マハトマ・ガンジーが三発の銃弾に倒れたのは1948年。それから半世紀を経た1998年の1月31日、暗殺日当日にラージガードで追悼式典が行われました。
その時特別ゲストのダライ・ラマ14世は次のようにいいました。
「私もガンジーを継ぐ者であります。彼が始めた非暴力運動は、これからも世界を変えていくでしょう」
「今世紀は『暴力の世紀』でした。二十一世紀は『対話の世紀』にしていかなければなりません」
アドラーが今日生きていたら当然この言葉に同意するでしょう。しかしアドラーが亡くなってから60年以上経っても依然『暴力の世紀』であり続けたのです。
待っていても『対話の世紀』はきません。ダライ・ラマがいうように『対話の世紀』に<していかなければ>ならないのです。そのためには私たちは何ができるでしょうか?
『対話の世紀』にするということは政治のレベルだけで達成できることではなくて、まずは目の前にいるこの人との関係において、たとえ私が正しく相手が間違っていると思ったとしても、冷静になって話を聞くというような努力からすべては始まるのだと私は考えています。むしろ、日々の生活の中で問答無用で叱ったり感情的になって相手を変えていくというような形で<力>を用いないという努力を日々するのでなければ世の中だけが知らない間に変わるというようなことはないでしょう。力による問題解決はある意味で簡単で即効性があります。他方、「対話」による問題解決は手間暇がかかります。しかし敢えてその努力をしていかなければ、昨今の陰惨な殺人事件などを思うと人類の未来はないかもしれません。