?どうして席を譲らないといけないの??

明治東洋医学院専門学校 教員養成学科1年
NAO



 京都市の市バスはとにかくおじいちゃん、おばあちゃんが多い。たまに昼間なんかに乗り込むとほとんどがおばあちゃんで、おじいちゃんが何人かいて。どうせ席を譲らないといけないから、たとえ目の前の席が空いたって座らない。でもたまに座っていると、ちょっと離れたところにおばあちゃんが立っていたりする。で、誰も譲らないので、立ち上がってしまう。だって「席を譲らないといけない」から。でもなんで私が譲らないといけないんだろう?私だって疲れているのよ!眠たい時だってあるし。だったらそこの女子高生、あんたが立った方がいいんじゃない?
 みなさん、こんなこと思ったことありませんか?

 私の場合、ほぼ100%席を譲ってしまいます。おじいちゃんやおばあちゃん、たまにそれと見て分かる妊婦さん、赤ちゃんを抱いている人なんかが立っているのを見ると、座っている自分が許せなくなる。罪の意識に苛まれてしまうわけです。
 でも、「ありがとう」って喜んでもらえたら、とっても嬉しいですよね。

 授業での発表ではネット上から、これらの事をテーマにしてアンケートを行っているページから寄せられている意見の数々を引用したり、「電車やバスの優先席はいらない!」という筑波大学の研究室のサイトの一部、中国新聞サイトのやさしさルネサンスというコーナーから「マークないと譲れないの」「With us…外見では分からない障害を知ってほしい」というサイトなどを紹介しました。席を譲ると言う行為をめぐっては各交通機関の取り組み(例えば全席プライオリティーシートにするなど)や様々な意見があって、一筋縄ではいかない問題だと感じました。

 席を譲ることはよいことだと思っていても、譲る側の事情、例えば疲れている、実は足腰が痛むとか、見えない障害、妊娠初期だったりと本当は譲られるサイドの人たちなのにといったことも確かにあるし、譲られる側にも譲られて不快感を感じる人もいるそうで事は複雑。その上、譲るタイミングやもしおじいちゃん、おばあちゃんが大勢いたらどうするかなどなど、席を譲るって難しいと感じる人が多いわけです。でも、これらの意見の多くはその状況を見ている第3者の目があって、それを意識しての話なわけです。

 発表の後、何人かの友人や知り合いの外国人と話をしてみました。
カナダ人の友人は「日本の中学生や高校生は絶対に譲らないよ。なぜなんだ?」と言い、アイルランド出身の人には「譲るということはごく自然なことなの。ただ、日本に来てから少し変わったわ。譲る時に相手の年齢を考えるようになった。ミドルエイジに見える人たちに席を譲るのは難しいわ」と話してくれました。それを聞いて、日本人って少し恥ずかしいなと思いました。

 ところが最近は第3者の目なんか平気な人たちがたくさんいるような気がしてならないのです。もしかして気がついていないのでしょうか?真横に立っているおばあちゃんがふらふらしていても女子高生が平気で携帯のメールを打っていたり、小学生くらいの子がお菓子をボリボリ。あげくその子がふらふらと立ち上がろうとすると離れた席からお母さんが「アンタはそこに座ってなさい!」と叱りつける。なんかおかしい。小心者の私はいつでもこの第3者の目を意識して、突き動かされているような感じなんで、よく理解できないのですが。そう考えたら、事はもっと根の深いもののような気がしてなりません。
 いずれはみんな席を譲られる側に立つのに…。

 ただ、第3者の目を意識して席を譲るという私のこの感覚も歪んでいると思います。本当は相手のために席を譲ろうという善意の気持ちで行われるはずのものが、人の目を気にしてのことならそれはちょっと違うのではないか。でもまだこんな感覚を持っていれば、譲るという行動も行われるわけですが、それさえ無くなるとなると…少し恐いことだと思いませんか?

 では、これから実際どうすればいいのか?

 私は教育にあると思います。でも「席を譲りなさい」なんて言うのではありません。
 前記のお母さんではありませんが、きっと大人が譲らなくなったのでしょう。大人が譲らないのにそれを見ているこどもたちがそういうことに無関心でも不思議じゃないのかも。もっと他人に目を向けること、困っている人に気付くという心を育てること。そして大人である自分が率先して譲って見せること。こんな積み重ねでしか変えられないと思います。みんなが自然に行えるようになることがやっぱり理想ですし、気持ちがいいものです。なにか問題がない限りは席を譲った方がいいのでしょう。そして、そういう人がいずれ席を譲られる側に立つようになればもっと事はスムーズに進むはずですよね。

 席を譲るって周囲に関心を持ち、働きかける一つの手段なのですから。

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