婦 人 科 編


− 子宮筋腫による子宮全摘手術 −

− 婦人科病棟の出会いと別れ −




乳がんの手術の際、さまざまな手術法の選択肢があった。その選択をする条件や要因の中に、私の既往症の[ 子宮筋腫 ] があった。

乳がんの病理結果によって再手術(リンパ郭清)となった場合は、同時に子宮全摘の手術が受けられるように外科と婦人科でプランを立ててもらっていた。

幸い、病理検査の結果はリンパ節の郭清手術の必要はなしとなったので、、外科は退院となり、婦人科に転科し単独で子宮全摘術を受けることになった。


3人の子どもに恵まれた私だが、実を言うと出産は常にトラブル続きだった。
一人目も切迫流産を乗り切り出産にこぎつけたが、その後2度の流産。この頃精神的にもかなりまいってしまい、不安神経症になった。さまざまな不安発作やパニック発作を経験するようになり、当時はあまりこういった病気についての情報も理解も少なかったのでかなり私は苦しい時期だった。

2人目の出産は安定期に入るまで入院、退院後も長期にわたりほとんど寝たきりのようにして過ごしようやく出産となった。3人目は身体が妊娠出産に適した状態になったのかあまり大きなトラブルなく出産することができた。

25歳の出産時から子宮に筋腫があることは指摘されていたが、特に問題にするようなものではないということだった。
しかし、最後の出産から2〜3年ほど経った30代半ばから月経時の出血量がおびただしい量になり、また、痛みも半端なものではなく動くことすらできないほどの困難なものになっていた。ドクドクと音をたてるようにあふれ出る経血、下腹部の耐え難い痛み、頭痛・・・

乳がんが見つかる少し前から、婦人科では子宮摘出を勧められていた。

○閉経まではかなりの期間があること
○貧血が急速に進んでいること
○筋腫の場所が出血過多を招きやすい位置にあること
○すでに3人の出産を経験しており今後妊娠の予定がないこと
○今の大きさであれば、開腹ではなく経膣で摘出可能なこと

月経のたびに、もう耐えられないと手術を考えるけれど、終わってしまえば入院や手術というものに向かう気持ちが萎える。そういったことの繰り返しだった。

そんな折、乳がんの手術を受けることになり、身体への負担の不安はあったものの、この際、思い切って筋腫の手術も受けることにしたのである。


手術について
ひまし油

乳がんの手術と違い、腹部の手術なので念入りに腸内の洗浄をする。婦人科では前日の食事の後、「ひまし油」という下剤を飲むことになっていた。ひまし油なんて昔の人が下剤代わりに飲んでいたものだと思っていたのでかなりびっくり・・・。
しかも、見た目にもあきらかな油 (~_~;) 量はわずかだけれど、見ただけでこれを飲むの??と思わず腰が引けてしまうような感じ。

先に手術を受けた人たちにいろいろ話を聞いてみたら、とにかく飲むのが苦痛だったという。
私はもともとどちらかというとすぐにお腹をこわしてしまうタチだったので、この下剤を飲んだらどうなるだろうという恐怖も強かった。
外科から婦人科に転科して手術のための事前検査がすべて終わったあと、2泊ほど外泊で自宅で過ごしてきたが、なぜかお腹の調子が悪かった。

そこで、話しやすいナースにまず相談してみた。
私 「私さ、外泊中ずっと下痢してたのよ〜ひまし油飲むのちょっと怖いんだけど・・」
ナ 「そうなんだ。じゃ、ちょっと先生にお話して相談してみますね」

その結果、ひまし油は飲まなくて良いことになった。ホッ・・(^^ゞ

手術

朝早くからまたもや浣腸処置・・(@_@。。。
しかも、外科のときと違ってかなり量の多い液を使う。分娩室が空いているので使うようにとの指示があり、きれいな洋式のトイレで便座も暖かい。でも、そこで痛いよ〜とシクシクほとんど子どものように半べそをかく私・・・。もうこれだけで疲労困憊。

術衣に着替え、ストレッチャーでまずナースステーション前の廊下へ運ばれる。
そして、なんとここで筋肉注射。あの恐ろしく痛い注射をみんなの見てる前で打たれる(泣)
婦人科病棟で仲良くなった仲間たちが激励の言葉とともに周りを取り囲んでくれる。

ほんの1ヶ月ほど前に入った手術室へ再び運ばれる。
手術台に乗り、右手には血圧計や酸素濃度を測る器具、左手は点滴など着々と準備が進んでいく。BGMのリクエストを聞かれ、今回は最新ヒットチャートを希望。

今回は腰椎麻酔・・。横向きになり海老のように身体を丸める。痛いと聞いていたのでかなりビビっている。先生が 「やせてるから刺しやすいよ〜 」と言いながらブスリ・・・。痛いというより身体にぐぐっと押し込まれる感触がかなりイヤ〜な感じ。思ったよりは我慢できる。

頭をやたらに動かすと麻酔が上半身に回ってしまうことがあるので絶対に頭を動かさないようにと恐ろしい注意事項を申し渡され、かなり緊張・・・。

痛みは・・・感じない。ただ、引っ張られたり、振り回されているかのような変な感覚はある。
リラックスリラックス・・・と自分に言い聞かせ、BGMに集中しようと思う。
kinkiの歌、キロロの歌・・・2曲までは確かに耳に入っていたが、3曲目からは聞いていない。
胸のところにある視界をふさぐ布の向こうで行われている手術に興味津々。
チラチラ聞こえる先生たちの話に耳をそば立てる・・・。

時計もちらりとのぞき見る。
あと、どのくらいかなぁ・・・と思っていたら、
「はい。終わりましたよ。手術時間は20分くらいでした」
との声。

へ?もう終わったの???
身体の状態もとてもよく、ほとんど出血もなく非常にスムーズな手術だったそうだ。

あっけないほど、簡単??に終わった。お腹は切らず経膣式だったので、回復も早いだろうということだった。


地獄のような夜

婦人科の手術の際、後ろの首の付け根あたりに、細い針を留置してあり、そこからモルヒネが注入され術後の疼痛をコントロールできるようになっていた。

ところが・・・である。

とにかく腰が痛い。寝ているせいかと思うけれどまるで出産の陣痛と同じくらい痛む。あまり動いてはいけないと思うが5分とじっとしていることができず、ごそごそと体位を変えてみる。
お腹というより、腰か耐え難いほど痛む。

涙が出る。いい年した大人のくせに痛くて涙がポロポロ出る。そばについている母や夫が代わる代わる腰をさすったりしてくれる。ありがたいのと痛いのでますます泣けてくる。

看護婦さんに苦痛を訴えると点滴の量を調整はしてくれるが一向に状況は好転しない。

結局一晩中痛みで眠れず乳がんの手術直後の高揚した気持ちとは雲泥の差。痛いよ〜痛いよ〜と泣きじゃくるように夜を明かした。

看護婦さんに叱られる・・・

次の朝になっても、痛みはいっこうに楽にならない。とにかく寝ている状態が一番痛みが強いので早く体を起こしたいと思った。朝、様子を見にきた看護婦さんの顔を見て、実は迷った。優しい看護婦さんばかりのこの病棟にもたった一人だけ誰もが敬遠する看護婦さんがいた。昨夜の当直はこの人だったので、夜中に痛みを訴えるのも恐る恐るだったのだけど・・。

地獄のような一晩を過ごした私はもう辛抱ができず、看護婦さんに早く体を起こしたい、とにかくベッドをいったん降りたいとお願いした。
すると、「この点滴が終わったらいったん針を抜くので、動いてもかまわない。早く点滴を終わらせたいなら滴下の速度を上げますか?」と言ってくれたので、お願いした。

ところが、しばらくすると心臓がどきどきして、吐き気がしてきた。先ほどの看護婦さんにそう話すと、叱られた。
「あなたが、早めてくれって言ったんでしょ!」

悔しさと腹立たしさを隠して、「すみません」と誤った。心の中では言い方があるだろーが(怒)とブツブツつぶやいた。


腰の痛みは術後の疼痛だった

点滴の速度をまだ遅くして、あとはただただひたすら腰の痛みに耐えていた。
ところが、しばらくして様子を見にきてくれた婦長さんに腰の痛みのことを話すと、それは寝ているから痛いのではなく、手術を受けたことによる痛みだと説明してくれた。開腹手術でなくても体の中をいじっているので、痛みがあり、そのためにモルヒネを調整できるように背中に針を留置してあるのだというのだ。その後、モルヒネの量を調節してもらった私はようやく痛みが緩和された。必ずしもお腹が痛いとは限らない、出産や生理痛が腰にくる人は手術後の疼痛も腰の痛みとして出ることが多いとも教えてくれた。


回復は早い・・が、カビにやられる

痛みが緩和されると、現金なもので気持ちにも元気が出てくる。次に出るのは食欲(笑)
ところが、重湯からはじまって、なかなかまともな食事にありつけない(-"-)
ごはんもおかずもデザートも全部サラサラの液体ばかり・・・切ないぃ〜
しかも、連絡ミスがあって、おかゆが出るはずだった食事にまたまた重湯が出てきたときはマジ切れしそうだった。食べ物の恨みは恐ろしいのだ〜。

開腹手術を受けた人は、しばらくお腹に力を入れることもできないので、歩くのも腰をかがめ、トイレもたいへん。幸い私はそういった不都合はなく、主治医や看護婦さんからがびっくりするほど回復が早かった。

ところが、落とし穴はあるものなのだ。

乳がん手術、それに続く子宮筋腫の手術で、かなりの抗生剤を点滴していたため、カンジタ膣炎になってしまったのだ(泣)かゆくてかゆくてたまらない。カビにやられるとは・・ショック。


婦人科病棟での出会いと別れ
Nさん

婦人科病棟には、10日間ほど入院していたが、そこでもさまざまな患者仲間との出会いがあった。外科のベッドが空くまでの2・3日過ごしたときに友達になったのは、子宮がんの手術を受け術後の抗がん剤治療をしていたNさん。

彼女のがんはかなり進行していて予後も厳しいものだった。30代半ばの彼女はとてもきれいな人だった。私は退院後も何度も彼女の病室を訪れた。そのたびに彼女はやつれて小さくなっていった。

ずっとそばに付き添っているお母さんが、そっと私に言った。
「この子を最後まで看取ることが親としての私の勤めだと思っています」

病室にうかがっても、彼女は眠っているだけ。お母さんの話し相手になって、二人で泣きながら彼女の体をさする・・・そんなお見舞いが何度となく続いた。


Eちゃん

私の筋腫の手術のあとすぐにとなりの部屋に入院してきた30歳のEちゃん。パジャマ姿の彼女はまだ高校生かと思うようなかわいいママ。早期の子宮頚がんで手術を受けるために入院してきた。

彼女はとても私になついてくれて(笑)、どこに行くにもついてきた。手術の前日に飲んだひまし油で、ひどい下痢をして睡眠剤を飲んでもまったく眠れず一晩中トイレに通ったと手術の朝、ふくれっ面をしていた。手術室へ向かう彼女のまわりには、他の入院仲間達も大勢集まって、それぞれが声をかけエールを送った。
肩に筋肉注射を打たれた彼女は、ご主人やご両親、小さな息子達が心配そうに見守る中で、痛い〜といって子どものように泣いていた。


産婦人科病棟の悲哀と運命の不思議

私たちの入院していた病棟は産婦人科なので、ナースステーションをはさんでL字型になった病室は片方が産科、もう一方が婦人科疾患と一応分かれてはいた。けれども、病室の都合によっては、婦人科疾患の患者の部屋にお産を終えた産婦さんが入ることもある。

ある日、私のちょっとした知り合いが出産のために産科病棟に入院してきた。驚いたことに、この産婦さんと子宮がんの手術のために入院していたEちゃんは、昔、恋のライバルだったのだ。そして、産婦さんは、Eちゃんと争った彼と結婚し、3人の子どもを生み、さらに4人目の出産のために偶然にも同じ時期同じ病棟に入院してきたのだった。

今は、Eちゃんも、優しいご主人とかわいい息子達と幸せに暮らしている。でも、一人は病気のために子宮を失い、一人は出産。まるでドラマのような皮肉な偶然に私たちも驚いた。


旅立ち

私は一足先に退院したが、Eちゃんもその後退院して元気にしている・・・そう誰もが思っていた。ところが、彼女のがんは、主治医も経験がないほど急速な進行を見せた。退院を間近にした検査で再発転移が見つかったのだ。一時他の病院へ移って治療を受けていたが、効果なくまたしばらくして元の病院へ戻ってきた。
そして、具合が悪くなった彼女は、Nちゃんの個室のとなりに移されていた。

私が退院しておよそ半年後、Eちゃん、Nさんと、二人は旅立っていった。
頑張ろうねといつも励ましあっていた二人、退院して元気になっているものとお互い信じていた。最後まで二人はとなりの病室にお互いがいることを知らないままだった。