陰翳礼讃


 谷崎の「陰翳礼讃」というのは、彼の作としてつとに名高い一つだと思うが、私はこれまで読まずにいた。その最大の理由は、かつて私が散々これを読まされたことにあると思う。受験勉強の国語の問題としてである。特に、あの暗闇の中の蒔絵の椀の件などは、あまりしょっちゅう出てきたのですっかり覚えてしまったぐらいだ。それで、その切れ切れの文章から覗く独特の耽美主義が、当時---即ち高校受験をしていた中学生の頃や、大学受験の高校時代---の私にとっては、やたらいやらしく、肌に合わず、替えって敬遠するばかりであった。その頃の私の愛読書と言えば、ロシア文学、ゴーリキーやトルストイ、ゴーゴリなどであった(チェーホフに引かれたのはもう少し後である)。耽美主義には程遠いと言えよう。

 今度一緒に住むことになった彼氏がこの本を持ってきた。この人の読書の趣味というのはなかなか程良いもので、こうした私がこれまで触れてこなかった分野の、読むべき本を色々含んでいる。彼の本棚に、久しぶりにこの「陰翳礼讃」の文字を見出したとき、私はやっとこれを一度読んでみる気になったのである。

 さて、「空欄を埋めよ」だの「傍線部の作者の意図を述べよ」だのと言う邪魔を気にせずのんびりと読み耽れば、これはこれで無論それ相応に面白いには違いない。そもそも、こんなのを中学、高校生に読ませて作者の意図を問うというのが土台間違っているだろう。こういう世界に入り浸って共感する十代というのは、或いは今時の「やおい」系の読者には多いのかも知れぬが、私には馴染まない。しかし、時隔てて今や自分も35歳、一つには”老い”たるものをそろそろ実感し出す年頃になり、またもう一つにはいくらか”贅沢”も多少は経験してみてこそ、谷崎の言う陰翳の美、なるものが些か分からぬでもない次第である。

 もっとも、どれ程感嘆したかと言えば実はそれほどでもない。「秘すれば花」と言うが如く、昔から、東洋の美に関してはあまりあからさまでないのが佳しとされていたことは半ば常識ではないか。ことさらに新発見の如く言い立てるのもどうかと思う。彼の様に、ガラスが居間から見えるのを嫌って外がガラス、内が障子なぞというへんてこな造作を試みるに至ってはむしろ些か滑稽に属する。戦後巷にあふれている建て売り住宅のみっともない和洋折衷の発想はこの辺りにあるかと思われるほどだ。

 大体、谷崎はなにかというと物事を”西洋”と比較して、例えば浅い白ちゃけた皿に盛る彼の地のスープは趣が浅いなどと評しているが、これはどうみても彼の西洋文化の理解の方が浅いとしか思われない。横浜辺りの寄留地の外人と交わったなどと述べているが、そもそもそんなところの西洋人というのはたかが流れ者で、程度からすれば低いのである。そうした連中を”文明”の使者の如く崇め、かつ妬まなければならなかったのは戦前の日本人としてやむを得なかったかも知れないが、今の我々からは一寸受け入れられない。恐らく彼の知る西洋のスープというのは、せいぜい決まり切ったポタージュかコンソメぐらいだったのではなかろうか。

 この様に、彼の持ち出す東西の比較には、その東洋文化への深い理解とは対照的に、西洋に対する認識不足がしばしば目に付く。例えば、ヨーロッパの古い大伽藍を思い浮かべて観よ。ステンドグラスから差し込む淡い光と影の中に、ひっそりと掛けられた十字架だからこそ神々しいのではなかろうか。また彼の地にあまたある華麗な宮殿楼閣も、元々は矢張り蝋燭のともしびに照らされて荘厳、崇高足り得たのであって、現在の白々しい蛍光灯の元では畢竟醜悪を隠し得ないのである。シェークスピアの歌劇の深みもまた、多く光と影の対比に由来している。マクベスを観よ、リア王を観よ、闇、荒野、夜無くしてその悲劇は成り立つまい。はたまたリルケの賞賛する小暗い闇に至っては如何。

 そのようなわけであるから、彼の議論には全体として、些か我田引水の感が無しとしない。そうした部分は、現代の我々としては多少飛ばして読むのがよかろう。それらを抜きにしてもなお、例えば庭の厠にしゃがんで聴かれる「軒端や木の葉から滴り落ちる点滴が、石灯篭の根を洗い飛び石の苔を湿おしつつ土に沁みいるしめやかな音」や、日本建築の大きな建物の、奥の奥の部屋にある金襖や金屏風が、「幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返している」描写などは、充分読み味わうのに値する。そういう美を、私も矢張り美と認めるに吝かでない。洋の東西を問わず、元々文化というものは成熟を深めるにつれ、何れそういう方向を採るのではないかと思うがどうか。
(1999.11.21)
 
 

                                 KOH
 
 
 
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