聖なる年のプラウシェアズ2000

TP報道発表,2000年11月3日

スーザンとマーチンの声明から

目次

スーザン・ヴァン・デル・ヒーデンの声明
スーザン・ヴァン・デル・ヒーデンのプロファイル
マーチン・ネウェル神父の声明
マーチン・ネウェル神父のプロファイル


スーザン・ヴァン・デル・ヒーデンの声明

親愛なる友人たちへ

平和があなたと共にありますように.地に正義と平和を取り戻す試みのために,私は今日ウィッタリング空軍基地に来ました.神の愛の法と,ミカとイザヤの預言「彼らは剣を打ち鋤きとなすであろう,そして再び戦を知ることはないであろう」を実現するために.世界の貧しき人々を抑圧することへの共犯を悔い改め,彼らへの償いを始めるために.カトリック教会によって実行が布告された,聖なる年の諸学理を述べるために.

トライデントが世界の平和と正義をゆるがす大きな要因であるが故に,私は,非暴力の手段で,この大量破壊兵器システムの重要部分,つまり核弾頭護送車を解体することを選びました.私たちはこの仕事のために家庭用のハンマーを使うことを選びました.そしてこの道具を,共にこの世界から核兵器を一掃することが出来るよう,他の人々に渡します.これは決して軽い決断ではありませんでした.私はこのことで,私自身も含めて多くの人々の生活を混乱させていることを理解しています.しかしこの世の中を,わずかでもより安全にし,少しでもより公正なものにするためとしては何とわずかな代償でしょうか.

トライデントの主な目的は,富める者と貧しき者の間の,権力者と抑圧された人々との間の現状をそのまま維持することにあるのです.それは第三世界の国々を脅して従順にさせることで,イギリスの核心的利益を守るために使われています.それはまた常にある事故の危険(特に護送車隊での)や,核戦争がこの惑星全体にもたらすであろう破滅的な効果によって第一世界の私たちも脅かしています.

「私たちは,それをしないということが出来なかった」とダニエル・ベリガンは20年前のプラウシェアズ行動の後で言ったが,これは今回の行動にも当てはまります.私たちの今日のウィッタリングのあかしは,キリストに従うこと,法,神の法,人道の法と国際法を実現すべく努力することにあります.

キリスト教徒としてそして人間として,トライデントを止めさせることは私の義務です.核兵器は神が私たちに教える全てに背いており,私が教えられた道徳と価値に背いています.すべての戒めの中で最も重要なものは愛,隣人への愛,あなたの敵への愛であるとイエスは私たちに教えています.しかしトライデントは死と破壊,恐れと復讐をもたらしうるのみです.私は人々の善良さを信じること,信頼や愛と親切を大切にすること,そして盗まないこと,他人を殺さないこと,脅さないことを教えられて育てられました.またもトライデントはこれの正反対です.それは恐れ,権力欲に由来し,殺りくをもたらします.

トライデントを止めることは私の義務もあります.なぜなら法がそう述べているからです.ニュールンベルグ判決は,政府が不法な活動に関与しているときには,これに対して行動することは全ての市民の義務であるとはっきり述べています.国際法の下ではトライデントのような核兵器を使用したり威嚇することは不法です.これらの核兵器を輸送する護送車両は,人々をガスオーブンに送ったナチの列車の役割をします.ガスオーブンを人々に送り届けるトラックです.

私はこの言明がいくらか私たちの行動を説明するものであることを期待し,裁判まではこれ以上のことを述べたくはありません.私たちは出来ることをやり終えました.今やトライデントの撤廃を成し遂げるのはあなたです.さあ,もし私たちが出来るのなら誰でもできるのです!
Pax et Bonum,

スーザン・ヴァン・デル・ヒーデン

(T)

スーザン・ヴァン・デル・ヒーデンのプロフィール

スーザン・ヴァン・デル・ヒーデンは、オランダのハートゲンボッシュで1969年に生まれた。1976年にアムステルダムに移りそれからずっとアムステルダムで過ごす。いくつかの仕事をしいくつかの勉強を始めた、もっとも長かったのは社会福祉関係の仕事だった(約2年間)。スーザンは80年代のオランダでの大きな反巡航ミサイルデモに参加した。彼女は学校の授業で千羽鶴(dozens of peace-doves)を折ったことを憶えている。

彼女は1990年の湾岸戦争の始まったときカトリックワーカー(CW)の運動に出会った。1993年にアムステルダムにあるそのコミュニティーに引っ越しそれ以来そこに住んでいる。CWは、米国で1930年代にドロシー・デイ、ペーター・マウリンらにより始められたクリスチャンの無政府主義・平和主義の運動であり、いまは米国、ヨーロッパ、オーストラリアで130のコミュニティーがある。この運動は、抵抗運動を行なうとともに、飢餓救済、訪問者の歓迎や囚人慰問などの慈善事業も行なっている。CWはプラウシェア運動の主な精神的な源泉の一つである。

アムステルダムのCWには4名の中心になるグループメンバーと12名のホームレス難民と1匹の太った白い猫がいる。抵抗運動の主な焦点は武器貿易(アムステルダム株式市場で毎週見張っている)と難民留置センターであった。

スーザンは、CWの家からのニュースレターを通してプラウシェアの運動を知るようになった。多くのCW活動家は何かにつけてプラウシェアに関係を持っていた。1998年に初めて「希望と抵抗」というヨーロッパ・プラウシェアの集まりに行き、それから8月には最初のトライデント・プラウシェア・キャンプとファスレーンの封鎖にも行った。彼女は2000年1月にトライデント・プラウシェアの誓約者となった。

マーチン・ネウェル神父の声明

二つの法がぴったり一致するとき

私はここに国法を支持します。国法は、トライデントが代表している核のホロコーストの威嚇に犯されようとしています。1997年の国際法廷(国際連合の司法国際法廷)は核兵器の威嚇や使用は国際法(これはローカルな法律の一部である)のもとで一般的に違法であると裁定しました。

1963年カソリック教会の第2回バチカン評議会は次のように述べました。「全居住者に及ぶような大きな領域の無差別の破壊は、神と人間性に対する犯罪であり、確かで明確な有罪の宣告に値する。」

道徳上また法律上から言って、核兵器の威嚇と使用は同じことです。トライデントはそのような威嚇の一部を構成しています。有罪宣告に値する様なものは除去を要します(破壊は防止しなければなりません)。カトリックの司祭として、善行をし悪事に敵対するというキリスト教徒しての共通の義務を持っているのと同様に、一命をかけて神の真実を語る義務を持っています。

子供の時、ナチによるユダヤ人のホロコーストについて学んだことを憶えています。その時、自問しました。「もし僕が1930年代のドイツ人だったら何をしただろうか?ユダヤ人のために平和のために立ち上がっただろうか?」そしてニュールンベルグ戦争裁判では多くの人々が不条理な命令に背かなかったということで有罪となったということをを学びました。そして再び自問しました。「僕は何をしただろうか?不条理な命令に背いただろうか?もし今ホロコーストが起きそうになったり、または、そのような恐れがあったら?僕は何かするだろうか?」子供だった私は、「そんなこと出来っこない」と悲しくも考えました。

いま、大人である私は自問しました。「世界を静かに覆っているこの脅威を与える核のホロコーストに私は何をすべきか、30年代と同様に我々は考えないほうがいいのだろうか。」今に至るまで,私は慎ましく行動してきました、今、国際法廷の判決に勇気づけられ、聖なる精神に強められて、私は効果的かつ象徴的に犯罪と罪悪を防ぐことを探求します。戦いの武器としてではなく、平和の精神の武器として使うために。私はこれらの「剣を鋤に」の(プラウシェア)運動を繰り返し我々の国家を守ることを探求します。この過程を始めることでのみ政治と人民は完成するのです。

そしてこのトライデント核システムつまり富者と強者の武器は、全世界の貧者へのグローバルな武装した強奪を後援しています。全世界で毎日の何千人も死に、核のホロコーストはすでに起こっています。聖2000年祭のキャンペーンは、「世界の貧困の鎖を断ち切ろう」としています。死の鎖もまた断ち切りましょう、そして、正義を取り戻し神の世界の聖年を宣言する平和を築く困難な仕事を行いましょう。

マーチン・ネウェル神父、2000年11月2日
(Mi)

マーチン・ネウェル神父のプロファイル

マーチン・ネウェル氏は1997年アプトンパークにおいて任命されたカソリック派神父である。彼は、3年間、ロンドンの左端のカンニングタウンの聖マーガレット教会に配置されてきた。。
ネウェル神父は33才で、1967年にウォルサムストウで生まれた。
彼の家族はサウスウッドフォードに引っ越してきた。そこで、彼は11年間、聖アン・ライン教会において祭壇の(ミサで神父を助ける)待者を勤めた。
彼はウォンステッドのラウアデス初等学校とイルフォード郡男子中高校に通った。
1985年、彼は経済学を学ぶためにサウザンプトン大学に入学し、2/1(?)を達成した。
神が彼を神父の職務につくように要請したとネウェル神父が信じるようになったのはこの期間であった.それは彼にとって深い悔い改めの時であった。彼はバーミンガムの中心部で貧しい人々や、急進的なキリスト教コミュニティーであるアシュラムコミュニティー、そしてロンドンのサイモンコミュニティーを通じて街頭ホームレスと向き合ってきた。
これらの実践的な課題は、急進的な福音主義者教会であるロナルド・サイダー著「飢えの時代の豊かなキリスト者たち」やジム・ウォリス著「新急進主義者」、「悔い改めの要請」などの書籍を含む、祈りと研鑚により深められた。彼はまた、正義と平和宣言(運動?)内に創設されたカソリック社会教育と同様に、ジム・ウォリスの講演も聞いた。

彼はカソリック派キリスト教徒としての彼の修養の本質的な特性のひとつとして、また神の本質の一つとして、個人的な生活を質素にしながら貧しい人々を好んで対処するようになった。1988年に大学を終えて後、ネウェル神父はイエズス会の自発的奉仕コミュニティーの1年プログラムに参加した。

彼はリバプールのトックステスの公営住宅を小さなクリスチャンコミュニティー内の他の3人と共同使用した。彼は精神的な障害のある人々や犯罪の被害者たちと働いた。
彼はまた、反人頭税連合の立ち上げを助けた。

1989年ネウェル神父はサイモンコミュニティーに戻ってきて住み、1年間働いた。そこで彼は引き続き関わっている。この期間、彼はブレントウッド教区に着任することを志願した。彼は1990年から1996年までウォネッシュの聖ジョンズ学校にいた。

(1991年の夏、彼はジョン・メドカフにより率いられたグループとともにペルーで1ヶ月過ごした。)彼は1年間、人生、信条、教会と神父職について反省して過ごした。この間
東ロンドンにおいて郊外の貧しい生活を共にしながら貸間に住みながら、低賃金の手作業を送った。1996年彼は助祭に任ぜられ、アプトンパークに送られた。
ネウェル神父は生き、キリスト教CNDに、続いてパックスクリスティ(キリスト教による平和)に加盟した。彼はまたニューヨークのカソリックワーカー紙を通じてカソリックワーカー運動を見出した。1997年、リバプールのカソリックワーカーコミュニティーを通じて、彼は市民的責任の最初の行動に参加した。それは東チモール英国エアロスペース
から希望の種子プラウェア行動を起こした。この行動によりBAEワールトン飛行場において8人のチモール人とともに逮捕される。これより前2回、彼はトライデントについての抗議の際、逮捕された。
(O)