選ばなかった道

 人生において人は何度も岐路に立つ。大きな選択、小さな選択、さまざまな道を選び取って人は歩いていく。進学、就職、結婚・・・理屈・屁理屈・打算・助言・・・いろんなことを考えて道を選び取っていく。時にはひらめき、くじ引きだってあるかもしれない。でも、大きなウエートを占めるのはやっぱりその時の“気持ち”かもしれない。

命がかかる選択をしなくてはならないこともある。それは、自分の命がかかることであったり、大切な人の命がかかることだったりもする。でも、人は必ず等しく死を迎える。では、何のための選択?それは、与えられている時間をどう過ごすか。

人はひとつの人生しか生きられない。岐路に戻ってやり直すことはできない。迷いに迷って選んだ道が歩いていくうちに、苦しいものになるかもしれない。つらいものになるかもしれない。けれど、選ばなかった道を選びなおして生きることはできない。

そして、しばしば、“選ばなかった道”のほうが正しかったのではないか・・・という思いに囚われる。

父が膵臓がんに冒されたと知ったとき、父に残された時間はわずかだった。余命3ヶ月。あまりにも短いその時間。私たちは必死に考えた。どうすればいいのだろう。何が父にとって一番良いのだろうと。
そして、選んだ道。良かれと思って選んだ道。これがこのどん底でも一番良い道と信じて選んだ道。父は穏やかに11ヶ月を生き、旅立っていった。あれから5年。残された母との5年。繰り返し繰り返し父の話をする。そして、母は悔やむ。どうにかしてやれなかったのか。もっと何かあったのではないだろうかと。その言葉を聞くたび私の心は痛む。悲鳴をあげる。

たとえ別の道を選んだとしても父の命の時間はそう変わらなかっただろう。でも、万が一にでも・・・そう母は思うのだ。父を失ったという事実は変えられない。悲しみは癒せない。

私自身、あれで良かったのだと思い込むことは難しい。
唯一の正解などどこにもない。

何かを選び取ることは何かを捨てること。何かを得ることは何かを失うこと。
そうやって私たちは迷い続けながら歩いていくのだろう。



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