Teleology and Etiology -from the viewpoint of Greek philosophy
The aim of this paper is to make it clear that the teleology(the finalism) and the etiology(the causal theory) are incompatible through considering the original context in which these two theories were first discussed, that is, Plato's Phaedo, where the true cause is contrasted with the synaition(sine qua non). Just as Plato distinguished telos as the true cause from other kinds of causes, Adler, whose psychology is also designated as the teleology, in asking 'why' such and such an act is done, expects one to answer the aim or the purpose of the act. It can safely be said that Adler's teleology is thus the direct successor of the Platonic tradition.
1.はじめに
アドラーは、「なぜ」(why)という問いは、心理学者でも答えるのはむずかしいという。「なぜ」という言葉に含意されているものがはっきりしないのである。子どもに「あなたは<なぜ>そんなことするの?」とたずねてみても満足のいく答えは返ってこない。怠惰である子どもに、なぜあなたはそんなに怠惰であるのか、とたずねても、嘘をつく子どもに、なぜ嘘をつくのか、とたずねても、子どもがその問いに答えることは期待できない、そもそもそのような問いは「心理学者にとってすら困難な質問」である、といっている(1)。アドラーは、このような行動について「なぜ」と問う時、「原因」(cause)という言葉を使う。しかし、この言葉を使う時、それは「厳密な物理学、科学的な意味での因果律」(causality in the strict physical-scientific sense)(2)ではない、と注意している。何かが「原因」となって、問題が必ず起こるわけではない、のである。アドラーは、むしろ、「なぜ」という問いによって、行動の「目的」を答えとして期待している。「どこから」(whence)ではなくて、「どこへ」(whither)を問うのである。
この目的論こそが、アドラーが立脚する基本的な立場であるが、この目的論、及び、それとは対極にある原因論は、もとより、アドラーの時代に突如として使われ始めた概念ではない。本来の意味を探るには、ギリシア哲学にまで溯っての考察は必須である。
そこで、ギリシア哲学の見地から考察し、両者はまったく異なる立場であり、決して相容れないことを明らかにするのが、本稿の目的である。そのために、筆者は、プラトン哲学の考察を手がかりにしたい。アドラーの目的論を問題にする場合、プラトンではなく、アリストテレスを引き合いに出すことが多いのだが、遡ってプラトンの原因論を考察することで、目的論の意味はよりよく理解できる、というのが筆者の考えである。
2.ギリシア哲学における自然探求
ソクラテスは、ポリスが信じない神を信じた、ということ、青少年に害悪を与えた、という理由で告訴された。アテナイは陪審制を採っているので、最初に有罪か無罪かが決定され、その後、有罪と確定すれば、刑の種類が決められる。この時、裁判官に哀願するなどして弁明すれば、情状酌量され軽い刑ですむこともありうる。しかしそのようなことを潔しとはしないソクラテスは、ほとんど自殺行為とも思えるような真理に執着した演説をすることで裁判官を怒らせ、死刑の判決を受ける。
その後、事情があって、刑の執行は一月延期され、その間、弟子たちは毎日朝早くから刑務所に通う。当時の慣行としては、賄賂を密かに刑務所員に送れば、海外に逃亡することは不可能ではなかった。しかし、ソクラテスは、弟子たちの脱獄の勧めを断って獄死の道を選んだ。
ソクラテスは、ソクラテス以前の哲学者(Presocratics, Vorsokratiker)とは違って、その関心はもっぱら人間であったというようなことがいわれることがあるが、少なくともソクラテスの最後の一日を描いたプラトンの『パイドン』によれば彼は若い頃は自然の探求に関心があった。
しかし、若きソクラテスが心ひかれた自然哲学の説明(「自然の研究」, Plato, Phd., 96a)では、自分が獄に留まる「原因」をソクラテスを満足させる仕方では説明することができない。自然哲学の説明は、自分がここに留まることの原因を次のように説明するだろう、とソクラテスはいう。
「ぼくがいまここに座っているのはいかなる原因によるかといえば、ぼくのからだがいろいろの骨と腱から形づくられていて、骨は伸縮できて肉や皮膚とともに骨のまわりを包み、これら全部は皮膚によって保持されている。そこで、骨の各部分は相互の接合部を拠りどころにして自由に揺れ動かされる状態にあるから、腱の伸縮によってぼくがいま足を折り曲げることが可能になり、まさにこの原因によって、ぼくはここでこうして足をおりまげて座っている」(ibid., 98c-d、藤澤令夫訳)。
ソクラテスを満足させないこのような説明は、いわゆる還元主義的なものである。ギリシアの自然哲学について詳論する余裕はここでないが、ごく簡単に述べると、例えば、タレスを初めとする一派は、万物の根源(アルケー、arche)を立て、それの生成変化によって他のすべての自然物を説明しようとした。A→B→Cというふうにである。この最初のAを何であるとするかは、哲学者によって異なったが、AがAでない別の何ものかに生成変化するということは自明のこととされている。
しかし、エレア派のパルメニデス(前475年頃)は次のようにいった。即ち、ものは<ある>か<ない>かであり、また、<ある>ものは<あり>、<ない>ものは<ない>のであって、<ない>ものが<ある>とか、<ある>ものが<ない>ということは決して許されない、と。生成消滅の自明性は、ここにおいて崩壊する。なぜなら、一つのものが他のものへと変化するということは、Aとして<ある>ものが<ない>、そしてBとして<ない>ものが<ある>ということを意味することになり、パルメニデスの論理を受け入れる限り、生成変化は不可能であることになるからである。
そこでパルメニデス以降の哲学者たちは、パルメニデスの論理に照らして自然を説明することを余儀なくされた。エンペドクレス(前444年頃)は、火風水土の相互変化を否定、四元の独立を認め、自然の多様をそれらの変化ではなく「混合」と「分離」によって説明しようとした。
さらにアナクサゴラス(前500-429年)は、現存のすべてのものは、いずれも生成変化したことのないもので、原初からすべて存在していたのだ、といった。無限に多くのものが独立に存在しており、万物は万物から成り立っている、というより他はなく、一元的な説明を放棄した。
さらにレウキッポス(前440年頃)、デモクリトス(前420年頃)の原子(アトム、atomon, atom)論は、以上の困難を克服し、自然の一元的説明を回復するものであった、といえる。原子の一つ一つは性質を一切持っていないが、いくつかの原子が集合して現実の事物を形作ると、原子の形の違い、配列の違い、向きの違いによって、見かけ上の感覚的性質の差異が生じてくる、というふうに説明された。
エレア派の論理に照らせば、物質は不動になってしまったわけであるから、外から動かすものを考えなければならない。パルメニデス以降の自然学、即ち、エンペドクレス、アナクサゴラス、さらにレウキッポス、デモクリトスの自然学は、この批判を受けた新しい発展である、と考えることができる。
3.真の原因と副原因
このような自然学の流れの中にあって、ソクラテスが期待したのは、アナクサゴラスであった。アナクサゴラスは、宇宙秩序(コスモス、kosmos)をつくる働きとしての「知性」(ノオス、ヌゥス、noos, nous)を事物の生成を説明する原理として導入していたからである。
「もしこれがほんとうなら、いやしくも秩序を与えるのが知性である以上、知性はあらゆるものを、全体としても個々のものとしても、まさにこうあるのが最善という仕方で秩序づけ、ところをあたえるだろう」(ibid., 97c)
このように事象の「原因」(aitia)として、最善以外のものを適用するとは考えられなかった。しかるに、期待を持ってアナクサゴラスの書物を手にしたが、ソクラテスが見出したのは、その中には「知性」はまったく使われておらず、もろもろの事物に秩序を与える何らかの原因も、知性に帰してはおらず (ibid., 98b-c)、空気とか、アイテールとか、水とか、その他いろいろとたくさんの妙なものが、原因とされていることである。
この「アナクサゴラスのやり口」(ibid. 98c)は、今自分がここにこうして留まっていることの「原因」を次のように説明するだろう、と先にあげた身体的な条件に即しての説明をあげる。
しかし、ソクラテスは、ここにとどまって刑に服することを善しと考え、正義と考えなかったら、こんな骨や腱などは最善を求める考えに運ばれて、とっくの昔にメガラなりボイオチアなりに行っていたことであろう、という(ibid., 99a)。
ソクラテスは、自分が捕われの身になっていることの「原因」を次のように説明している。
「アテナイ人たちがぼくに有罪判決を下すのを善しとし、それゆえ、ぼくはぼくで、ここに座っているのを善いと思い、とどまって彼らの命じる刑には何でも服するのがより正義であると思った」(ibid., 98e)
ソクラテスは、これを「真の意味の原因」(ibid.)と呼ぶ。
ソクラテスが死刑の執行を待って脱獄することなく待っていることの「原因」は、身体的な条件に即して説明することはできないのである。たしかに自然学者のいうような身体的条件が備わっているのでなければ、獄に留まることはできないかもしれない。しかし、これはあくまでも「副原因」(synaition, sine qua non)、「それなしには」原因も原因として働くことのでき「ない」、必要条件であって、「真の原因」ではない。「真の原因」は、善、即ち、ここに留まっていることを「善し」と思うことであり、逆にソクラテスが脱獄することを「善し」と考えたら、たとえ条件が同じであっても、ただちに立ち去っていたであろう、と考えるのである。
以上のことをアリストテレスに即していうと、次のようになる。プラトンは、「真の原因」と「副原因」を考えただけであるが、アリストテレスは四つの原因を考える。彫刻を例に考えてみると、まず、青銅、大理石、粘土がなければ彫像は存在しえない。この場合、青銅、大理石、粘土などは彫像の「素材因」である、という(matter)。次に、彫刻家が必要であるということである。これを「作用因」という(agent)。原因の三つ目として、「形相因」がある(form, pattern)。即ち、彫刻家が像を刻む時、モデルが必要である。人のこともあれば、もののこともある。少なくとも、そういうものがなくとも、頭の中に何を作ろうとするか、というイメージはあるだろう。さらにアリストテレスは、これらの原因にかてて加えて「目的因」を考える(final cause, end in view)。彫刻の素材になるものは自然界にたくさんあるであろうし、作ろうとするもののアイディアを持った彫刻家はいるだろう。しかし、もしも、その彫刻家が彫刻を作るということを望まなければ、彫刻は存在しない。何らかの目的のために、例えば、自分の楽しみのために、あるいは、売るために、彫刻を作ろうとするのである。上に見たソクラテスが獄に留まる「真の原因」は、このアリストテレスのいう「目的因」に相当する。ソクラテスの例に即していえば、肉体のあり方がソクラテスを獄に留めているのではない。「真の原因」は、善、即ち、ここに留まっているのを「善い」と思うことであり、それがソクラテスの行動の「目的」になっているのである。
3.よく生きること
ソクラテスはいう。
「大切にしなければならないことは、ただ生きることではなくて、善く生きるということなのだ」(Crito, 48b, 田中美知太郎訳)
この「善く」がこの対話編では、既に結論ずみのこととして、「美しく」あるいは「正しく」を意味する、として、ソクラテスは、
「アテナイ人の許しを得ないで、ここから出ていこうと試みるのは、正しいことなのか、それとも、正しくないことなのか」(Crito, 48a-b)
と自問する。
そして、善く生きる、したがって、正しく生きることが大切であるから、断固として、いかなる時と場合においても不正は許されないとして、不正を加えられても、決して、これに対して復讐をすることはならない、といっている。
かくて、ソクラテスは毒杯を仰いで死ななければならなかった理由は、よくいわれるように、悪法もまた法なり、というような遵法主義の立場に立ってのことではない。また、ソクラテスの決心は、浅薄な心理的説明では納得できるものではない。ソクラテスにとって困難な状況で選択しなければならなかったのは、しかも、命の危険を犯しても選択しなければならなかったのは、これが初めてのことではなかった。むしろ、ソクラテスの死は「善く生きる」ことをモットーとして生きたソクラテスの人生観そのものから帰結することであり、「善く生きる」ことが生涯を通してのソクラテスの一貫した知性と意志に基づくものだったのである。
4.ソクラテスのパラドクス
ソクラテスのパラドクスの一つとして、「誰一人として悪を欲するものはない」(Meno,78b)ということがいわれている。これは逆にいえば、何人も善を欲している、ということであるが、これがパラドクスといわれるのは、悪を欲する人もいる、と普通には考えられているからである。しかし、ここでいわれている善悪は、道徳的な意味での正義、不正ではないのである。上に見た行動の目的としての「善」も同じである。
このパラドクスは、誰も不幸になることを欲するものはない、誰もが幸福になることを欲している、という意味である。善悪とは、我々の「ためになる」という意味である、ということができる。幸福であることを願わない人はないであろう。そのように見れば、「誰一人として悪を欲するものはいない」ということは、人は皆、善、即ち、幸福を求めている、という事実を語っただけであり、パラドクスとすらいえないことになる。
しかし、では、何が善であるか、何が人を幸福にするか、ということになると、人によって意見は一致しない。例えば、正義についていえば、正義を行っている人は、それを心ならずも行っているのであり、本心から正義の人ではないかもしれない。即ち、もしも、誰にも知られることなく、不正を行う機会が与えられたとしたら、不正を犯すかもしれないのである。
しかし、ソクラテスは、上に見たように、善と正義は一致する、と考えている。不正を行うことでは、人は幸福になれない、と考えるのである。
5.善と思わく、あるいは、コモンセンスと私的論理
『国家』の中に次のような一節がある。
「正しいことや美しいこと(見ばえのよいこと)の場合は、そう思われるものを選ぶ人が多く、たとえ実際にはそうではなくても、とにかくそう思われることを行い、そう思われるものを所有し、人からそう思われさえすればよいとする人々が多いであろう。しかし善いものとなると、もはや誰ひとりとして、自分の所有するものがただそう思われているというだけでは満足できないのであって、実際にそうであるものを求め、たんなる思われ(評判)は、この場合にはもう誰もその価値を認めないのではないか」(Rep.505d、藤澤令夫訳)
他のことはともかく、「善い」、即ち、「幸福である、ためになる」の場合は、いくら人から、あの人は幸福であると思われても、実際にそうでなければ、何もならない、ということである。
では、人は正義を行っても、不正を行っても、幸福になれるか、というと、プラトンは疑いを挟む。プロタゴラス(前490-424年)の人間尺度説(「万物の尺度は人間である」)はよく知られているが、この考えに従えば、すべてのものは、各人の思わく(doxa)によって「善い」あるいは「悪い」(ためにならない)ということが決められることになる。しかし、本当にそうなのか。たしかに、例えば、何かを食べた時に、それが苦いとか甘いとかは、各人の思わくのどれもが真である、と考えることができるであろう。しかし、それが善いかどうかは、各人の思わくとは離れて決められることではないか。食べ物の場合、それが我々の健康にとって有用なものであるかどうかは、思わくでは決められないことは明らかである。
アドラーは、以上のことを、「コモンセンス」(common sense)と「私的知性」(private intelligence)あるいは、後のアドラー心理学の用語では「私的論理」(private logic)との対比という形で論じる。アドラーによれば、人間の行動のすべてには目的がある。人間の行動は、この目的を知って初めて理解できる、と考える。そして、この目的は、各人の「創造力」(creative power)によって創り出されるのであって、我々の行動は先行する出来事、外的な事象などによって決められる、という原因論的な考えには与しない。人間はどこまでもactor(行為者)であって、reactor(反応者)ではない。アドラーは決定論に与しないのである。
ソクラテスは脱獄することを拒否した。ソクラテスの置かれた状況においては、脱獄しないことは不自然なことに思われた。竹馬の友のクリトンですら熱心にソクラテスに脱獄を勧めたのである。ソクラテスは、しかし、この状況において選択することができた。たとえ、誤るにせよ、選択できる限り、人は自由である。選択の自由がなければ、即ち、すべてが原因論的に決定されているのであれば、教育も治療も意味がなくなるといわなければならない。
6.目的論と科学
プラトンが、目的としての「善」に言及する時に、人間の行動についてのみならず、自然界全体について「目的」を考えているのは明らかである。ソクラテスが「善し」と自覚すれば、その自覚は、彼が獄に留まるということの主原因となるものであった。しかし、アナクサゴラスの「知性」への期待と失望から発して、自分が獄に留まっていることの説明として「善」に言及していることからわかるように、ソクラテスの意識では、自然界のことと人間の行動についての意識のギャップはなく、連続性があるわけである。
アドラーは、目的論に到達したのは、医師としての経験からである、という(3)。医学においては、あらゆる器官が一定の目標に向かって発達しているのが見られる。すべての器官は、成熟した時に到達する一定の形態を持っている、といっている。このモデルをもとに、アドラーは人間の行動についても目的論の立場に立ったのである。
アドラーが、個人心理学は「科学」である、という時の「科学」は、これまでのことから明らかなように、原因論の立場に立つ還元主義的な科学ではありえない。今日の科学は、部分的には、目的論的な説明をしていながら、原理的な反省はなく、目的論に徹したものではない。このようなもっぱら還元主義的な科学が、この世界のすべてを説明できるのか。世界をこのような意味での科学だけですべて説明しようとするのではなく、もっと広く考えることが必要なのではないか。この役割を担っているのは、本来、哲学であろうが、哲学から多くの専門科学が分かれていき、もはや哲学に残された固有の領域がない、といわれたり、哲学をも専門科学の一つに位置づけようとすることは、哲学の自殺ともいえる暴挙である。
個人心理学が目的論の立場に立つ、という時、その意味するものは大きい。アドラーは、先に見たように、個人心理学を「科学」であるという時、目的論を徹底することを意図していたということにとどまらない。1912年に個人心理学という言葉を著作の中で用いた時、アドラーは、ルドルフ・フィルヒョウ(Rudolf Virchow)の「原子と個人」('Atoms and Individual')という論文から引用している。atomもindividualもともに「分割できないもの」という意味であるが、前者のatomが自然科学に属するのに対して、後者のindividualは、生の科学(life science, science of life)に属する。 個人(individual)を扱う個人心理学は、かくて「生きることの科学」(science of living)になる(4)。
還元主義的な科学では、人間について本当に知ることはできない。科学者が専門科学の立場を離れ、一般的な発言をする時、過ちを犯してしまう。ソクラテスは、自分が何も知らないということを自覚していた。しかるに神がソクラテスは一番賢いという。そんなはずはあるまい、と考えたソクラテスは、知者と思われている、あるいは、自らもそう称している知者をもとめて「遍歴」(Ap.22a)するが、その結果、明らかになったことは、知者も自分も「善美の事柄」(ibid., 21d)については何も知らない、ということであった。ただ、自分は何も知らないということを知っている(無知の知)ということで、自分は無知であるという自覚のない人よりも知者である、という結論に達する。専門の技術について知識があるからといって、人間について知っていることにはならず、専門科学の簡単すぎる考え方は、思わぬトラブルを起こすことはありうるであろう。
さりとて科学を否定することが望ましいとも思えない。ソクラテスは、詩人について、たしかに彼らは立派なことを語るけれども、そのいっている意味を知らず、ただ神がかりによってそうしている神託を伝える人と同じだといっている(ibid., 22b-c)。アドラーが、個人心理学は科学である、と、こだわることには意味があると思われる。昨今見られる反科学主義、反知性主義にも、アドラーは与することはないのである。
7.価値の問題
先に見たところでは、アドラーは目的論のモデルを医学に求めているが、それにもかかわらず、atomとindividualを対照しているところから考えると、アドラーもまた世界のあり方、事物のあり方の知識と、世界の中での人がいかに行動し、いかに生きるかの知識を区別しているのではないかとも考えられるが、本稿では扱わなかった個人心理学の基本前提である全体論の立場に立てば、このような知識の分裂、乖離はありえない。しかし第1節で見たように、アドラーが「原因」という言葉を使う時、「厳密な物理学、科学的な意味での因果律」ではない、といっているように、扱いの違いはあったと考えることもできる。
アリストテレス以来、自然学(そして、十七世紀以来の原子論に基づく「科学」)などの「観想」(theoria, theory)的な学問は、「他の仕方ではありえない」ような必然性を持っており、他方、人間の行為に関わる「実践的な」学問は、「他の仕方でもありうる」、それほどの厳密性を持たない学問である、と両者を区別するという伝統がある。
もはや本稿で扱える範囲を超えているので詳論はできないが、目的がない、総じて、価値(善)が欠落した世界観となったギリシアの自然哲学の伝統は、この西洋近世において科学として確立された。プラトンは、ソクラテスが獄に留まることを引いて、自然学者の「原因」説明を否定し、「善」による「原因」論(即ち、目的論)を導入するが、そういう原因から見放され、自分で発見することも人から学ぶこともできなかった、として「第二の航海法」(次善の応急策)」(Phd., 99d)としてイデア論を展開する。
以上からアドラー心理学の方向性をギリシア哲学の伝統において見た時、プラトンの哲学の延長線上に位置することが明らかになったであろう。アドラーは、『個人心理学講義』(The Science of Living)の冒頭において次のようにいっている。「生に直接関係する科学においては、実践と理論はほとんど分かつことができない」(5)。アドラーは、原因論を基礎とする科学ではなく、目的論を基礎とする科学の構築をめざしたのであるから、そのことを考えると、アドラーが実践と理論の乖離を許さないのは首肯できるだろう。
註
(1)Adler, A., The Education of Children,
Gateway, 1970[1930] , p.25.
(2)Adler, ibid., p.28.
(3)アドラー、『個人心理学講義』、野田俊作監訳、岸見一郎訳、一光社、1996年、p.14.
(4)アドラー、前掲書、解説、p.260.
(5)アドラー、前掲書、p.11.