるわけではないが、女性には、この子は私の子ども、私の所有物という意識が強いのだという話を聞いたことがあります。しかし、こういうふうに感じるから話はややこしくなるのでしょう。



やくも号の子どもたち



 例年になく大雪の日が続いた冬がありました。ある日、岡山から出雲行きの特急「やくも」に乗り込もうと駅に行くと、大雪のため列車が動いていません。九時過ぎの列車が岡山を出発したのは、もう十二時を過ぎていました。他の用事だったら、あきらめたのですが、その日は出雲で講演をすることになっていたので、とにかく遅れてもいこう、と待つ覚悟をしたのでした。

 ようやく「やくも」が動くことになったというアナウンスがあった時、皆一様に喜びましたが、実は、これが試練の始まりだったのです。なにしろ山の中を走る列車ですから、一メートルは積もった雪の中、途中、何度もポイント故障などで動かなくなったのです。通常ですと、出雲までは三時間ですが、結局、出雲についたのは、七時をまわっていました。当然、その日の講演は中止ということになりました。

 僕がこの車内で心動かされたのは、たくさん乗っていた子どもたちでした。子どもたちは、これほどの長時間の旅であったにもかかわらず、終始、静かだったということです。泣いたりして無理なことをいう子どもが(少なくとも僕が乗っていた車両では)一人もいませんでした。降りる時に一人の小学校の一、二年生の子どもが父親にこういっているのを耳にしました。「僕は〔雪で動かないので〕もう駄目かと思っていた。〔着けて〕本当によかったね」週末を大山で過ごす様子でした。雪で動かないのだから、誰に文句をいっても始まらない、ということを皆がよく知っていたのでしょう。「みんな一緒にこの大雪を乗り切ろうね」そんな連帯感のようなものを感じ、雪のために困ったことになったにもかかわらず、駅に降りた時は、妙に幸せな気持ちでした。

 以上のことは、大雪という普通ではない状況が影響していると思われるかもしれません。しかし、静かにしている、無理なことをいわないということが決して子どもたちにとって実行不可能なことではないということを、やくも号に乗り合わせた子どもたちは示しているように思います。

 状況をよく理解し、また、親のほうも子どもはきちんと説明すれば理解してくれるということを信頼していれば、無理なことを子どもはいいません。もし、私達を困らすようなことをいったり、したりするとすれば、親をそういう形で困らせることで注目を引こうとしていると考えることができます。



コミュニケーションの技術



 子どもと大人は対等であるという話をしました。対等の存在であるならば、感情的になって叱ることをしなくても、また、同じことを何度も繰り返し指示しなくとも、子どもと向き合うことはできます。感情的になるとすれば、一体、感情的になることで、自分は何を達成したいのか考えてみます。もし相手にこちらの要求を聞いてほしいのであれば、感情的になって、大きな声を出したり、泣いたりする必要はありません。言葉を使ってお願いをしたいのです。

 そもそも言葉を使わないということがあります。相手の考えていることは、相手が何もいわなくてもわかるべきだ、とか、逆に、私が何も言葉に出さなくても、私の思いは相手に伝わるはずだ、と考えている人は多いように思います。相手の思いが真にわかればいいでしょう。しかし、それはかなりむずかしいことです。それ以上に問題は、自分が何もいわなくても、相手がわかってくれて当然と考えることでしょう。

 そこで、そぶりや感情を使って人を動かそうとするのではなく、また、思いやったり気くばりをするのではなく、常に言葉を使って意志疎通を行うことは後に話す理由から大切なことです。人間関係の悩みは、自分の要求を相手に伝える、あるいは相手の要求を断るということに関するトラブルから起こっていることが多いのです。いかなる場合も、相手を傷つける権利はありません。相手を傷つけることなく、適切に自己主張する方法を学べば、私たちの悩みの多くは解決するといっていいほどです。



そぶりや感情に反応しない



 何か主張したいことがあれば、ストレートに主張すればいいのです。それなのに、ストレートに主張することにためらいを感じてしまうことがあります。また、頼まれなくても何をしてほしいと思っているかは、わからないといけない、と思っています。そのことが気くばりとか、思いやりという言い方で勧められることすらあります。

 しかし、言葉に出したことしか人には伝わりませんし、黙っていては自分の考えは決して他の人には伝わらないのです。このことは、何よりも自分の問題ではありますが、子どもたちにもこのことを学んでほしいと思います。そのためには、そぶりや感情で何かを伝えようとしている時には、それに対して、即座に反応しないようにしてきました。そのような場合、「何かできることがありますか?」という言い方は安全だと思います。

 友人がこんなことをいっていました。中学生の娘さんが、学校で何かあったみたいで涙を流していました。気になってしかたがなかったのですが、黙ってそぶりを読み取って手助けしあうという親子関係は彼女の家にはないので、

「ねぇ…何かお母さんにしてほしいことなーい?」

といいました。それに対して娘さんは、

「うん、ある…ほっといてくれる」

いったそうです。

 頼まれもしないのに、手出しや口出しをすると、苦境にある時にはいつでも親が助けてくれると考えて子どもは依存的になってしまうかもしれません。友人の娘さんは、次の日、晴れ晴れとした表情で返ってきました。そして母親にいいました。「昨日はお友だちと喧嘩をして、つらい思いをした。でも今日は仲直りができてよかった」と。自分は何もできることはなかったが、娘が自分で問題を解決できてよかった、と友人はいっていました。この話は、別の問題との関連で後に話します。



二つの種類の言葉



 子どもたちは、食事の時、よくおはしを落としました。そういう時、知らぬ顔をして食事を続けると、息子はこういいました。

「おはし!」

それでもすぐには拾いません。

「おはしがどうかしましたか?」

「おはしが落ちた」

「うん、おはしが落ちてるね」

「おはし、拾ってくれたらうれしいんだけど」

これでようやく拾いました。

 この会話にはいくつかのポイントがあります。まず、そぶりには反応しないということ。おはしを落としたので拾ってほしいのだな、というふうに心を読みません。次に、「おはしが落ちた」という言葉は、事実を述べているだけであって、その言葉自体には、おはしを拾ってほしいという要求は含まれてはいないということです。

 一般に、言葉には二つの種類があります。一つは、「おはしが落ちた」というような事実や状況を述べる言葉です。「雨が降ってますね」「今日は寒いですね」というような言葉です。

 もう一つは、相手に何かを要求したり、あるいはその要求を断ったり、相手の行動を変え、影響を与える言葉です。息子の「おはし、拾ってくれたらうれしいんだけど」は、この例です。命令や要求する言葉です。後者の方が、圧倒的に難しいのは明らかでしょう。

 問題は、お願いするべき時に、ストレートにその要求を表明しないということです。「おはしが落ちた」は、形の上では、前者の部類の言葉のはずですが、実は、「おはしを拾って」という要求が含まれています。同様に、「私疲れているの」は、実際には、私はしたくない、その代わり、あなたしてねという意味です。また、「何かおなかへった」は、「食べさせてください」という意味です。



ストレートにお願いしよう



 そぶりだけで要求をほのめかす場合も、また間接的な要求にも応じてはいけないと思います。頼まれないことをするのは失礼なことです。なぜなら、相手に自力で問題を解決できるとは思っていない、少なくとも、相手が自分にお願いをすることができない、ということを前提としているからです。「相手を思いやる」とは、このような縦の関係を前提としているのです。「してほしい」ということがあれば、言葉で表明してほしい、何よりも自分が日常生活で率直に言葉でお願いしてほしいのです。

 若い世代の人たちは率直になってきているのかもしれません。ある大学の教授が定年退職ということになりました。こういう場合、退官を記念してパーティを開くことが慣例になっています。そこで、この教授の助手が、日程をたずねにいきました。すると、その教授は、

「私ごときもののためにめっそうもない」

と丁重にその申し出を断りました。普通こういう場合は、いえ、先生、そうおっしゃらずにといって、是非開かせてほしいというようなことをいい、先生の方も、そこまでいうのならと引き受けるということになるのでしょうが、幸か不幸か、その助手は、海外で教育を受けた人だったので、教授の「めっそうもない」という言葉を額面通りに受け取り、「そうですか、わかりました」と引き下がりました。その年教授は一人寂しく大学を去っていきました。

 将棋の羽生名人が、ある対局の時、上座にすわったということで問題になったことがあります。羽生名人の方が実力が上であるのは、誰もが承知していることでしょうが、先輩の棋士と対局する時、若手は決して上座にすわってはいけないそうなのです。「先輩どうぞ上座へ」と勧めます。「いや、実力は君の方が上なのだから、僕が上座にすわるわけにはいかない」と先輩棋士はいいます。しかしそういわれても「そうですか、わかりました」とすわってはいけないのです。「そんなこと、おっしゃらずに先輩こそ、上座へ」と若手がいい、「君がそれほどまでいうなら」と先輩棋士が上座に座る、こういうのが習わしだそうです。

 しかし、誰も助手や羽生名人を責めることはできないと思います。こういう感覚こそが、いわゆる国際感覚であり、子どもたちが幼い頃から、これからの国際化の時代に活躍できることを願うのであれば、子どもの頃から英語を勉強するというようなことの前に、思いやりやさっしではなく、言葉を重視するようになることを学ぶことが先決ではないでしょうか。



お願いの仕方



 息子が三歳の時のこと。同じクラスの友だちが先生に「ぞうきん!」といいました。彼はそれを制して「ぞうきんではわからへんやろ。『ぞうきん、とってくれたらとってもうれしいんだけど』というんや」といったのだそうです。保母さんが次の日、このやりとりを驚いて僕に報告されましたが、「でも、ちゃんとお願いになっているでしょう?」といったら、深く納得されました。

 「〜していただけませんか?」「〜してくれたらうれしいのですが?」というふうな言い方がお願いです。「〜しろ」というような言い方は、当然、命令ですが、「〜してください」「こういうふうにしてちょうだい」というような比較的柔らかい言い方も命令です。命令とお願いの違いは、相手にノーといえる余地があるか、ということです。相手がノーといえなければ、どんな言い方であれ、命令です。

 このように疑問文を使ったり、仮定文を使えば、命令した場合よりも、はるかに高い確率で引き受けてもらえます。お願いの内容というよりは、言い方が気に食わない、ということはよくあることです。命令されれば、嫌とはいえないので、感情的に反発してしまいます。お願いを聞いてもらえれば、必ず、忘れずに、「ありがとう」といいます。そして、断られたら…引き下がることにしましょう。家の権利書をよこせ、などといわれたら困ってしまいますし、そういう時は、断りたいですが、一般に、引き受けられることであれば、引き受ける、他方、もしお願いをして断られたら、あっさり引き下がるということをしばらく続けてみます。そのうち、こちらがお願いをした時にきいてもらえるようになりますし、お願いされてノーといっても、引き下がってくれるようになります(おそらく)。

 もしも、子どもに対してぞんざいな言葉使いをして平気だとすれば、子どもが下で自分が上だと感じているからです。自分が心から愛し、尊敬する人であれば、決してぞんざいな口の聞き方はできません。野田は「この子はゆえあって、さる高貴なお方から、お預かりしているのだと思おうとした」といっていました。だから彼は子どもには敬語を使います。僕も使います。もちろん、すべての会話を敬語でする必要はないと感じられるかもしれませんが、せめて何かお願いする時には、命令形は使わない「〜していただけませんか?」とか「〜していただければとっても助かるのですが」といってほしいのです。どうしてそんなもののいい方を子どもにしないといけないのかと感じるとすれば、それは何度もいうように、子どもを対等な人間であるとは感じていないからです。

 よくこの子は反抗期で、という言い方をしますが、あれは本当は違うのです。いつか、小学校でおかあさん方のこんな会話を耳にしたことがあります。

「たいへんやねえ。子どもがなかなかいうこと聞いてくれない」

「うちもよ、でも後一年で反抗期は終わるから…」

 こんな話を聞いたこともあります。

「うちはやっと上の子が反抗期が終わったと思ったら、今度は下の子が反抗期…」

そういうものではありません。今までの話からおわかりかと思うのですが、大人が上に立って、命令し、支配するということを続けると、やがてそのことに子どもが反抗するというだけの話で、もしも大人が子どもたちに無理な抑圧をしなければ、子どもは反抗する必要はないわけです。もちろん、何歳になっても、子どもたちが反抗するような言い方を大人がしていれば、いつまでも反抗期は続くのであり、いくつになったら反抗期が終わるというようなものではないのです。



誰の課題か?



 子どもが宿題をしない時どういう対応をすればいいかについて、少しこれまではとは違った視点から考えてみましょう。行為の結末が誰に降りかかるか、誰が最終的に行為の結末を体験し、責任を取らなければならないかと考えると、勉強は、子どもが責任を取らなければならないということがわかります。このことを、勉強は子どもの「課題」であるというふうにいいます。勉強が子どもの課題であるとすれば、いきなり「勉強しなさい」と親がいうことは、子どもの課題に踏み込んだことになり、子どもとの衝突は必至のものとなります。

 他方、子どもが宿題をしないことが気にかかるというのは、親の課題です。原則的にいえば、このような親の課題を子どもに解決させるわけにはいかないのです。あなたが宿題をしないのを見るといらいらするからといって、子どもに宿題をしなさいといってはいけないということですし、いえないということです。



不適切な行動とは?



 実は、これまでのところでは、不適切な行動とは何かは明確には説明しませんでした。不適切な行動とは、直ちに不正な行動であるわけではありません。正しい、正しくない、あるいは、善い、悪いは、われわれの主観的な判断であることが多く、客観的な根拠に乏しいのです。

 他方、ある行動が不適切かどうかは、ある程度客観的な判断基準に基づいて区別することができます。即ち、「共同体(家族、職場、学校、地域など)に対して破壊的な行動が不適切な行動である」と定義することができます。「破壊する」というのは、「実質的な迷惑をかける」ということです。したがって、世間的には悪い行動、問題行動であると思われていても、他の人や社会に迷惑をかけるのでなければ、必ずしも不適切な行動とはいえません。例えば、服装違反などは、誰にも迷惑をかけるわけではありませんから、不適切な行動ではないわけです。

 このように、行動の結末が他者に破壊的な影響を及ぼさないのであれば、不適切な行動とはいえません。では、共同体に対して破壊的ではない行動はすべて適切な行動かといえば、そうではありません。例えば、勉強しないことは、本人だけが困ることであり、他の人に実質的な迷惑を及ぼすわけではありませんから、不適切な行動であるということはできません。しかし、さりとて、適切な行動であるともいえません。このような行動を「中性の行動」ということにします。

 このような中性の行動に、親や教師は「問題行動」というレッテルを貼ってしまいます。勉強しないこと、忘れ物をすること、遅刻をすること、髪の毛を染めること、などです。



中性の行動へのアプローチ



 このように考えると、共同体に対して破壊的な行動については、これを問題にし、改善を要求する権利はありますが、中性の行動に対しては、本人の意思を尊重し、頼まれもしないのに介入していく権利はないということになります。

 例えば、自分の部屋だけを散らかしている子どもに、当然のことのように、部屋を片づけなさい、と親はいうことはできませんし、あるいは、いえないわけではありませんが、いうためには一定の手続きが必要なのです。不適切な行動には注目しない、といった時、この不適切な行動は、実は、共同体にとって破壊的な行動という意味ではなくて、中性の行動である場合が多いのではないか、と思います。ということは、そのような行動には、注目しない、というよりも、注目する必要がない、といった方が適切であるわけです。

 しかし、ともすれば中性の行動であるにもかかわらず、行動の改善を要求したり、少なくとも、改善することを期待することはよくあることではないかと思います。ある看護学校で講演をしたことがあります。僕は全然気に止めなかったのですが、講演が終わり、質疑応答の時間になったときに、先生が質問されました。「この子たちを見てください。ほとんどの子が髪の毛を染めているでしょう? どう思われますか?」と。困ってしまいました。「別にいいのではありませんか」と答えたら、学生は喜びましたが、先生は愉快ではなかったようです。日本の若いオリンピック選手、しかもメダルをとった選手が髪の毛を染めていることが話題になったことがあります。フランスのワールドカップに出た選手が日本に帰ってきた時、レポーターが「ワールドカップの時と髪形が違うようですが」と質問したら、「それはサッカーと何か関係がありますか?」と応酬しているのを聞いて、頼もしいと思いました。このことについては後にも問題にしようと思います。



課題の分離



 さて、このように、いつもこれは誰の課題なのかを考えていかなければなりません。課題としては、まず、「私の課題」があります。また、相手が解決しなければならない「相手の課題」があります。

 中性の行動は、私の課題ではなく、相手の課題ですから、これに介入することはできません。このように考えることはクールであり、伝統的な考えとは相容れないと思われるかもしれません。しかし、対人関係のトラブルは、相手の課題に許可なく踏み込むことから起こることがあまりに多いように思います。それほど今の家族関係においては、誰の課題かがわからなくなり、錯綜しています。カウンセリングの場面で行われることは、誰の課題かをはっきりさせること、課題の分離に終始するといっても過言ではないくらいです。誰が困るのか…困るとしても、はたして実質的に困るのか?

 息子が保育園に行っていた頃、よく「甘やかしはやめてえな」といっていました。「甘やかしってどういうこと?」とたずねたら、「頼まれもしないことをすること」という答えが返ってきて驚いたことがあります。課題に踏み込むことは、子どもを甘やかし、子どもを無責任にすることになってしまいます。



共同の課題



 しかし、それでは私は私の人生を生きます、あなたはあなたの人生を生きてくださいというのでは困るのです。私たちは自分の問題を自分で解決しなければならないのですが、残念ながら、私たちの能力は限られていますし、自分が抱えている問題をすべて一人で解決することはできません。実際、自分の課題であるかもしれないが、どこまでも自分の力だけで解決することが不可能ではないが困難であるということはよくあることです。自分の力だけで何とかしなければならないという思い込みが強いというのも困ることがあります。

 そのような場合、他の人の援助を受けなければなりませんし、逆に、他の人を援助しなければなりません。共同体の全員、あるいは、一部が、共同して解決しなければならない問題は、絶えず起こってきます。

 そこで、「私の課題」「相手の課題」のほかに「共同の課題」を設定します。しかし、何でもかんでも共同の課題になるわけではありません。本来は個人の課題であり、本人の責任において解決しなければならないのです。共同の課題にするためには、まず、共同の課題にしてほしいという依頼があり、共同の課題にしようという了承があることが必要です。即ち、両方、あるいは、複数の当事者の了解が必要なのです。私の課題、相手の課題は、了承のあるなしに関わらず区別できます。しかし、共同の課題の場合は、このような話し合いが必要なのです。



保育園での喧嘩



 息子は二歳の頃、よく保育園で噛まれてきました。小さな子どもは加減をしないので、ひどい歯形が残ることがあります。なぜか、背中を噛まれるので不思議に思ったことがありました。「上があ、〜君が噛んで、下が〜君が噛んでえ」と説明してくれました。よく聞けば、自分が読んでいた絵本を貸してほしいといわれたのに、「絶対貸すもんか」と拒んだために、がぶりと噛まれたようなのです。

 喧嘩は子どもだけが困ることであって、親が困ることではありません。このような問題に対しては当然のことのように親が介入することはできません。まず、「噛まれないために、考えがあるのだけれど、聞いてみたい?」と、課題の共有への提案をします。引き受けてくれれば、例えば、「そういう時は、貸してあげたら?」というように、提案します。「聞きたくない」といわれれば、「では、また気が変わったら、いつでも相談にきてください」といって、しばらく噛まれ続けてもらいます。





忘れ物 誰の課題か?



 ある時、保育園に出かける前に、僕だったか息子だったかが、今日はお誕生会であることをふと思い出しました。この日は特別の日で、お弁当を持っていかなくてもいい日です。それなのに、そんなことはすっかり忘れていたので、中のご飯を出さなければなりませんでした。それに、お誕生会の数日前までに、お米を一合持っていかないといけないのですが、そのことも忘れていました。

 また、月曜日の朝、よく忘れ物をしました。土曜日に持って帰った上履きや布団を月曜日の朝持っていかなければならないのですが、よく忘れたものです。もちろん、鞄と同じところにかけておくなど、忘れないための工夫はしているのです。それでも忘れてしまいます。前の日に買ってもらった新しい靴に注意をすっかり奪われてしまい、靴を履こうとしている間に上靴のことはすっかり忘れてしまったのです。忘れっぽい子どもというのは集中力があるといえるかもしれません。

 先生は忘れ物をさせないのは親の責任だといわれることがありますが、忘れ物をしないようにするというのは、子どもの課題ではないか、と思います。たとえ、親が忘れていても、指摘してくれれば、そうだった、忘れてたね、教えてくれてありがとう、と忘れ物を未然に防ぐことができますが、子どもも大抵一緒になって忘れています。保育園についたとたん、「あ、かばんがない!」といわれた時には、力が抜けてしまいます。

 親がしっかりしていて、決して忘れ物をしないようにしていれば、たしかに忘れ物は減るでしょう。しかし、子どもは依存的になって、親任せになり、忘れた時には、親のせいにしかねません。



忘れ物 そんなに困ってないかもしれない



 息子が年長組だった時、ある日、月曜の朝、上履きを忘れたことに気がつきました。上履きがなければその日一日中裸足でいなければなりません。三歳までは、保育園では上履きを使っていませんでしたから、実のところ、そんなに困ってはいませんでした。一歳の頃から保育園にきている子どもたちは、上履きを使うようになっても、最初は上履きを履こうとしないので、保母さんが困っていました。

 上履きを忘れたことに気がついた彼はこの日、「もう一度取りに帰ってくれない?」とお願いしました。

 自転車でも十分くらいかかりますから躊躇しました。しかし、その日は、一度帰るだけの時間があったので、息子の申し出を受け入れることにしました。上履きを届けた時、喜んでくれました。

 これとは別の日、また上履きを忘れました。その時も取りに帰ってほしいと頼みました。しかし、その日は、保育園からそのまま駅まで自転車で行かなければならず、家に戻る時間はありませんでした。そのことを説明すると、「うん、わかった」とあっさりと引き下がってくれました。

 よく忘れ物をする子どもでも、自分にとって本当に大事なことは、決して忘れたりはしません。遠足の前の日は早く寝、朝も早く起きられるのと同じです。

 ある日、保育園から歩いて一時間くらいの距離のところにある体育館まで歩いたそうです。その日、水筒を持っていくのを忘れました。この時も用意はしてあったのですが、保育園に出かける時に、持っていくのを忘れたのです。僕は保育園から帰ってきてそのことにすぐ気がついたのですが、大学の講義の日だったので持っていくこともできず、どうすることもできず、その日太一の帰るのを待ちました。一向にそのことに言及しないので、それとなく水筒のことに話を向けると、「ああ、保育園のやら、友だちにお茶飲ませてもらったわ」という答えが返ってきました。全然困っていませんでした。忘れても、友だちに頼んで飲めるというのは一つの才覚なのでしょう。

 保育園の黒板を見ると、例えば、ハンカチを忘れた人と名前が書いてあることがあります。年少組などでもよく見かけるので、子どもに向けられたものというよりも、それを見た親が恥ずかしいと思って忘れ物がないように働きかけるのがねらいだと思います。

 これとは別に「競争」をさせる先生が多いのです。身長と体重の一覧がグラフにして掲示してあるのを見て驚いたことがあります。誰がどれくらいの背か体重はどれくらいか一目瞭然なのですが、それを見て、では子どもにいったい何を期待しているのか理解できません。子どもたちに早く大きくなるように競争させるのがねらいなのでしょうか? 給食をあまり食べない子どもたちに、そんなことでは大きくなれないよ、と脅かすのがねらいなのでしょうか…



迷惑な時



 共同の課題にできるもう一つの場合があります。共同体に対して破壊的な行動がなされる場合です。子どもが自分の部屋を散らかしているのであれば、これは中性の行動であり、そのことで他の家族が困ることはありませんから、片づけなさい、という必要はありません。しかし、居間などの共同のスペースを散らかしているのであれば、話はまったく違ってきます。これは実質的な迷惑ですから、片づけてくれるようにお願いすることができます。

 しかし、何がなんでも子どもが片づけなければならない、自分で出したのだから、自分で片づけなければならないと考えない方が、子どもとの対人関係はうまくいきます。

 ある日、僕の友人が遊びにきてくれました。夕食時になって困ったことが起きました。息子がプラレールを使って複雑なレールを部屋一杯に完成させていたのです。それを片づけなければ、食事をすることはできません。

 友人は息子にこういいました。

「レールを片づけてくれませんか?」

太一は、これに対して、

「いや」

との返事。

「僕たちが片づけてもいい?」

「いいよ」

 そこで、彼は一緒にきていたに友人に向かってこういいました。

「わあ〜い、僕たちが片づけてもいいんだって」

そういって二人で楽しそうに片づけ始めました。驚いたのは息子でした。彼も一緒になって片づけ始めました。

 何も声をかけず、親が子どもが出したものを片づけると、子どもは無責任を学ぶことになります。自分の不始末は、親が片づける、尻拭いをしてくれて当然と思うようになるからです。しかし、お願いをしてからなら、大丈夫でしょう。共同のスペースを散らかした場合は、散らかしたのが誰であれ、気がついた人が片づければいいということを学ぶでしょう。そのうち、多くの家庭で起こることですが、お父さんはしょうがないなあ、背広を脱ぎっぱなしにして、とか、新聞を広げっぱなしにしてたら駄目でしょうなどと子どもにいわれることになります。

 このように親が片づけることは、必ずしも悪いことではありません。ここでの課題は「共同のスペースを清潔に保つこと」であって「誰が掃除をするか、片づけをするか」ではありません。まして「親と子どものどちらが強いか」でもありません。子どもと喧嘩をして勝つ必要はありません。要は、部屋がきれいになればいいわけです。

 そもそも、このように片づけることは嫌なことではなくて、本来、楽しいこと、うれしいことのはずなのです。ですから、片づけないことは、そのような喜びを感じられないということです。頼む方も、ひょっとして片づけることは嫌なことだと思っているのではないでしょうか? 自分の嫌なことは、他の人にとっても同じですし、そのように思って頼むと、相手にも嫌なこととして伝わります。上の話で二人の友人は「楽しそうに」片づけ始めたというところがポイントです。

 この連関でいうと、家事は昼間家にいる主婦(主夫)だけの仕事なのではなく、昼間外に出ているパートナー、子どもたちにも、「あなたたちは昼間は家事はできなかった。でも今は家にいるのだから、家事をしてもいいのだよ」といっていいのです。

 友人から聞いた話ですが、娘さんがある日食事の時にスプーンを落としました。「拾って」と彼女が頼んだので、母親はすぐに拾おうとしました。すると、父親が「自分が落としたのだから自分で拾わせろ」といいました。母親はこれを聞いて気持ちがぐらつきました。かくて、その家では、三日三晩、スプーンが床に落ちたままになっていました。スプーンを見るたびに嫌な思いがよみがえりました。「(拾わないで放っておくことは)エネルギーがいったのではありませんか?」とたずねると、「ええ」という答えが返ってきました。「拾って」と言葉で頼んでいるのですから、僕だったら、このようなエネルギーを使うことなく、あっさり拾いますけどね。



体験から学ぶ



 あることがまったく相手の課題であり、相手だけが困ることであれば、どうすればいいでしょうか? このような場合、つい声をかけてしまうことがありますが、あるいは、叱ったり、罰したりしますが、そのような方法とは違う方法、「結末を体験する」という方法があります。



道に迷った息子



 ある日、二人の子どもを連れて友人の家に行きました。毎月ここで勉強会をしていました。子どものある親は子どもも伴って参加します。それまでは息子は、その家に集まる子どもたちと遊んでいたのでしょうが、小学生であるのが自分だけなのに気がついて居心地が悪くなったのか、そこから、息子の足だと三十分くらいのところにある祖父母の家に一人で行くといいだしました。一度も歩いたことのなかった道ですが、地図があれば大丈夫だろう(この地図が簡略すぎたのが、後で災いすることになるのですが)、と僕も息子も判断したので、彼は地図を片手に出発しました。

 数十分後、到着したという電話があり安堵したのですが、聞けば、知らないおばさんに連れられてきたということ、しかも、タクシーで連れてきてもらったと聞いて驚いてしまいました。思っていたより遠かったのでしょう。おそらく道も間違っていたのではないのでしょうが、いつもの見慣れた交差点にいつまでたってもたどり着かないことに焦りを感じた息子は、地図を見せて、通りかかったおばさんに道をたずねました。彼にとっては、幸か不幸か、その人は非常におせっかい、というか、世話好きの人だったので、道を教えてほしいという要求以上のことをされたわけです。無茶なことをさせたと思われるかもしれませんが、ついこの間まで、一人で行動することがほとんどなかったのに、まず何よりも自分から一人で歩いて行くといったこと、迷った時に、恐れずに道をたずねることができたことに感心しました。



鍵を忘れる



 うちは親が二人とも働いていますから、子どもたちが家に帰ってきても誰もいないことがよくあります。鍵を落とさないように、首に鍵をぶら下げて毎日通っているのですが、ある日のこと、息子が体育の授業の時に鍵をはずし、そのまま学校に鍵を忘れて帰ってきたことがありました。まだ、誰も帰っていませんでしたから、家の中に入れませんでした。

 一応、こういう時は、近所の(といっても、隣家までは離れているのですが)おばさんのところにいって待たせてもらう手筈になっていたのですが、その日、息子は玄関のところで二時間待つことを選びました。先に発見(!)したのは、母親でした。しかし、何の悲壮感もなく、晴れ晴れとした表情で「宿題をした」といったそうです。いったい、どんなふうにして外で宿題をしたのか不明なのですが、プリントがぼろぼろになっていたところからすると、地面にはいつくばってしたようなのです。道行く人は、きっと奇異の目で息子を見て通り過ぎたことでしょう。鍵を忘れた時にとりうる行動は、もちろん、他にもいろいろと考えられるわけですが、彼らしいこのような問題の解決方法を選択したことと、誰を責めることなく、宿題をしながら時間を過ごしたことに驚きました。

 その後、また鍵を忘れてしまいました。この時は、前とは全然別の仕方で対処しました。その日は、僕は家で仕事をしていたのですが、息子から電話がかかってきました。息子から電話を受けたのは、この時が初めてのことでした。鍵を忘れたら行くことになっている家からでした。

「僕、〔学校に〕鍵を忘れてしまったから……家に〔お父さんが〕いるかと思って」

 もし不在だったら、そこにいさせてもらったのでしょうが、前回と比べて、電話を貸してもらって家人がいるかどうか確かめるあたり、僕自身が子どもだった時と違って、生活力があってたくましいと思いました。

 いつか夕方に帰ったら、家の前に傘とランドセルが見えました。また、鍵を忘れてどこかにいったのだろう、と思って家に近づくと、地面に置いた傘の向こうですわって寝ていました。鍵を開けて戸を開けようとしたら、ちょうど鍵の横に蝸牛がいました。「あっ、蝸牛」と僕がいうと、息子は「その蝸牛な、ここにいたんや」と戸の下の方を指差しました。蝸牛がそこまで移動する間待っていたのでした。

 このようなことが何度かあったので、鍵を忘れても心配するには及ばないことはわかっていたのですが、ある朝、いつものように鍵を首にかけていないのに気がつきました。僕は黙っていることはできませんでした。

「あのう、鍵を持っていないようだけど、大丈夫なの?」

すると、彼はこういいました。

「あのね、おとうさんはそんなことは心配しなくていいんだ」

後でわかったことですが、鍵を忘れた時に備えて、ランドセルの底にスペアキーを入れていたのでした。



夜更かし



 夜遅く僕の友だちから電話がかかってくることがよくありますが、まだ子どもの声がするので驚かれることがあります。夜寝る時間は自分で決めてもらうしかないので、それにどうやら次の日全然こたえないようなので、これはこれでいいのだろうと思っていますが概して不評です。

 「僕は夜が遅ければ遅いほど、元気はつらつになるんや。どうや、うらやましいやろう。こんな体がほしいか」

と息子はいいます。子どもが何時に寝るかを、親が決めることはできないのです。

 ある時、岡山に出張で出かけた日、朝六時に目覚ましのベルが鳴ったのに起きられず、布団の中でぐずぐずしていたら、ごそごそと人の起きる気配がします。しばらくして起きていくと、息子が朝食の用意をしてくれていました。そういえば、前の晩に、炊飯器のタイマーをセットしていたのを思い出しました。

 その日、深夜に帰宅すると、息子が僕が帰るのを待ってくれていました。ストーブの前で布団もかけずに寝ていました。僕が帰ってきたのを知ると、すくっと起き上がりました。

「待ってくれてたの?」

「うん、でもいつのまにか寝てしまった…おかえり」

そういって、豚汁を出してくれました。



夏休みの宿題



 夜更かしといえば…息子が通っている小学校では夏休みの宿題を、夏休みの間の登校日に提出することになっています。その日に、宿題の大半を提出しなければなりませんが、そのためには毎日きちんと勉強していなければ間に合いません。

 ところが、その夏まったく宿題をしている気配がありませんでした。というか、正確にいうと、ワークブックだけは最初の一日か二日でやり遂げていたようです。京都には地蔵盆という行事があります。子どもたちが町の集会所に集まって、くじ引きをしたり、金魚すくいをして遊びます。息子はそこで同級生に会い、次の日が登校日であることを聞きました。

 さて、こんな場合、どうしますか? 宿題はまだほとんど手つかず、しかし、次の日、提出しないといけないのです。僕だったら、休むだろうな、と思いました。実際、旅行に出かけているというような理由で登校しない子どももたくさんいるようですから。あるいは、登校するが、宿題は提出しないという選択肢もあるわけです。

 ところが、予想に反して、宿題を仕上げて登校することを選択したのです。九時ごろから宿題にかかりました。十二時ごろになって眠くなってくると、「ねむいよ〜」と泣きました。

 しかしその後は眠たさを克服したのか、とうとう朝まで宿題をし続けました。僕も一緒にキッチンのテーブルで仕事をしていましたが、僕の方は三時くらいに寝ました。小学校の三年生で徹夜したことは、僕はありません。僕は六年生の時、担任の先生から電話があって、図書の感想文コンクールに出したいから、明日までに書いてくるようにといわれ、かなり遅くまでかかって書いたことがありましたが、徹夜はしませんでした。

 次の日の朝、朝食を食べながら少し残った宿題をしていました。そして、何とか仕上げた宿題を持って、いつものように、「いってきます」と全力疾走で出かけていきました。

 家に帰ったのは十二時くらいでした。登校日なのでプールがあり泳いできたのです。「あ〜疲れた」というと、五秒くらいで眠りにつきました。



自然の結末の体験



 子どもが失敗することがわかっている時に、あえて声をかけないでいることには勇気がいります。もちろん、致命的なことについては、体験するのを待つわけにはいきませんし、止めなければならないのはいうまでもありません。道路に飛び出したらどうなるかというようなことは、体験して学ぶというわけにはいかないのです。しかし、そうでない場合は、失敗を体験することで、以後失敗をしないためにはどうするかを学んでほしいのです。ランドセルの底に鍵を入れておくという発想は、鍵を忘れるという痛い失敗の体験を通じて自分で考え出したことです。もしも親が子どもが失敗することを恐れ、先回りして鍵を忘れることのないよう配慮していたとしたら、何も学ばなかったでしょうし、それどころか鍵を忘れた時に、親に忘れたことの責任を転嫁していたかもしれません。

 できることは自分でしてもらうように援助したいのです。できないこともできる、といわれると、それはそれで困ってしまいますが、できることを自分でできるようになるには、不用意に手出し、口出しをしないことが自立を促すことになると思います。

 ずっと話してきた育児や教育は、過保護でもなく、放任でもありません。子どもに結末を体験してもらいはしますが、もしも子どもの手に余る場合は、出ていって、共同の課題にすることを提案し、援助する姿勢を示し見守るという姿勢です。これは決して放任ではありません。



見守るということ



 僕は若い時には車の免許は取らなかったのですが、三十八歳の時に思い立って免許を取りました。仮免許の試験には三度も落ちるなど、かなり苦労をしました。

 最後の路上での検定試験の時、狭い通りから何車線もある広い通りへ左折する時、歩行者が横断歩道を渡り終えたのでもう大丈夫、と思って車を動かしかけた途端に、ひょいと自転車が車の前を横切り、危うく接触しそうになりました。僕は当然ブレーキを踏みましたが、検定員もブレーキに足をかけました。カチャという音がしました。ああもう駄目だとその後はもう失意のまま走りました。実際にはブレーキは踏まれたわけではなかったのですが、もしも、検定員がブレーキを踏めば、即その場で検定中止となります。しかし、教習所に戻って結果を聞きにいくと、意外にも合格でした。その講評の時の話です。

「危なかったね。でもあなたはアクセルを踏まないでゆっくりとクリープ(オートマチック車はアクセルを踏まなくてもブレーキから足を離せば、ゆっくりと前進します)で車を動かしたし、それに左をもう一度目視したので、ブレーキに足はかけたけれど、踏まなかったのですよ」

 こういうのが信頼というのだろうか、と後々この時のことを何度も思い返しました。育児の場面でも、注目しない、ということの意味は、このように必要があれば、いつでもブレーキが踏めるように構えはしておくが、けれども決して先回りしてブレーキを踏まないことではないかと思います。大事にならないうちに早々に、ブレーキを踏んではいないでしょうか?



話し合いによる結末の予想



 自然の結末を体験できない場合は、話し合いによって結末を予測してもらい、行動を思いとどまるかどうかは相手の判断に委ねるという意味での、話し合いによって結末を予測する方法を用います。「道路に飛び出せばどうなると思う?」というふうにです。人から結末を押しつけられれば、反抗し、不合理な行動を子どもたちがとることがあります。親のいうことに従えば親に負けると考えるからです。

 この方法は、小学生になれば完全に使えますが、五歳以下であれば、結末を予測する力がまだ不十分ですから使うことができません。それに子どもの論理というのは、大人の論理と若干違う場合もありますから、気をつけなければならないのです。

 ある時、僕の友人が、四歳の女の子に「ウサギとカメとどちらが偉いと思う?」とたずねました。しばらく考えて、彼女は答えました。「ウサギ!」と。「どうしてそう思うの?」答えは明快でした。「だってウサギさんはお昼寝したもん」彼女は保育園に通っていたのでした。

 思春期であれば、「そんなことをしていたらどうなると思う?」というメッセージそのものが、すでに攻撃的なメッセージを含んでいますから、使うことは非常に困難です。横の関係があり、感情的にならず冷静に話しあえるのであれば、この方法を用いるのは可能ですが、皮肉や威嚇と受け取られる場合は、この方法を使うことはできません。

 見方を変えていうならば、結末を予測しても、そのことが皮肉や威嚇と受け取られないような親子関係を築くことが育児の目標である、ということもできます。



エレベータ事件



 ある日大学で勉強会があり、エレベーターがあったのが一緒に行った息子の関心を引いたようで、一緒に来ていた小学生の女の子と上に行ったり、下に行ったりして遊んだようです。その喜びを共有したい息子は、母親もこの遊びに誘いました。困ったと思ったそうですが、一度だけその誘いにのりました。エレベーターの中で、こういいました。

「もし今地震が起きたら、エレベーターの中で一時間は閉じこめられることになるよ」

 すると、息子は遊ぶのをやめてしまいました。これも話し合いによる結末の予測といえるでしょう。地震があるかどうかはわかりませんがうそをいっているわけではありません。先のことを予測する手伝いをしたわけです。しかし、この言い方は感情的にいったわけではありませんが、ただの脅しに聞こえかねません。

 友人にこの話をすると、私だったら、他の人の迷惑になるからやめてほしい、と伝えるということでした。たしかに、地震が起こると困ったことになるのは事実であるかもしれませんが、そういうことは確率的にめったに起こることではありませんから、そういう事態を予測することで子どもにエレベーターで遊ぶことをやめさせるのは、あまりフェアとはいえない、という意見でした。まったくその通りだと思います。

 この他の人の迷惑になるというのは大切なことです。電車に乗っていても、このことは絶えず注意しなければなりません。電車の中で子どもが足をぶらぶらさせていて、それがぶつかることがあります。子どもに注意することがある、とその友人はいいます。すると、子どもの横にいる親が、その子どもを叱るので、それは困ってしまうことがあります。

 僕は、エレベータの場面に遭遇しませんでしたから、そういう状況を仮定して、僕がどういう対応をするか考えてみるのですが、僕は、子どもにエレベータをその本来の目的以外に使うのであれば、やめてもらいたいと思います。そうすることが、他の人に迷惑になるからです。たしかに、あの時、大学の構内は閑散としており、現実的には、子どもの行動が他の人に迷惑をかけなかったかもしれませんが、可能的にであれ迷惑をかけるのであれば、認めることはできない、と思うのです。

 一般に、結末の予測は、プラスのイメージを喚起する方がうまくいくようです。ある時、次の日が遠足であるにもかかわらず、なかなか寝ようとしません。こういう場合、早く寝ないと明日気分が悪くなるよ、というと、たしかにそのとおりかもしれませんが、子どもが意欲を失うことがあります。むしろ、「早く寝たら、明日の遠足、元気にいけて、きっと楽しいと思うよ」とプラスのイメージを作る援助をした方がいいと思います。そういうと、息子は、それまでぐずぐずしていたのに、すぐに寝る用意を始めたことをよく覚えています。

 いつか、テレビを見ていたら、たまたまプールで子どもが溺れる場面がありました。僕は格別気に止めなかったですが、息子にはショックだったようで、「忘れようと思っても忘れられない」と一週間くらい、いい続けていました。それまでは風呂にもぐったり、遊んだりで長い時間入っていたのに、そのテレビを見てからというもの、体を洗うとすぐにあがるようになってしまいました。保育園でプールが始まるので困ったものだと思っていましたが、幸い、また最近は風呂を楽しんでいます。これは結末の予測が効きすぎてしまったと思われるケースあり、結末の予測が威嚇として受け入れられている場合でしょう。



なぜ民主的育児か?



 これまで話してきたようなことは、非常に手間暇がかかります。子どもが不適切な行動をしている時、あるいは、親の目から見て気に入らないことをしている時に、子どもを一喝すれば、その行動を止めることができるかもしれません。しかし、一方で、子どもを叱るということは、行動を続けさせることになります。叱る人がいなければ、適切な行動をしないことになります。他方、ほめられた子どもは、たしかに喜んで適切な行動をするようになるかもしれませんが、ほめる人がいる時しか適切な行動をしないようになります。

 これまで「罰」と「ほめること」に代わる育児、教育について話してきました。それは一言でいえば、民主的な育児、教育である、ということができます。なぜ、このような手間暇がかかかることをしなければならないのでしょうか?



本当の強さとは



 僕は自宅で仕事をしていることが多かったので、夕方遊びに来る子どもの友だちと顔を合わせる機会がよくあります。今ではどの子どもたちも僕のことを知っていますが、最初の頃は僕のことを父親とは認めてもらえなくて、息子がよく「あれ(「あれ」はないだろう)はお父さんや」と友だちに説明していました。すると初めて「ふうん」と納得してくれるのでした。

 ある日、息子と家に遊びに来ていた息子の友だちとの会話を耳に挟んでしまいました。よく喧嘩をしてはまわりの友だちや先生、親を困らせている、乱暴だといわれるある友だちのことが、二人の間で話題になっていました。

「〜君は、強そうにみえるけど、ああいうのは本当の強さとはいわないなあ」

「うん、僕もそう思う」

「本当の強さって何?」と、近くにいた僕は思わず聞いてみたくなりました。

 小学校に入ってから間もない頃、蹴られて、両方の鼻から出血するという怪我をしたことがありました。喧嘩の相手の親から電話があったり、担任の先生が事情を説明にこられたりして、ちょっとした騒ぎになってしまいました。子どもが怪我をしても平気とは決していえませんが、それでもまだ怪我をさせたのではなくてよかったと思いました。

 その後もいろいろとあったようですが、どこまでも正義の騎士である息子は、傷つけられても仕返しをすることもなく、喧嘩の仲裁に入っては、蹴られてあざを作って帰ってきたこともありました。

 ある日、

「今日は、僕勝ったで」(怪我の後を見せて)

「泣かなかったもん」

と得意そうにいっていました。



言葉による問題解決



 既に話してきたように、子どもたちは私たちとは対等の関係にあります。初めてアドラー心理学を学んだ時、実は、このことが一番受け入れがたく、子どもと大人は同じではない、子どもは子ども、大人は大人、と思ったものです。たしかに子どもと大人は「同じ」ではありません。知識も経験も多少は(あくまでも多少)違いますし、取れる責任の量も違います。ですから、例えば、門限があるとすれば、時間は違っても(小学校一年生の門限が10時というわけにはいかないでしょう)、子どもだけではなく大人にもなければなりません。子どもにはあって、大人にはないとすれば、それは差別の論理です。このように子どもと大人は同じではないけれども、対等なのです。この意識が真に身につかなければ、勇気づけも他のこともすべて無効、それどころか非常に有害だと思います。容易に親が子どもを支配することになってしまいます。子どもが何か問題を起こした時、すべて私のせいだという人があります。本当にそうなのでしょうか。そのような親は、もしも子どもが成功したら(何をもって成功というかは問題ですが)私のお陰でこの子は成功したのだ、というのです。子どもは自分の努力で成功したのです。子どもが、自分が今こんなふうになったのは親のせいだということはあります。しかし、そういう子どもとて、実際のところは、自分が親の操り人形だとは思ってはいません。そもそも親が子どもをしつけるとか、親が子どもを教育するのではないのでは、と思います。子どもが育つのを親が援助する、あるいは、せめて邪魔をしないことを目指すべきです。子どもは親がいなくても育つどころか、子どもは親がいても育つというのが正確かもしれません。それほど子どもはたくましいのです。

 多くの子どもは、勇気を挫かれ、普通である勇気を持たず、特別であろうとしています。しかし、最初、特別よくなろうとするのですが、すぐにそのことが難しいことに気がつきます。そして、一転して、特別に悪い子どもになろうとします。そうすることによって、親や周りの大人に認めてもらおうとします。私たちのできることは何か? 不適切な行動に注目せず、特別な行動にだけ注目するのでもなく、子どもの行為というよりは子どもの存在そのものに注目します。そのことを「勇気づけ」という言葉で表現しました。勇気づけることによって、子どもが家庭や学校、社会の中で、しかるべく自分の居場所を見つけるのを援助したいと思います。もとより、そのような私たちの働きかけを子どもが受け入れてくれるかどうかはわかりません。しかし、私たちが子どもたちを、言葉の本当の意味での対等な存在として受け入れることしか始めることはできません。

 そのような対等な子どもを、私たちは叱ったり、批判したり、罰したり、また、ほめたりおだてたりしてはいけないのです。さらに、子どもたちに感情的に接するのではなく、いかなる場合も、言葉を使います。そのことによって子どもたちが言葉による問題解決するモデルになりたいのです。誰かが始めなければなりません。誰かとは誰か? それはあなたです。

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