先の対話(「私は死と闘いたかったが」)の後8年後アドラーはアルフレッド・ファラウにいっています(Alfred Adler:As We Remember Him, p.46)。
「前になぜ医者になったか話したことがあったね。私は『死』を殺したかったのだ…でも、私は成功しなかった。しかし、途上で私はあるものを見つけた―個人心理学だ。それはやりがいのあることだった」
アドラーの幼い頃の経験は強い印象をアドラーに残したようです。
弟のルドルフはわずか一歳でジフテリアで亡くなりました。弟がジフテリアになった時、感染するというようなことは全く考慮されていませんでした。アドラーとルドルフは同じ部屋で寝かされており、また親は医者にみせず民間療法に頼っていました。ある朝、目を覚ますとルドルフはアドラーの隣で冷たくなっていました…
「生とうまくやっていきなさい。深淵の中にいなさい! 私がいえるのはそれだけだ。そして…生きなさい! もし死ななければならないという事実を変えることができれば、そうするだろう。しかしそうすることはできないのだから、そのような可能性を考えて私の人生をつらいものにはしないし、今私が楽しめることをふいにしてまで不幸になろうとは思わない。さあ、他の人が私を待っている。私はすることがたくさんあるのだ」
ファラウへのこの言葉からアドラーはもう話したくない、、あるいは、アドラーは面倒になったという印象を持つ人もいるかもしれませんが、ファラウは18歳で初めてアドラーに会った時次のようにいっているのです。
人の紹介でアドラーに会ったのですが、アドラーはファラウを受け入れ、自由に話をさせてもらったにもかかわらず、彼をアドラーに紹介した医師がまた次も会うかとたずねたところ、
「どうして、会わなくてはいけないんだ。あの人は僕になんていったか知っていますか? 僕には勇気がない、って! このアドラー先生は僕を理解できるほど賢いのかねえ」
と答えました。
ところがこの第一印象は急速に変わります。友人への手紙にファラウはこう書いています。
「この人はスゴイ。見ただけで何でもわかるんだ。きっとアドラーはいつのにかコメニウスとペスタロッチに並ぶことになる教育者だと確信している」(ibid., p.46)
ふとソクラテスのことを思い出しました。ソクラテスの法廷での弁明演説の最後の個所です(プラトン『ソクラテスの弁明』42a、田中美知太郎訳)。アテナイの青年に悪影響を与えたということで有罪にしかも死刑が決まったソクラテスが最後にこういうのです。
「しかし、もう終わりにしよう、時刻ですからね。もう行かなければならない。わたしはこれから死ぬために、諸君はこれから生きるために。しかしわれわれの行く手に待っているものは、どちらがよいのか、誰にもはっきりとはわからないのです、神でなければ」