人にどう思われるかを気にしない
1.内村鑑三の見る二宮金次郎〜ほめられるために
内村鑑三の『後世への最大遺物』に描かれている二宮金次郎の話は、いじめである、それでもいじめを彼は跳ね返している、とある友人は解釈した。
一九八九年に出版された『ノスタルジック・アイドル二宮金次郎』(新宿書房)という本がある。この本には小学校の校庭に二宮金次郎像が置かれ、二宮が親孝行、きょうだい思いの範として小学校唱歌にも歌われるようになった経過がまとめられている。原型は内村も読んだ(こちらの方は読むことを勧めている)富田高慶の『報徳記』であるといわれている。
この本を先に見たように、幸田露伴が読み、少年少女向けの伝記を出版したのだが、その口絵に柴を背負い、読書しながら歩く少年の絵が描かれている。その際、範となったのはバンヤンの『天路歴程』であり、その冒頭に主人公のクリスチャンについて「見よ、ぼろを着た一人の男が…手には一冊の書物を持ち、背には大きな荷を背負ってとある場所に立っていた」(池谷敏雄訳)とあるのがネタだろう、と井上は推測する。背中の大きな荷は原罪であり、手にする書物は聖書である。
金次郎の話が修身の教科書に採用されるにあたって、金次郎は孝行、学問、勤勉、自営という四つの徳目を代表する人物として描かれている。修身の教科書はさまざまの徳目についてそれを解説するために代表となる人物が取り上げられるのであり、金次郎は国民の模範的な人物として意図的に選択されたのだろうといわれている。武家の偉人や学者では、修身の教科書を読む小学生の大半を占める貧しい農村の子どもたちの心には響かない。自分たちでも奮発すればこんな人になれるというふうに思える人でなければならなかった。
このような金次郎像とはまったく異なる金次郎像を提示しているのが内村である。二宮の話は後世への最大遺物として内村が「勇ましい高尚なる生涯」をあげた際、カーライルに並んで取り上げられる人物である。彼の成し遂げた事業はそれほどのものではないが、その生涯は「もしあの人にもアアいうことができたならば私にもできないことはない」と人を勇気づけるようなものであると内村は考える。
ではどのような生涯か。二宮は十四歳で父を十六歳で母を亡くした。貧乏だったので残酷な叔父に預けられる。その叔父の家で手伝いをしている時に本を読みたくなって本を読んだら、叔父に叱られた。高い油を使って本を読むことをとがめられたのである。叔父の油を使っては駄目だというわけで「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をして、川辺の誰も知らないところへ行って菜種を蒔いた。一年かかって菜種を五、六升取り、その菜種を油屋に持っていって油と交換し、その油で本を読んだのである。
ところがまた叔父に叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄をよれ」と。そこで金次郎は終日働いた後に本を読むことにした。
こんな苦学をし、ついには自分の身をことごとく人のために使って、多くの人を救ったのだ、と内村は強調する。二宮の生き方を知れば、「人に頼らずともわれわれが神にたより己に頼って宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むどおりになり、この世界にわが考えを行なうことができる」…そういう感覚が金次郎の生涯を知ると起こってくるというわけである
私はこの考えは今読み返すとやや楽観的過ぎるのではないか、と思う。あるいは、残酷な叔父の横暴を(と私には思えるの)ただ「叔父さんのいうことであるから」と自分の考えを主張することなく、安直に引き下がっているように思えるのである。とはいえ、日常でこのような人に遭遇した時、話してわかるのであれば何も苦労はいらないということもできるだろう。このような人とどうつきあうかを考えた時、二宮の採ったやりかたはベストではなくともその時選択し得た選択肢の中ではベターではあるということはできる。
このように見ると修身が勧める徳目を示す範として二宮はふさわしくないようにも思える。それとも上司が(あるいは国が)いうことは正しい、それがたとえ理不尽に思えても自分ができる範囲で努力をすれば二宮のように立身出世するのだから、とりあえず批判するのはよしなさいというようなことを教えることが意図されていたのであれば話は別なのだが。
先に、金次郎は、油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄をよれ」と叔父に叱られた。そこで金次郎は終日働いた後に本を読むことにした、と書いたが、内村鑑三の『代表的日本人』には少し違う記述がされている。
金次郎は孔子の『大学』を手に入れ、一日の仕事を終えた後の深夜に古典の勉強をしていたところ、叔父に見つかり叱られた。
「叔父は、自分にはなんの役にも立たず、若者自身にも自身に役立つとは思われない勉強のために、貴重な灯油を使うとはなにごとか、とこっぴどく叱りました」
そこで彼は「叔父の怒るのはもっともと考えて」自分の油で明かりを燃やせるようになるまで勉強をあきらめた。どうして「もっとも」と考えたのか私には理解できない。勉強以外の目的のために夜遅くまで起きていたら許されたのだろうか。
一年が経ち菜種を収穫しそれと油を交換し、晴れて自分の油を使って勉強を再開できるようになった。
「勇んで尊徳は夜の勉強を再開しました。自分の、このような忍耐と勤勉とに対し、叔父からは、ほめ言葉があるのではないか、と少しは期待した面もありました」
二宮がほめられることを期待していたとは驚きである。
「しかし、違った!」
それはそうだろう。
「叔父は、おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない、と言いました」
ここでも金次郎はこういいます。
「尊徳は、今度も叔父の言うことは当然だと思いました。」
なぜ、「当然」だと思ったのか、私にはわからない。
そこで彼は一日の田畑の重い労働が終わった後もむしろ織りやわらじ作りに励んだ。平日は、『後世への最大遺物』の内村の記述とは違って、一日の仕事が終わってから本を読むことはなかったことになる。
「それ以後、尊徳の勉強は、叔父の家のために、毎日、干し草や薪を取りに山に行く往復の道でなされました」
これなら叔父にほめてもらえるのだろうか。かつて小学校にあった二宮金次郎の像を彷彿とさせる記述である。
2.学ぶ喜びではなくて
「勇んで尊徳は夜の勉強を再開しました。自分の、このような忍耐と勤勉とに対し、叔父からは、ほめ言葉があるのではないか、と少しは期待した面もありました」
といわれているのには驚いた。二宮は叔父のことを恨んでいるわけではないようだからである。
ほめられるための勤勉であることの何が問題かといえば、ほめる人、認める人がいないとたちまち勉強しなくなるということがあるからである。私が昔教えていた学生さんで保育園の頃から親が横について一日六時間も勉強を見ていたという人がいました。それだけの時間毎日勉強をしてきたので、たしかに小学校、中学の勉強はよくできたが、勉強そのものは必ずしも好きではなかた。親が目を離すとたちまち勉強をしなかった。
その後首尾よく大学に合格したが、どこにでもいる大学生になってしまったのが私には残念に思えた。その人にとってはそれはそれでよかったのかもしれないが。
勤勉ということで、例えば、講義をさぼらないで出席しなければならないというようなことをいっているわけではない。はたからは少しも仕事をしているようには見えないが、業績を打ち立てるということもあるからである。
数学者の岡潔がある夏招かれて北大の理学部の応接室だった部屋を借りて研究をしたことがあった。そこには立派なソファや安楽椅子があった。何かやろうとし始めるが、十分もたてば眠くなってソファで眠ってしまう。学校で眠ってばかりいるというので理学部中で評判になってしまったほどだった。
ところがそろそろ帰らなければならない九月のある朝、友人の家で朝食を呼ばれた後、隣の応接室ですわっているうちに、だんだん考えが一つの方向に向いてきて、ニ時間ほどすわっている間にどこをどうやっていいかすっかりわかってしまった。北海道に行く前に岡はその時着手していた問題に全く解決の糸口を見いだすことができない状態だったというのに。
真面目に出席している学生に「君たちは私の授業に熱心に出席しているようだが、一体、いつ勉強しているのですか?」といった大学の先生を知っている。学ぶ喜びに突き動かされて学んできたのではない学生にとっては一切の強制がなくなればどうしていいかわからなくなるようである。
3.人の思わくを気にしない
人に自分がどんな印象を与えているか、あるいは、自分のことを人がどう思っているかということにあまりに注意を向けている限り人はどうなるかということを二宮金次郎の生き方は教えてくれるように思う。
たしかに人に認められ、できることなら尊敬されたいという思いがないといいきれる人は少ないだろう、と思う。しかしそのことは人間の本質ではない。人は自分をどう思うか、あることを、した方がいいのか、とか、することを断ったらどうなるか、人はどう思うか…そういう思いに費やされるエネルギーは莫大であるにもかかわらず、現実には何一つ行なおうとしないことがあります。
内村鑑三が伝える二宮金次郎の生涯を見ると、一見したところ、寸暇を惜しんで勉学にいそしんだというふうに私たちに印象づけるが、まず、自分で判断するというよりは伯父に判断を委ねているように思えるところが気になる。彼は古典の勉強をするが、役に立つとは思えない勉強のために貴重な灯油を使うとはなにごとかと叱責された時、「伯父の怒るのはもっともと考えて」(『代表的日本人』)自分の油で明かりを燃やせるようになるまで勉強をあきらめる。本当に「もっとも」なのか。
次に、菜種を栽培し、それとの交換で一年後ようやく自分の油を手にした金次郎は、次のように考えるところが気になる。「自分の、このような忍耐と勤勉とに対し、伯父からは、ほめ言葉があるのではないかと少しは期待した面もありました」と内村はいっている。二宮はこのように伯父にどう思われるかということをいつも気にしている。
二宮の期待に反して、伯父は「おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない」といった。そこで初めて二宮は、「毎日、干し草や薪を取りに山に行く往復の道で」勉強することにした。これこそ小学校の校庭で見慣れた二宮の姿である。
疑問に思うのは、二宮がなぜその前の一年にもそうしなかったかということである。油を使ってはいけないといわれてあきらめられる学問なのか…それが二宮の学問への姿勢なのか?
二宮はいうかもしれない。「私だって勉強したかった。でも油がなければ夜に本を読むことはできなかった」本当だろうか…
もし二宮が学問への情熱を持っていたとしたら、どんなことをしてでも勉強していたはずである。一年も勉強を中断したとは思えないのである。
「でも油が…」と二宮はいうだろう。しかし、自分で菜種を栽培して自分の油を手に入れた後も伯父は勉強をすることを許さなかったではないか。それでもその後は仕事の合間を縫って本を読んだではないか。一年前にどうして思いつかなかったのか…
私には今度も二宮は伯父にほめられたいと思っていたのではないかと思われる。
このように人に(伯父に)どう思われるかを気にしていた二宮は、結局、一年もの歳月を無駄にしてしまった。二宮は伯父にどう思われるかを考えずに、もし伯父が反対すれば闘うべきでしたし(伯父の怒るのは「もっとも」と考えてはいけない)、それでも彼の置かれている状況をいかんともすることができなかったとしたら、最初から二年目のように仕事の合間を縫って勉強するべきだったし、そうすることができたはずなのである。
人の思わくを気にしたり、人の顔色をうかがったりすると、このように判断を誤ったり、事に着手する時期を逸したり、遅らせてしまうことになってしまう。たしかに、人の意見を聞くことは大切である。人に助言を求めずに何かをして失敗することがある。それでもまず自分の判断で動けるならどんなに自由に生きられるか、人の顔色を見たり、人の思わくを気にすることがいかに不自由かと思う。
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