気 ま ぐ れ 日 記 −2−


2000年



2000年.....乳がん2年目のつぶやき

HP公開後もいろいろ悩んだり、 日々思うこともあります。

そんな私の近況や、考えていること などを、書いています。



'00.2.4 父そして義兄との悲しい別れ

2000年の幕開けはこれまでの人生で最大の悲しい別れから始まった。

昨年の私の退院と入れ替わるように父が入院し、膵臓癌がみつかり、 悩んだ末、非告知、緩和ケア優先の自宅での闘病を決めて退院し、 余命3ヶ月を11ヶ月余り一緒にガンと闘った。

最後の1ヶ月、入院した父を家族みんなで支えた。仕事も休んでずっと できる限り父のそばで過ごした。

父の最期は静かだった。そして、思いもよらない義兄の死。父の死から、 わずか、3週間後のこと。義兄もガンによって、その生命を奪われた。

ガンという病気は決して珍しい病気ではないけれど、自分の乳がんから 始まったこの続けざまの肉親のガン死は、自分の病気の厳しさをあらためて 私に突きつける。

けれど、今は乳がんで良かった。と思いたい。



'00.2.7 わかなの会講演会報告

2月6日、わかなの会という乳がん患者の会の講演会に参加した。

私の主治医も参加して活動を支えてきた会なのだが、残念ながら、 しばらく休会にすることになり、最後の講演会ということで、 初めてて参加した。

数日前、主治医からメールが入った。インターネットでの情報収集などに ついて講演するつもりなので、まゆりんのHPを紹介して良いかという 問い合わせだった。

有名なキャンサーネットジャパンの紹介や、千葉県ガンセンターのHP、 さらに、この日講演をしてくださった、K先生の診療所のHPを紹介した後、 ついに私のHPがスライドに映され、先生が内容を説明してくれた。

始めは照れくさくて、先生の顔も見られなかったし、スライドを見るのも はばかられ、人に気づかれないように顔から火を噴き出すのは至難の技だ。 けれど、しばらくすると、ちょうど一年前,取り憑かれたようにHPを 作っていたころのことが、蘇ってきた。

時間のない主治医に身体のことや、心のこと、家族のことや、将来の不安 まで、すべて話したいと思っても、とてもそれは無理な話。 多くの不安は自分でなんとか処理していかなくてはならない。 そんな自分を慰め励ましてくれたのは、同じ乳がん患者さんの生の声。 あの頃のことを思い出しながら、いつしか、まゆりんのHPの紹介を 自分も一患者として聞いている自分がいた。

私の体験がだれかの役に少しでも立てたら...掲示板やメールを通して 情報を交換したり慰め合ったり励まし合ったりすることができるようにと これからもこのサイトでの新しい出会いが数多くあるようにと、また心を 新たにした。

先生!!ありがとう。頑張れって、先生に背中を押してもらったような 気がする。先生が講演会で話したこと、−−具合が悪くて家から出かけられない 時でもインターネットが外の世界と自分をつなげてくれるってこと、 私も本当にそう思う。患者会に参加するのは少し勇気が必要だけど、インターネット なら、いつでもOKだもんね。

最後にもうひとつ。診察室の中だけでなく、患者会のサポートや インターネット上でのサポートなど、心ある医師たちがますます増えてくださる ことを切に願います。


'00.5.5 病友の死と健側のしこり



1998年11月26日、同じ日に乳がんの告知を受け、入院も手術もほとんど同じだった 大切な人が先月亡くなった。去年の秋、仲間5人で旅行に行ったそのすぐ後に 肺転移がみつかって、治療を受けていた。

彼女はかなり進行してしまった状態だったけれど、明るく強く、前向きで いつも私たちの手本だった。最後の入院の時、「死んでる場合じゃないでしょう。」 と、笑いながら、早くお家に帰らなくちゃとニコニコして、頑張るからねと、 力強く言ってくれた。

彼女を見送る日、まるで微笑んで眠っているようにきれいな顔で、しっかり戦い抜いた ようなさっぱりとした顔をした彼女に心の中で声をかけた。また、いつか会おうねと。

そして私は健側のしこりの精密検査を9月に続いて昨日また受けた。
エコーと細胞診で、とりあえず、悪性の所見は否定された。

5月、6月といろいろな予定が入っており、また入院・手術となったら、 仕事だけでなく、ほんとうにいろいろな人に迷惑をかけてしまうことにもなり、 もう、頭の中がパニック状態になりそうだった。 検査日までの一週間、いろいろ考えて、覚悟を決めて、クロと出たら、 みんな、ごめんなさいで、早く手術すればいいと、自分に言い聞かせて 検査に臨んだ。

今回は結果OKだったけど、これからだって、何度もこんなことがあるかもしれない と、やっかいな病気になってしまった自分にちょっと、腹立たしい思いで、 しっかりしろよと、ハッパをかけた。



'00.5。21 乳癌学会は高かった

5月11日と12日の二日間、横浜のパシフィコ横浜の会議センターで第8回乳癌学会が 行われた。一般の視聴もできると聞き、2日目の学会へ出かけていった。

受付を済ませ、プログラムをもらい、あちこちの会場を走り回るようにして いろいろな発表や講演を聴いた。

非浸潤ガンの診療のパネルディスカッションでは、非浸潤ガンの診断の方法や、 どのような手術が行われているのか、また、病理組織診断を統一する必要性などの 話を聞くことができた。

会場ではML”teddy”の仲間数人と出会い、アメリカで長く乳癌治療に あたっておられる先生とお話しすることができたが、私達数人が皆乳癌患者である ことをお話しすると、日本の患者さんはほんとうに若い人が多いと驚いておられた。

もっと聞きたい発表がたくさんあったけれど、1日目にすでに終わったものが 多く、プログラムを事前に手に入れることができれば、効率よく見て回れたと思う。 また、参加費は、15000円で、一般人にはちょっと高い!!・・以上学会報告でした。


'00.8.2 マンモトーム生検

術側はステレオガイド下生検という、比較的新しい検査で石灰化部分からガン細胞を 見つけ出した。術後一年の検査で異常所見なしという結果を受けて主治医から健側の 石灰化の確定診断を勧められた。

ステレオガイド下生検では、最終的には手術室で局部麻酔により病変の摘出 手術を受けることになるが、さらに新しい検査であるマンモトーム生検ならば 身体への侵襲もはるかに少ないのだ。

まだ、このマンモトーム生検ができる施設は数多くはないようだし、この体験は しっかりレポートしてこのHPにUPしようとたくらんでいた。

検査着に着替え、マンモグラフィを撮るためレントゲン室に入ると、ワゴンの上には 注射、メス、ガーゼ、などなどが並び、主治医、付き添いの美人ナース、私が信頼している 女性技師、オールキャストでお出迎え。
まず、マンモトームの針を刺すための場所を決めるためにマンモを撮る。私が緊張 しないように、みんなで話し掛けたり、リラックスするように気を配ってくれる。
マンモの写真が出来上がるまで、乳房を機械にはさんだままの体勢でじっとしていな ければならない私にほんとうにみんなで言葉をかけてくれる。

ところが、マンモに石灰化が写らない。条件を変えて何枚も撮り直す。
しばらくの休憩をはさみ、何度も撮る。その間、先生はどうやってマンモの写真から 針を打ち込む場所を特定するかなど、機械を見せながら教えてくれたりもした。
けれど、何度撮り直しても、石灰化部分が写らない。
なんと、生検は中止。

外来に戻って先生の説明を受けた。石灰化は良性、悪性を問わず通常消えることはない。 従って、前回のマンモに写った微細な石灰化像と思われたものは石灰化ではなかった 可能性もある。

今回の結果にはほんとうに驚いた。もし、またガンが見つかったら、8月に入院、手術と 自分の中では覚悟をしていた。そうなったら、ノートパソコンを買って病院から体験記の パート2を実況中継するぞーなんて、思いっきり強がりを言っていたけれど、ほんとうは すごく怖かった。
だって、マンモトームって、まるで拳銃のような仕組みみたいで、ああ、これをズドンと ぶっ刺すんだぁ・・・と思ったら、さすがにビビッた。

意外な結末となったマンモトーム生検だけど、私が術後抱えていた不安材料のひとつを 消すことができてほんとうに良かったと思う。


'00.11.8 第1回オフ会開催報告

11月3日、千葉県舞浜のイクスピアリにて第1回のオフ会をしました。
お昼のランチパーティーに10人+お子ちゃま2人、2次会からもうひとり加わって 一日中おしゃべりしまくって楽しい時間を過ごすことができました。

年齢も家庭環境もそれぞれ違う11人が「乳がん」という共通項だけで集まり、 初めて会った人たちばかりなのに、あっという間に打ち解けてしまう、不思議な集まりです。

命に関わる部分での話ができる相手というのは、どうしても限られてしまうし、 家族や友人にだってわかってもらえない思いがあります。そんな思いも共有できる 仲間というのはほんとうに心強いものです。
どの方のお話を聞いても表現は悪いかもしれないけどドラマチックです。 乳がん患者というひとくくりではなく、ほんとうにひとりひとりの熱い物語が あるんだと思います。。

MLのオフ会には何度か参加したことがあったのだけど、まゆりんのHPを 支えてくれている人たちに会ってお礼が言いたいという強い思いがずっとありました。 HPを開設してから、1年と8ヶ月。その間、いろいろなことがあり、精神的にも かなりまいってしまい、HPを続けていく自信もその意味もわからなくなったときが ありました。「もうHPやめちゃおうかな・・・」そんな弱音を吐いた時に、「もうまゆりん 一人のHPじゃないんだよ。」そう言って励ましてくれたのは うぃんままです。ガン患者ということに精神的にすごく疲れてしまって何もかも 投げ出したい・・という発作が今でも時々おこりますが、みなさんのメールや掲示板の 書き込みがHPを続けていける原動力です。


'00.12.26 術後2年と誕生日

今日は、43歳の誕生日。そして、22日で術後満2年が経過した。
一昨年のクリスマス、誕生日は病室で迎え、昨年は父の病室で迎えた。
2年ぶりに自宅で静かに過ごすクリスマスと誕生日。昨年、父が最後の入院をする 少し前庭先にイルミネーションを飾り、父がいつも横になっていたリビングのソファから それを眺めて「きれいだなぁ・・・」と喜んでくれたっけ。

去年の今ごろは父の残された時間を一緒に過ごすことに必死だった。
ボロボロの気持ちを支えてくれたのはネット上で知り合ったたくさんの人たち。 疲れた身体で父の病院から戻りパソコンを立ち上げ、私宛のグリーティングカードを 見たとき、涙がポロポロ出た。一人じゃない、私を気遣って励ましてくれる人が いる・・・・・そう思ったらすぅっと心が軽くなった。

そしてこの一年はほんとうに多くの出会いとそして悲しい別れがやってきた。
もうすぐ始まる21世紀にどんなことが待っているのかわからないけど、たくさんの人に 支えられて、そしてほんの少し私もだれかを支えることができたら、きっと元気にいろんなこと を乗り越えていけるって思える。

乳がんになってしまったけど、今元気に43歳を迎えた私を父に見て欲しかったな。
44歳も、50歳の私も見て欲しかったよ、父さん。