ある時、富山でアドラー心理学の講義をしていた時に、ふと先生のことを思い出しました。哲学を専攻することになったというだけではなく(この点に関しては、むしろ、反対されたのです)、いろいろな点で影響を受けていることがわかりました。
まず、僕も大学で哲学やギリシャ語を教えるようになりましたが、ただ講義ノートを作ってそれをもとに講義をするというのではなく、学生と対話したりして、生きた時間を共に過ごしたいと思うようになった、ということがあります。自分でも教えるようになって、それが至難の業であることを知りました。そんな生きた時間を学生と共有できないものだろうか、目下いろいろと工夫しています。
次に、言葉(ロゴス=理性)の強調、言葉にたいするこだわりは、インド人が瞑想をしてばかりいて、気がついた時には、イギリスの植民地になっていたが、このようなことではいけないのだ、という最初の時間の教えから連綿と続き、その考え方は、後に反土着思想としてのアドラー心理学(野田俊作、「心理学における創造性と土着性)」『アドレリアン』第6巻第2号1993年を参照)との出会いを抵抗のないものにするのに役立ったと思います。
第三に、先生と生徒、あるいは、親と子どもが対等である、横の関係である、という話をする時に、強くは意識していませんでしたが、この先生のことを思って話していたことに思い至ったのです。初めて、廊下ですれ違った時、教師と生徒という役割分担の仮面を外した人と人との出会いがあったと思います。また、先に書いたように、高校生だからこれくらいでいいだろうという妥協をされることなく、ドイツ語やギリシア語を教えてもらえたことは、今も、本当に対等に扱ってもらえたと思え、うれしかったです。
高校を卒業してから、一度しか先生と会うことはありませんでした。大学に入学して以来、大切なことは、哲学的精神に触れることである、と信じ、原語で哲学書を読むことに全力を注ぎました。英語、ドイツ語、フランス語、ギリシア語を学ぶことをすすめられ、次々に学び始め、最後に残ったラテン語をある暑い夏、毎日集中講義に出かけて学んでいた時に、先生の訃音に接したからです。まだ僕が大学の二年生の時でしたから、その後、僕がどんな道を歩むことになったかは、先生は御存じではないのです。ましてアドラー心理学を学んでいることを今、先生が知ればどう思われるか、と考えることがあります。
富山で先生のことを話していて、本当になつかしく、ありがたく思いました。