子どもが“こころ”を開くとき
岸見一郎 アドラー心理学カウンセラー
いつもわが子と心を通じ合っていたいと思っている方々は多いと思いますが、接し方によってはこの願いとはほど遠いことになることがあります。子どもが心を開くか、あるいは、閉じるかはひとえに親子の関係の中で子どもが決めることである、と私は考えます。ここでは、子どもはどんなときに心を開くのかを具体的な例で考えていきたいと思います。
心を開くポイント1
◇子どもが決める
何でも話をしてくれる子どもがいい子である、あるいは、子どものことを何でも知っている親がいい親である、と思っていませんか?
確かに子どものことを知っていることは大切なことですが、ときにこのように思うことがかえって子どもが心を閉ざすという結果を招いているということがあります。
そもそも、子どもの心を「開かせる」と考えることに無理があると思います。子どもは親に対して心を開こうと思うかもしれませんし、思わないかもしれません。子どもに心を開いてほしいのであれば、そうお願いするしかありません。子どもが嫌だといえば、引き下がるしかないでしょう。子どもは関係がよくなければ心を開かないでしょうが、よい関係だからといってどんなことでも話してくれるかというと、必ずしもそうではありません。
心を開くポイント2
◇「何かできることない?」
息子が小学校の低学年であった頃、ある日、学校のことをたずねようとしたことがあります。すると彼は、きっぱりとこう言いました。
「何でもかんでも、お父さんに話さなければならない義務はないと思う」
何も言い返す言葉がなかったことはいうまでもありません。親だからといって、言わば子どもの心に土足で踏み込むようなことをすることは許されないのです。
私の友人が、ある日、中学生の娘さんが学校からひどく落ち込んだ様子で帰ってきたときのことを話してくれました。すぐに「どうしたの?」と声をかけようとしたのですが、私の助言を思いだして、そのときは、「お母さんに何かできることない?」とたずねました。するとその娘さんは答えました。
「うん、ある・・・ほっといて!」
友人は、自分には何もすることがないことに大いに落胆しましたが、次の日、娘さんが晴れ晴れとした表情で帰ってきて、「昨日は友達と喧嘩をして落ち込んだけど、今日は仲直りできた」というのを聞き、「親としては何もできなかったけど、子どもが自分で問題を解決するのを見てうれしかった」と話してくれました。
心を開くポイント3
◇子どもを信頼する
以前放送していたNHKの連続テレビ小説『あぐり』のなかで、淳之介が中学受験に失敗したとき、父のエイスケは、「そう」としか言わないので息子のほうが困惑する場面がありました。「パパなんだから、どうして、とか、ばかだな、とか、残念だったな、とか、気にするな、とかそういうことは言えないの?」と問うと、エイスケが、「いやあ、何も言うことはないよ、おまえの人生だからなあ。俺にはよくわかんないよ、それじゃいけないか」
と答える場面です。エイスケは、このように答えた後、
「それよりも、どうだい、そごいだろ。これがナイアガラの滝だ」
といって旅先でとってきた写真のスライドを見せます。このやりとりから二つのことを学ぶことができます。
まず、勉強は子どもが自分の責任でやり遂げるしかなく、子どもが自らの力でやり遂げなければならないこと、あるいは、やり遂げられることを親が肩代わりしてはいけないということです。そのようなことに手出し、口出しをすることは、子供を信頼していないことを子どもに伝えることになります。
心を開くポイント4
◇子どもに協力する
もちろん人は何もかも自力でできるわけではありませんから、以上のことを踏まえた上で、親が協力することが必要であることは当然あります。しかしそのためには、必ず手続きを踏まなければなりません。
息子と私がダイニングで、彼は勉強、私は仕事をしていました。ふと息子がこう言いました。
「お父さん、ボクはお父さんが頑張れと言ってくれたらやる気になるので、ときどき頑張れって言ってくれない?」
と。そこで、私はときどき息子に頑張れ、と声をかけることにしました。子供の依頼を引き受けるのが嫌ではありませんでしたし、難しいことでもなかったからです。
親が子どもの勉強の様子を見ていて、声をかけるということはあります。「最近あなたの様子を見ているとあまり勉強していないようなだけど、そのことで話をしたいのだけどいい?」というふうに。それに対して子どもが放っておいて欲しい、と言えば、それ以上介入することはできません。
心を開くポイント5
◇関係をよくするために
淳之介とエイスケの会話のもう一つのポイントは、子どもと遊べているということです。父親は一緒にスライドを見ようと誘っています。
子どもと勉強の話をやめたら会話が一切なくなったという人がいました。勉強は子どもが責任を取ることであって、親が取ることはできないことを学んだからでした。そこで子どもには勉強の話をしないことにしたのです。勉強のことを話して、子どもが機嫌よくなることはあまりないでしょう。「宿題はもうしたの」とか、「ちゃんと勉強しなさい」と声をかけることをやめ、子どもと遊ぶこと、楽しい時間を過ごすことを考えてみます。その遊びの内容は、親子によって違うでしょう。友人の一人はとっくみあいをして体を動かして子どもと遊ぶ、と言っていました。私は息子にコンピュータの操作を教えてもらったり、小学生の娘とファーストフードの店でフライドポテトを食べたりします。
こんなふうにすることで子どもが何でも話してくれるようになるかといえば、それはわからないとしか言えません。しかし、これくらいの距離を置きながら、必要があれば友人として援助しようと決心をしていれば、心を開いてくれるときは聞いてくれるでしょう。いずれにしても、親が決めることではないのです(『別冊PHP』平成11年11月号所収)。