指輪物語 (J.J.トールキン著)

 と、いう壮大な物語を全巻読んだのはおととしのこと。もともとあまりフィクションは好きではなかったのだが、ロードオブザリング「旅の仲間」の公開前に書店に特集コーナーがありとりあえず文庫本で4冊、旅の仲間だけを買った。読み始めたらとにかくつまんない(笑)
物語にはなかなか入らず延々と「ホビット」という種族について解説が続く。
すぐに飽きちゃってしばらくは本棚にポイ!

映画は、「旅の仲間」「二つの塔」「王の帰還」と、原作と同じ3部作で制作され、2作目までを見た。そして、どんどん物語りに引き込まれ、次はどうなるのか、結末はどうなるのか・・・
もう、こうなると本を読まずにはいられない。本棚から引っ張り出した4冊を数日で読み終え、すぐに第2部3冊、第3部2冊を買いに走り一気に読んだ。

読み終えた後、すっきりとはしない。心が動揺していた。哀しみではない・・なんだろう?
その答えが知りたくて、この9冊の長い長い物語を短い期間で4回繰り返して読んだ。
結末を知ったあとの気持ちは、言葉でしっくりくるものが見つからない。
しいて言えば、「切なさ」のような気がした。

基本的なオタク体質(笑)の本領発揮で、ネットで調べまくった。「指輪物語」には全世界に熱烈なファン・・というより研究者がいっぱいいて、指輪物語以前の歴史が神話として存在していたり、指輪物語のその後にまで言及したトールキンの書簡が残っていたりすることがわかった。で、もちろん読んだ。構想を書き記した書簡は和訳したものを指輪関連サイトで読むことができた。

深い深い、細部まで練りに練った物語・・・。どんどん深みにはまってしまった。
物語の舞台である、MiddleEarth(中つ国)が、歴史上実存したかのような錯覚になった。
まるで歴史小説を読んでいるような気がした。そして、この物語は私の心の根っこを揺さぶっていった。切ないのだ。

物語の中で私をひきつけた言葉がある。

物語のストーリーテーラー的存在である魔法使いガンダルフが言う、“pity”(情け)という言葉。憐れみではなく、強いものが弱いものへ施すものでもなく、“人”が誰しも持っている他者への優しさ、“慈しみ”。

そして、物語が終わりに近づいたとき、すべての旅を終えた主人公は元の暮らしに戻ったけれど、「昔の暮らしにどう戻る?どうすれば・・。心の中ではわかっている。もう戻れないことを。時が癒せない傷がある」

私たちはたったひとつの人生しか生きることができない。そして、生きていく中で何かを得たときはもうひとつの何かを失っている。時間はたゆまず流れ続けていく。後戻りはできない。
けれど、そんな“生きていく哀しみ”を持っているからこそ今が愛おしい。

地球交響曲(ガイアシンフォニー)という映画と同じように私の心の中の鍵穴にパチンとはまるようなそんな物語なのだった。

ドラゴンクエストなどRPGゲームの原点と言われている物語なので、ま、無類のドラクエ好きの私としては、はまっても当然の物語だったわけだけど(笑)
映画は、原作を改変したり設定が変わっていたり、かなーりはしょった部分などもたくさんあるのだけれど、映画は映画として素晴らしいと私は思っている。第3部の王の帰還にいたっては7回も劇場に足を運んだ。そして、見るたびに泣いた。同じ映画をこんなに見たのはもちろんはじめて。我ながら呆れる^^;

2005年2月3日、ようやくDVDが全巻そろった。そして、また泣いた。涙が枯れることはないらしい・・・。 



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