リヒテル邂逅

 この度思いがけなく、我が愛するピアニスト、スヴヤトスラフ・リヒテルのファンページオーナーという方からメールを戴いた。

 KOH'S WHOにも載せた如く、かつて私はこのピアニストの演奏に二度接したことがある。最初は、なんと共通一次(今で言うセンター試験)の1週間前であった。東京の、人見記念講堂というところで聴いたと記憶している。受験直前であったのに、あえて彼のコンサートを聴きに行ったのには、当時ホロビッツが復活リサイタルを開いたことが影響していたようだ。十数年振りだったか、数十年振りだったかにコンサートを開いたこの往年の巨匠の音は、「名は残っても芸はホロビッツ」と酷評された。嗄(しわが)れていたのである。そんな折りもおり、リヒテルが久しぶりに来日するというので、今聴いて於かなくてはひょっとしてリヒテルも、という不安が私の脳裏をかすめたのであった。

 こういう、悲壮な覚悟の演奏会だったが、生来忘れやすく、整理整頓からほど遠い私の性格で、その時の正確な演目等々は、もう何も覚えていない。ただ思い出すのは、舞台に現れて聴衆に向き合った彼の、なんと大きかったこと!あの薄い唇をきっと結んで、心持ち上向きに胸を張って彼は舞台に立った。その時、私は本当に巨人が目の前に立っているような錯覚にとらわれたものだ。やがて、シューマンやシューベルトなど、ロマン派の小品を主体としたその日のプログラムが始まったが、私の記憶に残る唯一つの音と言えば、リストの激しい作品で、和音が急激な上昇を示す部分である。だ、だ、だ、だ、だ、と沸き上がってきた楽想が、頂点に達したと思ったその途端、たたたたーんと音は更に遙かな窮みへと駆け上っていったのだ。もちろん、楽譜にその通り書いてあったのであろう。だが聴いていた私には、それがピアノの鍵盤を越えて、突然音が無限の天空に舞い上がっていったかのように響いた。

 二度目は、結局一浪して入った仙台の大学時代、中新田バッハホールと言うところで行われた室内楽のコンサートである。リヒテルはこの小さなホールを気に入り、数度に亘り訪れている。この日は、所謂リヒテルファミリーとの競演で、ブラームスなどの作品が演奏された。こぢんまりした田舎のホールで、リヒテルも前回よりずっとリラックスしていたようだった。ただどういう訳か、この二度目のコンサートについては、殆ど何も覚えていない。素晴らしかったはずなのだが・・・?やはり最初の記憶に圧倒されているのだろうか。ただ、数年の時を隔てて再会したリヒテルが、老境に達しているにもかかわらず、依然として力強かったことだけは、はっきりと印象に残っている。
(2002.1.21)
                        KOH
 
 
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