アドラーが話していた蛙の話を伝えたAlfred Farauが、アドラーが『死』についてどう考えているか報告しています(Alfred Adle:As We Remember Him, pp.68-9)。アドラーが57歳、ファラウは23歳です。
[君はこの頃もの思いにふけっているようだけど…どうして話さないのだね?」
「アドラー先生、死のことを考えていたのです」
「君はよく死のことを考えているね」
「ええ、そうなんです。でも今度はよくないです。何かにぶつかったみたいで」
アドラーは微笑みました。
「で、何か発見したかい?」
「ええ、『死』は間違いだと思います」
「説明してごらん」
「アドラー先生、人はどんな場合も死ななければならないと思いますか?」
「そんなふうに考えていたら、医者にはならなかっただろう。私は死と闘いたかったし、死を殺し、死をコントロールさえしたかった」
「わかっています。私がいいたいのは人は死を避けることのできないものとして受け入れるということが突然わかったということです。でも誰がこれが本当だというのでしょう? アドラー先生、寿命を100歳、120歳、150歳まで延ばせると私は確信しています。いや、限界はないかもしれません」
「君の考えに賛成だよ。医者として、心の研究者として観察してきて命を延ばすことは可能だし、いつの日にかあたりまえのことになるだろうと思うようになった。でも人間の生物学的、生理学的な法則、身体の成り立ちはほとんどわかっていないのだ。それにもかかわらず、ほとんど知らないからといって、細胞や、内臓の諸部分、あるいは内臓の全体を保存することができないということにはならない」
「アドラー先生、死後の生命は可能だとお考えですか? 生きた人間の成り立ちとか生理機能を離れて…」
「いわゆるオカルトのパフォーマンスで…霊媒など…私が見たものはあまり強い印象を与えなかった。でも、文字通り暗闇の中にある領域においてはまだまだ多くのことが発見されるだろう。身体とか生理機能から離れて生命がある、と私が信じているかどうか、君はたずねているのだね? 今は全く知られていない生理学の新しい法則が発見されるのでなければ私は信じない。しかしこのことも不可能ではない。でも、私が生きている間には起こらないと思う」
「アドラー先生、この私が死ぬと考えるのはこわくはありませんか?」
「いや私はこわくない。私はその考えとずっと前に調停したのだ」
「私は人生は底知れぬ深みだと感じることがあります。どうしたらいいのでしょう?」
アドラーは立ちあがろうとしました。
「生とうまくやっていきなさい。深淵の中にいなさい! 私がいえるのはそれだけだ。そして…生きなさい! もし死ななければならないという事実を変えることができれば、そうするだろう。しかしそうすることはできないのだから、そのような可能性を考えて私の人生をつらいものにはしないし、今私が楽しめることをふいにしてまで不幸になろうとは思わない。さあ、他の人が私を待っている。私はすることがたくさんあるのだ」