高尚と言うこと

〜ゲイのためのBBS、GAVIEにあって栄えた、音楽と酒のボードFIGAROで、
ボードオーナーの”さんすけ”氏が偶々エルガーの行進曲について論じたも
のへのRES。96/02/27、GAVIE, FIGARO初出。
 
 

 行進曲があまり高尚でなくっていいというさんすけ師匠の御説は、至極
もっともである。私はあの威風堂々があまり高尚だとは思わぬが、それが
いかんともまったく思わない。

 いったい、なにが私にとって高尚なのか。

 かねがね私は、音楽を三階級に分けて観ているのである。個人の楽しみ、
手すさびとして作られたもの、技術的に佳く作られたもの、そしてそれを
超えるものである。

 畢竟、音楽というものは元々は誰かが作ったものであるから、いわゆる
”作りもの”であるには違いない。しかし現実には、その作りものにすら
達しないレベルのもの、佳く作ってあるがそれだけのもの、そして極少数
だが、作りものではあってもそれを大きく踏み越えた”何か”がそこに宿っ
てしまったものの三通りが存在している。私がエルガーを”あまり高尚で
ない”と感じるのは、彼の作品がまさしく、佳く作ってあってそれだけの
ものだからである。急緩急の配分が巧みで、大向こうがぐっと来そうなあ
の緩徐部分、大衆凡俗が注意を向けていられる時間内にさっと曲を終わら
せられるあの手際の良さ等、誠に見事であって上手い、佳く作ってある、
秀作だ、じゃあ次行こうか、そういうことである。

 無論、さんすけ和尚の言われるとおり、行進曲であるからそれで一向に
構わない。世の中にバッハばかりが満ち溢れていてはかなわない。しかし
英国に於ける如く、それを聴いて一国の国民が、尊きも低きも皆頭を垂れ
て居住まいを正されたのでは、これもかなわぬ。たかが行進曲は、たかが
行進曲の扱いをすればよろしいのだ。世の中にフィレのステーキもハンバー
ガーもあるが、どちらも私は食することがある。しかしハンバーガーがウェッ
ジウッドの皿に載って、恭しく運ばれてくるとしたら我慢がならない。そ
ういう、問題である。
 
 

                       KOH

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