-神品とよばれたやきもの-宋磁展

 東京は池袋駅にある、東武美術館に行って来た。宋磁展を、観るためだ。宋磁と言うものを
御存じない方には、是非、ここで御紹介したい。

 中国に宋という王朝が栄えたのは、今からざっと千年前である。日本では、平安後期から鎌
倉に至る時代のことだ。この時代、中国の陶磁器製造技術は、そのひとつの頂点に達していた。
一切の虚飾を廃し、澄み渡る青空のような蒼の色を纏う青磁、幽玄のオフホワイトに包まれた
白磁、そして漆黒の地の内に火加減の不可思議によって生じた、海底から沸き上がる泡の如き
神秘な気泡を閉じこめた天目と呼ばれる品々などが、続々と生み出されたのである。中でも従
来我が国で珍重されてきたのは、この天目や、俗に”砧青磁”と呼ばれる南宋後期の龍泉窯の
作品群であろうが、しかし美の本質にあくまで目を向けるならば、その最高傑作は北宋の官窯
とも目される、汝窯の諸品でなければならない。

 数ある宋磁の名器の内でも、確実に汝窯の作とされる品は、非常に少ない。元々商用として
大量生産された龍泉窯に対し、この汝窯は恐らく宋の官窯、すなわち宮廷の窯であったからだ
ろうと考えられる。その作品の特徴は、今回出展された青磁水仙盆、青磁輪花盤などに代表さ
れるような、無地の青磁器である。文様などは、通常全く観られない。形も、盆は盆の形、皿
は皿の形をしているだけで、時に僅かに皿の周囲に花弁様の切り込みが付く程度しかない。し
かしこれこそは、中国三千年の陶磁器の歴史の中の、正に最高傑作といわれる品々なのだ。真
に偉大な芸術に、一切の装飾は不要である。
 

 青磁の蒼は、よく「雪が晴れ、佳く澄み渡った冬の日の空の蒼」といわれる。この汝窯の青
磁は、正にそんな色であるとも言えるし、また私には、浅い南国の海の、その水の色であると
も思われる。ガラスのような透明感を持つ釉薬の掛かり具合が絶妙で、どっしりとした質感、
安定感は、すべての試行錯誤を超越したその究極のフォルムから生み出されるものであろうか。
この汝窯の作品に比べれば、あの龍泉窯の作品群といえども、高貴さにおいて僅かに劣るので
はないだろうか。
 

 一方、同じ北宋時代、定窯の白磁もまた、まさるとも劣らぬ見事さである。白磁刻花牡丹文
盤と言う作品は、直径約27センチの大きめの皿に、牡丹の花がゆったりと切り込みで刻まれ
ている。彩色はない。雄大で、気高い一品である。オフホワイトの柔らかな白磁の質感と、の
びのびと描かれた牡丹が素晴らしく調和している。また、同じ定窯の白磁劃花文椀は、小振り
の椀である。硬く、緻密で見事な光沢を有し、その内側にはよく観るとごくあっさりとしたデ
ザインで、微かに蓮の花弁が切り込まれている。真に手慣れた造り手が、邪念のない一刀で仕
上げたもののように思われる。
 

 そうした青磁、白磁の名品の蔭に、一品、不思議な色を湛えた花瓶がある。月白釉瓶と名付
けられたその瓶は、12世紀、征服王朝である金の支配下に入ったかつての宋の名窯、耀窯で作
られたものであった。未開の女清族が武力で無理矢理建てた国、金の陶磁器は、一般には宋の
ものに比ぶべくもないレベルの低いものが多いのだが、この瓶はまたどうしたことか。月白と
いう、白とも言えず、薄緑とも言えぬ、確かに、あの冴え渡る月の光をそのまま花瓶に閉じ込
めたような不思議なこの色合いは、光を放つというより、すべての光を吸収してしまうかのよ
うに謐として静まり返っている。ただならぬ緊張感がある。滅びの美、であろうか。
 

 およそ芸術を語るなら、宋磁を抜きに語ることは出来ない。宋磁を知らぬものが、美を語っ
てはいけないのだ。すべての装飾を廃した、美の根元、源がここにある。或いはその源から、
微かに美の色が人知れず漂い出す、その瞬間を閉じ込めたものもここにはある。これらは後
世の陶工が、どんなに意匠を凝らし、どんな独創性を発揮しても決して二度と辿り着けなかっ
た、美の究極なのである。一皿の宋磁器は、暮れなずむギザのピラミッド、ギリシアの彫刻、
レオナルドのジョコンダ、杜甫や李白の詩、王義之の手紙、バッハのミサ曲、薬師寺の東塔
などと等しい、人類の最高傑作の一つと言うべきであろう。
 

(1999.3.26)
                            KOH
 
 
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