価値の位置づけについて−ギリシア哲学の視点から−


1. ギリシアにおける自然探求と西洋近世における自然科学

1-1 原子論まで

1-1-1 生成変化の自明性

 ギリシアでは世界の根源(αρχη、アルケー)が何かが探求されました。初期ギリシア哲学はこれにつきるわけではないのですが、最初に簡単に近世の自然科学に多大な影響を及ぼすことになる原子論の成立までの思想の流れを見ることにします。

 哲学の歴史は、アリストテレス以来、万物の根源を水であるとしたタレスから始まるとされていますが、タレスを初めとする一派は、一つの根本物質(アルケー)をたて、それの生成変化によって他のすべての自然物を一元的に説明しようとしました。A→B→C....という具合です。この最初のAを何であるとするかは哲学者によって異なりましたが、AがAでない別の何物かに生成変化するということは自明のこととされました。

1-1-2 パルメニデスの難問

 ところが、エレア派のパルメニデス(前475年頃)が、次のようにいいました。即ち、ものは<ある>か、<ない>かであり、また、<ある>ものは<あり>、<ない>ものは<ない>のであって、<ない>ものが<ある>とか、<ある>ものが<ない>とかいうことは決して許されない、と。ここに生成消滅の自明性は崩壊します。なぜなら、一つのものが他のものへと変化するということは、Aとして<ある>ものが<ない>、そして、Bとしては<ない>ものが<ある>ことになる。即ち、A→nonA, nonB→Bということになり、生成変化は論理的に不可能になるからです。

1-1-3 エンペドクレス

 そこで、パルメニデス以降の哲学者たちは、パルメニデスの論理に照らして自然を説明することを余儀なくされました。エンペドクレス(前444年頃)は、火風水土の相互変化を否定し、四元の独立を認め、自然の多様をそれらの生成変化ではなく、「混合」「分離」によって説明しようとしたのです。

1-1-4 アナクサゴラス

 さらに、アナクサゴラス(前500-429)は、現存のすべてのものはいずれも生成変化したことのないもので、原初からすべて存在していたのだといいました。無限に多くのものが独立に存在しており、万物は万物から成っているというより他はなく、一元論的な説明は放棄され、それどころか、そもそも自然を説明することを放棄したともいうことができます。

1-1-5 原子論

 レウキッポス(前440年頃)、デモクリトス(前420年頃)の原子アトムは、以上のような困難を克服して、自然の一元的説明を回復するものだったのです。原子の一つ一つは性質を一切持っていないのですが、いくつかの原子が集合して現実の事物を形づくると、原子の形の違い、配列の違い、向きの違いによって見かけ上感覚的性質の差異が生じてくるというふうに説明されます。

1-2 西洋近世における自然理解

 古代ギリシアにおける自然の探求の伝統が、西洋近世において確立された時、源流において提出された自然理解の方式の中から一つの意識的な選択がありました。それは要素還元主義と呼ばれるもので、「ものとその時空内での配置と運動」という基本的な図柄に基づき、「もの」的粒子(原子)を究極の単位とする見方です。世界の基礎にはもの(物質)があり、その物質、あるいはそれの構成要素が瞬間瞬間にさまざまな配置を形作りながら全空間に広がっていくということ、このことを世界、自然における究極的な事実と見なして前提とする世界観です。

 これは、パルメニデスが提出した根本問題から帰結したデモクリトス、レウキッポスによる原子論そのものです[*1]。デモクリトスには、「甘いといい、辛いといい、熱いといい、冷たいといい、また色彩といい、それらはすべてノモス(習慣、約束事)の上のことに過ぎない。真実にはただ原子と虚(空虚、虚空間)があるのみ」[*2]という断片があります。世界のあり方の「真実」の基礎は、ただ原子と、原子がその中を運動する(または原子と原子を分け隔てる)虚空間だけであり、われわれが知覚する味とかいろいろなものはすべて「真実」には存在しないのです。そういったさまざまな知覚的性質は、原子の集合体(物体)において、その一つ一つの原子の形や向きや配列などの結果としてわれわれの五感に現れてくる「仮の」の姿にほかならないのです。

 デモクリトスのこの断片の中の「ノモス」とは、人間世界だけに通用するもの、自然本来(ピュシス)の根拠を持たない人為的慣習という意味あいの言葉で、味覚や音感や色彩などの認識主体である人間とのかかわりによってのみ生じると見なされるあらゆるいわゆる第2性質的なものを取り去り、自然そのものを客観的に、「ありのままに」見ようという態度表明がされています。

[*1]原子はアトモン、即ち、不可分なものという意味です。デモクリトスの原子論は近世に入って多くの科学者によって、実験的な裏付けを与えられ、1803年にドルトンの化学的原子論において一つの安定した秩序を表現するかのように見えましたが、やがてそれが字義通りのアトムではないことが知られるようになり、素粒子へと解体していくことになります。
[*2]Fr.9

1-3 日常的思考に見る「もの」的発想

1-3-1 実体・属性=主語・述語

 例えば赤い花があるとします。これを見てわれわれは「この花は赤い」といい、主語である花というものが、述語である「赤い」という性質を持っているというふうに考えます。このように性質を持つその当のものと、そのものに属する性質が区別されます。そして、この区別を基準に据えると、ものは独立して存在することができる実体であり、性質は、この実体に所属して、実体に依存して初めて存在しうる属性であると考えます[*1]。

[*1]アリストテレスが、実体(基体)と性質(属性=character, property, attribute, etc.)というカテゴリーを区別しました。この実体と性質(属性)が、日常の用語法においては、それぞれ、主語・述語=実体・属性というふうに置くことができます。基体については、1-3-3参照。

1-3-2 知覚の因果説

 このようなカテゴリーの区別は、認識論(知覚論)の場面では、知覚の因果説(causal theory of perception)といわれる理論を帰結することになります。性質の担い手そのものは、性質そのものから区別され、そういうものを全く持たない、いわば純粋無垢のものでなければならないと考えるのです。このような性質の担い手であるもの、物質は、われわれの知覚するような色も音も匂いもないものですが、それらの知覚を引き起こす(cause)[*1]もの、その原因となると考えます[*2]。

[*1]causeといってもここがあやしいのです。
[*2]このように考える時、実体が性質を持つ、とか、性質が実体に所属する属性である、という言い方は正確ではないことがわかります。

1-3-3 性質の変化

 性質が変化するということを考えると、XがAからBになるという場合[*1]、主語となっているXはAとBを通じて存続する同一のものであると考えられます。これが「基体」の概念です。ちょうど人が帽子を別のものに変えるように、帽子の種類が変わっても、それをかぶる人は同一であるというようなものです[*2]。

[*1]A,Bは属性。
[*2]アリストテレスは、実体と属性という区別にもとづいて、プラトンのイデア論を批判しています。この批判が的はずれのものであることを、藤澤令夫は指摘しました。この点については、後に触れることになります。

1-3-4 原子論との関連

 先の説明を通じて、存続する同一のものは、AからBへと変わる事物のどこに見いだされると考えると、人間の自然な思考経路は、その事物を子細に観察し、全体としての変化の過程の中で、不変のまま連続的に追跡していける要素を見いだそうとします。

 そうすると、そのような構成要素は巨視的な性質変化を免れてあるものでなければならないので、より微小な部分へと、即ち、原子的な部分へと向かっていくことになります。

 これは原子論的世界観です。これが17世紀以来の科学の基礎であったのですが、原理的、歴史的には既に、ギリシアにおいて表明されていたのです。

2. 原子論的世界観の問題点

2-1 日常世界からの遊離

 問題はこのような世界観が正しいとしても、原子論的な世界はわれわれがその中で日々生き、かつ対処していかなければなならない世界とはまったく関わりのないものといわなければならないということです。既に見たように[*1]、真実のありのままの世界は人が認識する知覚とは全くかかわりのないものだからです。

[*1]1-2

2-2 科学的思考の有効性[*1]

 もちろん、確かにこのような日常的な思考、言語のあり方の延長に位置している科学的な思考は、われわれの生存と行動のための便宜性、有効性を持つものです。

 例えば、頭が痛い、身体がだるいという状況があるとします。その場合、この頭が痛い、身体がだるいという状況が何の症状であるか推定し、その症状を支える実体、本体、正体(結核菌、癌細胞など)を指定し、それをその症状の責任者として指名手配することは、身体に現れる状況を状況として[*2]直接個別的に対処する場合よりも、はるかに有効な対処を可能にします。

 また、強風雨をただ強風雨と、その時々の状況としてとらえるのと、その強風雨という状況を担い、それを運んでくるという主体・実体が「台風何号」という名前のもとにidentifyされて、あらかじめその動きがはるか南方海上に追跡されている場合とでは対処の仕方に格段の差が出てくるであろうことは明らかです。

[*1]この項、藤澤令夫、『ギリシア哲学と現代』(岩波新書)によっています。
[*2]このことの意味は後ではっきりするでしょう。

2-3 世界解釈として固定することの問題

 しかし、このような把握方式を世界解釈として固定してしまうと、多くの困難を引き起こすことになる。「ものとその時空内での配置と運動」という見方が、単に思考の道具、方便としてではなく、世界、自然の究極的なあり方としてとらえられると、そこから生命や心や価値が排除されることになるからです。

2-4 二元論的な下絵の定着[*1]

2-4-1 「心」の欠落

 生命や心、価値が排除されるとしても、それをどう理解し、どう位置づけるかということが問題にならざるをえません。科学は以上のような考え方の上に立ち、二元論的な下絵の定着という形で、17世紀以降の哲学の展開に対して大きな影響を及ぼすことになりました。即ち、自然科学的な世界観が根本において前提としているのが、先に[*2]引いたデモクリトスの断片からも知られるように、感覚がない、価値がない、目的がない物質あるいはその構成要素の世界であるとすると、価値とか目的とは感覚といったものが、一言でいえば、「心」の世界というものがごっそりと欠落しているのです。

 しかし、この「心」の世界が人間にとって大きな所与である以上、哲学はどうしても何らかの形でこの欠落を補わなければなりません。そこで哲学は科学が前提する基礎的事実を自分の世界観の中に位置づけて、あるいは、場所を空けて、その上で心の世界のことを何らかの仕方で考えるというやり方をとらざるをえません。かくて、ものの世界と心の世界が、相互に独立なものとして世界観の下絵として描かれることになったのです。

[*1]藤澤令夫のキーワードです。
[*2]1-1-5 

2-4-2 ソクラテスの場合

 少し話がそれるようですが、ソクラテスについて考えてみます。哲学史の常識ではソクラテスと自然学というのは意外に感じられるかも知れませんが[*1]、ソクラテスが告発された際の訴状に、「ソクラテスというやつがいるけれども、これは空中のことを思案したり、地下の一切をしらべあげたり、弱い議論を強弁したりする、一種妙な知恵をもっているやつだ」[*2]といわれていることが説明できませんし、また、ソクラテスが主要人物として登場するアリストパネスの『雲』においては、まさに暗雲を踏み、思いを太陽に馳せるソクラテスが登場することも説明できません。この問題には立ち入りませんが、プラトンの『パイドン』において、ソクラテスが若い頃自然学に熱中していたといわれていますので、そこにいわれていることを見てみましょう[*3]。

 ソクラテスは弟子たちの脱獄のすすめを断って、獄死の道を選びました。ソクラテスはとらわれの身になっていることの原因を次のように説明しています。

 「アテナイ人たちがぼくに有罪判決を下すのを善しとし、それゆえ、ぼくはぼくで、ここに座っているのを善いと思い、とどまって彼らの命じる刑には何でも服するのがより正義であると思った」[*4]。

 これをソクラテスは「真の意味の原因」[*5]と呼びますが、これに対して若きソクラテスが心ひかれた自然哲学の説明はソクラテスを満足させることはできませんでした。その説明は、

 「ぼくがいまここに座っているのはいかなる原因によるかといえば、ぼくのからだがいろいろの骨と腱から形づくられていて、骨はかたくて関節により各部分に分かたれ、腱は伸縮できて肉や皮膚とともに骨のまわりを包み、これら全部は皮膚によって保持されている。そこで、骨の各部分は相互の接合部を拠りどころにして自由に揺れ動かれる状態にあるから、腱の伸縮によってぼくがいまあしを折り曲げることが可能になり、まさにこの原因によって、ぼくはここでこうして足をまげて座っている」[*6]

というものです。

 しかし、ここにとどまって刑に服することを善しと考え、正義と考えなかったら、こんな骨や腱などは最善を求める考えに運ばれて、とっくの昔にメガラなりボイオチアなりにいっていたことであろうとソクラテスはいうのです[*7]。

 自然学の説明に、「目的」「価値」(善)が欠落していることがソクラテスを満足させなかったのです。この『パイドン』という対話篇には、イデア論が本格的に展開されていますから、イデア論が、この目的や価値について自然学とは違ったアプローチしていることが期待されます。この点については、後に問題にします。

[*1]アリストテレスによる哲学史の概要を見ると、タレスからデモクリトスまでは、自然の問題が探求されました。即ち、自然の全体を統一的に説明することが可能であるような普遍的原理(αρχη、アルケー)を発見することが、初期哲学者たちの関心の的であったのです。これら「自然哲学者」の後を受けて、その後、ソクラテスは、自然万有について省みることなく、人間の問題に専心したとされます。キケロは、ソクラテスは、「哲学を天上から引き下ろして人間の巷間にその居を移した」といっています。プラトン、アリストテレスは、それらの成果を総合しつつ、自然と人間の問題を切り離すことなく、総合的な視点から探求し、哲学を一個の学問として完成した。このようにアリストテレスはギリシアの哲学を見るのです。
[*2]『ソクラテスの弁明』、18b(田中美知太郎訳)
[*3]ここでいわれていることが、すべてそのままソクラテスに関する史実であるとはいえないという問題があるのです。そもそもソクラテスは著作を残していませんから、ソクラテスについての主な情報源であるプラトンの対話篇の中で、ソクラテス的なものがどの範囲までなのか、プラトン独自の思想はどこから始まるのかという「ソクラテス問題」(Socratic prolem)があるのです。
[*4]『パイドン』98e, 藤沢令夫訳
[*5]ibid.
[*6]ibid., 98c-d
[*7]ibid., 99a

2-4-3 デカルト哲学

 この連関で決定的に重要な役割を果たしたのが、デカルトであることはよく知られています。res cogitans(思惟するもの)[思考、認識主観、自由意志、情念、価値の選択/主観的)とres extensa延長を持つもの[延長的実体、客観的]という対比をしました。没価値的ということが客観的、また認識の主体とか自由意志とか価値を優先的に立てることを主観的と見るのです。

 このような世界観においては、以上の意味での客観的事実の世界は、人間が生きる価値(善)の世界を何ら説明せず、後者の世界は前者の世界とは何の関わりも持たないということになります。

2-5 二つの知の乖離

 このように二つの世界が乖離、分裂しているということは、事実にかかわる「客観的知識」と価値(善)にかかわる「主体的知恵」というふうに、人間の知のあり方も二つの方向に分かれてしまうということを意味します。ここからして、価値や道徳や倫理の問題厳密な知識にはなりえないとか、isからought[*1]は導き出せないという見解が定着しました。しかし、世界のあり方を知ることと、その世界の中にあってわれわれがいかに行動し、生きるかを知る知は別々に分かれているとは考えられないのです。

2-6 自然科学の動きと科学技術のマイナスの波及効果

 自然科学も19世紀末頃から、それまで前提とされていた世界の基本の図柄が、世界や自然の究極のあり方を示すものではないことを明らかにしてきました。また、このような自然科学の転換の動きとは別に、科学は技術と合体することで、それから恩恵を受けてきたのは事実ですが、それによるマイナスの波及効果もはっきりとさせてきたことも明らかです。遺伝子の操作、臓器移植、核兵器の存在、等々、これらの問題を前にしてわれわれは価値の問題を切実な問題として意識せざるをえなくなってきます。

[*1]sollen, devoir. まさに為すべきこと。

3. プラトンのイデア論

 このような事態が提起する問題に対してプラトン哲学はどう対処することができるか次に考察してみます。

3-1 「物」的実体の解消

 プラトンのめざす方向は、結論的にいえば、原子論的科学世界観における、世界の基礎としての「物」的実体を解消することである。プラトンは「物」的実体の観念を拒否し、世界のあり方の究極の基礎としての「物」に形而上学的な資格、身分を与えることを拒否したのです。

 われわれは常識的に、知覚の「対象」と呼ばれるものが、何か恒久的不変の実体的なものとして、現実の知覚に先だって、あるいは、知覚の現場を離れて存在し、存続すると考え、それが知識の世界そのもののうちに、知覚を引き起こす原因としてあると考え、知識の根拠を説明することがありますが[*1]、プラトンは、感覚的知覚を徹底的に分析し、知覚の世界はイデアなしには自立しない、徹底的な動と変化そのものに還元されることを明らかにしたのです[*2]。

[*1]これが既に(1-3-2)見た「知覚の因果説」です。
[*2]目の前にあるコップを見ていない時もそれが存在するのかどうか、あるいは、そのコップが原因となって、コップという知覚像を生じさせるのかどうか、ということです。

3-2 知覚一元論か?

 しかし、「物」的実体を否定すれば、後に残るのは、ただその時々に各人に現れる知覚像だけであるという立場をとってもいいのではないかというふうに当然考えることができるでしょう[*1]。バークリー(Berkeley,1685-1753)がいったように、「あるとは知覚されること」であり(esse est percipi)、現象がそのまま実在であると考えられるからです。

 しかし、プラトンは知覚像がその当の知覚像として現れることの根拠、原因をイデアに求めました。現象一元主義では、知覚の最終的な根拠を説明できないと考えたからです。なぜ、イデアを想定しなければならないかが問題となります。

[*1]現象主義、主観主義と呼ばれるような知覚一元論の立場です。

3-3 イデア論の変遷
 しかし、どうやら話を先に進めすぎたようです。というのはプラトンは「物」的実体の解消をめざすのですが、イデア論においては最初からこの方向が明確に現れていたのではなく、それどころか大いに誤解の余地のある表現をプラトンがしていたということをまだ確認していなかったからです。

3-4 分有用語による記述方式

 プラトンは当初は分有用語による記述方式と呼ばれるイデア論の記述方法を採用していました[*1]。
 「<美>そのもの(=<美>のイデアφ)を除いて他の何かあるもの(x)が美しい(F)のは、そのもの(x)が<美>のイデアを分け持っている(分有している)からに他ならない」[*2][*3]

It seems to me that if any thing else is beautiful besides the beautiful
itself, it is beautiful for no other reason at all other than it particpates
in that beautiful.

 これによると、美のイデアが美しいのと、他の何かが美しい場合は明確に区別されます。つまり、美のイデアは分有という条件なしに美しいのであり、他方、後者は分有という条件を必要とするわけです。
 公式的に書けば、xはFであるということは、xがFを持つことを意味し、そして、xがFであり、Fを持つという事態は、xがφを分有することによって成立します。

 x is F (or x is named after φ) means that x has F; and x is F, or
x has F, because x participates in φ.

 以上の記述からアリストテレスによるものも含めてイデア論に対して向けられた批評は概ね的はずれであるといわなければなりません。今詳論の余裕はありませんが、Fとφが混同されているからです。

[*1]ここでも藤澤令夫の解釈に従います。藤澤令夫『ギリシア哲学と現代』(岩波新書)「プラトンのイデア論の用語について」(『イデアと世界』、岩波書店)。
[*2]φ the separate form イデア自体 /F 内在的性格(性質)immanent character, e.g.われわれが持っている等しさ /x 個々の事物、事象、人間など、イデアを分有し、当の性格(性質)を持っているところのもの
[*3]『パイドン』1005c5

3-5 分有による記述方式の問題点

 ではこの記述方式のどこに問題点があるかといえば、xを主語としてたてるこの記述方式は、せっかく分有するというイデア論独自の用語法を使っているにもかかわらず、プラトンの世界解釈の本来のモチーフ、即ち、「物」的実体の解消というモチーフにはそぐわないことは明らかだからです。

 なぜなら、「このもの(x)は美しい」=「このもの(x)という実体、基体的なものがまずあって、それが美しい(F)という性質を属性として持っているといる」という日常的言語に根をはった「主語・述語=実体・属性」の把握と記述方式に類同化される可能性と傾向を持っているからです。

3-6 『パルメニデス』におけるイデア論

 『パルメニデス』という対話篇があります。この対話篇はしばしばプラトンが、自分のイデア論の致命的な欠点を自覚した上での、いわば自己批判の対話篇と見られることがあるが、実は、上で見たような類同化を意識的に提示したものであると考えることができます。以後、プラトンは、分有用語による記述方式を放棄し、それとは異なった記述方式を用いることになりました。

3-7 場の描写的記述方式

 それは「物」的実体の解消という方向とあいまって、このあるものxをもはや必要とせず、φとFの二項からのみ構成される記述方式です。プラトンの場合、個物からあらゆる述語規定[*1]を次々に取り去っていくと、最後には何も残らないのです[*2]。

 「石」について考えると、石は白い、冷たい、固い等々の知覚的性質の集合に他ならず、しかも、石それ自体が、一つの知覚的性質(F)なのであって、白い、冷たい、固い等々の形容詞的な知覚的性質と何ら認識論上の根本的な身分、資格の差はないのです。あるのは、その時々に各人に現れる知覚的性質だけであって、これとは原理的に区別されるようなxは存在しないのです[*3]。強いて最後に残るものは、積極的に表現すれば、純粋の「場」(χωρα、コーラ)です。

 即ち、われわれが常識的に「これは火である」[*4]という代わりに、「ここに火が見える」=「この場に火という知覚像(F)が現れる」という記述方式をイデア論は採用したのです。

 この記述方式は、xに言及することなく、それぞれの知覚像、ないし、知覚的性状が現れることだけを述べています。別の例を出すと、「おなかが痛い」という場合、「痛さ」という知覚が、「おなか」という場所に現れている、つまり、知覚的性状が「どこに」存在するか、場所を指定しているのです。

[*1]人、色が白い、黒い、勇敢である、等々。
[*2]これに対して既に見たように(1-3-3)、アリストテレスや原子論の場合は、基体というものを考えたのでした。主語となっているXはAとBを通じて存続する同一のものであると考えるわけです。ちょうど人が帽子を別のものに変えるように、帽子の種類が変わっても、それをかぶる人は同一であるというようなものです。プラトンはそうではなくて、AからBを通じて存続する基体(x)を想定しないのです。
[*3]藤澤令夫、「”状況”の変化と”もの自身”の変化」、p.83、『哲学研究』(550号)
[*4]x is F, 主語述語型命題形式

3-8 イデアとF

 問題は、この場の概念が導入されている『ティマイオス』では、「場のここに<火>のイデアが映し出されている(F)」、あるいは、「<火>のイデアの似像が、場のこの部分に受け入れられて、火(F)として現れている」という形になっており、Fの他にφという要素が出てくるということです。なぜ、イデアが必要なのか、なぜ、ことさら、例えば美のイデアの似像が...というふうにいわなければならないのでしょうか。もしも直接知覚されるものの世界、感覚界(F)が、それ自身のうちに、真の知識の確固たる基盤になるような何か恒久的なものを持っているのであれば、別にイデアを考えなくても、知識の根拠は説明できることになり、イデアの存在理由はなくなるはずです。プラトンは、知覚の世界はそれ自体で、即ち、イデアなしに自立しうるとは考えなかったのです。

3-9 範型と似像

 範型と似像の関係は次のように考えることができます。例えば、現実に等しい事物は、等しさそのものに似ており、等しさそのものに憧れ、その通りになることを欲しています。一般に、われわれが物事を学び、真実の知を得る過程は、似像である感覚的事物を[*1]手がかりとして、それの原型、範型にあたる思惟的対象を想起すること[*2]であるといわれているのです。

 なぜにφかという問題は、大問題といわなければなりません。なぜなら、客観的対象としての物理的事物がまず知覚とは独立して存在して、それが原因となって、知覚像が生じるという見方、即ち、知覚の因果説を退け、かつ、現象一元主義に居直ることもしないのであれば、知覚像が現れる原因をどこに求めるのかという問題に答えなければならないからです。

[*1]正確には、F。
[*2]後述。3-11.

3-10 範型としてのイデア

 簡単にいえば、何か美しいものを見て、美しいとわれわれに言わせる究極の根拠としてあるのが、イデアだということができます。発語の「美しい!」の本来的な意味を支え、成立させているものです。

 一般にFという言葉の意味を知っているということは、何かが現れた時に、それがFであるということを(あるいは、Fでないということを)判別できるということに他なりません。しかし、この判別がなぜ万人にとって、あらゆる場合に一定不変でないか、つまり、私が美であると判別した知覚像を他の人はそうしなかったり、また、かつては私が美であると判別しなかったものを、今は、美であると判別することがあるかは容易ならざる問題です。人によって、あるいは、同じ人についても経験の程度によって判別内容が異なるのはなぜでしょうか? このような事態を単に美の判別は、要するに主観的なものである、相対的なものであるといってすませることができるでしょうか?

 この問題をつきつめていくと、どうしてもFという判別そのもののなかに、先験的といっていい何かが働いているとしか考えられないのです。それがFをしてFたらしめるイデアφなのです。

3-11 想起説

 先に[*1]学ぶことは想起であることに言及しましたが、この点について見ておきます。知られているように、ソクラテスは、知者といわれている人を吟味して、実際には彼らが何も知らず、それに対して自分はわずかに何も知らないということを知っているという点に知者といわれる人よりもすぐれている点を見いだしました。これは「無知の知」として説明されます。その何も知らないはずのソクラテスを対話篇の主人公に据えたプラトンは、ソクラテスに積極的に何かの説を語らせるわけにもいかず[*2]、例えば、エロースについて語られる『饗宴』という対話篇では、そのもっとも中心的な思想は、ディオティマという女性によって語られるという設定になっています。

 ともかく、このような何も知らないソクラテスの教育についての思想は、産婆術の考えにおいて見て取ることができます[*3]。

 「知恵を自分で生むことはできないのだ。そして既に多くの人たちが私を非難していったことだが、私は他人に問いかけるばかりで、自分は何についても何一つ答えていないが、これは何一つ賢いことを知らないからだというのは、まことに彼らの非難のとおりなのだ。つまり実際に、私自身は知恵のあるようなものでは決してないので、私の魂から生まれた賢い発見というようなものは、私には何もないのだ。しかし、私と交わるものは、はじめは全く愚かに見えるものも、若干はあるのだが、しかし交わりが進むと、それが皆、もし神が彼らにそれを許されるなら、自分たち自身の思うところでも、また他人の見るところでも、驚くほどの進歩をすることになる。しかもそれが、私から何一つ学んだということがあったわけでもなく、いずれも自分で自分のところから、多くの見事なものを見いだし、生み出してのことだということははっきりしているのだ。」

 教育は外から知識を授けることではなく、自分でそれを見いだせることにあるわけです。もしそのようなものであるとすれば、自身は、何も知識を持っていないで、人が知識を生み出すのを脇にいて助けることが教師の役割ということになります。産婆が自分では子どもを生まないのと同じです。

 想起説、即ち、「学ぶことは想い起こすことである」(mathesis anamnesis)[*4]という考えも、このようなソクラテスの考えの発展の延長上に理解することができます。人が学ぶというのは、外から知識を授けられることではなくて、自分でそれを自分のところから見つけだすことだとするならば、その知識は、見つけだされる前にも、自分の中に、気づかれずにあったものだと考えなければならなくなります。学ぶとか教えるというのは、これに気づかせ、思い出せるだけのこと、即ち、学ぶということのは想い起こすことだということになります。

 学ぶというのは単純なことのように見えますが、実際にはそうではないらしいことを昔のソフィストの難問が示しています。学ぶ人は、学ぶ事柄を知っていて学ぶのか、それとも知らないで学ぶのかという難問です。真面目に考察するような問題ではないと感じられるかも知れません。われわれは、知らないから学ぶのであって、知っていれば学ぶには及ばないからです。しかし、全く知らないものを人はどこでどう学ぶことができるのでしょうか? プラトンの想起説は、このような難問を真面目にとってこれに答えようとした一つの試みであるということができます。人は学ぶためには、ある意味において、知らないでいて、かつ、知っていなければなりません。プラトンの想起説では、それをどういう仕方で知っているのかということについて、われわれの魂は本来不死なるものであって、前生において真実在を見、真理[*5]を把握したのであると語られているのです。

[*1]3-9
[*2]初期の対話篇では、どの対話も行き詰まってしまいますからいいわけです。結論が出ないままに、振り出しに戻ってしまうわけですから。ソクラテスの哲学においては、定義は議論の出発点にされません。むしろ、定義を求めて議論が始まるわけですが、そこに至らず対話は終わってしまい、われわれとしては何か中途半端な気持ちで釈然としないまま、登場人物とともに、ソクラテスとの対話を終えなければなりません。
[*3]『テアイテトス』149a-151b.
[*4]『メノン』81a,『パイドン』76a
[*5]真実在、真理とここでいわれているのは、イデアの意味です。

3-12 原因・根拠としてのイデア
 先験的なものという時、以上のようなことをプラトンは理解しています。さて、判別のあり方の差異が何に起因するかというと、このイデアの知り方の差異なのです。想起説から知られるように、人はイデアの知を完全なものとして持ってはいません。生まれる前に獲得された知はその後どうなったのでしょうか? 次の二つの可能性があります。

(1)その知識を所持したままで生まれてきて、生まれる以前にも生まれたすぐ後にも知っている状態にある。
(2)生まれてくる時に失ってしまい、後になって感覚を用いながら、以前に所有していた知を再びとらえるのであれば、学び知ることは想起である。

 今詳論できませんが、プラトンは知っているということの指標を、言葉で説明する(logon didonai)という点に求めています[*1]。しかし、このことは誰にもできることではないことは明らかなので、即ち、人は知を所有した状態にはないことになりますから、(1)の可能性は否定することができます。知をわれわれは忘却するのであり、かつて学び知ったものを想起することになります。

 そこで、例えば、美とは何かということについての認識が深まるに連れて、美の判別の仕方も変わってくるはずで、美についての経験が深まるに連れて、美とは何かということに次第に目が開かれてくるわけです。イデアは判別の中に働いて、そのあり方を規制する規範的・基準的な何物かです。

[*1]例えば道を尋ねられた時に、言葉で説明できないので、一緒についていって目的地まで案内するというのは、道を知らないのではないにしても、知っているとはいえないとプラトンは考えます。

3-13 原因・根拠としてのイデア(2)

 以上から、「場のここに美という知覚像が現れている」と記述される事態は、決して、それだけで自足しているのではなくて、美が他ならぬ美として現れ、美として判別されるということ自体の中に、先験的な美のイデアが、規範、基準として働いていることで初めて、この経験的自体が成立しているということがわかります。

 イデアはこのように、われわれの経験の中にそのままの形で、現実の知覚像として現れれることは決してありませんが[*1]、現実の判別の中にリアルに働き、判別自体を成立させている原因、根拠なのです。

[*1]イデアと現実を混同、両者を即一してはいけません。イデアを想起することによってわれわれはこの世のいろいろなものにイデアの面影を認めることができます。しかし、イデアの認識を深めれば深めるほど、地上のいかなるものとも混同しなくなります。イデアと現実の混同は偶像崇拝への道を開くことになります。

3-14 価値の問題

 原子論は、およそ一般に価値とは無縁の世界であることを見ました。では、これに対してイデア論はどうでしょうか? ある知覚像をFとして判別するということは、その知覚像が他ならぬFであることによって定まるような、それに対するわれわれの反応や対処、対応のあり方への合図を受け取ることであるといえます。

 ある知覚像を、例えば、美として判別することは、とりもなおさず、その知覚像が他ならぬ美であることに対する反応や対処、行動への合図を受け取ることに他ならないのです。別の例を出すならば、青信号を見る、青信号としての知覚的判別は、そのまま進めの合図、横断を開始する行動そのものであるといえます。

 このことは、程度の差はあっても他の知覚的判別の場合もあてはまると考えられます。どんな知覚像も、それぞれの固有の表情を持っているのであって、これがそれぞれのものの意味、あるいは価値と呼ばれているものなのです。

 表情皆無の、また、原子論で想定されたような価値と無縁な知覚像はありません。そもそもそのようなものがもしあるとすれば、知覚されません。ぼんやりと視野の片隅にあるだけのものであっても、それに対して何ら特別の行動、対処を何もしなくてもいいという仕方で、われわれに対処を指示しているわけで、それなりの表情を持っていると考えることができます。

 緊迫した行動(青信号を判別して進む)から、このような無反応的反応まで、われわれが取るべき様々の基本的態度への合図を受け取るということは、まさに価値的な判別を行うということであり、あらゆる知覚は、その根底において、価値的な判別であるわけです。この意味で、われわれは有益なものしか知覚しないようにできているということができます。

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