フィナーレ

 ショスタコーヴィチの、交響曲第5番、そのフィナーレを聴いた。数年振りで
聴いた。そして、泣いた。

 年甲斐もなく、一人涙が出て、止まらなかった。見給え、私のこのワープロは、
”涙”という単語を一度では変換できない。それほど、私は涙に遠くなっていた
のである。しかし、これは真に、涙を流すべき音楽なのである。

 これは苦い、苦々しい、深い慟哭と、累々たる屍に満ちた、しかし確かな、勝
利のフィナーレである。この曲が初演されたとき、聴衆の興奮は尋常でなかった
と言われる。そうだ、彼らには分かったのだ。今日、私が始めた感じることが出
来たこの勝利の本当の姿が、作曲者と同じあの凍てついた空気を吸っていた彼ら
には、紛れもなく感じ得たに違いない。

 明らかに、これはこの作曲家が生涯で最後に書き残すことの出来た、本当の勝
利のフィナーレである。この作品以後、彼は一度も本当の意味での勝利のフィナー
レを書くことが出来なかった。それは何時も、フィナーレだけが何故か失敗し、
あるいは失敗しないまでも何か曖昧な、中途半端な印象を残して終わってしまう
のである。しかし、それでもよかったのではないか。彼は、ここにこうしてフィ
ナーレを書き上げているのだから。
 
 

    
    (シベリア鉄道の車窓より)
 
 

                         KOH

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