気 ま ぐ れ 日 記 −3−


2001年


2001年.....乳がん3年目のつぶやき

HP公開後もいろいろ悩んだり、 日々思うこともあります。

そんな私の近況や、考えていること などを、書いています。




'01.1.11 --- ガンで逝った友と父の一周忌 ---

昨年秋、夫の古くからの友人が悪性リンパ腫で入院した。彼は誰からも好かれる ほんとうに気の優しい人だった。ガンになったことは誰にも知られたくないと 望んでいたけれど、彼の義弟がこっそり夫に知らせてくれた。

ネットでいろいろと情報を集め彼の義弟に渡し、彼の意思を尊重して お見舞いは控えていたが、ずっと夫も私も心を痛めていた。

強い抗癌剤治療に耐え必死に治療を受けていた彼の容態はが年末から 急変していた。1月8日、彼のお母さまから逢いにきてほしと伝言があり、親しい数人の 友人とガンセンターへ向かった。

いつも照れくさそうにかきあげていた長めの髪はすっかり抜け落ち、酸素マスクを つけて彼は苦しそうにベッドに横たわっていた。一人ずつ彼のそばへ行き、手を握り 声をかけた。みんな変わり果てた彼の姿に衝撃を受け、がんばれよ、がんばれよと 繰り返し、元気になれよと彼に言った。

私は心の中で「違う!がんばれは言わないで!」と叫んでいた。彼は十分に 頑張ったのだ。私は彼の手をさすりながら、「Tさん、よく頑張ったね。つらかったね。」 と言葉をかけた。彼の目からも私の目からもポロポロと涙がこぼれた。

夫が「夫がまたくるからな。」と声をかけると「うん、待ってる。」そう言って 彼は手を振った。そして、次の日の夜中、彼は旅立っていった。

6年生の息子さん、3年生の娘さん、そして昨年生まれもうすぐ1歳の誕生日を 迎える末娘。三人の小さな子を残して死ななければならなかった彼の無念を 思うとたまらない。

彼の葬儀は父の一周忌と同じ日となった。前日の通夜、葬儀とお手伝いを させてもらい、葬儀の途中で夫と私は一周忌法要のため自宅に帰った。 父の遺影に向かって、「父さん、Tさんもそっちに行っちゃったよ。よろしくね。」と 手を合わせた。


'01.1.15 --- ガンになった理由 ---
自分がガンになった時、なぜ?なんで私が?と繰り返し繰り返し思った。今でも思っている。 父が逝ってしまった今でさえ、なぜ?なぜ父さんがガンになったのだろう? なぜ、父さんは死ななければならなかったのか・・・と いつまでも答えの出ないことを考える。

きっとみんなそう考えるのだと思う。自分がガンになった理由が知りたい。そうでなければ ガンになったことを納得できない。あきらめきれない・・・。 ガン家系だからとか、不摂生をしたからとか、ストレスが強かったからとか、いろんな 原因や要因を探すけれど、そうじゃなくて、ガンになった“理由”を知りたいのだ。

それがどうしても見つからないから“運命”なんだって自分をごまかしているのかもしれない。

「何で俺がこんな目にあわなきゃならないんだ。」

先日亡くなったTさんが、泣きながらいった言葉を私もずっと繰り返しつぶやいている。

'01.2.5 --- 私のしたいこと ---
父の闘病の記録をようやく書き上げ、「まゆりんの乳がん騒動記」に番外編として 加える事ができた。1年余りかかってしまった。

父のことを書くというのは、辛い作業だった。特に父の終末期にさしかかる頃は 何日も何ヶ月も書くことができずにいた。苦しかった。
父のことは鮮明に覚えているつもりなのに、やっぱり記憶というのは少しずつ 薄れていってしまう。
だからこそ、どうしても書いておきたかったのだと思う。

そして、最後の追い込みに入った頃から、私は自分がほんとうにしたいことが ぼんやりと見えてきた。
私は「ガン」という病気にずっと関わっていきたい。ガン患者、そしてガン患者を 看取った家族として、何らかの形でガンに苦しむ人と関わっていきたいと 考えるようになった。

病気になるずっと前から、“医学オタク”と言えるほど、私は病気、とりわけ、ガンに 興味を持っていた。そして、人の生きる意味や死というものをいつも考えていた。
自分がガンになったこと、父を見送ったこと。この2年の間に私に起こった出来事は ますますその方向へ私の目を向けてきた。

第一のステップはもちろんHPを通しての情報発信とたくさんの人との出会い。 そして、次のステップとして、ある患者会に参加することにした。
自分に何ができるのかはわからないけれど、とにかく飛び込んでみようと 決めた。願う事はきっとかなうって誰かが言ってくれたことを信じて自分のしたいことに チャレンジしてみるつもり・・・。

'01.2.10 --- 全損 ---
手術後の胸の補正のために、ワコールのシリコンパットを愛用している。外見をふつーに 見せるには必需品だし、なくなった脂肪のかわりに胸をあたためてもくれる。
これがあるおかげで、バレーボールの時飛び込んで胸を床にぶつけても傷を保護して くれるし、机の角に胸をぶつけても大丈夫!

ところが、先日バレーの練習を終えてパットを見たら、何だか形がヘン(・・;)。 なんと、やわらかいシリコンでできているパットが悲惨な形になってしまっているぅ!(怒)

何度も私の胸板と体育館の床との板ばさみになった末、とうとう”全損”してしまったのだ。 ああ、これ高いのになぁ・・・・トホホホ。 (T_T)
2年ももたずにパットが壊れたなんて、誰も言って ないよぉ〜!

★厚生労働省さま
乳がん患者の補正パットや下着を健康保険適用にしてくれぇぇぇ〜!!(~o~)

'01.2.27 --- 健側の生検決定 ---
2月19日、恒例の血液検査の結果を聞き、診察を受けた。検査結果は問題なし。
いつもながらの、オールAである。そこいらの健康人より健康かもしれない。(笑)

ところが、いつも先生がチェックしている健側のしこりのように触れる硬結部分の確定診断を つけることを提案されてしまった。エコーでは何も写らず、穿刺吸引での細胞診も 何度かしたが、ガン細胞は見つかっていない。
このまま毎回の視触診と、定期的なエコー&細胞診での経過観察をすることになって いたのだが、どうも先生ははっきりさせたほうが良いと判断したらしい。
前回の摘出生検の時、麻酔があまり効かず痛い痛いとわめきまくった私は無類の 痛がり、恐がりで、先生は「全身麻酔でしてあげようか?」なんて、冗談を飛ばすけど、 マジでビビっている。何に?痛み?・・・違う。結果が恐いのだ。

3月15日にやるって決めたけど、あれから毎晩恐ろしい夢にうなされている。 現実には自分ではどうしても見つけられないしこりが手に感触が残るほどの夢に うなされている。

結果がクロと出たら、4月に予定している大切な友人と行く金沢の市民フォーラムも おじゃんだ。来年度の中学のPTA役員もどうしよう・・・。 何の心配もなく、来週、来月、来年と予定をたてられる人がうらやましい今日この頃です。

'01.3.8 --- 差別反対!! ---
先月は、以前からかかっている内科での定期検査があった。
8年ほど前に人間ドックで、多発性肝のう胞が見つかり、ずっと半年ごとにエコー検査を続けている。乳がん手術後も定期的な検査はそのまま肝臓専門の内科医にお願い している。で、肝エコーを受けるために朝から食事抜き、飲み物も抜きで、病院へ出かけた。

エコーの順番を並んで待っているとまわりでいろいろおしゃべりが始まった。
私を除くとみんな60歳前後の人のようだったので、私はもちろん一人で浮いていた(?) 肝炎の人、糖尿病の人、みんないろいろと自分の病状を話しながら話はどんどん 盛り上がっていく。そのうち、口々に言う事は、「でも、がんじゃなくて良かったよ。」とか、 「ガンになるよりはましだったかもね。」なんて言うわけ。

さすがに、「おいおい、がん患者がここにいるんだぜ〜(怒)」なんて、心の中で ブツブツつぶやきながら、(▼_▼)こんな顔になっていく私・・・。「どうせあたしは ガンですよぉ・・。ふんっ。」

声を大にして言いたい!!

「ここは病院だ〜!!
あんたのとなりにがん患者が いてもおかしくねぇ〜だろうがぁ!!
ガンだけ、差別するなぁ〜!ガン患者差別反対じゃー」


ところであんたはどうしたの?ってひとこと聞いてくれたら、にっこり笑って、 「私はがんです。」って言ってやるぅ・・・。

'01.3.8 --- QOL ---
手術をする時、私がもっともこだわったのは、運動機能の温存。だから、リンパは郭清 したくない、ということだった。スポーツをするということは私が生きていく上での大切な 要素だったから、それを損なうことは術後のQOLを損なうことになると思った。

幸い、病理の結果でDCIS(非浸潤ガン)が確定し、私がリンパ郭清をしなかったことも 正解ということになって、これが一番私にとってはうれしいことだった。
今も以前とまったく同じようにバリバリにスポーツを楽しんでいる。パットは全損しちまった けど・・・(T_T)

ところが、せっかくのQOLを下げる出来事が私を待っていた。術後はじめての昨春、 私は花粉症を発症してしまったのだ。いままで、花粉症の友達を笑って見ていた 私がついに花粉症になってしまったのだ。ガ〜ン(*_*)
2年目の今年、私はボロボロ、ヨロヨロである。もう寝込みたいほどの重症。 花粉症のおかげで私のQOLはグングン低下中なのである。ハックション!!くそぉっ!

'01.3.22 --- 手術室レポート ---
3月15日(木)健側のしこりの摘出生検をした。
エコー、マンモグラフィともにこのしこりは写らず、主治医の触診でずっと経過観察中 だったもので、過去2度穿刺吸引で細胞診をしたが確定診断には至らず今回の 摘出生検となった。

術衣に着替えて歩いて手術室に入る。わりと小さい部屋。せまい手術台にのぼり、 右手に血圧計を巻く。直径10センチくらいの輪投げの輪のような枕に頭を乗せると これがなかなかしっくり頭になじむ。お持ち帰りしたいくらい。(笑)

助手をつとめる若い医師が、「点滴しますね。」と声をかける。
この医師とは初対面。心の中で、「名を名乗れ!名前も知らない人に身体を切ったり 縫ったりされたくないよぉ。」と文句をたれるも、顔はニコニコして「よろしくお願いします。」 などと言ってしまい、ちょっと自己嫌悪。>良い患者になりきってしまう私。

点滴は右手の手のひらを上に向けた時に体側の血管。これはものすごく痛い場所。
「点滴ははじめてですか?」なんて聞かれて、「おいおい、全摘してんだぜ。点滴はじめての わけねーだろ!(怒)」と、またまた心の中で悪態ををついてしまう。 結局、点滴箇所のあまりの痛さにがまんができず、腕の外側に刺しなおしてもらう。

主治医と助手の医師、看護婦さんが、緑色の布を何枚か私の身体にかけていく。
看護婦さんが右足にアルミシートのようなものをはる。電気メスを使うので、これは必需らしい。 手術台は暖められているのか、背中がじわーっと暖かい。胸のところにも布が立てられ、 手術の様子が直接見えないように視界をさえぎる。

こうして、徐々に準備が進められていく。少しづつ緊張も高まる。身体にかけられている 布を全部蹴飛ばして、「いやだぁぁぁー!!」と叫びだしたい自分をぐっとこらえる。

宇多田ヒカルの曲が流れる中、「さ、はじめるぞ。」と主治医が私に 声をかけ、担当の看護婦さんが私の左側の頭の上に立つ。少し顔を上げると彼女の 顔を見ることができて、安心。

主治医「まず、麻酔だよ。少し痛いけどがまんしてね。」
まゆりん「はぁい。」(こういうときはやけに素直)

そして、確かに麻酔の注射は痛い。もう少しな、もう少しだぞ、と主治医が励ましてくれる。 麻酔がしっかりと効き、手術がはじまっても痛みがない。前回の生検では途中から何度も 叫ぶほど痛かったので、ちょっと身体は警戒しているが、徐々に緊張がほぐれてくる。
主治医は痛くないかと常に私に確認し、「絶対に我慢せず痛い時は言うんだぞ。」と 声をかけることをいとわない。これはほんとうにありがたい。

しばらくするとなつかしい匂い。電気メスによって自分の体の一部が焼ける音、白い煙。(>_<)
それでも、痛みがないとかなり余裕が出てくる。まず、照明をじぃっと見ると、中心に ビデオカメラがあり、その横にはマイクがついている。手術のビデオを撮っているらしい。
このビデオ欲しいなぁなんてふと思う。

痛みはないが、感覚はある。引っ張られるような感覚や触られているという感覚は ちゃんとある。どんどん、私の興味は手術の具体的なことに移っていく。今何をしている のだろう。どんなふうにやっているのだろう。見てみたい、見ていたい。(@_@)
「見たいな。」と言ったら、主治医が笑いながら、「卒倒しちゃうよ。」だって。

摘出も無事に終わり、縫っている時に少し痛みを感じた。すぐに麻酔を追加してくれ、 とうとう最後まで痛みを感じることなく手術は終わった。
前回は摘出したものは見たくないと言ったけど、今度は見たくてたまらない。主治医に言うと、 「うん、今見せるよ。」と言って、一センチくらいのかたまり(意外に小さい!)にメスを 入れながら、「目で見た感じでは心配はなさそうだ。乳腺が一部硬くなっているだけの ように見えるよ。後は、病理でしっかり見てもらおう。」と私に説明してくれた。

待合室に待機している夫のところへも説明に行き、私の手術は終了した。
摘出したしこりはほんとうに小さく、たったあれだけを取るのに、なんだか、手術室なんて おおげさみたいなどと、終わってしまえば強気の私。(-.-)

ずっと主治医と話をしながらの手術だった。気が散るから黙ってろなんて絶対に言わない。
「どうして今回は痛くないと思う?」と主治医が私に聞く。「麻酔をはじめから たくさん打った。」と私が答えると、「正解」と笑う主治医。

痛みがないというのは、ものすごく大きい。もちろん肉体的なことが一番だけど、 精神的にもダメージが少ない。前回は手術室から車椅子で出ることになったくらい 超ぐったりしたのに、今回はスタスタ歩いて出ることができたのだ。

こうして、今回の生検は無事に終了した。と、ところが!!である。
なんと、私はその晩から40度の発熱で4日間も寝込む事になった。インフルエンザである。 ネット仲間が痛がりの私を心配して祈ってくれたり、念を送ってくれたり、みんなの おかげで無事に手術をクリアしたのに、なんとインフルエンザで寝込むとは・・・トホホホホ(T_T)

今日でちょうど一週間。3回の消毒も終わり、お風呂も解禁。(^O^) あとは、一週間後の 結果発表(?)を待つばかり・・・。

'01.5.6 --- 検査ストレス(・・;) ---
明日は久しぶりの病院。定期検査の胸部レントゲンと、先日やった骨シンチの結果を 聞く。次々とくる検査のハードルをひとつずつクリアしながら元気な日を重ねるって 考えようと思うけど、やっぱり検査はすご〜いストレスになる。

先生は悪い事を疑って検査するって言ってるわけじゃなくて、定期的な検査だから、 あまり心配せずに受けようって言ってくれるけど、なんせ、一度はかかる人より かからない人の方が圧倒的に多い、“ガン”という病気が見つかった経験を持つ 私にとって、気楽に“大丈夫だろう!”なぁ〜んて、簡単には思えないんだなぁ。

もうすぐ、術後2年半、検査が近づくにつれて、身体のあちこち具合が悪くなる。 結果を聞く日は、気分は地球のマグマより深くもぐり、心臓はエベレストを 駆け足で上ったくらいになっちまう!

明日もスキップして病院を出られますように!南無〜

'01.7.10 --- 挑戦 ---
HPの更新もすっかりおろそかにしてしまっている今日この頃・・・ 久々の近況報告です。

今年になってから、支え合う会「α」へ世話人として参加した。 そこでの出会いから、5月、千葉看護専門学校での 特別講義(そんな立派なものじゃないだろ!!)に挑戦した。なぁんと大胆な・・・

がん患者として、また、父をがんで見送った遺族としての私の体験を看護学生さんたちに お話しするという機会をいただいて、うれしかったし、伝えたい思いはたくさんあった。

前夜遅くまでかかって、お話することの要点をまとめたものを用意して行ったのだけれど、 いざ話し始めたらそんなものを見る余裕もなく、きっと学生さんたちにはわかりにくい 話になってしまったかもしれない。
でも、その日の夜、掲示板に学生さんから書き込みがあり、感激した。 私のつたない話に一生懸命耳をかたむけてくれた学生さんがHPを見てくれ、 書き込みをしてくれたのだ。もっと時間があったら、コミニュケーションをとれたのに ちょっぴり心残りだけど、ほんの少しでも私の話から患者や家族の思いを 知るきっかけになればほんとうにうれしい。

患者から学ぶ・・・そういう姿勢を持つ医療者が増えてきていることをこのごろ強く 感じる。また、医療の現場に立つ前に教育として患者の生の声を学生さんたちに 聞かせるという試みを行っている方たちがいる。

このことは私たち患者にとっては限りなくうれしことだと思う。医療者と患者の間に 深〜く深〜く横たわっている溝を埋める事を医療者のほうからも歩み寄って実現 させようとしている。

私たち患者や家族ももっと声を上げていこうと思う。思いを伝えずに医療不信を もったり、悔いを残すのは嫌だ!聞いてくれる人はきっといる。そう信じてこれからも まゆりんにできる小さなことからチャレンジしていきたいなって思っている

'01.9.16 --- 看護学校入学願書?? ---
5月に続いて、7月に今度は国立相模原病院附属看護学校で乳がんについての 体験談をお話しした。
担当教官の杉本先生は、もうメッチャ素敵な方で、職業人として 背筋のぴーんと伸びたほんとうに素敵(あ、女性ですよ!)。それでいて、気さくな方で ちょっと相模原は遠いけど、来ない?なんてお誘いくださったのだ。

まゆりんはお誘いは決して断らない>飲み会でしょ、それは!(ーー;)主義(笑) なので、またまた行ってしまったわけ。(無謀!)
2年生の授業ということだったのだが、行ってみたら3年生もぜひ一緒に 聞きたいということで教室には若い看護学生さん達がギッシリ・・・(@_@)

今回は乳がんに的を絞って自分自身の体験や、仲間から教えてもらった リンパ浮腫や退院後の患者の生活などについて話した。
そして、医療者が患者から学び、患者も医療者に自分達の思いを 伝えていって、双方が歩み寄り、共に病気と闘う同士として、人として 手をつないでいきたいという私の思いもお話しした。

患者さんから信頼される看護婦になりたい・・・学生さんの思いはみんな 同じで、理想に燃えている。医療者としての確かな技術を身に付け、 その上で、人としての自分を磨いていってほしいとお願いした。
その人がどんな人なのか、人として魅力にあふれる暖かい人格をもった 人であるとわかったとき、心からの信頼を寄せることができると思っているからだ。

だから、いろんな人と出会い、いろんな体験から学びながら人としての自分を 高めていってほしいなぁと私の希望を話した。

しばらくして届いた学生さんの感想文の束は私の宝物になった。
おまけに、杉本先生が同封してくださったのは、 なぁんと、看護学校の入学案内と願書!!(@_@) だった。もうほんとマジでびっくり!

今からでも遅くない!というゲキをいただいたけれど、まゆりんはろくに自分の 世話も焼けないダメな奴なので、人のお世話なんてとてもできませ〜ん!!!

あれ??誰〜?そうだそうだってうなづいてる画面の前のあなた!!(爆)ヽ(´ー`)ノ

'01.9.16(No.2) ---必然の出会い? ---
私は子供のころから 少し変だった。いや、変だと思われて(?)いた。
私が強い興味をもったことは、人の生き死にや心のこと、目に見えないもの・・ 死ってなんだろう、どんなことだろう、生きるってどんなこと?未来って何? 生きるってどういうこと?永遠や無限ってどういうこと?神って何?・・・

私の中で、病気や死というのはごく普通の話題だったのに、家族や友人 にも、理解してもらうことは困難だった。病気や医療や宗教などの 本をよみあさり、例えばガンになったときに受けたい医療や 医師の姿勢、ターミナルケアなどについても自分なりの理想もっていた。

皮肉なことだけど、ガンになってようやく(?)堂々と生きること死ぬことに ついて話してもいい場所ができた。

そして今この病気がきっかけで出会った大切な友達、仲間は私と同じ 思いを抱えていた。そのことがわかったとき、私達は必然的にガンになり、 必然的に出会うように定められていた気がするねとすーっと落ち着いたような気がした。

はじめて逢った人なのに、なつかしい気がしたり、死についてさえ語ることができるなんて 不思議な気がするけど、出会うべくしてであう人たちなんだと思うようになった

'01.11.20 ---獅子座流星群 ---
昨夜は3年ぶりに獅子座流星群を見た。夜中の1時ごろから、夫と中2の娘と 3人で近くのダムまで出かけていった。

雨が降るように・・・とまではいかないけれど、ほんとうに四方八方から流星は 現れてそしてすぐに消えていく。大きなものは少し緑がかっていて、星の流れた 軌跡をしばらく残していく。涙がでるほど美しい。

ちょうど3年前も夫と娘ふたりと流星群を見た。石灰化部分の摘出生検を受け、 結果を待っているときだった。流れる星を見ながら、「どうか、がんではありません ように・・・」と、心から祈った。

あれから3年、ほんとうにいろいろあった。手術、父の死・・・。 流れ星は私の願いをきいてはくれなかったけど、3年後の今、こうして元気でいること がうれしいと思う。
流星のように私の前に現れてそしてあっという間に星になってしまった大切な人もいた。 けれど、それまでの自分の人生からは想像もつかないような素晴らしい出会いも たくさん訪れた。
獅子座流星群が次はいつまた素晴らしい天体ショーを見せにきてくれるのかは わからないけど、どうか静かな日々が流れていきますように。

'01.12.1 ---みゃあ、バイバイ(;_;)/~~~ ---
私は小さい頃から恐がりで動物を触れない人だった。犬や猫を見ると かわいいと思うのだけれど、人間以外の動くものはまったく触れなかったのだ。
ところが、まだ社宅のアパートにいた頃、小学生だった息子がまだ目もあかない猫を ひろってきた。その日から私はスポイトでミルクを飲ませ、猫を育てる事になった。

素手ではさわれないから、タオルでくるんでそっと手にのせミルクを飲ませる。歩けるように なった猫からギャーギャー言って逃げ回りながらも、だんだん慣れていった。
みゃあと名づけたその猫は私がはじめて飼った猫であり、猫なら平気!という私に してくれたかわいい奴だった。

私が手術を受けた頃から猫も身体のトラブルに見舞われた。尿路障害で大手術をし、 去年の夏には交通事故で自力排尿、排便ができなくなってしまい、カテーテルで導尿を この一年半続けてきた。
朝、いつものようにゲージから出して外で遊ばせていた。夫が外にいて、 私は居間からみゃあを見ていた。2人の間で喜んでゴロゴロしてはしゃいでいたみゃあが 突然、パタンと倒れ、夫が抱き上げるとすでにぐったりして、尿がダラダラと流れた。
急いで病院へ向かったがあっという間に瞳孔も開いてしまい、病院へ着いた時は 心臓は止まっていた。

あまりにも突然、あまりにもあっけなくみゃあは天国へ行ってしまった。 でも、夫と私の見ているところで倒れ、ずっとお世話になった動物病院のスタッフ 全員に看取られてみゃあは幸せだったと思いたい。みゃあ、バイバイ。そしてありがとう

'01.12.10
---柳原和子さんと対談(?) ---

「α」で「がん患者学」の著者である柳原和子さんの講演会を開催した。
一方的にしゃべるだけの講演会は嫌よ!という彼女の意向もあり、会場の参加者との フリートーキングをすることになった。そこでビックリ仰天!代表の土橋さんから 「まゆりん、前に出て柳原さんと対談してね!」 だって。(@_@)

司会はやるからという甘い言葉に騙されて(笑)しぶしぶ前に出たら、いきなりマイクを 「ハイ!」と渡されてマジにビビってしまった。
やけくそで話はじめて、その後、医師や 看護教官の方も前に出てもらい、ディスカッションになった。会場からも積極的に 発言が続き、冷や汗もんだったけど、どうにかサクラの役を無事に果たせたみたい。

ああ、でももう勘弁してね>代表!
柳原さんは自宅から連れてきた小さな赤ちゃん文鳥を手に乗せてエサをやりながら あふれるような熱い思いを充分に語ってくださった。またいつかお会いできたら今度こそ 落ち着いてお話するのだ!!(爆)

'01.12.26 ---クリスマスコンサート ---
第2の誕生日・・つまり手術記念日を無事に迎えた。ようやく乳がん3歳。そろそろ 保育園に入れる年である。おまけに今日は44歳の誕生日。世間では立派な 大人である。なのに、私の大好きな仲間はまゆりんを大人としては認めてくれない。 心外である。

そんな不届きな友達の一人であるそのちんが千葉県千倉の花の谷クリニックで クリスマスコンサートを開いた。
夫×1+娘×2を引き連れてまゆりんもこのコンサートに参加した。
もちろん、某匿名希望Hさんやうぃんままも駆けつけた。赤いバンダナを巻いて だんなさんであるYOSHIさんのアコースティックギターの伴奏で この日のために一生懸命選んだ曲やクリスマスソング、そしてオリジナル曲も含めて 全17曲をそのちんは熱唱してくれた。

ベッドで寝たまま参加してくれた男性は歌が大好きな人で、そのちんやみんなが歌う 「川の流れのように」をマイクに向かって一生懸命歌ってくれた。お年寄りや子供、 たくさんの人の心をそのちんはぐっとつかみ、シンガーSONOEとしてではなく、 一人の女性=そのえとして等身大で歌い、語り、すばらしいコンサートだった。

キロロの「ベストフレンド」をそのちんは涙で歌い、それを見ていた私たちも鼻水をすすり、 ハンカチを押し当て、感極まってしまった。
そのちんに出会えてほんとうに良かった。仲間としてこれからもずっとずっと長い 道のりを一緒に歩いていこうと思った。素敵なクリスマスをありがとう>そのちん&ALL