気 ま ぐ れ 日 記 −4−


2002年


2002年.....乳がん4年目のつぶやき

HP公開後もいろいろ悩んだり、 日々思うこともあります。

そんな私の近況や、考えていること などを、書いています。




'02.1.1 ---ワクワク、ドキドキ ---
2001年は私にとって激動(笑)の1年だった。出会いはどんどん広がり、そこから 今まで想像したこともなかったようなことをいくつも体験することができた。
今年はいったい何が待っているのだろう。うれしいことがあるだろうか。悲しいことも あるのだろうか。
どんなことが待っているかわからないけれど、私には支えあう仲間がいる。心を通わせて 同じ方を見ている仲間がいる。だからきっと前を向いて歩いていける。

私の願いはいつもひとつだけ。“平凡で何事もない日常がおくれますように(笑)” でも、今年はちょっぴり欲張ってしまうつもり。

2002年夏、ひとつの目標がある。大切な仲間と一緒に見る夢でもある。それが実現できるか 今はまだわからないけど、出会うべくして出会った仲間達と一緒にこの夢にむかって いくつもり。どーか夢がかないますように!


2002.3.2 ---お薬や〜めた! ---

術後3年が無事に過ぎた先日の診察日、うれしいことがあった。

まず、タモキシフェンの服用をやめることにした。術後の病理結果を見て 主治医は追加治療の必要はないと言ってくれたのに、私はそれが恐かった。 筋腫で子宮を摘出したので、タモの副作用の子宮体がんの心配はないし、 ネットで調べた情報ではタモには健側の乳がん発生の予防効果もあるということ だったので、自分から志願(笑)して、タモの5年服用を決めた。術後の不安を 薬を飲むことで精神的な支えにしたかったのだ。

でも、私のような病理結果では服薬は不要というのが 標準治療であること、体重の増加(体育会系としては、脂肪が体にプクプク ついてきたことは悲しい)、時折ある卵巣付近の痛み。いろいろ考えて、 主治医に5年飲むと言ったけど、もうやめたいと相談してみた。

主治医の答えは、「成長したね!それで良いと思うよ。」というものだった。 成長するなら、身長も伸びて欲しいものだが(笑)

病理検査報告書のコピーも欲しいとお願いしたら、病棟の入院カルテを取り寄せて コピーをし、摘出標本の写真も見せてくれ、報告書の説明を詳しくしてくれた。 これからは、薬じゃなくてこの結果報告書をお守りがわりにするねと言ったら、 先生、笑ってた。



2002.4.8 ---プー太郎は誰だ!? ---
家の息子は、「俺は肩に力を入れないで生きていくんだぁ」なんて、 たまには、力入れろ〜と蹴りを入れたくなるようなことを言う。
高校3年になっても、相変わらずフ〜ラフ〜ラと毎日楽しく暮らしていた。

この分では必ずやプー太郎になると不安に思っていたが、どうにか行先が 決まってほっとしていたら、な、なぁんと、母であるまゆりんがプー太郎に なってしまった(T_T)

ま、パートだし、しゃーないかぁ・・・と思ってはみたが、なんか腹の虫が おさまらない。いろいろと調べてみると、パート労働者であっても、契約更新を 繰り返し、期間の定めのない雇用形態になっていて、合理的で明確な 理由もなく契約の更新を打ち切る場合は、解雇と解釈され、解雇権の乱用という 判例も数多くあることがわかった。

仮処分申請をするとか、訴訟に持ち込むとかいろいろと方法はある。 痛い目にあうと、いろんなことを知るチャンスになる。でも、毎日、好きなだけ PCをいじっていると、プー太郎も悪くないなぁ・・・なぁんて思えてくる。 父さんに生前、よく言われたんだよねぇ・・、「おまえは相手の大きさを考えずに ケンカをするから、心配だ。ケンカは相手を見てからにしなさい(▼_▼)」・・

でもなぁ・・・プー太郎なんて、息子に言われちゃおしまいさ!!(怒)


'02.5.2 ---今日は泣く ---

昨日、訃報が届いた。
同じ職場でパートをしていた人が亡くなったという知らせだった。
彼女は乳がんの先輩だった。私が健診でひっかかり乳がんかもしれないと 悩んで、専門医を探していたとき、今の主治医のことを教えてくれた。


彼女のおかげで、信頼できる私にとって最高の主治医と出会うことができた。

小さなしこりで温存手術を受けていた彼女は先輩患者として、 いろんなアドバイスをしてくれたり、私の手術時には、病室に来て、励ましたりしてくれた。

そんな彼女に術後3年を目の前にして局所再発が見つかり、全摘の再手術を 受けた。そして、化学療法も始まった。彼女の病状の進行とともに 私と口をきくことが少なくなり、いつしか、目を合わせることすらなくなっていった。

私にとってとても苦しい日々が続いた。仕事をやめようかと悩んだ。苦しくて 安定剤を飲まずにはいられない日もあった。

でも、彼女の気持ちは痛いほど理解できた。同じ病気のまゆりんは元気になり、 こんなに頑張っているのに、なぜ、自分だけが・・・。きっとそんな 苦しい思いをしていたと思う。毎日顔を合わせることがつらかったに 違いない。誰かを恨まなくては、誰かを憎まなくてはとても、自分を保つ ことができなったと思う。

私もつらかったけど、彼女は私以上につらかったと思う。私が何の屈託も ない健康な人をうらやんだり、ねたましく思うのと同じように、彼女に とって、私を怒りを向ける対象にすることで、病気と闘うエネルギーの ひとつにしているのだろうと思った。無理のないことだとも思っていた。 いつしか、それでもいいのだと思えるようになっていた。

職場で見せていた彼女の笑顔の裏に、どれほどの苦しい切ない思いが 秘められているか、私はわかっているつもりだった。だから、私は 何も言えなかった。私の苦しさの何倍もの苦しさの中で彼女は 必死に生きていたのだ。 彼女は2月に入院し、外泊をして下の息子さんの中学卒業式に出席し、 その足で、職場へ辞意を伝えにきたことを聞いた。その日お休みだった 私は彼女にさよならも言えないままだった。

そして、昨日届いた悲しい知らせ・・・。

彼女は、ずっと診てもらっていた病院ではなく、 私と同じ病院で私と同じ主治医に看取られてその生を終えた。


跡取り娘として、年老いたご両親と、大切な2人の息子さん、 そして、最後まで彼女を支えてくれ尽くしてくれたやさしい ご主人。大切な大切な家族を残して先に逝かねばならない彼女の心を 思うと、たまらない。どれほど心残りだっただろう、どれほど、無念だった だろう・・・。

棺で静かに眠る彼女はほんとうにきれいだった。 心の中で「ごめんね。そしてありがとう」と手をあわせてきた

私は彼女を尊敬する。そして決して忘れない。彼女が生きたこと、 最後まで生き抜いたこと。生きるために必死に闘ったこと。

私は生かされている自分の生を一生懸命生きる。感謝して生きる。
今日は、いっぱい泣く。泣いてもいいって自分に言う。泣くしかできない



'02.6.3 ---ガイア自主上映プロジェクト(笑)---

ちょっと集○会で「地球交響曲」(ガイアシンフォニー)第三番の 自主上映を発表してからもうすぐ1ヶ月・・・。着々と計画は進行中と 言いたいところだが、さすがに素人集団である。ネットでのお知らせは したものの、なんせ上映会場である江戸川には誰も住んでないので、 地元へのPR活動をどうするかという問題があった。


しかし、メンバーのネット仲間で江戸川に住む人がPR活動に協力 を申し出てくれたりもしてありがたいことである。そして、まゆりんは 地元千葉県民ガイア洗脳作戦を開始した。



'02.7.18 ---千葉県乳腺疾患研究会---
6月22日、千葉市内のホテルで開かれた会に参加した。堂本千葉県知事のあいさつから始まった。知事は全国ではじめて女性専用外来を県立病院に設置した人であり、また国会議員当時アメリカやカナダで行われた乳がん会議に参加した経験から日本の乳がん医療にも強い関心を持っておられることを中心に熱のこもった挨拶だった。

今回ユニークだったのは、千葉県立千葉女子高校の生徒が乳がんについての研究発表をしたこと。保健の授業の中で自由研究のテーマに乳がんを選び高校生の乳がんの知識などのアンケートを中心に発表。女性である以上、今のうちから乳がんに対する正確な知識や情報を持つことが大切という発表に会場からもいろいろ意見が出て、自分の体の仕組みなどを知り、早くから検診を受ける意識を育てていきたいという医療者や教育者の発言も相次いだ。

アメリカなどでは、若い頃からかかりつけの産婦人科医をもっていたりするとも聞く。日本の女性は婦人科、乳腺外科とも自分は無縁だと思っている人が多いのだろう。でも、乳がんもどんどん若年化の傾向があるし、私も中学生の娘達に今から、乳がんについての知識をじわりじわりと植え付けている最中。
自分の体に少し注意深くあってほしい、母であるまゆりんが乳がんになったことで娘達は漠然と将来の自分も・・・と不安をかかえている。だからこそ正しい知識と情報を伝え続けていかなくちゃと思う。



'02.8.25 ---へこたれないんだよ---
ここ一週間くらい、すごく落ち込んでいた。ほんの小さな出来事だけど、私にとってはとても悲しいことがあった。じっと、心にためて、時が経つのを待てば、この凹んだ気持ちだってまた元通りになるってことはわかってた。
でも、つらくて、苦しくて、ものすごく凹んでた。

木曜日の朝、電話が鳴った。8月のはじめ、地元のタウン誌に紹介された、私の記事を読んで、HPを見てくださった方からだった。偶然にもお住まいがとても近く、ほんの歩いて数分のところの方だった。
私より少し年配のその方は、私のHPを見て、感動したので、本を差し上げたいとお電話をくださったのだった。私は、少し驚き、そして、とんでもないですと言ったけれど、同じ市内在住の先生のステキな本があり、ぜひ、私に届けたいと言ってくださった。

しばらくして、その方は、私の自宅まで来てくださった。
いただいた本は、画文集で、「へこたれないんだよ」という本。浅野照子さんという方が、出しておられる本だった。その本の表紙には、バラの花の絵とともに、「凛」という文字が書かれていた。私は、「凛として生きる」ことを目標にしていた。
だから、その文字にとても惹かれた。画文集を開いてみると、絵と共に浅野さんの言葉がいっぱいちりばめられている。

涙が出た・・・。凹んでいた私に、今までお会いしたこともない方から、「へこたれないんだよ」という本が届く・・。不思議だった。そして、心がポッと暖まった。

本には、浅野さんから私へのメッセージ「フレーフレー!!」というエールと、「生きる」と力強い文字。そして、長い和紙の巻紙に、筆で書かれたお手紙が添えられていた。

へこたれないんだよ。画文集のタイトルと、メッセージが下を向いてた心を励ましてくれた。感謝の気持ちと人と人との出会い、つながりの不可思議に、大きな力を感じ、ただただ、涙が出た・・・。

何度も何度も苦しい事や悲しいことにぶち当たってきた。でも、その時々、必ず私に救いの手を差し伸べてくれる出来事がある。
へこたれてもいい、また顔を上げて進みなさいと誰かが背中を押してくれる。

心からありがとう。多くの人が、私を支えていてくれている。
ありがとう、ありがとう・・・。

これを読んでくれるあなたにも、「へこたれないんだよ」そう背中を押してあげることができますように。


'02.12.20 ---ガイアに明け、ガイア一色の1年---
今年も、いろいろあった・・。去年の11月ごろに勃発した(笑)ガイアの自主上映会の最初の打ち合わせのために、ちょっと集○会の5人で東京合宿を予定していた前日の夜、仲間の一人、そのちんが緊急入院という知らせがあり、本当にびっくりした。そんなスタートだったけど、その後、このド素人5人で、ああでもないこうでもないと2000通あまりのメールだけでほとんどをやりとりし、思いもかけない上映日10日前の完売。

上映会は、主催者と参加者がみんなで作り上げた素晴らしい上映会になった。ガイアの素晴らしさは、映画の魅力はもちろんのこと、そこでであった人たちの熱い思いがひとつになって作り上げる感動を与えてくれるんだと思った。

ガイアをやって良かったと心から思う。人に自慢できるようなことなんてこれっぽっちもない平々凡々の私だけど、ガイアをやったことはこれから生きていく中で、きっと私に勇気や力を与えてくれる素晴らしい体験だったと思うし、集○会のみんなと出会えたこと、そして病気を通して出会えた多くの仲間たちと共に歩くことができる幸せをしみじみと感じている。

そして、12月、ガイア上映会のご褒美(がんばったもん!)に、集○会の仲間と京都へ行った。家族からは、「こっちこそ、ご褒美もらいたい!」とあきれ顔だったけど・・・(笑)
上映会に来てくださった作家の某女史においしい京料理の店に案内していただいたり、自宅で朝ごはんをごちそうになったりした。たくさんおしゃべりをして、エキサイティングで濃密な時間を過ごした。

人との出会いの不思議さ・・・
病気を体験してからの多くの出会いから学ぶことは限りないものばかり。
がんになんかなりたくなかった・・でも、がんにならなければ決してすれ違うことすらなかった人たちとの出会いがどれほどあったことだろう・・

ガイアシンフォニー第三番の主要な登場人物星野道夫の言葉が忘れられない


「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さ、すばらしさに通ずるのだ」