気 ま ぐ れ 日 記 −1−


1999年


2000年.....乳がん1年目のつぶやき

HP公開後もいろいろ悩んだり、 日々思うこともあります。

そんな私の近況や、考えていること などを、書いています。




’99. 5.1 − 1年はあっという間

去年のゴールデンウィークは、私の胸に石灰化の存在が 見つかり、石灰化=乳がん≠ニいう図式が私の頭にこびり ついて離れない状態だった。

家の近くに畑を借りて、父や夫と、畑を耕したり、草を 抜いたり、毎日畑仕事に没頭していたけど、とにかく、私の 頭の中は、石灰化≠ニいう言葉で埋め尽くされていた。

その時は、まだ、乳がんと確定診断がついていたわけではなく、 経過観察だったけど、あれから1年、あっという間だったけど、 私にとっては、激動の1年が経ち、今はこうして、とりあえずは、 元気に過ごしている。


’99. 5.14 − 治るのかな?

乳がんについては、とにかく、メチャメチャ勉強した。 書籍、体験記、ネットからは、かなり、専門的な情報も、見る ことができた。

その中には、当然5年後の生存率に関するものも、いろんな ことから、知ることができる。

ずうっと、心にわだかまっているのは、例えば、同じ女性の病気として、 子宮癌がある。子宮癌の5年生存率は0期ならば、100%と 書いてあるが、乳がんの場合は、0期でも、決して100%とは、 書いてない。

一般にガンは、5年経って、再発や転移がなければ、”治癒” したとされる。が、乳がんは、10年経過しなければ、”治癒” とはならない。まれに、10年以上でも、再発することがある らしい。

「早く見つかって良かったね。」と、まるで、もう治ったかのように、 言われることがよくあるけど、治ったかどうかは、ずうっと先に ならないとわからないんだもの。



’99. 5.25 − う わ さ

私は、自分の病気のことを特に宣伝もしなければ、 隠しもしなかった。
親しい友人や、子供たちの担任、仕事先の上司、必要と思った 人には、正直に話して入院した。
ちょっとした知りあいなどには、退院後、「入院してたんだって? バレーで骨でも折ったのぉ?」なんて、聞かれたりした。

しかし、である。うわさというのは、すごいものである。
「ちょっと聞いたんだけど、大変だったんだって?」に始まって、 「再起不能って聞いたよ。」なんて、言われたりもした。
いったい誰が、どこまで知っているのか?謎である。


'99.6.14 − 半年検診

先日術後半年の検診を受けてきた。月に一度の検診と、 3ヵ月ごとの血液検査、そして、今回は肺のレントゲン。

画像診断というのは、なんだか恐怖になってしまっていて、 胸のレントゲンなんて生まれてこのかた何十回も受けてきたのに、 今回はすごく結果が恐かった。

結果は幸い異常なしだったけど、久しぶりに先生の前で ガタガタ震える思いだった。

「先生、心臓が飛び出そう。」と言ったら、「ちゃんと押さえて おいてね。」などと、切り返されてしまった。一緒に半年後検診を 受けたお仲間もみんな順調で、本当に良かった。

手術から時が経ち、日常の中では、”乳がん”と言う言葉に、 とらわれてばかりいられなくて、表面上は元気な自分を取り戻し たようになるけど、こうやって、病院へ行くたび、「ああ、 終わってないんだなぁ。」と思い知らされる。


'99.7.4 −発 熱 −


夏風邪をひいて寝込んでしまった。喉が痛いなぁとおもって いたら、夕方からガンガン熱が出てきてとうとうダウン。 熱はぐんぐん上がり、39℃。もう、あちこち痛いし、苦しいし、 涙出てくるし、ウンウンうなってた。

熱にうなされながら、肩甲骨や、肋骨や、指の骨が痛んで、 もしかしたら、転移してるんじゃなんて思ったりして、恐くなった。 こんなに熱が出たら、また、ガンが復活してくるんじゃないだろうか などと、ボーとした頭に次々に不安が浮かんできた。

幸い熱は一日で下がり咳がのこってるけど、元気になってきた。 でもちょっとしたことでもすぐに再発とか転移とか考えてしまう。 まだまだこれからが長いんだから、こんなことじゃだめだなって、 反省した。


'99.7.10 − メーリングリスト −


先週、ML(メーリングリスト)に入会した。乳がんの 体験者や、医療関係者が活発にメールをやりとりしている。 はじめは、じゃんじゃん送られてくるメールに目を通すのが 精一杯だったけど、このごろはやっとメールを発信することを 覚えた。インターネットをやっているだけあって、さすがに 年齢層はすごく若い。結婚前に乳がんの告知を受けた人だって たくさんいる。

顔も知らないのに、同じ病気を体験中というだけで、お友達 モードになれる。診察日は1ヵ月に1度、その間にもふと、 不安を覚えたり落ち込んだりすることもある。でも、こうして、 情報化時代のおかげで、癒される方法もたくさんあるのだ。


'99.8.28 − 出会い

私は、”出会い”というものに、いつもワクワクしている。 何か、新しい環境に飛び込んだ時、初めての人との出会いがある。

新しく出会う人の中には、いつも私の心をパッととらえてしまう 魅力的な人がいる。
今まで、何度もそんな出会いがあり、私の人生、生き方、考え方 に強い影響を与えてくれた人たちが、たくさんいる。

このところ、ちょっと停滞気味だった。その変化のない日常 から、新しい出会いへ私を向かわせたものが、”乳がん”だった。

心から信頼できる主治医。心の激しい揺れを支えてくれた ナース、運命共同体のような患者仲間。 そして、退院後、周りはみんな健康な人ばかり.....というちょっと 疎外感を感じていた私に、PCが新しい出会いをくれた。

HP公開で、メールを下さった人たち、MLに入会して 大勢の患者さんや、私たちを支えてくださる、先生方。
いろいろな出会いに感謝するばかりの今日この頃です。


'99.8.30 −世界陸上INスペイン大会 −


ただでさえ、いろいろなドラマを見せてくれるスポーツ。
きのう終了した世界陸上。今回は私にとっても 特に感慨深い大会だった......といっても、自分が出場した わけではない。(~_~メ)

エンクゥイスト選手。今年4月に乳がんの手術を受けて、 今も化学療法の最中という。彼女の100メートルハードルには、 釘付けになった。\(^○^)/~~~~~~
彼女は準決勝のレース後涙を流していた。「死ぬ事は怖くは ない。退屈な人生のほうが私には怖い。」さらに、「私は非常に 困難な時を過ごした。けれど、それによって私にできないことは 何もない。」彼女の涙を見ながら、私も涙をポロポロ流しながら、 ウンウンとうなずいていた。(T_T)。。。。。

そう、私たちは、確かに困難な病気を抱えてしまったけれど、 そのためになにもかも失う事はないんだ。と、いつも自分に いいきかせていたけど、同じように考えて、そして、世界の 大舞台で世界中の乳がん患者や、闘病中の人々にも勇気を与えてくれた エンクゥイスト選手に心から拍手を送りたい。


'99.10.17 − 義母が亡くなった −


10月9日突然の悲報が届いた。北海道に住む夫の母が 車にはねられて亡くなったのだ。86歳の母は、兄が同居しよう といっても、頑としてきかず、一人で暮らしていた。

毎日、畑で野菜や花を育て、誰も頼らずに、自分のことは 自分でするといって、ほんとうに元気に暮らしていた。 なのに、わき見運転の19歳の少年が猛スピードで母を撥ね とばして一瞬にして命を奪ったのだ。

義母は私の祖母と同い年だったので、母というより、 おばあちゃんという感じで、私にはとても優しかった。 去年の私の手術は隠していたのに、いつのまにか、義母の知る ところとなり、ほんとうに心配をかけてしまった。 元気な私を見てもらいたくて、来年の夏には帰省するつもりだったのに、 それはかなわぬことになってしまった。

きっと、義母は天国から、私たちを見ていてくれる。そう 信じて、一日一日を大事にしていこうと思う。いつだって、自分 のことより、子供たちや孫たちのことを気にかけていた義母の ためにも...。


'99.11.8
− 温泉デビュー報告

先月、私の入院日記にも登場する乳がん同期生5人で 鬼怒川温泉に旅行した。術後の抗癌剤治療を受けていた 仲間の体調が戻るのを待って、ようやく実現したのだ。

私が一番下っ端(年が..)なので、露天風呂・ 和食・5人一部屋、しかも値段もお得というテーマでやっと みつけた鬼怒川温泉某ホテル。

一番楽しかったのは、もちろんお風呂!!名づけて、" スリルと サスペンスの大浴場 " である。なんせ、みんな胸が片方ないの だから、人に見られるのはちょっと...。というわけで、タオル 一本で、さりげなく隠し、目と目で合図を送りながらの、お風呂 体験。でも、夜中の露天風呂から見上げた星空はきれいだったなぁ。

術後初めて温泉に入ったと、目をウルウルさせて喜んでくれた Tさん。結婚してはじめて一人で旅に出たもう一人のTさん。 修学旅行みたいねぇとしみじみ語るWさん。 ...ほんとに良かった。来年も再来年もずっとずうっと 元気でいて、またみんなで温泉入ろうねと誓い合った。さて、 次はどこに行くことになるのやら.....。

'99.12.281年経ちました −

12月22日で、術後1年を迎えました。胸部レントゲン、RI、腹部エコーの 検査を受けて、異常なしとの結果でした。

ほっと一息。ただし、残った左側にも石灰化があり、1年前のマンモと比較して 変化はなし。今のところ右の石灰化像のような、悪性を強く疑わせるような像では ないとのこと。けれど、いずれ一度は、生検で、ガンの有無を調べたほうが良いと 言われた。

右の時の生検はマンモで撮影しながら、ガイドワイヤをかけて、手術室で 摘出というものだったけど、更に侵襲の少ない方法で検査が可能になったのだ。 マンモで撮影しながら、太い針で吸引して組織を取り出すのだ。この方法なら、 傷も5ミリ程度で済み、痛い思いも少しですむらしい。

今までなら、経過観察で追っていた症例も、この新しい方法で、よりいっそう 早い段階での診断が可能になっており、経過観察が常識だった症例の中にも、 実はガンが見つかり始めているのだ。 けれど、今は父の入院でてんてこ舞い。緊急を要さないのなら、しばらくは、 様子をみていたいと先生に伝えた。

先生は、全ての情報をきちんと伝えて、自分のできる事もちゃんと伝えて、 そして、私自身が判断するのが良いと考えている。 1年目をクリアして、再発、転移は今のところ心配ないけれど、考えなければ ならないことが、私には、まだあるってことなんだよなぁ。