美内すずえ
TVドラマ化された『ガラスの仮面』の作者である美内さんは、『宇宙神霊記』(学研)の中で創作の秘密を語っています。その説明によると締切が迫り睡眠時間を削って一生懸命アイディアを練るわけですが、最初は集中することはできません。肩は苦しい頭を痛くなる。ところがある瞬間から先になると体の感覚がポンとなくなり(「壁一枚を超える」と表現されている)、クリーンな精神状態になるのだそうです。すると汲めども尽きぬ泉のごとく、アイディアやネーム(吹き出しのせりふ)が湧き溢れてきて、心に浮かんでくるものをただ紙の上に描いていくだけでいいことになるのだそうです。
プロティノス
三世紀の哲学者であるプロティノスは目が不自由なこともあって、自分が書いたものを二度と読み返すことはなかったと伝えられています。ポルピュリオスの『プロティノス伝』によれば、彼は考察を最初から最後まで自分の心中で完成させておいてから書き始めました。その様子は他の書物から転写しているかとばかり疑われるほどであったそうです。執筆の途中で他の誰かと話をしても、対話の相手が帰るとそれまでに書かれていた部分を読み返すこともなく残りの部分を書き継いでいきました。そのありさまはまるで談話をした途中の時間が全然介入しなかったようであったとポルピュリオスは語っています。
プラトン
プロティノスは新プラトン主義の哲学者といわれていますが、その名の元になっているプラトンはプロティノスとは違って、何度も書き直しをしました。有名な『国家』は次のような一節で始まります。プラトンはこれを何度も何度も書き直しています。
「きのうぼくは、アリストンの息子グラウコンといっしょに出かけて行った。女神に祈りを捧げるためだったが、もうひとつには、そのお祭りがこんど初めての催しだったので、どんなふうに行われるものか、見物してみたいという気持ちもあった」(藤澤令夫訳)。
驚くべきことに彼は80歳まで著作活動を続けます。最晩年の対話篇『法律』は未定稿のようなところがあり読みにくいのですが、これは老年の衰えによるのではなく、プラトンのこの絶筆を整理した人たちが、一種の忠実さで発見された草稿のすべてを収拾しようとした結果と見ることもできます(田中美知太郎全集7、筑摩書房、p.439)。キケロはプロトンは書きながら死んだといっていますが、これは文字どおりに解することができるかもしれません。
リチャード・バック
『かもめのジョナサン』を描いたリチャード・バックは、自分で『かもめのジョナサン』を書いた気がしないと感じていました。1959年のある夜、近くの運河を歩いているにバックは”Jonathan Livingston Seagal"という声を聞きました。回りを見渡しても誰もいない。帰宅してから、さらに驚いたことに、その声が3次元的な形としての本になったイメージを起こし、それからその声はやみました。その後彼は独力で原稿を完成しようとしましたが、成功しませんでした。8年後はその声を再び聞きました。その声とともに本の残りが完成したのです。一体誰が書いたのでしょうか(Jane Roberts, The Nature of Personal Reality, Bantam Books, pp.54-5)。
バルザック
バルザックは午後6時にネットに入って12時に起き、それからその日の正午まで、片時もコーヒーを手はなすことはなく、12時間ぶっ続けに書き続けることを日課としていたそうです。また、彼の校正癖でも有名で10校以上を重ねることを珍しくなかったそうです。校了の時には最初の文字が一語も残っていないこともしばしばで、『谷間のゆり』の時は、この性癖に閉口した印刷社が草稿刷りをひそかに2通作り、バルザックに存分に添削させている間に、決定稿完成を待つことなく、無断で草稿刷りを発表するという「ゆり事件」」が起きています。
アリス・ウォーカー
アリス・ウォーカーの『カラー・パープル』(柳沢由美子訳、集英社文庫)の訳者による解説(「自然の中のアリス・ウォーカー」)の中に次のような話が紹介してあります。パーカーはこの作品を書くのに5年も費やすつもりだったが一年ももかからずに書き上げてしまい、愛する人々を一度に全部失ってしまったような気持ちであった、とをエッセイの中で語っています。ウォーカーはこの作品を書くために机に向かうことはなく朝食のテーブルや人と話している時に思いついたことを新聞の端や、ティッシュペーパーの切れ端に書き留めました。
「ある時は部屋の本棚のあたりから話が聞こえ、ある時は散歩してるときにミスターの声が体の中から湧いてくる」(pp.358-9)。
ウォーカーはこのように語りかけられている言葉を書き綴り、自分はその言葉に何も書き加えることなく『カラー・パープル』を書き上げたのでした。
岡潔
数学者の岡潔がある夏招かれて北大の理学部の応接室だった部屋を借りて研究をしたことがありました。そこには立派なソファや安楽椅子がありました。何かやろうとし始めるのですか、十分もたてば眠くなってソファで眠ってしまいます。学校で眠ってばかりいるというので理学部中で評判になってしまったほどでした。
ところがそろそろ帰らなければならない9月のある朝、友人の家で朝食を呼ばれた後、隣の応接室ですわっているうちに、だんだん考えが一つの方向に向いてきて、2時間ほどすわっている間にどこをどうやっていいかすっかりわかってしまったのだそうです。北海道に行く前に岡はその時着手していた問題に全く解決の糸口を見いだすことができない状態でした。岡はこのようにいっています。
「全くわからないという状態が続いたこと、その後に眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間おかなければ立派に成熟することはできないのだと思う」(『日本のこころ』講談社文庫、p.29)。