非暴力

平和と正義を実現するには多くのさまざまな方法がある。私たちは、草の根の人々を含む持続可能な運動の進展を通して、正義の世界を構築するために働く必要があり、紛争解決のための創造的な方法を見つける必要があり、健全で、持続可能な方向にそって、それに替わる新しい社会構造や共同体を築く必要がある。

 

状況によっては、行動的非暴力を行使することが求められることもある。例えば、ある紛争で、双方間に力の不均衡があるところでは、弱い側は交渉が始められるように行動をおこさねばならない。その行動を起こす必要性は、彼らもまた人類の同胞だと強い側に認知させること、あるいは、問題が存在しているということを強い側に理解させることと同じくらい基本的なことかもしれない。あるいはまた、状況は改善も改革もできず、転換する以外には解決はないような構造上の不公平の一つなのかもしれない。

 

 非暴力の目標は、対話であり、抵抗でもある。すなわち説得しなければならない人々との対話、そして変革させるための構造への抵抗。ファスレーン365の目標も同様であり、非暴力の市民の抵抗を通して、イギリスの核兵器廃絶のために、私たちは重大な、市民による圧力を行使しようとしている。

 

行動的非暴力の方法論

 劇的に表現されたアクションは、通常は、象徴的なものだが、問題の真実を顕現させるために、そして注目を集めるためにおこなわれる。例えば、ワシントンにおけるホームレスのキャンペーン は、凍死した貧困者の遺体を譲り受け、棺に安置し、市役所まで運んだ。このように、文字通りその責任ある部署の入り口に棺を置いた。私たちが実際に基地への交通の流れを止めて労働者たちがその中へ入るのを阻止する時、ファスレーン365の運動は一歩進展するのである。

 デモ、封鎖、行進、穏やかな侵入のような工夫された無秩序は、問題への注目を集め、変化へと導いてくれる。ストライキ、ボイコット、職場放棄、指令への不服従などの非協力と、封鎖、座り込み、直接行動などの介入は、敵対者を説得できない時には危機を作り出し必要な変化を引き出すことができる。(注意:自分に対して使ってほしくない方法は、決して使うべきではない。)

 

非暴力キャンペーンの特色

 ● 関係する相手方や個々人に対する無条件の敬意

 ● 参加者に対する配慮

 ● 人々に危害を及ぼしたり、損害を与えたり、おとしめたりすることを

   拒否

 ● 苦痛が避けられないのであれば、ほかの人にそれを負わせるのではなく、喜んで自分が引き受けること。

 ● すべての人が変化への能力を有する、という信念を持つこと

 ● 相手方の人間性に訴えること

いかなる人も真実を独占するべきではないと認めること、だからわたしたちの「真実」と相手方の「真実」がともにもたらされることをめざす。

手段は、運動の過程における結果だと理解すること。だから手段は結果と矛盾してはならない。

● 私たちの態度が非暴力的であるように、準備、訓練をすること。

 

ファスレーン365のガイドライン

 

私たちは、常に私たち自身と、他の人々に害を及ぼすことの無いような方法で行動をとってきた。ファスレーン365に参加する全ての人々に、以下のガイドラインを尊重しこれに従うよう求めるものである。

 

 ● 私たちの態度は、出会うひとびとに対して誠実であり、敬意をはらう様なものでありたい。

 ● 私たちは個々人に対して物理的暴力や言葉の暴力に訴えない。

 ● 私たちは武器を持たない。

 ● 私たちは医療目的以外のアルコール、麻薬を持ち込まず使わない。

 ● 基地からの緊急用車両の出入りに際しては、私たちは封鎖を解き、その後また封鎖を再開する。

 

なぜ非暴力か

 

「非武装という真理はこの宇宙で最も強い力です」マーティン・ルーサー・キング

 

私たちの直接行動、訓練、ワークショップはすべてにおいて非暴力であることを強調したい。この節では、なぜこのことが重要であるのかを解説する。

実際的な理由

国家、あるいは権力保持者は、私たちができることよりもっと多くの武力を抵抗者に対して常に行使することができる。最終的には、暴力が戦術的なものならば、権力保持者は常により大きな暴力に訴えることができ、より大きな武力と財源を自由に使うことができる。

 

● 抵抗者によって行使される暴力は、ネガティブなイメージを与えるものであり、そしてわたしたちの側に結集させようとしている人びとの心を離れさせることがしばしば起こる。それは否定的なマスメディアの手中で助長されるのである。

 

● 暴力は、表面上短期的には効果があるように見えるが、決して長期的な解決にはならない。常に、のちに噴出する傷と痛みの後遺症が出るだけである。

 

哲学的な理由

● 暴力的手段による平和の創出は、本当の言葉の意味からすると矛盾している。平和は、平和的なプロセスのみから創出されるものである。

 

● 他者への敬意は非暴力の核心である。私たちの行動を通じて、私たちは考え方の点で敵対者に勝ちたいと思っている。このことは、心の変化であり、武力でなしうることではない。

 

● 最重要なこと:非暴力がうまく機能するということ。

 

非暴力が効果を発揮した例

これらすべての例のなかで、非暴力は、長くそして高い代価を払う闘争の一部だった。それは、部分的な勝利だけのこともあり、またしばしば、いまだに解決されるべき問題であったり、もっと進めるべき問題である。しかし、大切なことは、非暴力行動は、歴史の進路を変えた結果を勝ち取ったということである。

 

人 権

 

奴隷制度

   18,19世紀までに、奴隷制度は経済構造の基本的な部分として固定化され、そして50年以内に廃止された。奴隷制度はまだ存在はしているが、その概念は、受け入れがたいものであると見なされるようになってきた。これは多くの政治家、博愛主義者たちのたゆみない作業によって、またボイコットや、象徴的なアクションのような行動的な戦術によって実現された。

 

女性の参政権

19世紀初頭イギリスにおいて、女性の普通選挙権を勝ち取る運動では、議会のロビー活動を超えた多くの直接行動の戦術が巧みに用いられた。女性たちは、結集してつながりを作り、国会の進行を妨害し、郵便受けを壊し、ハンガーストライキを続け、競馬場のレースコースで死の抗議さえも行った。このような状況は、職業婦人が注目を集めていたことも合間って、もはや選挙権を否定できない時代へと導いていった。

 

労働組合運動

   労働者の権利を守る労働組合を結成する権利は、長年の高い代価を払った運動の後に勝ち取られた。それまでには、工場主たちの既得の利益を守る強力な反対に出会った。最も記憶しておくべき運動は、*「トルパドルの犠牲者」のアクションで、彼等は長年、当時の植民地であったオーストラリアに流刑になったけれども、それでもなお連帯を作ろうと試み続けた。

 

 * 《英史》トルパドルの犠牲者《ドーセット州、トルパドル村で労働組合を組織し、1834年オーストラリアに7年の流刑になった6にんの農場労働者;この処置は世論の抗議を招き、1836年に刑の免除がおこなわれた》                      (訳者による注)

 

 USAにおける公民権運動

    おそらく、最も有名な非暴力運動は、アメリカ黒人の選挙権を勝ち取る闘争だろう。それは、席を区別されたバスで、後方の黒人用の席に座ることを拒否したローザ・パークスから始まり、アラバマ州モンゴメリーでのマーティン・ルーサー・キングによって先導されたバス・ボイコットへと移っていった。公民権運動は、全世代の人々を、非暴力運動へと鼓舞した。

 

ヒットラーに抵抗するデンマーク

    非暴力運動はヒットラーのような独裁者には効果がない、とよく言われる。デンマークの人々は、ナチスに占領されたが、大戦の間ずっと非暴力の非常に効果的な抵抗運動を続けた。ユダヤ人たちが、黄色いダビテの星の着いた衣服を着ることを命じられた時、デンマーク王がそれを身に着けた。そうすると命令は中止となった。大戦を通じて、デンマークからユダヤ人は追放されることはなかった。ノルウェイもまた効果的に抵抗し、ドイツ内部にも非暴力のレジスタンスは存在した。

 

国家の独立

 

インド

大英帝国からインドを開放させるガンジーの闘争は、非暴力のモデルとなり世界中の他の多くのアクションに勇気を与えた。ボイコット、地元であるインド人のプライドと貿易の構築、塩税のような税や法律の公然とした無視、究極的にはハンガーストライキなどのガンジーの戦術は、終局的にはインドの自由を勝ち取っただけでなく、生き方の一つである非暴力を基調とする哲学的な理念の一つをも示した。

 

パキスタン

ガンジーほど有名ではないが、同時代の仲間でもあったハーン王、彼は誇り高いパターン族の兵士を、兵力一万人の非暴力部隊へと転換した。そして、大英帝国の過酷さに抵抗し、パキスタンもまたイギリス統治から解放された。

 

フィリピン

1980年代、フィリピンの人々は、抑圧的な独裁者、マルコス大統領打倒のために立ち上がった。通りに飛び出した大勢の群衆の映像が世界中に流された。レジスタンスの前面にいた尼僧や、神父たちの映像も。戦車に登り、兵士たちに花や、花輪を贈り、結果的には警察や、陸軍を人々の側に引き入れ、独裁者を倒した。

 

チェコスロバキア

ビロード革命として、知られるようになった闘いで、チェコスロバキアの人々は1989年、ソビエト統治からの解放を成し遂げた。1953年の蜂起では暴力が使われ、ソビエト軍の強力な軍事力に制圧された。しかし、長年の文化的、政治的レジスタンスの地下活動の結果、民衆の力は、チェコスロバキアの街々に現れ、ベルリンの壁倒壊を頂点に、自由を獲得するために、前ソビエトの他の多くの衛星都市の出発点となった。

 

ウクライナ

ごく最近、大勢のウクライナの人々がまた、ロシアによる選挙支配に抗して、‘オレンジ革命’を成功させようと街に現れているのを私たちは見た。来る日も来る日もキエフの町で、雪の中にたたずみ、追い散らされることを拒む人々の集団の映像は、見た目では自然発生的に見えたが、実際にはそうではなく、一年間の熱心な組織化の結果であった。

 

核兵器廃絶

 

グリーナムコモン

1982年、巡航ミサイルの配備に反対して、グリーナムコモンの米空軍基地に女性ピースキャンプが作られた。ミサイルは配備されたが、記録には、アメリカは、人々の反対の大きさのため、重く制限され、究極的には兵器は撤去され、基地は、共有地に戻された、と書かれている。この事実は、反核運動だけではなく、女性の権利闘争にも大きなインパクトを与えた。

 

反トライデント運動

1960年代のオルダーマストン行進以来、数え切れないほどの非暴力運動が展開されてきた。しかし、トライデントは、私たち全員の反対にも拘わらず、いまだにここに存在している。ゆえに、失敗だったと言えるかもしれないが、私たちが行ってきたアクションは、人々の意見に大きな影響を与えてきた。そして、核実験禁止条約の部分的成功も収めたし、現に、核兵器に対する一般認識と人々の反対を生み出してきた。要するに、廃絶するのに必要なことは、ただ最後の一押しである。このためにファスレーン365があるのだ。私たちは、変革のためのロビー活動や教育にあたっている他の多くの組織を支援するために、必要とされている本質的な直接行動のとり方を提供したいと思う。

 

それでは、出かけて行って、トライデントに最後の一押しをしよう。