ほめてもいいのではないか、という質問に答えて
ある人から、カレーライスを作った際、奥様と娘さんがカレーを口にされて「これはおいしい。お父さんやるじゃない。これからはカレーはお父さんね」といわれ、「愉快ではないどころか、ますます、工夫して作ってみよう、料理のレパートリーを増やしてみようという意欲をもちました」と思った、このことからほめることも許されるのではないか、またこのようにいわれた時、奥様、娘さんとの関係は縦関係ではなかったのではないかという質問を受けました。
『アドラー心理学入門』の中でも何度か注意しましたように、こういう言葉はほめ言葉になるというふうに言葉が発せられる状況を離れて決めることはできません。ですから、「やるじゃない」という言葉が使われたからといって、ただちに奥様と娘さんの言葉がほめ言葉であったと決めることはできないというのは本当です。しかしここでは考えてみなければならない問題がいくつかあるように思います。
この方が奥様と娘さんの言葉で喜びを感じられたとすれば、奥様と娘さんがカレーライスを口にされた時に、(1)純粋にカレーライスの味に心を打たれ、そのことを言葉として表現された(2)ただしその際その感動は「今ここ」のものであって、将来において夫(父親)に料理を作る意欲を持ってもらうべく言葉にされたのではない、という二つの条件がそろっていたのではないかと思います。
しかしもしもこのような経験によってほめられることで不愉快でもなかったし、意欲さえ出てきたという理由で、他の人も同じように感じ意欲を持つであろうと考えてほめ言葉、あるいは、勇気づけの言葉であるとされる例えば「ありがとう」という言葉を使うと、それがどんな言葉であれ、ほめ言葉になり、相手は愉快な感じを持たないことになるということがあるでしょう。
あるいは、よく子どもがほめて、ほめてといってくるようなケースで見られることですが、ほめられることでほめられない他の子どもたちよりも自分が上に立っているという(だから縦関係です)優越感を持っているということなのかも知れません。
すごいね、であれ、ありがとう、であれ、もしその言葉によって「人を動かす」ことを意図しないのであれば勇気づけの言葉になり、他方、どんな言葉であれ、「人を動かす」ことを意図して発せられるのであれば縦関係を前提とするほめ言葉である、と考えます。
相手に何かをしてほしいと思うのは私の課題です。しかしそれをどんな手段であれ相手に解決させることはできませんし、そのために勇気づけを使ってはいけない(そういう意図のもとで発せられるともはや勇気づけとはいえませんが)というのが私が理解しているアドラー心理学の基本です。